心象鉄道21.高山本線の仲間たち
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高山本線の魅力 日本列島を太平洋側から日本海側へと横断する路線は、本州にいくつかある。 片側の海岸線の都市から平野から台地へと駆け上がり、続いて渓谷に沿って山を登ってゆく。その途中の盆地にある都市や観光地を結びながら、やがて列車は分水嶺の峠を越える。そしてまた盆地の都市を結びながら渓谷を下り、台地から平野へと駆け下りて目的地の列島反対側の都市へとたどり着く。 その中でも多くの列車が分水嶺を越えて反対側の海岸都市を目指す路線が、東日本では上越線、西日本では伯備線、そして中部地方では高山本線だ。 そんな列島横断線の中で、私が強く惹かれる路線は高山本線だ。岐阜起点ということで関東地方からも比較的行きやすく、若い頃に何度か乗りに行ったのもこの路線に魅力を感じたからだ。飛騨川や神通川に沿った渓谷の美しい車窓、その背景に見える「日本の屋根」と呼ばれる山々の風景、盆地に広がる小都市…そしてその景色を行く路線は電化されておらず、ローカルから特急まで気動車ばかり。しかも巨大な観光地を控えているので国鉄路線なのに私鉄まで乗り込んでくるという、列車のバリエーションの多さが魅力に花を添える。 私がこんな高山本線に興味を持ったのは、小学3年生頃だった。少年時代の私の愛読書のひとつである「特急入門」という児童向け図書で、特急「ひだ」の乗車ルポが掲載されていたのを読んだときから「一度乗ってみたい」と夢見るようになった。車両は国鉄標準気動車特急とも言えるキハ82系で食堂車もない列車だったが、名古屋から金沢まで二度も方向転換しながら時間を掛けて山河を越えて走るその列車に憧れたのだ。同時期にやはり私の愛読書だった「私鉄特急全百科」には名古屋鉄道の特急として「北アルプス」が紹介されていて、「ひだ」と似て非なる名鉄の車両がとても気になったのを今でも覚えている。 私が高山本線に始めて乗ったのは1987年3月31日…つまり「国鉄最後の日」だ。私は国鉄が最後の日を迎えたこの日の旅行に、子供の頃から憧れていた高山本線を選んだ。この日だけ有効の「謝恩フリー切符」を片手に、高校時代の友人と二人で眠い目を擦って朝一番の新幹線に乗り、名古屋から急行「のりくら」で富山を目指した。車窓から見る渓谷風景、特になごり雪に降られる神通川の渓谷風景は今でもハッキリ覚えている。 二度目の高山本線探訪はその年の9月、この時は始めて鈍行列車で高山本線を乗り通した。1993年の盆休みにはいわゆる「大垣夜行」を岐阜で下車、再度高山本線鈍行列車の旅を愉しむ。1995年正月にも当時の婚約者と二人で鈍行列車で乗り通すなど、この高山本線には多くの若い頃の思い出がある。 そんな中央本線の列車の列車で、我が家の鉄道模型のラインナップにとなっているものを今回紹介しよう。若き日の旅行で実際に乗ったり見たりした列車や、過去の「一度乗ってみたかった列車」も再現したりと、この高山本線の魅力が伝わってくるラインナップになっているはずだ。 |
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