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…物語は「アクション仮面」の劇中劇から始まる。
名台詞 「助けて〜! アクション仮面!」
(ミミ子)
名台詞度
★★
 本作もミミ子のこの台詞から始まる。実はこれは、記念すべき劇場版「クレヨンしんちゃん」第一作「アクション仮面VSハイグレ魔法」と同じである。そして本作ではミミ子は縄で縛られ、燃えたぎる炎の上に吊されて涙を流してこの台詞を吐き、その前でアクション仮面とその悪役が対峙している。
 私はこの「嵐を呼ぶジャングル」の初見時には、既にこの作品が「劇場版クレヨンしんちゃん最終作になったかも知れない」という予備知識を知った上で見ていた。だからこの台詞で本作が始まった時、「これは第一作の基本に立ち返っている」といきなり感じさせられたのである。第一作と殆ど同じ始まり方で映画の幕を開くことで、制作者側が本作に込めた「しんのすけを明確に主人公に据える」という基本に立ち返る第一歩にしたのだと思う。そんな事を感じさせられた。
 しかし、ミミ子ちゃんのこの悲鳴はアニメの「クレヨンしんちゃん」で何度も演じられているけど、安定しているよなー。でもパートナーのはずが足を引っ張っているんだから、キャラクター的に面白い。ちなみにこの声は、ミミ子ちゃんだけでなくアニメの「クレヨンしんちゃん」ではあちこちで聞くことが出来るんだよなー、「ぶりぶりざえもんほぼこんぷりーと」でも何役かやってるし。
名場面 アクション仮面映画予告編 名場面度
★★★
 上記の名台詞に続き、アクション仮面と悪人との戦いが始まる。最初は格闘戦だが、アクション仮面のパンチやキックを悪人は全て交わした上で、アクション仮面を投げ飛ばす。投げ飛ばされたアクション仮面はゆっくり立ち上がり必殺技「アクションビーム」を放つが、悪人はこれを跳ね返す。そして跳ね返したビームがアクション仮面を突き飛ばし、ビームが直撃したアクション仮面は爆発して姿を消す。「アクション仮面!」とミミ子が叫ぶと、ミミ子を吊っていたロープが切られ、ミミ子は悲鳴と共に炎の中に落とされる。と思うと画面に「映画アクション仮面 南海ミレニアムウォーズ 4月22日(土)よりGW大公開」という題字が現れるとともに、「さようなら、アクション仮面」と静かなミミ子によるナレーションが流れる。すると画面がどんどん引いていって、これはテレビ番組での出来事でしんのすけがこれを見ているという画になる。
 迫力のある映画予告編だなー、こんな予告を見せられたら見に行きたくなっちゃうじゃないか。ヒーローと強力な悪人の戦い、人質に取られたヒロイン…その続きに見せられるヒーローとヒロインのピンチは物語を盛り上げる要素だ。もちろんこの後、大逆転劇があってヒーローが勝つに決まっているのだが、ヒーローがどうやって死の淵にあるヒロインを助けるのか、いや、どうやってヒーローが生きていたのか、気になってしょうがないじゃないか。
 本作はこうして、見る者を映画に強力に引きつけるところから始まる。これが劇中劇だと解っていても、見ている人はこの「アクション仮面」の続きが気になってしょうがない。この要素が「この先どうなるかみたい」という思いだけでなく、物語が進むと登場人物と共に「早く続きが見たい」と共感できるようににる要素だ。そして同時に、このシーンは本作最後のギャグへ続く伏線であることは、最後まで見ないと解らないことだ。
研究 ・「映画アクション仮面 南海ミレニアムウォーズ」
 本作は上記に記した通り、劇中世界で上映される映画「アクション仮面 南海ミレニアムウォーズ」の予告編からスタートする。本研究欄はこれを通じて、劇中世界でのこの映画について考えてみたい。
 劇中世界では「アクション仮面」という子供向けヒーロー番組が大人気で、子供達の崇拝の対象であることは確かであることは「アクション仮面VSハイグレ魔王」の考察の時に書いた。玩具メーカーなどのスポンサーの元でテレビ番組として視聴率もそこそこあり、大人気ならば年に1本の劇場版が制作されていてもおかしくないだろう。この「南海ミレニアムウォーズ」はそんな劇場版の1作と考えるべきだ。
 もちろん劇場版では、テレビ版と違う展開が用意されていることだろう。テレビ版では日常生活の中でヒーローが悪人を倒す「身近なヒーロー像」としてのストーリーが展開されていると考えられ、対して劇場版では舞台を変えるなどして「非日常の中のヒーロー像」を描いているに違いない。この「南海ミレニアムウォーズ」では、南の島に舞台を移し、アクション仮面とミミ子が冒険的な活躍をしながら悪を追い、逆に悪の手に見つかってしまう物語なのだろう。その逃亡の過程でミミ子だけが捕まり、予告編のシーンとなる…という物語と考えるべきだ。
 そして劇場版だからこそ、この「南海ミレニアムウォーズ」にもスペシャルゲストの登場があることは物語が進むと分かる話だからこれは今は触れない。
 この劇中予告編を見ていると「南海ミレニアムウォーズ」の封切りが4月下旬、つまり現在の劇場版「クレヨンしんちゃん」と同じであることが解る。つまり劇中の「映画アクション仮面」はゴールデンウィークの子供向けの目玉として、実世界の劇場版の「クレヨンしんちゃん」「名探偵コナン」と同時期に上映されていることになる。ここから逆算すると、物語の舞台となった時期も解ってくる。
 予告編の後にこの映画のイベントとしてクルーズ旅行があることが告知されるが、その中で「南海ミレニアムウォーズを一足先に見よう」というフレーズがある。つまり本作で舞台となるクルーズ旅行は、映画が完成してから封切りまでの間に行われたのは確定だ。この時期の中で子供達がクルーズ旅行に出られるシーズンと言えば一つしかない、それは3月下旬から4月上旬の「春休み」期間だ。
 つまりしんのすけがテレビでこの予告編を見ていたのは1月か2月、クルーズ旅行をしたのは3月下旬とみて良いだろう。恐らくクルーズ船上での「南海ミレニアムウォーズ」上映は「試写会」の位置づけだと考えられる。

・「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル」のオープニング
「とべとべおねいさん」 作詞/作曲/・もつ 歌・のはらしんのすけ(矢島晶子)&アクション仮面(玄田哲章)
 このオープニングテーマも、本作上映時にテレビアニメ版のオープニングとして使われていたものだ。しんのすけとアクション仮面が勇壮なメロディに乗せて歌う、力強い歌だ。
 歌詞の内容は…やっぱりしんのすけらしく「おねいさんを守りたい」という内容だ。でも最後の方を聞いていると、しんのすけが見ていた夢のようだ。そこに「さいたま」とか「まゆげ」とか「しんのすけ」を連想させるキーワードをしっかり込めているのも、気持ちいい点だ。
 またしんのすけとアクション仮面の歌声が良い感じを出している。アクション仮面はこの歌を淡々と力強く気持ちよく歌っているが、しんのすけが音を外して「オンチ」となっているのが聞いていて本当に面白い。確かに大人と子供が合唱すれば、こんな感じだなと納得させられる。
 背景画像はいつものねんどアニメ、曲調に合わせて力強くしんのすけのボーズを描き、そこに本作のキーワードである「南の島」や「サルたち」を上手く描き込んでいく。かと思えばしんのすけとシロが戦ったり、しんのすけとひろしが穴を掘っていたりと忙しく画面が変わり、最後は山が噴火して野原一家が宇宙へ飛ばされるという後半は物語とは無関係な展開となる。しかし、しんのすけがマリリン・モンローばりにスカートをめくられるところは笑えるなー。
 こういう力強いオープニングを挟んで、いよいよ本編だ。

…野原一家は、「かすかべ防衛隊」の子供達一家と共に「映画アクション仮面」のイベント「南海ミレニアムツアー」に参加、一行は豪華客船の船上にあった。ただしボーちゃんのみはマサオの母親を保護者として一人での参加だった。
名台詞 「無理して休んだんだろう。誤解されるような言い方するなよな。」
(ひろし)
名台詞度
★★★
 「南海ミレニアムツアー」に出発した一行であったが、これに野原家は母親だけでなく父親であるひろしも同行していた。これに他の母親達が「ご主人も一緒で羨ましい」と言うと、みさえが「なんかヒマだったみたいでー」と返す。それを聞いたひろしが、デッキチェアの上で語る独り言がこれだ。
 物語展開上、ひろしがいないと話にならないのは確かだが…かなり無理しないとサラリーマンはこの季節に長期の休暇は難しいぞ。前回考察でこのツアーが3月下旬に行われていることが判明した(日数は次の研究欄で)、その通りであればサラリーマンにとって最も忙しい「年度末」という季節だ。だから他の子供達の父親が参加できないのは自然な流れだし、みさえが言う「ヒマだったらしい」というのもあり得ない。そう考えると、この台詞が同じサラリーマンとして妙に印象に残るようになってくる。「クレヨンしんちゃん」はこのように、物語を見ている親がついつい納得してしまう要素があるから面白いが、この台詞もそんな要素の一つだ。
名場面 そのころ春日部では 名場面度
★★★
 豪華客船の船上で、「かすかべ防衛隊」の面々は優雅なひとときを過ごす。この中で「春日部は相変わらず、平凡で退屈な毎日なんでしょうな」としんのすけが呟くと、チャイムの音と同時に画面が真っ暗になって「そのころ春日部では」という文字が現れる。ようち園では組長先生・よしなが先生・まつざか先生・上尾先生が「平和ですねー」「しんちゃんたちがいないとのどかだわ」と語り合い、酢乙女あいが「しん様がいないとつまんない」とボヤく。春日部の町では「埼玉紅さそり隊」がしんのすけがいない平和を謳歌し、かすかべ書店では店長と店員の中村がブロックサインで平和を語り合う。まんが家臼井儀人の部屋では、臼井先生が「ゴメンね」と似顔絵付きのメモを遺して行方をくらませて担当の染谷氏を困らせ、新婚夫婦のヨシリン&ミッチーはいつも通りラブラブで、野原一家を訪ねてきた銀之助は一家の留守を知るとななこちゃんとデートに出掛ける…「そんな春日部だった」と最後に文字が現れて、このシーンが終わる。
 このシーンは物語の本筋からは外れているが、劇場版の「クレヨンしんちゃん」の特徴を上手く示しているシーンと言えよう。物語の主役となる野原一家や「かすかべ防衛隊」の面々が、住んでいる町を離れて舞台を変えていると言うことが上手く描き出されている。そして通常の「クレヨンしんちゃん」で描かれる、町の日常生活が物語とは無関係の場所でキチンと続いていることが描き出されることで劇場版はいつもの作品と方向性が違う、ということをキチンと見る者に訴えているのだ。
 だがこそこに出てくるキャラクター達の動きがいちいち面白いのもこのシーンだ。ようち園の先生達はしんのすけの存在が嵐の中心であることをキチンと演じているし、それにすずく酢乙女あいは当時の「しんのすけと一緒に嵐を呼んでいる」というキャラクター性をキチンと演じている。埼玉紅さそり隊はなんだかんだでしんのすけにいじられないと話が進まないし、書店では「ブロックサイン」が健在なのが嬉しい。そして銀之助とななこちゃんについては…しんのすけにとっては聞き捨てならない平和なんかではない出来事のはずだ。
 こうして日常と非日常を対比させることで、しっかり物語の特殊性をおさらいするというこのシーンは本当に感心だ。
研究 ・「南海ミレニアムツアー」
 今回は物語の舞台である「南海ミレニアムツアー」について考えよう。
 クルーズ旅行の実施時期が3月下旬〜4月上旬であることは前回研究欄でハッキリした。これは子供達が春休みのシーズンであり、このようなクルーズ船も春休みの子供向け企画として動いてもおかしくないシーズンでありおかしい話ではない。
 劇中に出てくる船はクルーズ船でも比較的小型の部類に入ろう。後述する航路から日本船による運航だと考えられるので、船の大きさは20000トンクラスと考えられる。クルーズには「マス」「プレミアム」「ラグジュアリー」「プティック」とクラス分けがあり、子供連れをターゲットにしたツアーであることを考慮すると二番目に安価な「プレミアム」と呼ばれるクラスのクルーズだと考えられる。最も低い「マス」というクラスは、超大型の船を使って客単価を下げ、食事は別料金、その上でカジノを設置することで収益性を上げているから安いのだが、これらの船が「少人数ツアーで子供向け」のこのツアーに合致しないのは言うまでもない。「プレミアム」であれば若干高いとはいえ、食事代や他イベント料金かツアー代金に含まれるために結果的に安くなる(国内でリゾートホテルに同泊数泊まるより安い)。
 だがここから導き出される船の定員は600人程度になってしまう。子供向け映画のイベントで家族を含んで150組くらいの集客力があるかどうかが、この物語が実現できるかどうかのカギだ。私はあると思いたいのだが…なければ、他のツアーと混乗になって話がややこしくなってしまうから、このツアーだけで船一隻貸し切りたいものだ。あ、ネネママが言っていた「4組同時に申し込むと安い」というのは、定員一杯まで客を集めるための施策なのかも知れない。
 船は日本船としたが、それはオープニングテーマ直後のシーンで船の航路が出てくるシーンから想定した。これによると船は、日本列島から南へ真っ直ぐ進んでパラオの辺りまで来ていることが解る。恐らく横浜港を出港して、パラオやフィリピンを巡るコースなのだろう。これに近いツアーを調べてみると、行程は19泊20日…長いなぁ、子供達の春休みからはみ出すしひろしの仕事も心配だ。ちなみに価格は…この映画を楽しみたいなら知らない方が良い。正直、あのおケチなみさえが息子に懇願されてもポンと出す額じゃない。

…南へと向かうクルーズ船は、いよいよメインイベントである「アクション仮面 南海ミレニアムウォーズ」上映の日を迎える。それを前に、アクション仮面こと郷剛太郎がツアーに合流する。
名台詞 「やぁ、しんのすけ君、しばらく。よく来たね。」
(アクション仮面/郷剛太郎)
名台詞度
★★
 「アクション仮面 南海ミレニアムウォーズ」上映直前、しんのすけはゲストとしてきていて客席で一緒に映画を見る郷剛太郎に声を掛ける。これに対する返事がこれだ。
 驚いたことに、郷剛太郎はしんのすけと知り合い…いや、第一作「アクション仮面VSハイグレ魔王」を見た人ならそれは当然と思うかも知れない。だが「アクション仮面VSハイグレ魔王」は使い捨て設定の外伝的なストーリーだし、他の劇場版作品でも「アクション仮面」はテレビの中の出来事と割り切られている。
 だからこそこの何の変哲もない台詞が印象に残る。つまりこの作品は「アクション仮面VSハイグレ魔王」の設定を引き継いだと考えても良いのだ。確かに本作では「アクション仮面」が実は異世界から来た本物のヒーローであることを否定する要素は何処にもない、物語が進むと郷剛太郎が「アクション仮面は架空の存在」と言い張るだけだ。
 ただし、テレビアニメ版でも古い物になると、「アクション仮面VSハイグレ魔王」の「郷剛太郎としんのすけは知り合いになった」という設定だけは引き継がれているらしい。うーん、奥が深いなぁ。
名場面 襲撃 名場面度
★★★★
 異変は映画上映中に発生する。子供達が船上映画館で映画に夢中だったその頃、ひろしとみさえは久々に夫婦水入らすのひとときを甲板上で過ごしていた。だがひろしが異常な物音に気付くと、無数のサルたちが船内になだれ込んできた。そしてサルたちはブリッジと機関室を占拠し、船を勝手に操縦し始める。そしてサルたちは映画館にも現れ、大人達を全て拉致して消えてしまう。
 このシーンは初めて視ると凄く怖い。何が怖いって、このシーンがほぼ無言で有無を問わさずに淡々と行われるからだ。主人公達が大ピンチに陥るきっかけだが、誰も反抗できずに気付いたら「大人が誰もいない」という主人公である子供達にとっての大ピンチに陥っているという「機械的な怖さ」がある。その「機械的な怖さ」を作るキャラクターが「サル」であることも、このシーンを盛り上げる一員だ。人間ではないものに襲撃されることで、この「機械的なシーン」が完成したと思う。
 そしてこのシーンを皮切りに、ひろし闇さえも含めた大人達が完全に画面から消えるという展開は見ている子供達にとって怖さ倍増だ。この怖いシーンの作りは、かたちは若干違っても次作の「オトナ帝国の逆襲」にも受け継がれている。
研究 ・襲撃
 ここでしんのすけらが乗った「南海ミレニアムツアー」の船は、正体不明のサルたちに襲われる。ここではこのシーンを乗り物好きの視点から見てみよう。
 まず出てくるのはブリッヂのシーンだ。このシーンでは3人の乗組員が出てきて、1人は舵輪を握って舵取りをしていて、あとの2人がレーダースクリーンを見ていて船に起きた異常に気付いているというシーンだ。この時の船は「航海当直」の勤務態勢が取られていたはずで、ブリッヂには通常なら航海士と操舵手の2名が勤務している時間帯だ。ここに3人が描かれているのは…実はこの事実から船がサルたちに襲われた時刻が断定できるのだ。
 一般的な船ではブリッヂの当直は三交代、その交代の時刻の前後に船が襲われたと考えればブリッヂに3〜4名がいることに矛盾がなくなる。例えば交代時刻の前に交代後の乗組員が早めにブリッヂへ上がってきたとか、交代時刻直後に交代前の乗組員が少し残っていたと考えれば良いのだ。ここは私は後者と考えている、交代時の引き継ぎが終わったところで航海士が異常を認め、交代前の航海士が残って状況確認をしていたというストーリーだ。その間に操舵手だけは交代を済ませ、交代前の操舵手は先に部屋に帰ったと考えれば良い。するとブリッヂに3人という描写は合点が合う。航海当直は4の倍数の時刻が交代時刻になっていて、しんのすけらが見ていた映画がクライマックスを迎えていたことを考えると、サルたちが襲ってきたのは20時少し過ぎと考えられる。ブリッヂの士官乗組員は一等航海士から三等航海士に交代する時刻…つまりこのシーンでレーダーを覗き込んで異変に気付き「船長に報せるか」と相談していたのは、一等航海士と三等航海士で決まりだ。これは日没や夜明けの時間帯を経験豊富な一等航海士が、昼間や夜間など航海士への負担が少ない時間帯を三等航海士が当直を行うという慣例によるものだ。
 このシーンで好きなのは、ブリッヂを占拠したサルたちが船の操縦を奪った後のシーンだ。サルたちは羅針盤を見て方位を確認した後、舵輪を操作して船の向きを変える。特に舵輪が最近の船らしい小型のものが描かれているのはリアルで良い、アニメではこのシーンはキャプテンハーロックがぐるぐる回すような古くて大きな舵輪を描いちゃうそうなところだけど、よく堪えたって感じだ。今の船は油圧補助システム(自動車でいうところにパワーステアリング)が広まり、舵輪がどんどん小さくなっている。中には掌に収まってしまうほど小さな舵輪の船もあるほど。昔の船は補助システムがなく、船底に着いている舵を直接手で回すために力が必要だったので、キャプテンハーロックに出てくるような巨大な舵輪が必要だったのだ。
 ちなみにサルたちは、ひろしとみさえの夫婦水入らずのシーンや、航海士達の会話などから、小さな船をこのクルーズ船に横付けして襲撃したと考えられる人もあろうが、このイメージは大きな間違いだ。前回研究欄で船の定員を600人程度ど算出して150組くらいの家族が参加しているはずだと考察した。「大人を拉致して連れ去る」ことを考えると、1組につき1〜2人の大人がいると考えると少なく見積もっても客だけで70〜80人程度の大人がいるはずだ。これにツアースタッフや乗組員を入れれば、連れ去る大人の人数は200人を超える。さらに船を制圧するだけでなく、拉致した大人を監視するサルが少なくとも連れ去る大人と同数、出来れば大人の1.5倍くらい欲しい。つまり人間なら400人程度乗れる船が必要で、400を目一杯積み込むにしても隅田川の水上バスよりもさらに大きい船が必要だ。ほら、「小さな船」どころの話ではないでしょ?

…大人達の姿が船から消えたことに子供達が気付き、船内は大騒ぎになる。船はいつしか島の近くに停泊していて、風間は親たちはあの島にいると推理する。そうこうしているうちに朝を迎えた。
名台詞 「ほうほう、真剣に何をするの? じっと待ってるの? 待つのも飽きたし、探しに行きますか。」
(しんのすけ)
名台詞度
★★★★
 子供達だけが船に取り残された状況で朝を迎える。朝焼けを黙って眺めていた「かすかべ防衛隊」一行だったが、やがてしんのすけが「オラ、腹減った」と声を出す。風間がこれに「ふざけるな」「みんな親のことを真剣に心配している」「もっと真剣になれ」と注意するが、しんのすけは「昨日の昼から何も食べていない」とした上でこの台詞で反論する。
 私はこのしんのすけと風間のやりとりは好きだ。風間は確かに消えてしまった母親を心配しているが、何も具体的対策を立てられずにいる。これに対してしんのすけが出した答えは「腹が減った」というまず「目先のことを何とかしなきゃならない」というものであり、その上で風間が何の方針ももっていないことを指摘した上で、今後の物語の方向性を決めるのだから面白い。そう、消えた親たちを探すために出掛けることで物語が回り出すのだ。
 風間は確かに母親達の行方を心配していた、だがしんのすけが欲していたのは「その解決策」であり、心配するだけで思考停止する風間の姿勢ではなかったのだ。しんのすけの方がひとつ大人な意見を吐いていて主人公らしい、そういう点でこの台詞がとても印象に残った。
名場面 かすかべ防衛隊出動! 名場面度
★★★★
 上記の台詞を聞いた「かすかべ防衛隊」一行は「えー!?」と驚きの声を上げ、マサオとネネは「そんなの無理」「サルに捕まっちゃう」と反論する。「みんな、かすかべ防衛隊の出番だゾ!」と意気を上げようとするしんのすけだが、一行はなかなか乗り気にならない。それに気付いてかしんのすけは「風間君、行くよね?」「まさか、いつも偉そうなことを言っている風間君が、行きたくないなんで言うんじゃ…」と風間に詰め寄る。風間は「いや…みんなの意見も聞かないと…」と尻込みするが、「僕、行く」「待っていても何も解らない、島へ行けば何か解るかも…」とボーちゃんが声を上げる。「おー、さすがボーちゃん」としんのすけが返しながらまた風間に眼差しを向ける。すると風間も「行くさ!」と返し、3人はマサオとネネに視線を向ける。マサオは3人の視線から逃げるように明後日の方向を向くが、ネネは「確かにボーちゃんの言う通りね…私たちも行くわ!」とマサオの腕を無理矢理引っ張る。「なんで僕まで…」と反論するマサオに、ネネは怖い顔で「行 く だ ろ ?」と脅しを掛ける。マサオが震えながら「はい」と答えると、ネネは笑顔で「ありがとう」と返す。「よし、かすかべ防衛隊出動だ。必要なものを持って島に上陸、何も解らなくても夕方までには戻ってこよう」と風間が音頭を取り、ひまわりが喃語でなんか反論するが「ひまはかすかべ防衛隊じゃないからダメ、シロと留守番だゾ」としんのすけに突きつけられてふくれる。
 実はこの映画、私の心をわしづかみにしたのはこのシーンだ。消えた親たちを探しに行くと決めるだけのシーンと言えばそれまでだが、その過程で「かすかべ防衛隊」各々のキャラクター性がうまくにじみ出ているのだ。シーン前半のしんのすけと風間のやりとりで風間が最初は乗り気でなく皆の意見が揃いそうになったところで急に「行く」に傾くのは彼らしいし、ボーちゃんが決断の引き金を地味に引くのも彼らしい。マサオが逃げ腰だけどネネに丸め込まれるのも、ネネの猫かぶりな言動も本当にらしい。
 そして皆の意見が一致すると勝手に風間がリーダーシップを取り始めるが、その横でしんのすけが呆れ顔なのはちゃんと後のギャグへの伏線になっているから面白い。さらにひまわりが赤ん坊ながらこの4人に割り込もうとしているのも、後の展開への伏線だ。そういうところも細かく描いている点が、このシーンの醍醐味であり面白い点だ。
研究 ・クルーズ船
 ここでは映画に出てくるクルーズ船のサービス面について考えてみたい。これを考えると「南海ミレニアムツアー」がどんな船旅だったのかが見えてくるからだ。
 まず客室だが、これはクルーズ船らしく全て個室になっている。野原一家の部屋はベッド2個のツインルームだが、恐らく多くの客室は同じと思われる。野原一家は大人1人・幼児1人・乳児1人の計4名がベッドふたつに寝ているのだろう。このようなクルーズ船では外に面した部屋とそうでない部屋があり、それは価格に大きな差が付いている。野原一家のキャラクター性を考えるとこの部屋は海に面していないと考えられ、部屋のシーンで窓があるが窓の外は海ではなく船内の吹き抜けである可能性が高い。
 ちなみに「かすかべ防衛隊」一行と家族は、全て同じタイプの部屋と思う。風間家が裕福だからと言って一人だけ豪華な部屋という訳にいかないだろう。恐らくマサオの母親がボーちゃんの保護者代わりになって、マサオとボーちゃんは同じ部屋だと考えられる。風間家と桜田家はそれぞれ一部屋ずつ使っているのだろう(でないと風間の母が語った「4組」にならないので)。
 船内の設備も色々解ってくる、彫刻のあるエントランスホールは豪華客船を印象付ける設備で、最近はフェリーでも力を入れられている設備だ。レストランは何日も船上で過ごすのだから当然の設備だが、ディナーショーなども行えるようになっているだろう。恐らく、本ツアー最終日にここでアクション仮面のディナーショウが行われたと考えられる。
 展望ロビーは悪天候の日も海を見て時間を過ごすのに必要で、これもバブルの頃には一般的なフェリーにあった設備だ。コンサートホールは船専属の楽団が演奏する場所で、このツアーでも通常通りの演奏が行われていたと考えるべきだ。だが時間帯によってはアクション仮面の主題歌などを演奏したと考えられるが。甲板上のプールは、本作の冒頭に描かれた通りである。
 そして専門店街まである。これは船内で免税品を売るための設備で、航海中もショッピングを楽しめるというものだが…ファミリーツアーに必要な装備かな…まぁ、このツアー限定のアクション仮面グッズとか売ってるんだろうけど。
 ここからは劇中に描かれていないが、恐らく船内には浴場やスポーツジムも設置されていると考えられる。浴場は長旅だから説明するまでもない、スポーツジムは長い船旅では運動不足になりやすいので昔から客船には必須のアイテムになっている。あのタイタニック号にもスマッシュコートという運動設備がついていて、船旅とスポーツは切っても切れない関係なのだ。劇中に描かれないところで、みさえやひろしがルームランナーなどで一汗かいていると想像すると、けっこう楽しいゾ。

…「かすかべ防衛隊」一行は、クルーズ船にあったジェットスキーを使って大人が連れ去られたらしい島に上陸する。そこでしんのすけが重大な事実に気付く。
名台詞 「じゃ、僕がジャングル隊長、ネネちゃんがセクシー隊長、マサオ君がサイバー隊長、ボーちゃんがファミレス隊長、しんのすけがコンビニ隊長ってことで決まりね…。」
(風間)
名台詞度
★★★★
 ここは先に下の名場面欄を呼んで欲しい。名場面欄シーンを受けて一度話題は「引き返すときの手がかり」という方向に逸れるが。しんのすけが「ところで、結局隊長は誰?」と言ったことで、また隊長が誰かで大論争となる。その大論争が示唆されたシーンの後、一同が息を切らせているシーンを背景に風間が語った「結果」がこれだ。その風間もこの台詞を息を切らせながら語っている。
 結論を言えば「全員隊長」ってことで、このオチは大好きだ。この役名を見ていると結局、本作品でもっとも隊長らしい役を得ているのは風間だが、本人達にとってはもうそんなことはどうでも良くて「隊長」という肩書きだけが欲しかったのだろう。「ジャングル隊長」以外は正直言ってどうでもいい「隊長」であることは言うまでもないだろう。
 でもこの台詞で全員が隊長であることを確認すると、風間のリーダーシップの元に一同が団結するのも面白い。このシーンはギャグとしても面白いが、映画を見る子供達に「子供達の遊びには上下があってはいけない」ということを、変な平等主義などに頼ることなく訴えていて面白いとも受け取れる。このシーンの後、冒険ごっこをする子供達がグループを作ったとき、全員が隊長になってたなんて話が一つでもあれば制作者の勝ちだと私は思う。
名場面 隊長は誰が? 名場面度
★★★
 島に上陸した「かすかべ防衛隊」一行は、サルたちの足跡に従って歩く。ところが最後尾を歩くしんのすけが突然大声を挙げ、一同が驚く。「どうしんだ?」と風間が問うと「一番大事な事を忘れてた、誰が隊長か決めてない」としんのすけが答える。一同は「なんだそんなことか」と安堵して、「かすかべ防衛隊の隊長は、僕(ネネは「私」、しんのすけは「オラ」)」と全員口を揃えて自分を指さす。そして2秒の間を置いて皆が「え!?」と驚く、「隊長はオラだゾ」と力説するしんのすけ、「僕だ!」「私!」「僕!」と叫ぶ風間、ネネ、マサオ、ボーちゃんは「僕!」と力説しながら目を輝かせる。そして言い争いが始まり、皆は自分が用意した物を見せ「自分こそが隊長に相応しい」と力説する。
 このシーン好きだ、何が好きかって「かすかべ防衛隊」らしくて好きだ。彼らの「個性」が上手く出ていて、臼井先生の作品を昔が読んでいる私としては本当に好きなシーンだ。
 こういうアニメの主人公を囲う友人達は主人公に花を持たせるために存在しているのであって、主人公より目立とうとはしないしリーダーシップを取るにしても主人公を目立たせるためだ。だが「かすかべ防衛隊」は違う、彼ら全員が常に自分が目立っていないと気が済まない「目立ちたがり屋」なのだ。だから「クレヨンしんちゃん」ではこういうシーンがあっても主人公が自然にリーダーになっていることはない、常に皆が自分こそがリーダーだと思っていてとにかく自分が目立とうとしている。このキャラクター性が上手く出ているシーンだ。
研究 ・上陸した島

 やっぱり今回取り上げたいのは一行が上陸した島だ。上のキャプチャ画に示した通り、珊瑚礁に囲まれ、中央に岩石質の巨大な山がそびえるのが特徴だが、下にキャプ画を示した島に似てるなぁ。世界名作劇場シリーズ「ふしぎな島のフローネ」の舞台になっている「無人島」だ。実は「ふしぎの海のナディア」に出てくる無人島(キャプ画無し)ともソックリなんだけど…いや、パクっているとは思いません。同じアニメ同士参考にしてもおかしくないと思うだけの話です。

 つまり、この島はフローネに出てくる島と同じ特徴を持っていると考えて良いだろう。島の大きさについては、本作ではそれを図れるシーンがないので何とも言えないが、そんな広い島ではないと考えられる。火山に由来する山と考えられるが、フローネの島と違い島の中央に硬い溶岩が付き出してくるタイプの噴火をしたのだと考えられよう。これは「鐘状火山」という昭和新山と同じタイプの火山だ。
 その溶岩の周囲に時間を掛けて珊瑚礁が出来、砂州が陸地になって島を形成していると考えられる。何もない火山島に劇中に描かれるような豊かな自然が出来るかどうかは疑問点だが、それはこれから日本の西之島が教えてくれるだろう。噴火からそう日が経っていないのに、もう島に鳥が住み着き草木が生え始めていると言うし。
 そしてこれから物語に出てくるパラダイスキングが住む難破船は、このキャプ画の裏側にあると考えられる。この島の人間による歴史は機会を改めて考察したい。

…一行は森の中を進むが、あまりの暑さに行き倒れになり掛かる。最も問題だったのはしんのすけがコーラだと思って持ってきたボトルが全部しょうゆだったのだ。咽の渇きに苦しむ一行だったが、森の中に池を見つける。
名台詞 「オッケー!」
(マサオ)
名台詞度
★★
 池について水を飲もうとした一行は、そこはワニが生息する池であってとても近づけないことを知る。そこで出た作戦は「誰かが囮になって(ワニを引きつけて)その間に水を飲む」というものであった。「頑張れ、マサオ君」としんのすけがマサオに言うが、「こういう時はジャンケン」とマサオが主張したことでジャンケンの敗者が囮役になる事になるが、やっぱりマサオがジャンケンに負けて囮役に決まる。「できない」と泣くマサオだったが、「死んだらもうあいちゃんとも会えなくなるんだよ」と風間が説得するとマサオはこれに「あい…ちゃん?」と反応。「そうよ、あいちゃんのためにも頑張んなきゃ」「格好良かったってあいちゃんにつたえてやるゾ」と皆が応戦すると、マサオの脳裏に「マサオ〜」と声を上げる酢乙女あいの姿が浮かぶ。その直後に着用していたアロハシャツを脱ぎ捨てながらのマサオの決め台詞がこれだ。
 このマサオの変身は大好きだ。かすかべ防衛隊の面々はよく変身するが、このマサオの変身はおだてられ乗せられての変身だから面白い。そして担当役者さんがそれを判ってて格好良く演じるから、さらに面白い。こういうマサオの言動が面白くなるのは、普段は徹底して弱虫を演じているからだ。
 そして酢乙女あいへのマサオの想いもよく演じられている、原作漫画ではマサオはあいにいいように使われているだけだが、それでも動じない彼の態度がこんなところに織り込まれている。やっぱりここも演じている役者さんがしっかりマサオ君に魂を込めているからこそだろう、さすが私が子供の頃から様々なアニメで様々な役を演じている一龍斎貞友さんこと鈴木みえさんだ。
名場面 マサオの水 名場面度
 マサオが囮になっている間に一同は水を飲むが、この時に水を汲む物がないからこのままではマサオが水を飲めないことに気付く。そうしている間にマサオがワニに囲まれるが、「あいちゃんパワー」でその難を逃れて見事に着地を決める。そのマサオが「僕の水は?」と問うと、「ごめん、そのことなんだけど、僕たち水を汲む物なんてもっとなくてさ」と風間が言い出すとマサオは驚くが、「マサオ君の分はここに入れたんだ、ホラ」と風間が続けると水を頬にたっぷりため込んだしんのすけが出てくる。「そんなやだよー」と泣くマサオに「ま、しんちゃんのことあいちゃんだと思って」とネネが返し、最終的にはしんのすけがむりやり水を飲ませるかたちになる。
 ここの一連のシーンは細かさがいい。「マサオの水はしんのすけの頬に貯めてある」という設定を活かすために、このシーンに入ったところではしんのすけが全く出てこなくなるのだ。しかも全然姿を見せないのではない、後ろ姿だったり画面に半分しか出てなかったりして、その存在はアピールしている。この描き方に気付いた人はしんのすけが用意しているギャグに身を乗り出して見ることだろう。「水を汲む物がない」「だからマサオが水を飲めない」というキーワードが先に出ているので、勘のいい人は「水」に関して何かが起きることも判っていると思うが。
研究 ・ 
 。

…「かすかべ防衛隊」がジャングル内で冒険を続けている一方、船では取り残されたひまわりとシロが真之介を追うべく悪戦苦闘していた。そうこうしているうちに、日が暮れて夜を迎える。
名台詞 「う……う……ひっく…ひっく………うぇーん! うぇ〜ん!」
(ひまわり)
名台詞度
★★★
 名場面欄シーンを受けて、しんのすけは場を盛り上げようと「怖い話」を始める。そして、それに合わせて草むらから出てきたひまわりとシロと合流する。飼い主に抱きついて甘えるシロに対し、ひまわりは兄の顔を見つめるとみるみる表情を崩し、次第に瞳に涙が溢れ、ついに大声で鳴き始める。
 船に飼い犬と共に置き去りにされたひまわりは、赤ん坊ながら様々な作戦を立てて兄を追って無人島に上陸する。そのひまわりの様子はとても力強く描かれていたが、やっと見つけた肉親の顔を見たときにこみ上げてきた感情というのがこの泣き声に上手く込められていると思う。ひまわりの泣き声は「クレヨンしんちゃん」の様々なところで演じられているが、私はここの泣き声がその中で最も印象に残っている。
 もちろん現実的な話をすれば、あのような形で船に置き去りにされた赤ん坊が船を脱出してくるなんてあり得ないだろう。だがそれでは話は面白くないから、非現実的でもひまわりが自力で兄を追ってくるシーンを作ったのは感心する。だがそれでは済ませず、乳児をそのような行動に駆り立てる理由を「肉親が恋しいから」というのは「非現実の中の現実的な光景」としてとても好感が持てる。
 そしてこの泣き声には、「兄に会えた」という安堵だけでなく、ここまでの脱出劇が彼女にとってどれだけ大変だったかもキチンと込めていると感じる。だから私が名台詞欄で取り上げたくなるほどの泣き声として完成したのだと思う。
名場面 大人達は何処へ… 名場面度
★★★
 夜、「かすかべ防衛隊」一行は岩屋の下で過ごすことになる。ボーちゃんが持ってきたライターで火を起こし、ひと心地付くと風間が「みんな何処へ消えちゃったんだろう?」と切り出す。ネネが「無事かしら?」と返すとマサオが「やなこといわないでよ」と不安がる。風間が「信じようよ」と皆を落ち着かせると、しんのすけはアクション仮面の映画の続きが気になってしょうがない旨を告げるが、ボーちゃんが「あのサル、誰かが操っているのかな?」と疑問を呈する。風間が「サルだけであんなことが出来るとは思えない」ともっともな返答を返すと、ネネが「誘拐して身代金を取るつもりかしら?」と語るが風間は「それなら子供だけを誘拐するはず」と冷静な分析を返す。「じゃあ、何のために?」「解らない」…結局結論は出ない。ここでマサオが空腹を訴えるが、それすらもどうにもならない。
 いよいよ物語の核心に入っていこうとする、事件発生からここまでは「かすかべ防衛隊の面々の冒険」と「ひまわりとシロの後追い劇」が描かれていただけで、「なぜ大人達がサルに連れ去られたのか?」という物語の最大の問題に触れられることはなかった。それは一行が様々な問題をクリアしながらジャングルを進むのに手一杯で、大人達がどうなっているかを気にする余裕がなかったからだ。
 だから一行が一箇所に落ち着くと、そのような心配をする余裕が出来たと描くのは自然だ。そこで一行がこのように語り合うことで、この物語の発端をおさらいするとともに、「これからどうなるのか?」という不安を煽って物語を煽る。そして色々語り合っても「大人達がさらわれた理由」がハッキリしないことが、さらに物語を盛り上げる。
 つまりここで必要なのは、一行がこれまでもここからも「あてのない旅をしている」という不安を煽ることだ。問題解決の糸口がないまま物語が進むことほど、見ている側も不安になる事はない。こうしてここまで一行が「探している相手」が出てこないだけでなく、何処で何をしているかも想像が付かないことを視聴者にも共感させ、彼らと同じ手探りを味合わせる事で不安を煽るのだ。
研究 ・ 
 

夜が明けると、一行はひまわりとシロの同行を決定してさらに島の奥深くを目指す。そこでは様々な冒険が待っていた。
名台詞 「助かった。ありがとう、あいちゃん…じゃなかった。ネネちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…」
(マサオ)
名台詞度
★★★★
 島の奥地を目指す一行は、切り立った崖に進路を阻まれる。その崖の途中で動けなくなったマサオを何とか助けようと「かすかべ防衛隊」一行は行動するが、マサオが恐怖で固まってしまいどうにもならない。これにネネが「生きて帰ってあいちゃんに会うんでしょ?」と叫びつつ手をさしのべるが、マサオの手が僅かに届かずどうしても助けられない。「でも…」と返したマサオが僅かに滑落した瞬間、何とかネネの手が届きマサオの滑落を食い止める。「これで大丈夫」と言ったネネに対し、マサオが返した台詞がこれで、マサオはこの台詞と共に崖下へ滑落する。
 いやーっ、マサオらしい台詞だと思った。自分の目の前にいる女の子を、ついつい話題になっている別の女の子の名前で呼んでしまって女子を敵に回した経験は、おっちょこちょいの男子になら誰でも経験があるだろう。そうそう、大人になったら恋人を呼ぶときについつい前の恋人の名前で呼んでしまったりとか…。「かすかべ防衛隊」の面々を見ていると、そういうミスを一番しそうな奴は誰がなんと言ってもマサオだ。しかも彼がそんなミスをするのは普通の状況じゃない、ジャングルで冒険中という生命が掛かった待ったなしの状況でこれをやるから面白いのだ。そしてこの台詞と共に滑落して行くマサオの声が、哀愁を帯びていてとても好きだ。
 またこの台詞を言われたネネの反応もらしくて良い。ついつい感情が先立ってしまい、折角掴んだマサオの手を放してしまうのだ(だからこの台詞の後半は「滑落しながら」なのだが)。そのマサオの声に我に返り「いけない!」と小さく声を上げるのもまたネネらしくて良い。ネネは自分のそういう性格を知っていて、それによって自分がマサオを滑落させたという自覚があるのだ。その上でもしこの件をマサオが後日語るようなら…それを言わせないのがネネの性格だ。
名場面 サルとの対決 名場面度
★★★★
 名台詞欄シーンで崖から滑落した一行は、そのまま崖下の川に流されて滝を流れ下る。その先の滝壺でやっと水から上がった一行は、そこにバナナ畑がある事に気付く。彼らは滝のようなよだれを垂らした後にそこにあるバナナを食べ始めるが、そこはサルたちのバナナ畑で、一行は気が付くとサルたちに囲まれて襲撃を受ける。「かすかべ防衛隊」の皆は次々にサルに倒されて捕まってしまうが、最後に残ったしんのすけが怖がるひまわりを必死にあやす姿を見たサルたちは、しんのすけへの攻撃をやめて他のメンバーだけトロッコに乗せてそこを去る。
 ここではこのシーンについて細かく書かない。学校の授業で言えば「ここはテストに出るのでよく覚えておくように」っていうところだ。だがこのシーンが今後の物語の伏線になっていることは、初見の人にも気付くよう上手く出来ている。「かすかべ防衛隊」一行がそれぞれ個性を発揮した戦いをしつつも破れるが、しんのすけだけ「戦いどころではない状況」という最も最初に負けそうな状況から助かっているからだ。
研究 ・島のトロッコ
 ここでは島に線路(軌道)が敷かれ、トロッコが走っていることが判明するシーンが描かれる。このようなトロッコが存在することで、この島がどういう島なのかを推定することが出来る。
 ここで出てきたのは「鉄道」ではない、鉄道の一種ではあるが本格的な鉄道ではなく簡易的なものだ。それは出てきた車両がガソリンエンジンによる駆動と考えられる小型の内燃機関車と、無蓋貨車(屋根のない貨車)である事からもわかる。さらに言えば軌間(レール間の幅)がとても狭く描かれていて、これも簡易的な軌道を描写していると考えて良い。一般的な鉄道のレール間の幅は、欧米の鉄道や日本の新幹線などでは1435mm、日本のJRやアジア各地の鉄道では1067mm、本作の描写は明らかにこれより狭い。恐らく762mm(三重県の三岐鉄道北勢線や四日市あすなろう鉄道と同じ)か、もっと狭い610mmの可能性が高い。このような極端に狭いレール間幅の鉄道線路を「ナローゲージ」と呼ぶ。
 このような簡易的な軌道が敷かれるケースは、公共機関としての鉄道であればローカル線建設において建設コストを下げるためだが、この島に人が住んでいる痕跡が殆ど見られないから交通機関として敷設された者ではないことは明白だ。
 だがこのような軌道が敷かれる理由は他にもある。鉱山があってその採掘物を運搬する鉱山鉄道、森林に置いて林業を行うための森林軌道、ダム建設や砂防工事など大規模工事現場に敷かれる工事軌道、大工場内で物資の運搬を行う専用軌道、遊園地やテーマパークなどのアトラクションとして運行される遊覧鉄道などである。かつて鉱山鉄道は日本各地の炭坑にあったし、森林軌道も日本各地の林業が盛んな地域に存在していた。工事軌道は現在も富山県の立山砂防工事で大規模に敷かれているし、工場内の専用鉄道は福岡県の八幡製鉄所に規模の大きい物がある。遊覧鉄道は東京ディズニーランドの例を出すまでもないだろう。
 この島の軌道はこのうちどれかだ。島に鉱山があった痕跡がないことを考えると鉱山鉄道は消える。ダム建設などの工事現場もないし、かつてあったとしても工事が終われば同時に消える工事軌道も消える。大工場は見当たらないし、遊園地やテーマパークもない。消去法で森林軌道が残るが、この島の景色が一貫して豊かな森林風景が描かれていることを考えると、この軌道は森林軌道由来とみて良いだろう。
 つまりこの島では、豊かな森林を資源と捉えて木材として活用する林業が活発だったのだ。島の港から森林まで軌道が敷かれ、その末端部では伐採作業に応じて作業現場へレールが仮説され、必要なくなれば撤去されという繰り返しをしていたはずだ。そして森林から切り出した大量の木材を、このトロッコで運んでいたと考えられる。実はこの考えはこの後のシーンを見ていると間違いないことが解る、軌道は海岸に向かっていてここに木材の積み出し港があったと考えてもおかしくない。また島が南方にある事を考えると、台風など熱帯低気圧に対応して島に複数の港を持っていてもおかしくない。するとこの軌道に「海から海へ」の路線があってもおかしくない。
 この島は、かつては林業で賑わった島だったのだ。普段は無人島だが、木材を切り出すときだけ人が渡ったのだろう。だが「島の木を切り出す」ことは非効率で資源にも限りがあり、林業の島として見捨てられた島だと考えられる。その見捨てられた島に、この後出てくるパラダイスキングが目を付けて勝手に移住したというのが正解だろう。

…「かすかべ防衛隊」の仲間達がサルたちにさらわれ、残されたしんのすけはひまわりを背負って仲間達が連れ去られたトロッコの軌道を辿る。そこで見つけたのは派手な塗装をされた難破船だった。
名台詞 「まともじゃ王様は務まらねぇ。王様って言うのは欲張りで、気まぐれで、残酷で……退屈してるんだ。」
(パラダイスキング)
名台詞度
★★★★
 難破船に忍び込むことに成功したしんのすけは、ひまわりを背負ったままある歌声に気付く。歌声の方へ行くと行くとパラダイスキングが派手な音楽に合わせサルたちと共に踊っていた。音楽が止まりパラダイスキングがソファに腰掛けると、ソファの前には捕らえられたアクション仮面こと郷剛太郎の姿があった。「どうだ? 俺と勝負する気になったか?」と問うパラダイスキングに、郷剛太郎は「そんなことをしても無意味」と返すと「王様がそうしたいって言ってるんだ、このパラダイスキング様がな」とパラダイスキングはやっと自己紹介する。そのパラダイスキングはサルたちを従えて王国を作ったこととその過程を語り、「サルたちが出来ることにも限界があり、人間の奴隷が欲しい」「俺様の偉大さを形に残すため」と人々をさらった理由を語る。そして「アクション仮面を潰せば、後でガキ共をしつけるのに都合が良い」と付け加えると、郷剛太郎は「私は戦わない」と力強く返す。だが「戦うさ」とパラダイスキングが返すと、サルたちが人質として先ほど捕まえた「かすかべ防衛隊」一行を連れてくる。その姿を見た郷剛太郎が「貴様、まともじゃない」と怒鳴った時の、パラダイスキングの返答がこれだ。
 シーン説明が長くなったが、戦う、戦わないで言い争っていたパラダイスキングが突きつけた決め台詞と言って良い。彼がアクション仮面に人質を使ってまで戦うように迫った理由、その根っこを突きつけていけば「退屈している」のであり、それを本人が自覚しているかのは面白い。そしてパラダイスキングが自覚しているのは退屈だけでなく、自分がまともではない暴君だということも自覚している。だからこそこの台詞は力を込めて一方的に語れるのだし、郷剛太郎にとっても「戦うしかない」という判断を下す以外あり得ないという状況に追い込まれる。もし自分が戦いを拒否と続ければ、このまともでない暴君は目の前の子供達に平気で危害を加えるだろうし、捕らえられている大人達はもっと酷い目に遭う以外考えられないのだ。
 この台詞ではそんな慈悲が全くない暴君を迫力たっぷりに演じていることで印象に残った。劇場版「クレヨンしんちゃん」には様々な悪役が出てきたが、このパラダイスキングほど無慈悲な悪役はいなかったと思う。特に最近の作品では悪役と言うより考えの相違や意見の食い違いにより戦いが発生してしまうという感じで描かれることが多く、明確な悪人がいなくなってしまったのは事実だ。やっぱりアニメの上では、戦う相手はこういう迫力のある相手じゃないと…と納得できる台詞であり、役者さんの演技であると感じた。
名場面 パラダイスキング登場 名場面度
★★
 しんのすけが仲間達が連れ去られたトロッコの軌道を辿ると、そこに悪趣味に塗られた難破船があった。難破船からはクルーズ船で一緒に旅行していた大人達が走って出てくるが、彼らはすぐにサルに捕まり連行されてしまう。「みんなあの中にいるみたい」としんのすけが判断すると、船のブリッジから出てくる人に気付く。その人は派手な服装の男性で、静かな足音を立ててブリッジから伸ばされた板の先にある男子小用便器で用を足したかと思うと、ズボンに挟んでいたダイナマイトにくわえタバコの火で点火して投げる。ダイナマイトは海中に落ちたところで爆発すると、いよいよその人の顔がアップで写り、くわえていたタバコを吐き捨てると「う〜ん、ダイナマイト!」と口にする。そして男はまた静かな足音と共にブリッジに引き返す。
 いよいよ本作の悪役、パラダイスキング…略してバラキンの登場である。彼はこのように非常に印象的な登場をすることで、ここまでしんのすけ達が対峙していたサルたちの親玉であることが上手く示されていると思う。初登場でいきなり小用を足すシーンというのは色んな意味で印象的だし、その小用を足す便器の設置状況もとても印象的だ。彼が投げたダイナマイトは、彼の強さだけでなく「武器」であることを示していることもこのシーンを見れば解る。こうして悪役の「強さ」を上手く印象付ける強印象のシーンに出来上がったのだ。
研究 ・難破船
 パラダイスキングとサルたちがアジトとして使っているのは、この島の海岸にある難破船だ。今回はこの船がどういうものかを乗り物好きの目線で推察してみたいと思う。
 様々なシーンから推察してみたが、この難破船は全長が100メートル程度の「多目的貨物船」と考えられる。形状的には現在の「ばら積み貨物船」(穀物や鉱石を梱包しないでそのまま積む船)にも似ているが、後述するこの船が作られたと考えられる時代を考えると、かつての一般的な貨物船で貨物船の基本とも言える巨大な船倉に梱包した貨物を整列させて入れるタイプの貨物船だ。「多目的貨物船」と言っても船に興味がなくピンとこない人は、このPDFファイルをご覧戴けば「多目的貨物船」というのがどういう構造で、どんな貨物をどのように運んでいるかがおわかり頂けるだろう。
 劇中の船の形は一般的な「多目的貨物船」同様、ブリッジは船体後方に設置され、前方の殆どは船倉になっているのが解る。船倉部分から4本の柱のようなものが立っているが、これらは荷役のためのクレーンだ。これにより「港湾設備が整っていなくて岸壁にクレーンなどの設備がない場合」や、「港そのものが小さくて船が直接入れず、艀(はしけ)を介して貨物の積み卸しを行う場合」でも対応ができる。この柱がクレーンであることは、よく見ると劇中でもしっかり描き込まれている。
 この船は難破船であることは、劇中でもキチンと描かれている。多分この難破船の位置は、上記のキャプ画で言えば裏側で、そこも湾になっていると考えられる。近海で熱帯低気圧遭遇したこの貨物船がこの湾に避難したものの、それでも強い波浪に抗し切れずにこの浜に座礁したのだろう。この湾には前述の木材積み出し用の港もあったと考えられ、後にパラダイスキングがこの島に上陸してこの難破船を住居にした際に、近くまで来ていたトロッコの軌道を船に引き込んだと解釈するのが正解だ。
 前回研究欄と照らし合わせて「この船で島のから切り出した木材を島外へ運んでいたのでは?」と思う方もあると思うが、林業用の貨物船であるにしては船の規模が大きすぎるというのが根拠にそれはないと考えられる。林業で切り出した木材にこの大きさの船が一杯になるほどの量があるなら、この島にはこんな豊かな森は残っていないはずだ。
 問題はこの船がいつ頃の船か?だ。
 パラダイスキングの島上陸時の回想シーンで、この難破船は既に錆びだらけになっていた。物語の舞台=映画上映年と考えれば2000年、パラダイスキングが島に移住したのが10年前と考えると1990年頃。潮風で錆びやすいとはいえ、難破船がその塗装も解らなくなるほど錆びるには40〜50年位の年月が必要だ。つまりこの船は戦時中の1940年頃から終戦後の1950年頃の間に、この地に座礁したと考えられる。
 ここでこの船についてもう一つ事実がある。それは名場面欄シーンで出てきた「ブリッジから伸ばされた板の先にある男子小用便器」の存在だ。名場面欄シーンでパラダイスキングが使用した物は彼が自作したものだと思うが、実はこのような設備が船体の他の場所にあったからこそパラダイスキングはこのような「便所」を作って「自分専用トイレ」にしていると考えられる(なにせ水の供給も電気もない難破船だ、船内のトイレを使うわけに行かないからだ)。
 このような構造のトイレは、終戦後の引き揚げ船などの文献をあさると出てくる。それは貨物船に無理矢理多くの人を詰め込んだ引き揚げ船で、船倉に人を乗せるときに問題になったのがトイレという訳だ。つまり、船倉に何百人という人が乗るから乗組員用のトイレでは足りず、何処かにトイレを新設しなければならないということだ。そこで船倉近くの甲板から板を伸ばし、その先に手作りの簡易的な便器を設置して排泄物はそのまま海に落とすという方式を採ったのだ。まさに一歩間違えれば海に転落するという、生命がけの用足しを当時の引き揚げ者はしていたのだ(このようなトイレの設置は、国鉄の青函連絡船でも終戦直後の貨物船に客を乗せざるを得なかった時期に証言が残っている)。
 つまり、この船は貨物船として運用中にこの地で遭難したのではなく、戦中でも日本が敗走していた時代か戦後に「引き揚げ船」として使用している時に遭難したと考えられる。もちろん船は日本のもので、補給船や運搬船として海軍に徴用されたものであっただろう。そしてこの船が多数の引き揚げ民間人輸送の任務に着いたところでこの地で難破し、乗っていた人達は島に上陸後別の船で避難した(一部は生命を落とした)と考えるべきだ。
 つまり船そのものは大正の終わりか昭和の初め頃に作られたものと考えられる。この時代の貨物船でこのサイズなら、当時は最大級の大きさだったはずだ。これが座礁してほぼそのままで残っていれば貴重な存在だったはずなんだけどなー。

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