「あにめの記憶」1
「宇宙戦艦ヤマト」(初代テレビシリーズ)
・「宇宙戦艦ヤマト」初代テレビシリーズ
アニメの醍醐味の一つはSFである。今まで多くのSFアニメが制作されて放映されてきた。サイエンスフィクション、つまり男の子向けの「空想科学」の世界である。
日本では古くは鉄腕アトムや鉄人28号などがこの部類に入るだろう。実写だと代表的なものは「ウルトラマン」ということになるだろうか。これらの男の子向けのSF物語は全て熱血ヒーローが謎の非人間である宇宙人や怪獣を倒すものが多かった。鉄腕アトムはちょっと方向性が違うかも知れないが、熱血主人公が悪に立ち向かうという点では同じだろう。これらはすべて子供にもわかりやすいように勧善懲悪を貫き、悪が地球人類を狙うのは単なる自分の私利私欲のためだけで理由がないのが特徴で、そこに描かれる地球は希望に溢れ、平和で科学技術が誰にも負けない位進歩しているのである。
この日本の男の子向けのアニメに一風変わったアニメが登場したのが1974年、その物語の冒頭は地球人が一方的に異星人の侵略を受けて滅亡寸前という状況であった。そして一隻の戦艦が「戦争」をしながら旅に出るという異色のストーリーであった。それが今回紹介する「宇宙戦艦ヤマト」である。
この物語は今見ると当時としては斬新といえるだろうが、当時の感覚で言えば「変わってる」という感覚になると思う。変わっている点の一つは出てくる地球や地球人が滅亡寸前であること、それを救うのは地球人でなく異星人であること、主メカを操るのが主人公一人でないこと、メカそのものが主役でそれに乗り組む乗員達の人間像を描いていること、敵を絶対悪とはせずに一人一人の人間として描き、敵側の正義についても触れられていること、主メカに乗り組む味方側の人間も間違いを犯している点を書いていること。さらに味方にも戦死者が多数出る事。
それまでのSFの多くが、史上最強の絶対正義が悪を懲らしめる物語だった。敵側の正義や言い分なんかないのが前提だし、味方側に大きなダメージがあるなんて絶対にあり得なかった。それほどまでに正義のヒーローの正しさと強さを絶対化し、悪が簡単に滅びるのは子供向けとしてわかりやすくするための手段だった。だが「ヤマト」ではそれらの男の子向けアニメのセオリーを全て裏切った。ガミラスには「滅び行く自分の星からの移転先を探す」という彼らにとっての正義で地球を侵略してくるし、そのガミラスの指揮官や兵士の一人一人にも守るべきものがあって戦っていることが描かれている(細かくは本文で説明する)。何よりも万策尽きて特攻するときの彼らの表情は恐怖に満ちているのだ、こんな人間くさい相手との「戦争」をアニメで描き、大人の視聴にも耐えられる質の高いアニメとして「ヤマト」が現れたのだ。
しかし、「ヤマト」は低視聴率に喘いで26話で打ち切りの宣告を受ける。放映されていたのは日曜夜7時半から30分、この時間の裏番組が海外の児童文学を丁寧にアニメ化し大人の視聴に耐える質の高いアニメである「世界名作劇場」への流れを組む「アルプスの少女ハイジ」だった。「ヤマト」に先行して10ヶ月も前に始まっていた「ハイジ」の視聴者を引き込むのは不可能だったろう、1話からずっと見続けてハイジとクララの物語が面白くなる辺りで「ヤマト」が始まったと言われても簡単にはチャンネルを変えられるはずはないのが視聴者ってもんだろう。「ヤマト」は多くの積み残しエピソードとともに予定の半分のストーリーで地球に帰ってきてしまった。
しかし、これでかえって筋がハッキリしたとも捉えることが出来る。「ヤマト」は再放送で高視聴率を獲得、さらにその物語の壮大さから多くのファンを掴み、元々は海外向けに作った劇場用長編を国内上映してみたら大ヒット、そして劇場用長編やテレビ放映用で様々なシリーズ作品へと続いて行くのである。
それだけではない、「ヤマト」の存在は後発のSFアニメに大きな影響を及ぼしたことは否定できない。「ヤマト」の設定や監督を担当した松本零士御大はその後「銀河鉄道999」でまたも「ヤマト」並のスケールで宇宙を描き、これも大ヒットして漫画だけでなくテレビアニメ〜劇場用長編へとそれぞれ違う設定で世界を広げている。「999」のヒットが収まると入れ替わるように「機動戦士ガンダム」が現れる、これは「ヤマト」のようなリアルな戦争アニメと既存の巨大ロボットアニメを融合させたともとれるだろう、舞台を地球人同士の戦争とし、その戦場に巨大ロボットが兵器として投入されるための説得力のある設定をし、巨大ロボットが戦場で白兵戦を行うという試みは大当たりし、「ヤマト」以上のヒットになったのは皆さんご存じの通りだろう(映画の興行収入では「ヤマト」が上だが)。この「ガンダム」シリーズも「ヤマト」の試みが成功していなければ実現されていたかどうか疑問である。
「ヤマト」は現在存在する「宇宙戦争」を描いたSFアニメの原点と言えるのである。そのオリジナルのテレビシリーズ第一作をここでは紹介したい。
・「ヤマト」と私
私が始めて「ヤマト」を知ったのはいつか? と言われると明確に返事が出来ない。私が小学生に上がった頃に初代テレビシリーズを編集した劇場用アニメが公開されており、物心着いたときには既にブームのまっただ中だったように記憶しているのだ。翌年には続編となる劇場用長編「さらば宇宙戦艦ヤマト」が上映され、兄が父に連れられて見に行ったのを留守番していた記憶もある。
私が今回紹介する「ヤマト」初代テレビシリーズを見たのは小学3〜4年生頃だと思う。平日の夕方5時代に再放送されているのを兄と一緒に見ていた。ほぼ同じ時期にテレビシリーズでは3代目となる「宇宙戦艦ヤマト3」が土曜の夜に放映されていた記憶がある。私は「ヤマト」の初代劇場用長編以外は何らかの形で全ての「ヤマト」を見たが、一番印象に残っているのも、そして好きな「ヤマト」ストーリーもこの初代テレビシリーズである。この物語を通じて「戦争」という世界を知ると共に、宇宙という世界に興味を持った。当時も今も「ヤマト」における私の興味は、出てくるメカよりも物語に出てくる星や宇宙の方に興味が行っていた。当時はNASAによる惑星探査もボイジャーが木星や土星に接近して、テレビを通じてそれらの惑星の詳細な画像を見せてくれた時代である。それと「ヤマト」の相乗効果で私は宇宙という世界に興味を持った。
また「ヤマト」で得た知識は後に青函連絡船にはまったとき、船舶知識のイロハ程度に役に立った。青函連絡船から得た船舶の知識を持った現在の私が「ヤマト」を見ると、また色々な問題点や、当時理解できなかったことが分かって非常に面白い。
さて、この2月にまた「ヤマト」初代テレビシリーズのDVDが発売された。模型好きでもある私はおまけのプラモに引かれ、ローンまで組んで買ってしまった。届いてみたら箱がでかい、まるでプラモを買ったらおまけがDVDだったようにも見え、かつてのビッグワンガムを思い出した。そしてせっかく買ったのだから…とこのコーナーの二番手に「ヤマト」を選ぶことにした。
そんな私であるが、実のところ「ヤマト」は初代テレビシリーズと同じ内容の初代劇場用長編以外はなかなか興味が持てないでいる。それはこれ以外の話が子供の頃からあまり好きになれなかったことである。私は子供の頃から旧来のヒーローものアニメが好きでなかった、「ヤマト」も初代以外はその旧来のヒーローと次元が同じような感じがしていたのである。「ヤマト」はチューンされてどんどん強くなるわ、敵に正義や人間くささを感じなくなったという点が大きいと思う。「ガンダム」の場合、初代以外は「興味がない」のでなく「見たことがないから分からない」のであって機会があれば「Zガンダム」辺りから見てみたいと思うが、時間的なものや予算的なものもあって不可能なのが現実だ。だが「ヤマト」についてはテレビシリーズの「2」「3」や劇場用の「さらば」「永遠に」「完結編」を見ようという気がなかなか起きない(特に「完結編」で沖田が生き返ったのには子供の頃から呆れている)。よってこのコーナーでもこの初代テレビシリーズ以外の「ヤマト」を取り上げることは当分無いと思うのでご了承願いたい。
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