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第1夜「世界は真っ暗闇」
名台詞 「ヤッターマン様は正義の味方じゃなかったの。正義の味方なら、困っている人を見捨てることなんてしないんじゃない? 自分たちは天国のようなヤッターキングダムで幸せに暮らして、私たちは悪いことしてないのに…。ご先祖様は本当に悪い人なのかな? もしかして悪いのはヤッターマンで、だから倒そうとして戦っていたんじゃないのかな? だって、ヤッターマンが正義の味方だなんて、私には思えないもん。正義の味方なら、助けてくれた。そうだ、きっとそうだよ。こんな真っ暗な世界はヤッターマンのせい、おしおきしないと気が済まない。ご先祖様のためにも、ママのためにも、私たちのためにも…行こう、ヤッターキングダムへ! ママが待ってる!」
(ドロンジョ)
名台詞度
★★★★
 母を失った少女レパードは、自宅の倉庫にあったドロンボー一味の肖像画の前に一人立つ。そして涙を流しながら語る長い台詞が、本作視聴で最初に印象に残った台詞だ。
 この台詞はこの物語ではとても重要な台詞である。辺境の地で貧しい暮らしをしていた少女レパードが、これまで「ヤッターマンは正義」という洗脳が解けてドロンジョになった瞬間であろう。彼女は自分がドロンジョの子孫であることは知っていたが、社会によって「ヤッターマンは正義」という洗脳を受けていたためその先祖に興味が持てず、先祖は憎悪の対象だった。しかし母の生命を救おうとヤッターマンに救いを求めた彼女は、理不尽にこれを拒否されたことで洗脳から目覚める。そして先祖であり有名なドロボーであるドロンボー一味にも「正義」があったことを理解し、レパードがドロンジョに変身したのだ。
 恐らく、彼女たちが住んでいた世界では「ヤッターマンは正義」という価値観で統一されている事だろう。だからこそレパードやその母のドロシーは、何もしていないのに「ドロンボーの子孫」という理由で辺境の地に追われた暮らしを強いられているのである。本作第1夜の前半でその辺りをじっくり描き、そのような社会に洗脳されたレパードを描き、そのレパードに一度はドロンボーを否定させるからこそこの台詞が活きてくる。「それまで信じていた価値観」というものが根底からひっくり返された人間の戸惑いと、そこから発生した決意が上手く描かれていると感心した。
名場面 ドロンボー結成 名場面度
★★★★★
 名台詞欄シーンが終わると、今度はレパードが住んでいる家の朝の様子に場面が変わる。雲の隙間から差し込む日差しがとても美しい光景だ。そしてポロのような殆ど半裸の衣装を纏ったレパード、ヴォルトカッツェ、エレパントゥスの3人が、古びたドクロベェ様の石碑の前に立つ。自分たちの格好を見て「裁縫は苦手だ」と語り合うヴォルトカッツェやエレパントゥスを横目に、覆面をつけたレパードの姿が出てくれば3人の服装はあのドロンボー一味のそれに近づけようと彼らが努力したものだと誰もが理解できるだろう。「待ってて、ママ。ドクロベェ様、見守っていて下さい。私たちはご先祖様の魂を継ぎます」とレパードは呟くと、キセルでシャボン玉を飛ばす。そのシャボン玉が先ほどの美しい海を背景に飛んでいったかと思うと、レパードがポーズを取って「ドロンジョ!」と叫ぶ。これにヴォルトカッツェが「ボヤッキー!」、エレパントゥスが「トンズラー!」と続く。オダさまの雄叫びに続いて、倉庫にあったドロンボー一味の肖像画から3忍の姿に重なる形でシーンが代わり、「私たちはドロンボー!」とポーズが決まる。「行くよ、お前達! ヤッターマンにおしおきをしてやる! 力一杯デコピンしてやるんだ」レパードがキセルを回しながら叫ぶと、「アラホラサッサー!」と二人がアンサーバック。「清く、正しく、美しく、ドロンボーがいる限り、この世にヤッターマンは栄えない! 闇を払い、この世界に新たなる夜明けを!」とレパードがヤッターマンのパクリとも言える決め台詞を吐いて、本話が終わる。
 いっやー、夢にまで見たドロンボー再結成シーンだ。2008年のリメイクの際は以前のヤッターマンからずっと続いているような出てき方だったし、2009年の実写版映画でははじめからそこにいるような存在感で出てきた。だが本作では、ドロンボー自体が過去の物になっていてどうしても「再結成」の迫られたのだ。その「ドロンボー再結成」をとても印象深く描いてくれて正直感動した。
 しかし、ドロンジョが少女と設定された本作で、オリジナルのドロンジョが愛用していたキセルをどのように処理するかと思っていたら、シャボン玉にするとは正直驚いた。「子供がドロンジョになるから」という理由であのキセルを抹消しなかった点も、小さい頃からの「タイムボカンシリーズ」ファンの私としては大いに評価したい。あのキセルがあるからこそドロンジョなのであって、なかったらドロンジョではないのだ。
感想  21世紀の新しい「ヤッターマン」…いや、ドロンボーの物語が放映されると聞いて驚いたのと嬉しかったのととにかく放映開始が楽しみだったのと…そしてそれとは裏腹に、ストーリーやキャラクター設定などの情報に触れないようにして放映開始を待った。この新しい「ヤッターマン」の物語を新鮮な気持ちで見たいからである。
 そして物語が始まると、プロローグシーンを挟んで最初に出てきたのは妊娠中の女性だ。これが夫の墓参りに来ていることは簡単に想像が出来るが、後にドロシーという名前が判明するこの人、顔のつくりや髪の毛の色で「ドロンジョ?」と一瞬思ってしまった。そして続いて出てくる細い男と巨漢はボヤッキーとトンズラーにも見える。だがムードが何処か違うと思ううちに、ドロシーに子供が産まれてその子供が「ヤッターマンは正義」と洗脳されているシーンとなる。うーん、これはドロンボーの側なのか、ヤッターマンの側なのかと物語の展開を追っていくが、なかなかその結論が出ない。
 だがふとしたきっかけで視聴者も、ドロシーの子であるレパードも、ここにいるみんながドロンボーの子孫であるという事実に行き着くと、ドロンボー側の物語が始まっていることに気付く。じゃあヤッターマンは?と思って見ている視聴者を尻目に、レパードが祖先であるドロンボーを拒否するというショッキングなシーンに繋がる。これ、本当にドロンボーの話のなるのか。
 だがドロシーが病に倒れると展開は一変する。レパードがヤッターマンに助けを求めようとすることで、やっとヤッターマン側が描かれるのだ。だがそこで描かれたヤッターマンは…どう見ても悪役だ。ここから名台詞欄シーン、名場面欄シーンへとうまく話がひっくり返る。
 とにかく本話では、前半で「ヤッターマンは正義の味方」という印象を強く植え付けるのが良い。同時に画面に出てくるドロシーやレパードがなぜその「正義」の恩恵を受けられないのか?という謎をうまく視聴者に突きつけている。だからこそ後半で「ヤッターマンは正義」という構図が一瞬で壊されることに、視聴者は戸惑いを感じない。そしてレパードらがドロンボーになるという展開に不自然さがなく、ラストの名場面欄シーンが爆発的な印象度を持つことになるのだ。
 とにかく、今後の展開が楽しみな作品だ。リメイクだけではない、これまでにない「ヤッターマン」の物語を期待したい。

第2夜「ヤッターマンにデコピンを」
名台詞 「ブダもおだてりゃ木に登る。ブーっ!!」
(オダさま)
名台詞度
★★
 ボヤッキーが作り、ドロンボー達を青函トンネル経由で「ヤッターキングダム」に乗り込ませたトロッコは、ヤッターマン登場によりボヤッキーのリモコン操作で「デコピンメカ」に変形する。これを見たマスコットのブタであるオダさまが突如興奮し、近くの木に登ってお決まりの台詞を吐く。
 ドロンボー達に「ブタのマスコット」がついて回る理由とすれば、単なるマスコットではないはずだ。「オダさま」という名前がかの「ヤッターマン」の名物キャラである「おだてブタ」から来たのは誰がどう見ても明白だったし、その顔を見れば間違いないと断言できるだろう。そのオダさまが第2夜目してやっとこの日本アニメ史上に残る決め名台詞を吐いてくれる。
 そしてこのシーンと台詞によって、昔のヤッターマンを知っている我々の世代に言わせればやっと「ドロンボー」が完成したと言える。ドロンボーが何かをやるたびにこのようなツッコミを入れるマスコットの存在、本作ではこれをオダさまが一手に受けているのだろう。
 今話ではオダさまが「おだてブタ」であることや、レパードたちが暮らしていた辺境の地ではブタが大事にされているという設定まで明らかになった。このブタが今後どのように使われるのかは、非常見興味深いところでもある。
名場面 戦いの終わり 名場面度
★★★
 最初のヤッターマンとドロンボートの戦いは、過去の「ヤッターマン」におけるそれとは違い緊迫感に満ちたものであった。かつての「びっくりドッキリメカ」のように大量生産されて出てくる無数のヤッターマンに追われるドロンボーは、ダムの放水に飛び込むと言う一か八かの戦法で何とか逃げ切る。こうして戦いが終わり、ドロンボー達は安全な場所を求めて移動することで次の物語に入って行く。だがその間にドロンボーの3人が鼻歌で歌う「ヤッターマンの歌」をBGMに、これまでのドロンボーの足取りが物語を巻き戻す形で出てくる。3人が放水に飛び込んだダム、壊れた「おしおき三輪車」、3人が逃げ込んだ森にある銅像、「デコピンメカ」の残骸、青函トンネル、津軽海峡線の高架、レパードの家…どれも黄昏の日差しをうまく入れ込んで、美しく描いている。
 なんかここだけは「ヤッターマン」とは思えない芸術作品を見ているようだった。物語の切り替えのところで、キチンと「最初の物語」が終わったことにけじめをつけているようにも見える。この「最初の物語」というのは前話からこのヤッターマンとの最初の戦いまでだ。今までの「1話完結型」のヤッターマンであれば、ここは一度番組を終わらせて続きを次回へ流すところだろう。だがここで想定される物語展開上、直後に物語上重要な「出会い」があることは確かであり、本作はその「次の物語」の最初までを今夜のうちにやってしまおうとしている。その区切りをただ単に流すのでなく、このようにかたちで「おさらい」するだけでなく、その景色が非常に美しく悲しいものでもあったために印象に残ったというのが正解だ。
感想  物語は前夜の「ドロシーの死」を受けて「最初の戦い」が演じられる。名場面欄でも書いたがここまでが「夜ノヤッターマン」の最初の物語であり、本夜の最後の3分の1のところからは次の物語に入っている。
 しかし、ドロシーの家が青森県にあることは確定したと言っていいだろう。「ヤッターキングダム」がある「でっかいとどう」は北海道だ。ドロシーやレパードが住んでいたのは青森県東津軽郡外ヶ浜町と思ったが、ここには北海道の山々や町並みがあんなに近くに見えるところはない。すると彼らは青森県下北郡大間町に住んでいたのかも知れないが、こちらも北海道はあんなに近くに見えない。ここから言えるのは、レパードが見た「ヤッターキングダムの街灯り」はヤッターマンが見せている幻影なのかも知れない。第1夜を見ていると彼らはが住んでいるエリアは海とヤッターマンのロゴが入った壁で囲まれているようだから、やっぱり津軽半島なのかも知れない。
 その青函トンネルのシーンでは言いたいことは山ほどあるが、全てヤボなのでそこはカット。
 そしてヤッターマンとの対決だが、そのヤッターマンが「びっくりドッキリメカ」の要領で大量に出てくる点は、最初は面白かったが見ているうちにだんだん怖くなってきた。ヤッターマンが「悪」になってしまったことには何らかの設定があると信じたいが、前夜に引き続いて「ヤッターマンは正義」という価値観を徹底的に破壊するという意味においてはあの描写がもっとも効く。それにドロンボーが避難してきた村では、みんなに無視されるというのはその裏にある「ヤッターマンによる恐怖政治」という想像をもさせてくれる。そこでドロンジョが「ヤッターマンの手加減のないやり方」に悲しむことで、見ている方までヤッターマンが憎くなってくる。本当、うまく出来た話だ。
 しかし、デコピンメカのコックピットが暗いものの「ドロンボーメカ」の味わいがよく出ていて良かった。メカが倒されたら「おしおき三輪車」で逃げるのもグッド!
 そして本夜の最後では、ドロンボーが近くの家に逃げ込んだところで新展開だ。素っ裸のボヤッキーが「でべそ」をいじっているシーンではどうなることかと思ったけど…。彼らが逃げ込んだ家に住んでいるのは、ドロシーによく似た顔と声の十代後半であろう女性だ。このキャラ、エンディングのスタッフロールにも名前が出ていないので何者かはよくわからない(声はドロシーと同じ人か?)。ただこのキャラ、エンディングに印象的に出てくるので、ドロンボーと同じ位重要な主役級のキャラなのだろう。エンディングに出ていたやはり十代後半であろう男性は、彼女が家に戻ったシーンで呼んでいた「ガッちゃん」なのだろう。そして女性は、なぜかレパードを「私の天使」と決めつけている。ドロシーが娘を「天使」と呼んでいたのは、この伏線か。この男女が何者なのか?は次夜に向けて楽しみなところだ。この二人が実はヤッターマンの子孫…つまり本物のヤッターマンだったりして。

第3夜「俺たちは天使じゃないけど天使のフリをする」
名台詞 「僕たちも一緒に連れて行って、僕もヤッターマンにデコピンを喰らわしたい。だから、その服を…君たちと一緒ならそれが出来る。僕たち両親のために、何より…アル! 天使と行こう! パパとママのところへ!」
(ガリナ)
名台詞度
★★★★
 アルエットの家でドロンボー一味を匿っていたことがバレ、ガリナとアルエットは家の中に追い詰められる。そこへドロンボー一味が助太刀に戻ってきたがヤッターマン兵に囲まれてしまい万事休す、地下室に逃げ込む。「弱気になるな」「ガリナに作ってくれた服を着て戦う、お前達を守る」とガリナに説くドロンジョの声に、ガリナは衝撃を受ける。そして彼がここまでしてきたように自分の運命をサイコロに託送とするが…「これは自分で決めることだ」と呟いてから、この台詞でもってドロンボーと共にヤッターマンと戦うことを宣言する。
 たった1話で新登場のガリナというキャラクターを設定付け、印象付けねばならないという難しい展開でこれほどうまく決まった台詞に驚いた。今話ではガリナの初登場から彼の自分の運命を決めるアイテムとして「サイコロ」が登場する。そして自分では何も決められない情けない男というのを見事に演じきったからこそ、その後のこの台詞が活きてくる。
 そしてその内容は、自分では何も決められなかった自分と決別して「自分で自分の運命を切り開く」という内容のものであることは言うまでもない。ドロンボーにヤッターマンを倒す旅に同行させて欲しいと懇願し、自分が胸に秘めていたヤッターマンに対する恨みの封印を解く。そしてドロンボー一味に送ったコスチュームの意味…自分もヤッターマンを恨んでいるという秘めた思いをしっかり伝えた上で、ドロンボーと一緒ならその恨みを晴らせるかも知れないという思いがあることを宣言。その上で自分が守るべきものであるアルエットに向け、彼女に伝わるような言葉を選んで語るのだが…この最後の部分が「決まった!」としか言いようのない台詞だ。
 今夜は印象の残る台詞が多く、どれを名台詞欄で挙げるか非常に悩んだ。結果、他の台詞は名場面欄で出てくるのでこの台詞を取り上げた。
名場面 二度目の対決 名場面度
★★★
 名台詞欄シーンを受けて、ヤッターマン兵の家への本格的な攻撃が始まる。あっけなく家は焼かれるがその中から聞こえるドロンジョの声、本作のドロンジョの決め台詞を語りながらガリナが作った新コスチュームで瓦礫の中から現れるドロンボー一味。ボヤッキーが「ポチッとな」とボタンを押せば、今夜のメカが登場する。「やっておしまい」とドロンジョが叫べば「おだてブタ」が登場、「なにこれ?」と問うドロンジョに「何事にもユーモアは必要ですよ」と笑うボヤッキー。突然の大型メカ登場に狼狽えるヤッターマン兵を尻目に、ガリナが「勝てるのか?」と問えばドロンジョが「勝てなくてもいい、今は負けなければいいんだ!」と叫びながら「自爆ボタン」を叩く。するとメカから手が生えて、ヤッターマンメカを抱きかかえて自爆する。その爆炎の中から「お仕置き三輪車」で逃げるドロンボーとガリナとアルエット。
 短いけど往年の「ヤッターマン」におけるドロンボーらしい戦いが描かれたと思う。そう、ドロンジョが言うとおり、彼らの戦いはかつても勝ってないだけで負けてもいなかったのだ。その証拠に次の週には復活してちゃんとメカを作って戦っていたのだから。
 そしてその要素だけでなく「戦い」シーンとしての緊張感もキチンと描かれているし、その中でドロンボーメカのコックピットに突如ヤシの木が現れて「おだてブタ」登場という「緊迫感とユーモアの両立」を忘れていないのがとても好印象だ。
 さらに、今回は時間の都合で戦いシーンが短いせいか、ドロンボーメカが最初から「自爆」前提なのが笑えた。本来「自爆ボタン」は誰かが間違って押すものであるが、今回は「本作でも自爆ボタンの設定がある」という事をキチンと視聴者に印象付ける。これによって過去のドロンボーメカを知る視聴者はメカに「ドロンボーらしさ」を感じて感激するのでまた好印象。そして爆炎がドクロ形ではなかったが、その戦いの余韻も覚めないうちに「お仕置き三輪車」登場とテンポ良く流れる。ちゃんと「えっほ、えっほ」ってかけ声掛けているしなー。
感想  なるほど、ヤッターキングダムの首都は稚内市なのか…寒いぞ。
 前夜のラストで出てきた少女が何者か、そして一緒にエンディングに出ている少年は何者か、今夜の前半の視聴者の注目点はそこだろう。それはすぐにガリナとアルエットという幼なじみの男女だと解るが…この二人、担当声優がリメイクヤッターマンの1号と2号やん。やっぱり物語が進むと「この二人はヤッターマンの子孫」とかいう設定が登場するのかな? しかし、ヤッターマン2号の人って事は「宇宙戦艦ヤマト2199」のメルダ・ディッツ少尉だよね? おだてブタがドメルの奥さんって…どっちも印象がまるで違うなぁ。ドロシーも同じ人でこれまた印象が違う演技を見せてくれて、ちょっと凄いと思ったりした。
 そしてこのエンディングにも出る程のキャラなのだから、ドロンボー達と合流するのは確かだと思って見ていると、今夜のうちに合流してしまうのだから潔い。「山賊の娘ローニャ」のように主展開をもったいぶるようなことはしない清々しさが見られる。その過程で名台詞欄に上げたように、ガリナという少年の気の弱さをうまく利用すると共に、この間で二人の設定だけでなく「ヤッターキングダムの実態」までも上手く描きだしてくる。
 その「ヤッターキングダムの実態」であるが、前夜の間にここに住んでいる人たちもレパードらと大して変わらぬ生活をしていたことは判明している。そこにヤッターマンによる圧政や強制労働という側面があることを明確に示して来た。こうなりゃヤッターマンは完全に悪役だ。この悪役に立ち向かうドロンボーの体制もしっかり確立したところで、次夜以降が楽しみだなー。

第4夜「ゆけむり露天風呂紀行」
名台詞 「ハッキリわかった。ここは…地獄だ。」
(ドロンジョ)
名台詞度
★★★★
 今回、ドロンボー一行は夫がヤッターマンに強制連行されそうになった夫婦を助けようとする。だがその結末はその夫婦がドロンボーを裏切って無罪放免の約束を取り付けるに及ぶが…戦いが終わると名場面欄に書いたとおり夫はやはり強制連行される。こうしてこの妻にも拒否されたドロンジョは、もうその妻に関わろうとせず背を向けて歩き出すと、この捨て台詞を吐く。
 恐らく、視聴者の多くが今話の展開を見て思ったことのはずだ。ドロンボー一味を差し出せばこの夫婦は助かると思わせておいて、実は全くこの夫婦に対する「救い」が無いストーリーとなる。そうすることでここが「地獄」であると、視聴者にも劇中の登場人物にもハッキリと突きつける。そんなストーリーをうまく決め台詞をドロンジョが決めたものだと感心した。
名場面 裏切り 名場面度
★★★
 今話ではふたつの「裏切り」が演じられる。中でも印象に残るのは二つ目の裏切りだ。
 ゴロー将軍がドロンボーメカを倒すと、夫婦はゴロー将軍の足下に立つ。「おかげで反逆者を始末できた、礼を言うぜ」とのゴローの言葉に、夫が無罪放免になると喜ぶ夫婦であった。だが次にゴローから出た言葉は「連れて行け」と、夫の強制連行を命じるものであった。「それでは話が違う」と崩れる夫を抱きかかえる妻。「約束? ヤッターマン様のところで働けるのだぞ。光栄に思ってもらわねば困るぜ」とゴローが叫ぶと、続いて「そう思うだろ、奥方様」と妻を脅す。「そんな…」と反論の言葉が出かかる妻であったが、「お・も・う・だ・ろ?」とゴローがさらに脅すと、妻は力なく「…はい」と返事をする。すると夫は妻の名を叫びながらヤッターマンに連れ去られてしまう。その連れ去られる後ろ姿を、涙を流し狂ったように万歳を繰り返しながら見送る妻。このまま名台詞欄シーンに繋がる。
 壮絶なシーンだ。一時は「友」と思ったドロンボーを裏切ってまで自分たちの幸せのために動いたのに、それが叶わなかった夫婦の悲しさが伝わってくるだろう。このシーンはこの夫婦とゴローの3人が迫真に迫った演技を見せてくれたことで、とても印象的に仕上がったのは確かだ。ゴローの「嫌」と言わせない迫力は彼だけでなく「ヤッターマン側全て」がそうであるように感じさせてくれるし、全てに裏切られた夫の悲しみの演技、そして夫を連れて行かれた妻の「狂気」も美味く演じられている。
 そしてこのような二つ目の「裏切り」を演じることで、劇中の舞台となっている「ヤッターキングダム」が地獄であることを明確に、ヤッターマンによる「圧政」が視聴者に美味く伝わってくる。もうここまで物語を追っていた者は誰もヤッターマンを「正義の味方」だとは思っていないはずだ。そしてこの夫婦にとってハッピーエンドが来なかった事が、劇中のドロンボー達だけで無く視聴者に対してもヤッターマンに対する怒りがひしひしとこみ上げてくる。なんてったって主人公を裏切ったのに、悪役にも見捨てられたのだから。
感想  今回は徹底的に「ヤッターマンこそが悪」という事実を突きつけてきた。ここまではまだ僅かにでもどっちが正義か解らない側面もあったが、あのドロンボーに食べ物を分けるという「救い」を演じた夫婦に「ハッピーエンドはない」という結末を与えることで明確にヤッターマンは悪になった。やっぱり長い間正義で通してきたヤッターマンだ、このくらい徹底的にやらないと悪にはなれないのだろう。可哀想だけど、今夜出てきた夫婦はヤッターマンを悪の化身にするためだけに登場し、引き裂かれたと言っても過言ではないだろう。
 前半の展開も良かった。アルエットの入浴を覗こうと「護衛」を言い訳に露天風呂に近寄るのが、ボヤッキーとトンズラーだけでなくガリナも加わっているのが笑えた。そしてボヤッキーとトンズラーと同じように、ドロンジョに殴られるのはおやくそくだ。ついでに言うと風呂を覗いたときには既にアルエットは風呂から上がっていて、猿だけが入浴していたという点もおやくそくだろう。
 そしてヤッターマン側で初めての「人間」の登場人物。このゴロー将軍は仮にも「ヤッターマン」という物語でノーギャグで戦うという暴挙をやってみせる。裏を返せばこいつはドロンボーのノリには流されないということだ。う〜ん、手強い敵だ。なんかヤッターワンみたいなのも出てくるし、びっくりドッキリメカも出てくるし…。これと戦うトンズラーの腕力は凄かったけど、勝てないのはおやくそくか。
 今回は冒頭でオダさまがドロンジョに飼われることになった経緯が描かれた。彼らが「ブタを大事にする」理由がよくわからない、宗教みたいなもんかと思って納得しようと思ったらトンズラーが今にも食べそうな演技を繰り返すし。ああ、トンカツが喰いたくなったなぁ。

第5夜「母に捧げるハリケーン」
名台詞 「現役引退しとるやないかー!」
(トンズラー)
名台詞度
★★★
 雪祭りの決闘大会は、3競技全てにおいてその決勝でヤッターメカが登場して優勝を根こそぎにするという結末を迎える。これに納得のいかないドロンボー一味は変装を解き、会場にドロンボーメカ「チンギス・ハーン」を繰り出して戦う。最初の戦いの相手は相撲部門「ヤッター前頭十二枚目」改め「ヤッター小結」、「ヤッター小結」は「チンギス・ハーン」に苦戦する。操縦するヤッター兵が「審議の結果ヤッター小結は特進して…」と声を上げるとドロンボーは「まさかヤッター横綱に…」と戦慄するが、「ヤッター小結」は「髷を外す」という変形をするとヤッター兵が「…ヤッター親方になった!」と宣言の続きをする。これにトンズラーが入れるツッコミがこの台詞だ。
 これはまさに、この展開を見ていて私がテレビに向かってツッコミを入れたくなった内容そのものだ。私はこの「名台詞欄」で何度も言っているが、テレビの前の自分が言いたいことを劇中の誰かが代弁してくれる台詞というのは、いつ聞いても気持ちが良い。この台詞はそんな台詞の一つだ。
 そしてこの台詞があるからこそ、この続きの戦いが笑えるのだ。「細かいことを気にするな」と叫びながら突進する「ヤッター親方」だが、これまでより動きが遅くなって「チンギス・ハーン」の攻撃を交わすことが出来ない。あっけなく「チンギス・ハーン」の一撃を食らうと、ヤッター兵が「反応が鈍い」事に気付き、「チンギス・ハーン」の張り手攻撃がとどめになりあっけなく敗北を喫する。この「ヤッター親方」への変形が、「現役では戦えない」という点まで再現している事が解りとても面白くなってくる。このノリこそ「ヤッターマン」の戦いだなぁ。
 ちなみに、同じ理由で「審議の結果、物言いは却下する」に対する「審議してないじゃん」も大好きだ。
名場面 ガリナvsタケシ 名場面度
★★★
 雪祭りで開かれる決闘大会、これにガリナは資金稼ぎを目的に相撲部門に出場させられることとなる。今回のゲストキャラであるタケシやトンズラーの猛特訓を経て、ガリナはなんとかこの準決勝にコマを進める。その準決勝の相手はゲストキャラのタケシ、彼が相撲において無敵であることは劇中で何度も示唆されていた。
 いよいよ準決勝の取り組みが始まる、土俵で向かい合う二人。ガリナが「タケシ君、お母さんのために戦うんでしょう。でもね、僕だってアルエットのために…」と呟くと試合開始、「アルエットぉっ!」「おかーさんっ!」二人が叫びながら激突。正面からの激突に応援していたドロンボー一味とアルエットは一瞬期待を寄せるが、よく見るとガリナは前半身がつぶれていた。「ガッちゃんが…」「ぺったんこ…」「弱すぎたんだ…」とドロンボー一味、回転数が落ちるBGM…そのままガリナは倒れ、試合終了のゴングが鳴る。
 ここはガリナの「思い」というのが上手く出ていて良いシーンだと思った。彼はドロンボーと旅に出てからずっと「アルエットを守る」という意思を持っていたはずで、この大会出場も「優勝賞金を稼ぐことで食糧確保などを安定的にして結果的にアルエットを守る」と自分で自分を納得させて奮い立たせていたのだろう。同時にアルエットに少しでも良いところを見せたいとも思っていたはずだ。そんなガリナの気持ちが良く伝わってくる台詞選びと、担当声優の演技がこのシーンを印象的にさせてくれる。
 だが相手のタケシにも、やはり守るべきものがありそのために戦っていることが描かれる。そして二人の正面衝突、その結果安易に主要キャラに勝たせるようなことをせず、「力が強い方が勝つ」という現実を描いた点は評価できる内容だ。この先の展開を考えればここでガリナが負ける必要は無く、ガリナが決勝に進出してヤッターメカと対峙させられても展開上問題はないからだ(ただ、そうするとゲストキャラであるタケシの印象が薄れてしまうが)。
 こうして「戦い」が「誰かのため」であることが正義であることは、この「夜ノヤッターマン」の主軸になっていることなのかも知れない。ドロンボーがヤッターマンと戦う道を選んだのも、亡きドロシーのためである。そこが統一されているテーマだということが解る点で、このシーンは印象に残った。
感想  「ささやきレポーター」キター!!!!!!!!!!!!!!
 ささやきレポーターと言えば、あのタイムボカンシリーズ「ヤットデタマン」の名物解説が思い出される。でもささやきレポーターが出てくるなら、あの背が高くていつも頭が画面からはみ出す小山カメラマンもセットでなゃ。さすがにあの世から富山敬さんを連れてこいとは言わないけど。
 前夜までに物語の基本設定が完了したといって良いだろう。ドロンボー一味がヤッターマンと対峙する理由付けが1夜〜2夜前半、ガリナとアルエットの登場とキャラクター設定が2夜後半〜3夜、直接戦う敵であるゴロー将軍の登場とキャラクター設定が4夜という手順を踏んで、この5夜から明らかに方向性が変わっているのが今夜を見てよくわかる。かつての「ヤッターマンvsドロンボー」というヤッターマン基本ストーリーに、本作の設定を当て込んできたのだ。ゲストキャラは前夜から出始めているが、今夜では「戦い」の中にキチンとギャグを織り込み、初登場の前夜ではノーギャグだったゴロー将軍もギャグを演じるようになる。これでやっと「ヤッターマン」らしくなってきた。
 そして前夜まで積み上げてきた「ヤッターマンこそが悪」という印象は、今夜では存分に活かされている。決闘大会の決勝ではなく準決勝でガリナとタケシが対峙したところで、多くの視聴者は「決勝ではヤッターマンがズルいことをする」と読めたことだろう。そしてそこからヤッターマンとドロンボーのメカ対決に進むことも予想した通りで、このあまりの予想通りの展開は見ていて気持ちが良い。
 そして今作品ではドロンボーも絶対的な正義としていないのが良い、ボヤッキーとトンズラーがかつてのヤッターマンで見られたような詐欺まがいの商売で生活費やメカ制作費を稼ごうとしている点は、正義には出来ないことだ。ただ今作のドロンボー一味は、「悪にもなりきれない」という面を描くことを忘れないのも、主人公としてうまくバランスを取っていると思う。これがヒーローより印象に残る悪役、ドロンボー一味の新しい側面なのだ。

第6夜「冬に咲く花」
名台詞 「私、ヤッターキングダムに来てドロンジョ様の行動を見ていて、思うことがあるんです。ドロシー様…、アルエットさんはドロンジョ様を天使だと思っています。もしかして、本当にそうなんじゃないかって。ドロンジョ様は酷い目に遭っている人たちを見て、悲しんで、怒って、泣くことが出来る。自分のためだけじゃなくて、誰かのために。そんなドロンジョ様なら、本当にこの世界に新たな夜明けをもたらせてくれるんじゃないかって。だから、私たちがやらなくてはならないのは、ドロンジョ様に諦めさせることではなかったのですね。」
(ボヤッキー)
名台詞度
★★★★
 今夜前半で、ボヤッキーとトンズラーは「ゴロー将軍が本気であるから危険すぎる」として、ヤッターマンに「おしおき」をするという今回の計画を中止するよう進言する。だがこれをきっかけにドロンジョは一人で飛び出してしまい行方不明に、さらにガリナまで敵の手に落ちるという不手際を起こしてしまう。夜、ボヤッキーとトンズラーは背負っているアルエットが寝ていると見ると、ヴォルトカッツェとエレパントゥスとしてドロシーの思い出を、ドロシーから受け取った思い出の品について語る。そしてそのドロシーを守れなかった悲しみがこみ上げたところで、ボヤッキーがこう語るのだ。
 二人は「なぜヤッターマンと戦うのか」という初心に返っただけでなく、この台詞によってドロンジョの中に新たな気持ちが芽生えていることを見つけていたのである。それは「母親を助けなかった」という恨みを超えたドロンジョの内心、「母親を助けなかった」という恨みだけでヤッターキングダムに来て目の当たりにした事実。ヤッターマンによる圧政に苦しむ人々を見ているうちに、単なる個人的な恨みがいつしか「正義」を持つようになった事実…なのにドロンジョを止めようとしてしまったという反省がうまく示唆された台詞であり、とても感動的な台詞であることは間違いない。
 そしてボヤッキーとトンズラーは、改めてドロンジョだけでなく、彼女が持つこの「正義」を守り通すことであったことを再確認しようとするが…いい感じにオダ様が画面に割り込んできて、真面目なシーンを中断させる辺りが「ヤッターマン」の物語であり「ドロンボー一味」だと感心してしまう。「らしさ」を失わないオチがある真面目な台詞としても、印象に残った。
名場面 スカポンタン! 名場面度
★★★★
 真夜中、ゴロー将軍が基地から周囲に大音量でアナウンスする。ガリナを人質に取り、夜明けに「きっついおしおき」を喰らわせると宣言したのだ。ドロンジョとボヤッキーとトンズラーに衝撃が走る。そして夜明け前、街の人々に混じってドロンジョは基地の鉄条網の外で様子を見る。処刑台に張り付けられたガリナを見て「一人じゃ何も出来ない」と瞳を震わせるが、無情にも夜明けが来る。銃を構えるヤッター兵、「見捨てたら、私が殺したと同じことだ。ヤッターマンと同じになっちゃう…だけど一人じゃなにも出来ないよ」と呟くドロンジョの背後に、前夜にドロンジョを助けた男が立っていて何かを呟く。その内容は「ラベンダーの花言葉」、そして手にしたラベンダーの花を見つめたドロンジョは決意を決め、鉄条網で守られた柵を乗り越える。そのドロンジョにヤッター兵の銃撃が襲うが、前述の男がヤッター兵の気を引くことで守る。柵を乗り越えてガリナの元へ走るドロンジョにゴローが「言い残すことはないか!?」と叫ぶ。これにドロンジョが「ある! ガッちゃんもあるだろ!?」と叫び返すと、ガリナの脳裏にヤッターマンにされてきた酷い仕打ちが過ぎり…「ドロンジョちゃーん! いっせーの!」のかけ声で「ヤッターマンのスカポンタン!」とガリナとドロンジョの二人が叫ぶ。二人の叫びが背後に広がる山に山びことして響き渡る。
 ドロンジョがガリナを助けるシーンが描かれることは、ガリナがヤッター兵の手に落ちたときにだいたい想像はついたが、こんな印象的なシーンに仕上げてくるとは思わなかった。ドロンジョは「一人じゃ何も出来ない」とこれまで仲間と支え合ってきた事実を再認識し、自分の小ささに気付いて何も出来ない。それに背中を押す名もないゲストキャラクターも良い味出しているし、何よりもガリナの心境変化を上手く描いている。彼もヤッターマンに親を奪われ、好きな娘を泣かせた恨みがあったはずなのだ。そして二人の心の中にある恨みを、見事に噴出させてそれぞれが「何のためにヤッターマンと戦うのか」をハッキリさせる。
 しかしその選んだ言葉が「スカポンタン」だったからこそ、「ヤッターマンの物語」としての雰囲気を乱さなかったのもポイントが高い。他の言葉だったらここは白けた可能性が高く、まさに台詞選びの勝利とも言えよう。
感想  今夜はテーマが深い、ボヤッキーがドロンジョを制止しようとしたために起きたドロンジョの行方不明事件と、ドロンジョが不在の間にボヤッキーとトンズラーが引き起こすガリナ人質事件。この二つを軸にしてドロンボーとガリナが何のために戦っているのか、これから何のために戦うのかをハッキリとさせる深い話だ。もちろんドロンジョには名台詞欄でボヤッキーが語ったような「正義」が発生しているから、ボヤッキーとトンズラーは「これを守る」という新たな義務感に目覚め、ガリナはヤッターマンによって親を失い好きな娘が泣いている事実を思い出す。戦いというものは「正義」がないと発生しないため、これをハッキリさせることは重要だったはずだ。もちろん過去の「ヤッターマン」も正義に沿った戦いであり、ドロンボーにも「ドクロストーンを手に入れて自分が理想とする世界を作る」という正義があったはずだ。
 そしてこの難しい論理を、「ヤッターマン」らしいギャグも演じながら話を進めて行く。名台詞欄シーンのオチなんかその最たるものだ。
 さらに今回のゲストキャラは、ドロンジョを助けた名もない中年男。この男はドロンジョを二度も救い、最後はドロンジョの真心を受け止めて絶命するという最期を遂げる。「本当に夜明けが来るかも知れない」という希望を胸にして…この短いシーンもとても印象的だ。
 この物語を、今回は「ラベンダーの花言葉」をキーワードにして進めたのもこれまた良い。さらにいうとその花言葉がなんなのか、内容が語られずに進むのがもどかしいけど面白いと思った。だから制作者の意向を反映し、ここには敢えて「ラベンダーの花言葉」が何であるかは明記しない。どうしても知りたい人だけが調べれば良いのだ。

第7夜「夢の海」
名台詞 「僕は、ずっとこのヤッターキングダムの闇のような地獄のような世界で死んだように生きて行くんだと思っていた。でも、泣いてばかりいたアル、アルエットがドロンジョちゃんと出会って、笑って一緒に旅をして。こんな闇の世界にも、光は差すかも知れないって思うようになったんだ。(中略)何も出来なかった僕だけど世界を変えることが出来るかも知れない。やれば出来るかも知れないって、思うようになれた。だから諦めない。」
(ガリナ)
名台詞度
★★★★
 今話のゲストキャラ、漁師のリュウという男と共にヤッターマンの罠にはまってしまい海底の発電所に閉じ込められてしまった一行だが、皆が麻酔薬で眠らされているときに一足先に目を覚ましたガリナとリュウが夢について語り合う。リュウにはヤッターキングダムの外の海へ行ってみたいという夢があるが、どんな手段を講じてもそれが叶えられずにいた。それで諦めかけていたリュウに「僕は希望を持っている」とした上で語りかける台詞がこれだ。
 何でもかんでもサイコロに運命を託していたガリナが、早速一回り大きくなって印象的な活躍をする今話で、彼が持つ「希望」とその原動力が語られた。ドロンボー一味の絶望的な野望について行く理由、それは彼らに「希望を見た」のでなく彼らから「希望を受け取った」と感じているのであろうガリナの思いだ。これまで世の中の流れに流され、何一つ自分で決められなかった少年は「希望」を持つことで自分で行動できるようになってきた。メカまで作るようになり始めていた。今流に言えばそれが彼の「やる気スイッチ」だったということだろう。
 そしてこれまで、ドロンボーから「希望」を与えられる一方であったガリナは、この台詞でもって初めて人に希望を渡すことになる。今夜はこの台詞が出てくるまでにもう放映時間の半分を消費していたが、それとは裏腹にこの台詞こそが今夜の「ガリナとリュウの物語」という意味で幕を開いたといって良いだろう。
名場面 リュウの戦い 名場面度
★★★★
 ガリナが立てた作戦によって海底発電所の牢獄から抜け出した一行は、メカを作って逃亡を図る。しかも逃亡のために「おとりメカ」まで作る念の入れようだ。そしてリュウをヤッターキングダムの外の海に逃がすため、メカで発電所の向こう側に出るためにミサイルを放とうとした瞬間、ドンボーメカはいきなりヤッターマンの輸送機から爆雷攻撃を受ける。爆雷を受けた影響でミサイル発射が不可能となって万事休すだ。さらにる攻撃を受けてコックピットに浸水が始まる。ドロンジョはリュウに素潜りで外に出てファンの向こう側に自力で行くように命じる、その間はドロンボーメカで敵の動きを食い止めるという作戦だ。躊躇うリュウは「行かなきゃダメだ、夢のために、君も僕達も」と告げるガリナを見て決断し、いよいよ泳いで外に出て行く。その間にドロンボーメカはヤッターメカと共に発電ファンに突っ込み、そのファンを止める。だが流れが激しくリュウは上手く泳げない。そうしている間にもファンに挟まれた2機のメカの崩壊が始まる。いよいよリュウは息が続かず苦しくなるが…そこに現れたのはリュウが過去に助けた亀たちだった。リュウはガリナの言葉を背に、亀に助けられてヤッターキングタムの外の海へと泳ぎ始める。
 今夜は迫力のある戦いだったなぁ。この戦いの構図は「ドロンボー対ヤッターマン」ではなく、今夜のゲストキャラであるリュウの一人の戦いであった。ドロンボーはそれに手を貸しただけ。ヤッターマンはドロンボーと戦っていたはずだが、いつの間にか蚊帳の外になっているという構図が見ていて面白いし、迫力がある。
 このシーンは本当に迫力があった。潜水艦戦という構図もあって「ふしぎの海のナディア」のワンシーンを思い出したよ。ヤッターマン側が容赦なく爆雷攻撃をしてくれたおかげで、ドロンボー達のピンチが描かれリュウの夢が理由の行動一つに掛かったところが物語を盛り上げた要因だ。そして今夜前半の「浦島太郎」という要素と、リュウが「竜宮城へ連れて行ってもらおう」と企んで何匹もの亀を助けた経験があるという伏線。これらを上手く使ってうまく今夜のオチへ持って行ったことも、この戦いの迫力があったからこそだ。
感想  まさか、ガリナが作っているのはオモッチャマか? ボヤッキーが意味ありげに「オモチャみたいですね」というところからしてそんな感じがしてきたぞ。やっぱりガリナとアルエットはヤッターマンと何らかの関わりがある人物なんだろう。地下発電所の牢に閉じ込められたアルエットを見たゴロー将軍の反応も気になるし…さりげなく伏線を張ってきたなぁ。
 前半は「浦島太郎」をネタに、ドロンボー一味がひたすらバカをやり続けるだけの話だ。その過程でリュウというゲストキャラが出てきたとき、あんな派手で目立つ活躍をするキャラになって今夜が終わるとは思わなかったなー。そして「浦島太郎」つながりでゴロー将軍が罠を張り、ドロンボー達は簡単にヤッターマンの手に落ちる。ここはもう「おやくそく」という展開だと思って良いだろう。
 そして名台詞欄シーン、トントン拍子にドロンボー達は逃亡を図り、メカ戦までの流れが今夜はとても早く感じたが、そこまでにもう放映時間の3分の2を消費していたんだよなー。それにしてもドロンボーメカが簡単にやられてしまうシーンが描かれるから、何だと思って見ていたら「ハズレ!」って、劇中のドロンボーと一緒に笑ったよ。

第8夜「クッシャロデッシャロ湖のクッシー」
名台詞 「わかるわ。パパもママもワンも、私が来るのを待っているもの。」
(アルエット)
名台詞度
★★
 ドロンジョが熱を出してしまったために湖の近くの小屋に身を潜めていた一行だが、夜水浴びに川まで行ったアルエットが伝説の怪獣クッシーの子供であるクッちゃんを見つける。ヤッターマンの攻撃で親とはぐれたクッちゃんを湖へ帰そうとドロンジョが立ち上がるが、ヤッター兵がいるから危険と制止される。「ヤッター兵がいるかどうかより、子供が親に会いたい気持ちの方が遙かに大事」と訴えるドロンジョに、クッちゃんの面倒を見ていたアルエットが割り込むように答える台詞がこれだ。
 第3夜で両親を失ったことに悲観しているアルエットが描かれはしたが、そのアルエットがそんな悲しみに負けずに何とか生活出来るのは、その失った大事な人が待っていると信じることが出来るからだ。第3夜のアルエットがいう「天使」と言うのも、彼女が自分で自分の心が折れないように考えたことなのかも知れない。
 単なる天然系キャラかと思ったら、この少女のやることなすことはちょっと奥が深いかも知れない。普段ボケキャラを演じていてもこういう深い台詞を吐かせることを忘れない点は、よく出来ていると感じた。
名場面 ねとねとネット脱出 名場面度
 ゴロー将軍とアルエットの間にどんな関係があるんだーっ?
 続きが気になるぞ…。
感想  今回は内容は深いが、物語にこれと言ったヤマ場がないまま終わってしまったように感じる。やっぱりドロンボーメカが出ないという展開は、「ヤッターマン」らしくないなぁ。
 謎の大怪獣「クッシー」を軸とした「親子の絆」をテーマにした物語なのは良いが、ちょっと軸足をそっちに載せすぎのように感じる。そこに展開に硬直するのを防ぐために、風邪を引いたドロンジョを上手く使って物語に緩急をつけようとしているのは解るが、終わってみればただのギャグ漫画になってしまって「親子の絆」をテーマにした展開が印象に残りにくい。それもこれもドロンボー達が行間で演じるギャグが面白すぎることと、ギャグ側の展開にも上手くオチがついてしまったところが大きすぎる。いや、ヤッターマンという物語の本質を考えればそれで良いんだけど、メカ戦がなかっただけ(今回の戦いはヤッターメカ対メカなしのドロンボーまたはクッシー)に「ヤッターマン」としての盛り上がりに欠けてしまったように感じる。
 冒頭、何の説明もなしにドロンジョが寝込んでいるという展開は、視聴者の不安を煽るという点では上手く出来ている。だがドロンジョがギャグを提供するためだけに風邪を引いているというのは、物語が進むとよくわかる。熱出しているのに平気で走り回っているもんなー。クッちゃん初登場シーンも含めてね。

第9夜「アバレシ番外地」
名台詞 「サンピーちゃんのお友達も喜んでくれるのね。またこのクルマを走らせてくれたなら…って。」
(アルエット)
名台詞度
★★
 名場面欄シーンで問題のスポーツカーをガリナが借りることが決まった直後、アルエットが今回の主役メカとなるこのスポーツカーを見つめながら語る台詞だ。アルエットと、アルエットに抱かれたサンピーがこの車を見つめながらの台詞となる。
 本作を見ているある一定以上の世代は、このスポーツカーが何者であるか気付いているはずだ。ボンネットのデザインが前後逆になっているとは言え、どう見ても「マッハ号」であるということだ。「マッハ号」は本作と同じタツノコプロ製作の自動車レースアニメ「マッハGoGoGo」の主役メカで、私の世代だと幼少期に再放送を見て知っているというものになる。もちろん年上の世代はリアルタイムに知っているし、下の世代であればリメイク版アニメやアメリカの実写映画を知っているという事になるだろう。
 そしてここでアルエットの口から出たこの台詞は、本作アニメを製作したタツノコプロの本音に聞こえた。彼らの手からかつて送り出された「メカ」を、自分たちの手でもう一度動かしたい。そんなタツノコプロ制作陣の気持ちがこの台詞に宿っているのは確かだ。そしてその思いの通り、「マッハ号」は今夜も画面の中を縦横無尽に走り回ることになる。
 でも「マッハ号」は古いメカの割にはよく走っている、1997年のリメイクアニメはもちろん、二度に渡ってのアメリカ輸出、2008年のアメリカでの実写映画、同じ年にはリメイク「ヤッターマン」で活躍してドロンボーを倒している。リメイクヤッターマンでの活躍は当時の子供達には何が何だか解らなかったと思うが…。
 40年以上前のアニメのメカが、このように独り立ちして今や登場人物以上のものとして残り、たまにテレビ画面の中で走り回ることを許される。そんな制作陣の喜びもこの台詞には込められていることだろう。
名場面 ガリナとサンピー 名場面度
★★★
 ドロンジョ達がヤッターマンの手に落ち、ヤッター兵はガリナとアルエットの捜索を開始する。ガリナとアルエットは逃亡中に森の中に小屋を発見、中に入るとそこにレーシングカーが一台があり「錆びているが動く」とガリナが判断。これを使って逃げることを考える。
 だがこのレーシングカーを守るチンパンジー、サンピーが現れてこのクルマを使わせようとしない。サンピーはすぐにアルエットには懐くが、ガリナには敵意むき出しだ。最初は「このクルマ、使って良いかな?」と笑顔で問うガリナだったが、「早くしないとヤッター兵に…」と言いかけたところでガリナは「違う点違うだろ。助けなきゃ、仲間たちを…」と呟いてドロンボー達の笑顔を思い出す。「助けに行かなきゃ」と決意を固めたガリナは真面目な表情に変わり、「大切な友達を助けたいんだ。クルマを使わせて、お願い!」と頭を下げながらサンピーに語りかける。サンピーがしばらく頭を告げたままのガリナを見つめると、アルエットに何かを語りかける。アルエットが「友達のためならいいって」と翻訳するとクルマの貸し出しが決まり、ガリナがサンピーに感謝の言葉を告げる。
 今回、最も好きなシーンだ。ガリナがドロンボー達を仲間と認め、その仲間をピンチから救うべく「得体の知れぬチンパンジーに頭を下げる」という真摯な態度を取る。ガリナがドロンボーとの旅を通じて、時と状況に応じて「自分が何をするべきか」ということをキチンと理解して行動に出るほど成長しており、初期の何でもかんでもサイコロを振ってなすべきことを決めていたガリナの面影は何処にもない。それを強く感じたシーンである。もちろん、その過程で前夜までに様々な経験を積んでいるからこのシーンが活きていることは言うまでもないだろう。
 特にガリナがドロンボー達の笑顔を頭に思い浮かべた後の真面目な態度は印象的だ。これまでのガリナなら最後までその前の「笑顔でお願いモード」だったはずだ。この時のガリナがサンピーに頭を下げるシーンが、妙に印象に残ったのは私だけじゃないと思いたい。
感想  まさかの「マッハ号」登場、でも何かおかしいと思ったらボンネットのデザインが前後逆なのね。思わずかつての「マッハ号」の画像と比較しちゃったじゃないか。フロントガラス周りやダッシュボードの形状にも若干の相違がある。でもAボタンでジャンプしたと言うことは、やっぱり「マッハ号」なんだと多くの人が感じたことだろう。
 そしてガリナとアルエットがこの「マッハ号」に乗って画面の中を走り回るというストーリーは、正直言って「ヤッターマン」らしくないけど迫力があって面白かった。中でも「マッハ号」を発見した小屋をヤッター兵が取り囲んだとき、簡単にエンジンが掛からないのがポイントだったと思う。ガリナ達のピンチを差し込んで物語に緩急をつけるだけでなく、ガリナの「仲間を助けたい」という思いが本物であることを描き出すためにも重要なシーンだったはずだ。
 対して主役のはずのドロンボー達には、まともな出番がない。冒頭で裸踊り、これをきっかけにヤッターマンの手に落ちるという情けない展開で、あとは護送されながらガリナに助けられるのを待つだけという可哀想な展開だ。
 むしろ今夜では、ドロンボーよりゴロー将軍の方が印象に残った。冒頭のプロローグシーンでは、ドロンボーにやられてヤッターキングダムの中での地位がピンチになっている事から始まる。そして彼が起死回生を掛けてヤッターマンを倒すべく本気になったことが描かれる。その上で再度ドロンボーとの戦いに敗れ、最終的には投獄されるという可哀想な展開だ。その課程でゴローとアルエットの関係が示唆される…いや、ゴロー将軍の正体は強制労働で死んだとされるアルエットの父親で決定でしょう。ゴローとゴロゾー、そしてアルエットの姿を見るたびに戦いを忘れてしまう態度。最後はゴローの回想で幼き日のアルエットだ。そしてゴローが連れている犬ロボは、アルエットのいうワンちゃんなのだろう。
 「マッハ号」とゴロー将軍の戦いシーンも印象的だった。ガリナとアルエットが目隠しをつけてもう完全にヤッターマンになっているし。そしてガリナお手製のケン玉が「ケンダマジック」と使われるから、もうこれはガリナとアルエットのヤッターマンとの関係を疑わずにはいられない。さらには前夜で出たガリナが作ったサイコロ、今夜ではちゃんと顔も出てきてオモッチャマになりつつある。見どころ多かったなー。
 そして最後は、いよいよ一行がヤッターキングダムの首都「ソリャソウサ岬」に到着して終了する。いよいよ物語は終盤、ドロンボー達とヤッターマンとの直接対決に入って行くと同時に、物語の様々な謎が解けるのだろう。続きが楽しみだ。

第10夜「ヤッター十二神将包囲網」
名台詞 「最期の言葉…私の魂の叫びを…全国の女子高生の皆さーん、僕は死にませーん。」
(ボヤッキー)
名台詞度
★★★★★
 やっぱりボヤッキーは、これがなくっちゃ。
 今夜はこの台詞だけでお腹いっぱい。特に処刑のために十字架に掛けられ、最期に言い残す言葉というタイミングでこれが出たのがボヤッキーらしい。
 そしてこの台詞にたどり着くために、第1夜から伏線が張ってあったから唐突感がなくて良い。ここまでシーンの合間にボヤッキーが「女子高生」という言葉を口にし、それに何の意味があるのかと悩み「懐かしい響き」としてきたからこそ、この「魂の叫び」が活きるのだ。
名場面 「ヤッターマン」登場 名場面度
★★★★
 ヤッター十二神将に捕まったドロンボー一味とガリナとアルエットは、処刑されることとなり一度は十字架に掛けられる。だがギリギリのところでヤッターマン当人からストップが掛かり、ドロンボー達はヤッターマンと対面することになる。ヤッターマンがいる部屋へ一行が通されると、「歓迎!ドロンボー御一行様」と書かれた横断幕と、はじけ飛ぶクラッカーに出迎えられる。「はぁ?」と目が点になるドロンジョをよそに、部屋の中ではヤッター兵が歓迎ムードを盛り上げているこの状況に、ドロンボーやガリナだけでなくさすがのアルエットも驚きの表情だ。「ドロンジョ様!あれを!」と突然天井を指さして声を上げるボヤッキーの声に、ボヤッキーが指さす方向に画面が変わると…ドロンジョ達の家にあったのと同じかつてのドロンボー一味の肖像がそこにある。「ヤッターマン様のおなーりー!」とヤッター兵の声が響くと、ついに「ヤッターマン」が現れる。炎の中から現れた一人の人影、「あれが…」「ヤッターマン…」「一人だけか?」ドロンボーの3人が緊張して現れた人影を見る。このシーンを見ている視聴者も同じ思いだろう。やがて人影を覆っていた炎が取り払われると…「苦しゅうない、楽にするがいいべー」と声を上げるドクロベェの姿が現れた。「ドクロベェ様〜?」とドロンボーの3人が声を上げ、「懐かしいドロンボーの末裔達よ、ようこそだペー」とドクロベェが歓迎の言葉を発したところで今夜が終わる。
 いよいよ終盤へ向け、物語が大きく動いた。ここまでなんだかんだで最大の謎だった「ヤッターマン」の正体が判明したのである。そしてその正体はドクロベェ、正直言ってこの展開はありだとは思っていたけど、本当にそうなるとは。ドロンボー達が部屋に招き入れられた瞬間に、敵のヤッターマン側の空気が完全に変わっていた時点で「もしや…」と思い、炎の中の人影が一人だった時点で「これはドクロベェだな」と解るように作ってある。この大展開をとても印象的に盛り上げたと言って良いだろう。何よりもこの「ヤッターマンの正体」を焦らさずに今夜で伝えきったことも、嫌味が無くて良い。これが80年代後期のアニメだったら、ドロンボー達が部屋に通されてヤッターマン登場の炎に人影が浮かび上がったところで「つづく」になってイライラさせられたんだろうな。やっぱりここは今夜のうちに正体がわかり、次までの一週間でどうなるのかと期待させられながら待つのが王道ってもんだ。
 そして最終回の2回前のラストシーンという、いわば「土壇場」で本作に必要なキャラが全員揃ったというところだろう。
 しかし、ドクロベェ様の声、上手く雰囲気出しているけど、長年滝口さんの声に慣れ親しんだ後だとどうしても違和感は拭えないなぁ。滝口さんが亡くなってからこの夏で4年かぁ…。
感想  前夜でのヤッターキングダム首都到着に続き、今話からはいよいよ「ヤッターマン」との最終対決…と思いきや、今夜も含めてまだ3夜も残っているじゃないか。そうすると今夜はまず最終決戦を置いておいて、謎解き回なのだろうと思って物語を見ることにした。
 冒頭ではこれまでの総集がドロンボーの3人とガリナとアルエットの語りで振り返られ、ここでまずは「ああ、やっぱり謎解き回なんだうな」と思わせる。もちろんその課程で一行が首都に入り込むのは当然だろう。そして謎解き回らしく、ヤッター兵のナレーションという形でこの世界設定がキチンと語られる展開へと進む。この世界ではドロンボーが「月を盗む」という行為を働いたために地球環境が激変、その激変を生み出したドロンボーをヤッターマンが倒したことになっていて、そして環境激変から人々を救うために北海道をヤッターキングダムにし、ヤッターマンは死ぬことも許されずに人々のために働いているいう設定が語られる。「月を盗む」という点や「ヤッターマンは死なない」という点など、これまでに語られなかった設定はこの中に数多く存在する。
 そして一行が「エンディングにも出てくるハイウェイ」までたどり着くと、敵の追っ手である「ヤッター十二神将」に発見されるというストーリーで、ここでサブタイトルを思い出す。最終決戦前の大きな戦いでひとヤマというのはお約束、その課程で色んな謎が現れたり解けたりするものだ。だがこの戦いではそんな謎解きはもう忘れていて、ドロンボー達は善戦するものの結果的には捕まって処刑台行きだ。しかし「ヤッター十二神将」のそれぞれの名前が、イチロー、ジロー、サブロー、シロー、ロクロー、シチロー、ハチロー…という安直さは好きだ。
 そして処刑台でのピンチ。もちろん主人公達がそのまま処刑されてバッドエンドという展開はあり得ないから、「どういうかたちで救われるか」という点が見どころだ。私は全てを思い出したゴロー将軍(アルエットの父疑惑高し)が助けに来るような展開(=ゴロー将軍の正体の謎解き)を想像していたが、ここは敵が崇めるヤッターマン様のストップが入るという展開は「そうきたか…」と思った。同時にこれは「ヤッターマン」とドロンボーの対面を示唆しており、物語は自然に「ヤッターマンは何者か?」という謎解きに突き進む。
 そしてその正体が判明する展開は名場面欄の通り。正直、タツノコプロがこのまま「ヤッターマン」を悪の権化にしたままにしておくとは思えないので、「ヤッターマンは何者かが騙っている」という展開になることは充分に予測できたはずだ。もしそういう展開なら、それがドクロベェというのは第一候補であることはかつての「ヤッターマン」を知っている人なら誰でも想像する話だ。問題はこの「ヤッターマンの正体はドクロベェだった」という設定を、残り2夜でどう料理するかだ。
 そしてガリナとアルエットが何者かという謎は次夜以降に回された。もちろんこの続きはドロンボーがドクロベェを倒そうとして一度は失敗するのだと考えられる。この過程でゴロー将軍の再登場と正体判明、同時にガリナとアルエットと本物のヤッターマンの関連がつけられるのだと考えられる。その上で最終決戦と考えれば、残り2夜でピッタシだ。

第11夜「真実のヤッター・メトロポリス」
名台詞 「アルエット! お前は俺の、天使だぜ!」
(ゴロー)
名台詞度
★★★★★
 詳しくは名場面欄を参照して戴きたいが、ゴローの最期の言葉だ。
 この台詞と、ゴローの回想シーンに出てきた「何があっても俺が命懸けで守ってやるぜ」というゴロゾーの言葉は、この物語を見ている多くの父親の胸に突き刺さったことだろう。最期にこの「父性」を盛大に演じたゴロー将軍だが、これらの台詞で前々夜までのゴロー将軍と別人になってしまったと良いほどの印象度の変化をもたらした。正直、このようなキャラになって最期を迎えるなんて、最初に出てきたときは想像もつかなかった。
 このゴローの最期のシーンのおかげで、この「夜ノヤッターマン」というアニメを見てきて良かったなーと心から感じた。
名場面 ゴロー将軍の最期 名場面度
★★★★★
 ドクロベェによって牢獄に入れられたドロンボー一味とガリナとアルエットだったが、オダさまとオモッチャマの連携プレーで脱獄を図る。だがすぐに見つかってしまいヤッター兵に囲まれるが、そこに現れて一行に窮地を救ったのはのはドロンボー殲滅に失敗して投獄されていたゴローだった。驚くドロンボー達に「ここは俺に任せるがいいぜ」と告げるゴローを見てボヤッキーは「これは罠です」と主張するが、ゴローは「罠だとして他に選択肢があるのか?たぜ」と続ける。一行はこのゴローの助けに掛けることにして逃走を続ける、ゴローは屋上にヤッターコウノトリがあることを告げるとヤッター兵に戦いを挑む。アルエットが生まれた日のの思い出を胸にして…「アルを頼んだぜ」とゴローの声が聞こえたようなガリナは、アルエットに「ごめん」と告げてゴローの元に戻る。そこには何とかヤッター兵の殆どを倒しつつも半死半生のゴローの姿があった。ゴローはガリナに電撃を喰らわすと「ここは任せろと言ったはずだぜ、消えろ!」と叫ぶ。その勢いに押されたガリナが走り去ると、残ったヤッター兵がゴローを取り囲む。「(名台詞欄の台詞)」とゴローが叫ぶ、この声にアルエットが少しだけ反応するが、ゴローは胸の自爆ボタンを押して取り囲んだヤッター兵と共に散る。
 正直、ゴロー将軍というキャラが最初に出てきたときに、こんな感動的な最期を遂げるキャラだとは思ってなかった。確かにここまでゴローがアルエットと関係があることは示唆され続けていたし、何よりも前々夜までに正体は明確にしないまでもゴローがアルエットの父であることは示唆されていた。それでも私が思い描いていたのは、アルエットと父の感動対面やガリナとの共同作戦などの「甘い展開」だった。
 そんな期待を裏切ってのゴローの最期では、ゴローが記憶を取り戻して娘を守るために戦うという展開が描かれた。だがその正体は劇中の誰にも明らかにしていない、アルエットも気付いていないように描かれている。ドロンボーも気付いていないが、ゴローの魂の叫びが聞こえたガリナだけがそう感じたという風に描かれている。だからガリナが一度ゴローのところへ戻るシーンは重要だし、ゴローがこれをあしらう点もガリナが聞いたゴローの魂の叫びが真実であることを示すために重要だ。こうしてゴローにとっては甘いハッピーエンドを無くし、最期まで戦い続けさせることで物語の迫力が増したしも、何よりも白けなくて良かったと思う。ここは戦い一辺倒で次話まで駆け抜けて欲しいからこそ、ゴローには悪いがこのような最期を演じさせたことはとても良かったし、ゴローの最期の悲壮感を強く描くことで感動できるシーンにもなったのだ。正直、本作のここまでで最も印象に残ったシーンだ。
感想  今話は全面的に「謎解き回」となったといって良いだろう。前話で「ヤッターマン」がドクロベェであることが判明し、多くの視聴者が次に知りたかったのは「なぜドクロベェがヤッターマンを名乗って人々を圧政で苦しめているか?」というポイントで、それに忠実に従って前半はひたすらドクロベェの謎解きに入る。その過程でドクロベェが過去の映像を見せると言って用意したのが「VHSのビデオテープ」だったことは笑った。そしてビデオを入れ間違えて一度は関係ない画像が流れるのもおやくそく。それより、そのビデオ映像として流れた昔のヤッターマンが懐かしすぎだぞ。
 こうしてドクロベェの謎が解けると、物語は最終決戦へ向けてコマを進める…と思いきや、ドロンボーが牢獄に入れられることをきっかけに、やはり牢獄に入れられているゴロー将軍の謎解きへと入る。ゴローがアルエットの父という展開予測は「やっぱり…」という感じだったが、それだけで済ませず何でアルエットの父がゴロー将軍と名乗って「ヤッターマン」の片棒を担ぐことになったのかという経過まで語られることになった。もちろんゴロー将軍が連れていた犬は、アルエットの家で飼われていた「ワン」という犬であることも明確になる。そして名場面欄に書いたドロンボー達の脱出劇で、そのゴローの最期が描かれたのは正直驚きだ。名場面欄にも書いたがもっと甘い展開を予想していて、ここでゴローが助けるにしても後ほど合流して共に戦うとかそういう展開だと思っていたからなー。しかし、アルエットやドロンボーに対してゴローの正体を明らかにしなかったことは、白けさせなくて良かったと本当に思う。その上でゴローの悲壮感を描いたからこそ、ここは自然に感動できたのだ。
 そしてドロンボー達が何とか脱出に成功する。ここでドロンジョとガリナがドクロベェを倒すと決意したことが、本作のラストに欠かせない最終決戦を決定づけるシーンとなったはずだ。だがそのまま最終決戦とはならず、ドロンボー達が乗っているヤッターコウノトリがドクロベェに撃墜されて本夜が終わる。墜落したことで最終決戦前に何らかの設定をひとつ置くのかも知れない。それこそが本作では欠かせない本当のヤッターマンのことや、ガリナやアルエットとヤッターマンの関係という点だと思うんだけど…最終回が楽しみだ。

第12夜「夜明け」
名台詞 「The darkest hour is alwaysjust before the dawn.だコロン。」
(オモッチャマ)
名台詞度
★★★★★
 ガリナは人々を目覚めさせる必要があるとして、アルエットと共にヤッターマンになる決意をする。そして火ぶたを切った最終決戦、まずヤッターマンになったガリナがヤッターキングダムの人々に真実を訴えた上で、「世の中は真っ暗だ」「夜明けはすぐそこまで来ている」と訴えかける。そして人々にドクロベェを倒し、「夜明け前が一番暗いんだ、真っ暗な戦意を終わらせよう」と訴える。そのガリナの演説の途中で画面のオモッチャマが割り込んで字幕付きで語る台詞がこれだ。
 ここでのガリナの演説の中で、強く印象に残ったのは「夜明け前が一番暗いんだ」と一言だった。だがその一言のためだけにあの演説を名台詞欄に書くのかと思ったところで、オモッチャマがそこだけを抜き出して語ってくれたので、これを名台詞欄に上げることとした。
 そしてその「夜明け前の暗さ」こそが、この物語の根底にあったものだと思った。ドクロベェの圧政による暗い世界、そこに「ずっと夜と言うことはなく、いつか夜明けが来る」という「希望」を本作品のキャラクター達が演じてきたのは確かだ。序盤では母の死という暗闇から「ヤッターマン」を倒すべく立ち上がったドロンジョがそうであったし、中盤では何も出来ないと自分に自信がなかったガリナがこれを演じてきた。そして今話前半でこれを演じたのがアルエットだったことはいうまでも無い。さらに言えば7夜のゲストキャラであったリュウもこれを演じていた。
 これらの物語を通じて本作が訴えてきたものは「希望」であり、その希望を「夜明け」という表現に託した制作者側の意図が、この台詞には込められていると思う。「夜明け前が一番暗い」という表現を裏返すと「希望(夜明け)はすぐそこにある」ということだ。それが本作品のテーマであり伝えどころであったはずで、これがオモッチャマのこの一言に込められたのだと私は強く感じた。
 しかし、まさか本欄の最後を飾るのがオモッチャマになるとは思わなかったな−…しかし、オモッチャマって英語でしゃべるのが似合わないキャラだよなー、でもその意外性がこの台詞を盛り上げたと思う。実は今回の名台詞欄、オモッチャマのこれがなかったら間違いなくガリナがアルエットにヤッターマン2号になるように促す長い台詞にしていたと思う。ガリナの演説も良かったが、印象に残ったのはオモッチャマのこの台詞と重なる部分だけだったので。
名場面 最終決戦 名場面度
★★★★★
 凄い戦いだった、あまりの迫力に手に汗握った。最初は山本正之による正調「ヤッターマンの歌」をBGMに、ドロンボーメカ「ダイドコロン」とヤッターマンとヤッター兵やヤッター十二神将の戦いが描かれる。ドロンボーとヤッターマンのそれぞれピンチが一度描かれると、今度は本作の主題歌「極限Dreamer」をBGMにピンチから逆転するドロンボーとヤッターマンの姿へと画面が流れて行く。そしてドロンボーはヤッター十二神将のイチローを倒し、ヤッターマンはドクロベェを倒す。
 本当に迫力のある戦いだった。過去のヤッターマンの戦いとは違い、ノーギャグの真剣勝負だからこそこういうのは盛り上がる。また肩にロケットブースターを装備したヤッターワンもこれまたこれまでのヤッターマンにない迫力だったと思う。
 それより、このシーンの印象に残った点はなんと言ってもBGMの使い方だ。正調「ヤッターマンの歌」からピンチシーンを挟んで「極限Dreamer」へ繋ぐという流れは、「ヤッターマン」という素材を使って全く新しい物語を生むことが出来たという制作者側の意図をも感じるし、何よりも「ヤッターマン」が紡いできた時間をも感じるしその重みの感じ取ることが出来る。特にリメイクや実写映画のヤッターマンでは「全時代を懐かしむ」というテーマが先に立ってしまい、新しい物語を生み出せなかった部分はあったと思う。この「夜ノヤッターマン」と言う物語は、「ヤッターマン」という素材を大事にしつつもこれをベースに新しい物語を生み出したんだという、制作者のその思いがこのシーンとBGMの使い方に込められていると感じた。
 まぁ、余計な事を沢山書いたが、とにかくこの戦いシーンは本作の中で最も迫力があり、様々な要素で印象に残ったのは確かだ。そしてこの戦いの終わりで物語に結論が出たら、「オチ」は短く演じてこの戦いの余韻が覚めないうちに幕を閉じてしまう潔さも、このシーンが印象に残った理由だ。
感想  前夜のラストを見て、最終決戦にどうやって話が進むのかと思って楽しみだった。そしてどうやって、ガリナとアルエットのヤッターマンとの関係はどうなんだと身を乗り出して見たのは事実だ。
 そうしたら前回撃墜されて湖に墜落した一行は、前夜以前と同じノリで話を進めようとするではないか。だが一つ違うのは「ヤッターマン」の正体を知ったことでそれを倒すべく真剣な相談をしていることだ。そこでいろいろあって、結論はガリナとアルエットがヤッターマンになるという展開であった。いや、ガリナとアルエットの二人がヤッターマンになって敵を倒すという結論は二人の初登場時から見えていたし前夜までにそのためのアイテムは揃っていたけど、何の設定もおかず単なる作戦として二人をヤッターマンにしてしまったのは意外だった。だけどその過程でアルエットは現実逃避をやめ、「ドロンボーはヤッターマンと一緒にいることは出来ない」として別れが演じられる。しかしアルエットにヤッターマンになるよう促すガリナの台詞、良かったなぁ。もうちょっと台詞が短かったら名台詞欄次点を作ったのに…あ、ドロンジョがガリナとの別れ際に語った台詞も良かった。
 しかしガリナとアルエット…つまり「ヒバリ」と「ニワトリ」だったのは深い意味があったんだなぁ。ヒバリが春を呼ぶ鳥というのは劇中でも語られていたけど、「ニワトリ」に「朝を告げる鳥」という意味を込めていたなんて…本作の展開を見ているとガリナは救世主だったんだ。
 そして迎える最終決戦、決戦そのものは名場面欄で語り尽くしてしまったから良いだろう。たしか「ダイドコロン」って、旧作だけでなくリメイク版や実写版にも出てたような…。そりゃともかく、ヤッターマン2号がちゃんとアルエットの演技を維持し続けた点は担当声優に敬意を表したい。リメイクヤッターマン2号を演じたメルダ少尉だ、つい以前の癖が出るんじゃないかと思って意地悪に見ていたけど最後までアイちゃんでなく「アルエットのヤッターマン2号」を貫いた点は評価したい。「それは100パーなんとか」って言い出しそうに無かったもん。
 そして戦いの後は「オチ」だ、ドロンジョはレパードに戻って先祖から引き継がれた「ヤッターマンの歌」のメロディについて考える。ヤッターマンはヤッターマンのままでゴローの墓を建てたようだ。そして最後にサプライズゲストでドロンジョ様登場は良いが…スタッフロールが先に出てきてしまいサプライズになりきれなかったのは残念。
 3ヶ月の放映、無事に終わりました。でも本作について、一つだけ心残りがある。それは本作のドロンボー3人による「天才ドロンボー」や「ドロンボーのシラーケッ」を聞けなかったことだ…サントラにも入ってないみたいだし。いずれにしても、今後後付けの概要と総評を書きますのでもうしばらくお付き合いください。

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