第1話 「いかないでおかあさん」 |
名台詞 |
「マルコ、誰にも長い人生のうちには辛くて悲しいときが必ずあるものなのよ。そして誰もが、その辛くて悲しい出来事を自分の足で乗り越えて、一人前の立派な大人に育って行くものなの。ねぇ、勇気を出してちょうだい、マルコ…さよなら…マルコ。」
(アンナ) |
名台詞度
★★★★★ |
マルコにとっては唐突に母の旅立ちの時はやってくる。マルコの母、アンナは愛する息子に自分が仕事で遠い国へ行かねばならないことを、前日の夕方まで打ち明けられずにいた。そしてその事実を知ったマルコは「母がいなくなる」という事態に対する心構えが出来ているはずもなく、「自分は騙された」とふさぎ込んでしまう。
そのまま迎えた出港の時、ふさぎ込んで何も返事をしようとしないマルコに母が言い聞かせるように語った言葉がこの台詞だ。この台詞には各所で母が詰まって無言の時間があり、それが息子と別れたくない母親の気持ちを上手く表している。
まだ幼いマルコにとって母は必要不可欠な存在であり、何の気持ちの準備もないまま「母がいなくなる」という状況と対峙せねばならない。それに対して母は「誰もが辛くて悲しい時を乗り越えねばならない」と強く訴える台詞は、この「母をたずねて三千里」の中でも指折りの名台詞と言っていいだろう。この後マルコには「母が不在」と言うだけでなく、様々な悲しみや苦しみが襲いかかってくる。その都度この台詞を思い出した人は少なくないだろう。
また、この台詞は人生上の教訓を語っているだけでなく、この物語の方向性をも指し示していると言えるだろう。これから先のマルコの物語の過酷であることをそれとなく示唆し、それに対してマルコが「自分の足で乗り越えて行く」物語を展開されることを視聴者に予測させるに十分な台詞だ。そういう意味でも深く印象に残った。
しかし第一話でいきなり★×5の強印象の名台詞が出てくるとは、さすが「名作劇場」と思った。 |
名場面 |
母の旅立ち |
名場面度
★★★★★ |
上記の名台詞シーン、最後に母が「さよなら」と言ってマルコを抱きしめても、まだマルコはふさぎ込んだままだ。その背を通り過ぎるように父が、兄が船の見送りに去る。やがて鳴り響く汽笛、動き出す船。マルコは涙を流したかと思うと「かあさん!」と叫びながら走り出す。人混みをかき分けて最前列に出ると、船は既に岸壁から離れていてその船の甲板で母が手を振るのが見えた。「おかーさんっ!」マルコの叫びでアンナがマルコの姿に気付く、マルコは岸壁の段差で転んだりしつつ船を追いかける。見ていられない母が「もうやめて」と思わず口に出すのも構わず、マルコは「行っちゃやだーっ!」と叫びながら船を追う。やがてマルコは岸壁の突端にたどり着き、母が「母さんに手紙を…」と言い残すと船は大きく旋回して母の姿が視界から消える。「おかーさーんっ!」マルコの絶叫、去って行く船、そしてようやくマルコに追い付く父と兄。小さくなる船を無言で見送る3人の姿に、たまらず涙を流した人も多いだろう。
もう細かく解説する必要も無いほどの、「母をたずねて三千里」だけでなく「世界名作劇場」シリーズ指折りの名場面である。この物語の発端となるマルコと母の別れを、ここではあらゆる要素を総動員して盛り上げた。マルコの悲壮感が痛いほど伝わってくるし、また母の「本当は行きたくない」という気持ちも嫌と言うほど伝わってくるシーンだ。こちらも文句なしで第一話早々に★×5の評価をつけよう。
またこのシーンは二人の別れだけでなく、港や海という描写がとても細かく描かれているのに驚きだ。正直言って最近のCGで描かれたアニメよりも何倍も「海」という世界観が伝わってくる、特にマルコと父と兄の3人が岸壁の先端に立つシーンでは、画面を見ているだけで潮風の匂いが漂ってくるような錯覚まで覚える。そういう意味でも日本のアニメ史上における屈指の名場面だと私は思う。
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感想 |
この「母をたずねて三千里」は第一話からいきなりガチで物語が進む、同じ「世界名作劇場」シリーズでも第一話は「つかみはOK」的な話が多く、本題に入らずにキャラクターの印象付けを優先させる例が多いのだ。だが「母をたずねて三千里」では第一話の冒頭で既に本題に入っている、冒頭シーンでマルコが早起きさせられるのは別れが迫った「母との思いで作り」のためであるからだ。前半から既に「マルコと母の別れ」へと流れる本題として物語は流れており、そしてこの第一話後半でいきなり物語は「主人公と親との別れ」最初のヤマ場を迎えてしまう。第一話から「世界名作劇場」シリーズの華といえる要素を全開で放出し、見る者を一気に物語に引き込むのだ。
特に名台詞欄と名場面欄に今回取り上げた二つのシーンは、「母をたずねて三千里」を一度でも全話通してご覧になった方なら絶対に覚えているシーンのはずだ。この物語で何よりも優先されるのは主人公マルコと母を引き裂くことであり、この別れまで1話くらい置くのかと思ったら次回に持ち越したりせず、唐突にやってくるという容赦のなさが記憶に残るものだ。「母をたずねて三千里」=「容赦がない物語」という構図は、多くの人は第一話で感じたはずだ。
いきなり屈指の名台詞を聞かされ、名場面を見せられたところで物語が進み始める。まずは母と別れたマルコの日常から始まる。しかし今回の視聴で初めて気付いた、第一話で既にフィオリーナが出ていたという事実に。 |
研究 |
・「クレヨンしんちゃん(劇場版)オタケベ!カスカベ野生王国」
前述したように、この第一話の名場面欄シーンであるマルコの母との別れシーンであるが、これは日本のアニメの中でも屈指の名シーンだ。このシーンは多くの「アニメ特集」系のテレビ番組でも度々流されたことで「母をたずねて三千里」を見たことがない人の間でも有名だろう。
このシーンであるが、本放送から33年の時を経て完全再現してしまったアニメがある。それが今回の研究欄のタイトルとなった劇場版「クレヨンしんちゃん」2009年作品、「オタケベ!カスカベ野生王国」(以後「カスカベ野生王国」と記す)である。ここでは当サイトらしくオリジナルの「母をたずねて三千里」と「カスカベ野生王国」のパロディシーンをじっくり比較してみたい。
「カスカベ野生王国」では映画の幕が開き、配給会社のクレジットシーンが流れるといきなり「クレヨンしんちゃん」とは無縁のはずの海のシーンとなる。青空を背景に飛び交うカモメが映し出されたかと思うと、突然岸壁につけられている船が出てくる。この船の形や配色が「母をたずねて三千里」で出てくる船(「ミケランジェロ」号)と同じだと気付いた人は「通」だ。
そして名場面欄にシーンにおけるマルコと母のように、しんのすけとみさえが向かい合って立っている。ここでのみさえの台詞は「元気を出してしんのすけ、どんなに辛くてもその悲しみを乗り越えて」というもので続いてしんのすけを抱きしめてから立ち去る、名台詞欄に挙げたアンナの台詞を簡略化しつつほぼ踏襲していると言っていいし、みさえの動きもアンナの動きまんまだ。そしてしんのすけは船の汽笛の音までふさぎ込んでおり、汽笛の音で気が付いて母を追い始めるというのも同じだ。そしてマルコと同じようにしんのすけは母の名を呼びながら走り出すのだが、これに気付いたみさえが泣きながらしんのすけに手を振ったところでぶりぶりざえもんが登場し、「カスカベ野生王国」はいつもの「クレヨンしんちゃん」に戻るという流れだ。
実はこのシーンをよく見てみると、しんのすけは次話で初登場のマルコが母を追って旅している時の服装をしており(「母をたずねて三千里」の該当シーンではマルコは深緑色の上着を着ている)、みさえはまさにこのシーンのアンナと全く同じ服装をしているのだ。しんのすけにこのシーンのマルコと同じ服装ではなく、敢えて母を追っての旅行中のマルコの格好をさせたのは、当時の視聴者にとって一番印象に残っているマルコの服装をさせることで何のシーンのパロディか分かり易くするためだったのだろう。恐らくこのシーンでのマルコの服装を「深緑色の上着」だったと思い出せる人はいないのではないかと思う、マルコといえば旅行中のあの服装なのだ。
参考までに別窓でこんな比較が出るようにしてみた、特に「世界名作劇場」のファンの人には笑って欲しいシーンだ。 |