「あにめの記憶」13

世界名作劇場「母をたずねて三千里」

・「旅行もの」アニメの基本
 私が2011年最初に選んだ考察作品は世界名作劇場「母をたずねて三千里」である。この物語は音信不通になった母親を捜しに旅に出る少年の物語として、多くの人々に知られているアニメであろう。物語の現実性はともかく、少年の一人旅という題材はそのまま「人生」を「旅」に置き換え、一人の人間の成長物語として描かれるものが多い。旅で見た風景を描く例えば松尾芭蕉のような「紀行文」とはまた違い、旅の中に潜む出会いと別れから物語を紡いで行くのである。
 当サイトでの考察作品でこのような作品にあたるのは、「ポルフィの長い旅」が筆頭であろう。「ふしぎな島のフローネ」は「旅行もの」ではあるが「漂流記」であるので、ここでいう旅行を通じた成長物語とはまたちょっと違う。「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」は見方によってはこの路線の物語の範疇に入るかも知れない。「ヤマト」は地球からイスカンダルへの旅を通じての主人公達の成長物語としての側面があるし、「ガンダム」も主役艦の行動を「サイド7からジオン公国を目指した旅」と見ることも出来る。考察作品以外では「世界名作劇場」シリーズに何作かあるのはもちろん、有名なところでは「銀河鉄道999」がこれに当てはまるのは誰もが認めるところだろう。アニメから離れれば「西遊記」なんていうのも、こんな物語の一例に入る。
 日本のアニメにおいて、これら「旅行もの」の物語の原点と思われる作品が今回の「母をたずねて三千里」であろう。この物語は母を追って旅をする少年の姿を通じて、行き交う人々の良いところも悪いところも容赦なく描いている。その上でこの人間の善し悪しに振り回され主人公の少年が成長を遂げるのだが、この物語描写はあくまでも主人公に感情移入せず、第三者的視線で冷徹に少年の旅路を描くという「旅行記」に徹している。つまりこの物語は主人公の行動や成長はあくまでも「従」であり、本題は主人公の旅そのものとそこでの出会いと別れなのだ。
 また「容赦がない」というのもこの物語の特徴であろう。主人公は旅先で有り金を全部盗まれたり、頼っていた親戚の裏切りに遭い、訪ねに行った相手につまみ出される、旅先で病気になったり怪我をする、道中で行き倒れて死にかかる…と旅先で経験したくない事は一通り経験する。だがその都度主人公に手を貸す存在があり、主人公は前進を続けるわけだがその中で「自分は誰かに親切にしなければならない」という事を学んでゆき、それを実行するという物語を拡げて行く。そのためには主人公には容赦のない苦しみをして貰わねばならなかったわけだ。
 またもうひとつの苦しみは、旅の「目的」であった母にいつまでも追いつけないことだ。人々に冷たくされ、別の人から温かく迎えられ、その繰り返しでやっと得た手がかりに沿ってその土地へ行ってみるが、当の母はその地を去った後だという展開を何度も繰り返す。これによって主人公に「忍耐」が植え付けられるという展開は見る者を圧倒すると共に、視聴者の主人公に対する同情を得て視聴率の向上に一役買ったのは言うまでもないだろう。これは終盤でやっと出会えた母が病気で、手術しなければ死ぬという状況に追い込まれていた点も同様の効果があったはずだ。
 こうして物事を成すためには、決して一人では出来ないこと、それと人一倍の忍耐が必要であることを視聴者に強く植え付けるのだ。
 またこの物語では、旅に出るまでにかなりの話数を割いているのも特徴である。これで旅先で最も重要な助け役となるキャラクターを前もって印象付けると共に、主人公が旅に出る理由と状況に説得力を持たせることにも成功している。

 「母をたずねて三千里」の原作は、イタリアのエドモンド・デ・アミースチによって1886年に書かれた、主に子供向けの愛国小説である「クオーレ(Cuore)」の中の一説である。エンリーコという少年が小学3年生の1年間に経験した事が日記調に描かれているという設定の物語で、この劇中で先生が生徒に語る「お話」が毎月設定されている。この5月の「先生のお話」である「アペニン山脈からアンデス山脈まで(Dagli Appennini alle Ande)」がこの「母をたずねて三千里」の原典である。ちなみにこの「クオーレ」は1981年に毎日放送によりテレビアニメ化されており、この中の13〜14話で「先生のお話」として「アペニン山脈からアンデス山脈まで」…つまり「母をたずねて三千里」が再アニメ化されている。アニメ製作も日本アニメーションで、本作と同じだ。
 また本作をまとめたものが1980年に映画化されて劇場公開されたが不人気ですぐに終了したという。1999年には「MARCO 母をたずねて三千里」という本作のリメイク映画が作られたが、こちらは制作時に様々な問題があって興行も振るわなかったようだ。他の「世界名作劇場」各作品と同じく、全話を90分に短縮したDVD「完結版」と、本作を再小説化した小説版が存在する。今回はこれら原作や他メディア作品との比較研究などはせず、全52話シリーズのみの考察に集中しようと思う。

・「母をたずねて三千里」と私
 本作が放映されたのは1976年、私が小学校に上がる前の年だ。したがって本放送時にこのアニメを見た記憶はあっても、その物語や展開を覚えていたという記憶はない。当時の私は「マルコという男の子の番組」としか理解しておらず、その男の子が母を追って旅をしているところまでは理解していたがそれだけだった。旅先で何が起きていたのか、そもそも発端としてなんで母親を追って旅に出ることになったのか、この経緯すら理解できていなかったのである。ただ日曜日の夜に家族全員でこのアニメを見ていた記憶はハッキリと残っている。
 私が本作を内容を理解した上で視聴したのは、小学校高学年頃に見た平日夕方の再放送だ。しかも友だちと遊びに行った日などは見ておらず、全話通して見ていないという悲劇だ。ただ全体の流れや内容…父の慈善的な仕事によりマルコの一家は貧しい生活を強いられ、それでマルコの母が出稼ぎに行って音信不通になったというストーリーを理解したのもこの時だ。特に最終回のマルコが旅先で出会った人を訪ねながらの帰路は、私の印象よく残っている。
 中学生頃からは「世界名作劇場」シリーズの夕方の再放送は見なくなり、本放送も「小公子セディ」で何話か見逃したために物語から脱落したのをきっかけに見なくなった。ただ「MARCO 母をたずねて三千里」としてリメイクされたことと、その映画が不振だったニュースはしっかりと記憶している。そして次の「母をたずねて三千里」との再会は、私と「世界名作劇場」シリーズの再会そのものであった。2007年秋、当時小学一年生だった娘が図書室から借りてきた本が「母をたずねて三千里」のアニメ絵本だったのである。私はこれを見て懐かしい気持ちになり、娘が就寝した後にコッソリと借りて読みふけっていたほどだ。某動画サイトで「小公女セーラ」のオープニングを見て、たまらなく懐かしくなってこの「あにめの記憶」を立ち上げたのはその直後である。
 本来ならば私に「世界名作劇場」を思い出させたこの「母をたずねて三千里」を先に考察するべきだったかも知れないが、「小公女セーラ」を見たら私が日曜の夜にリアルタイムで見た作品群(「フローネ」〜「若草物語」)が懐かしくなって、ついつい後回しにしてしまったというのが正直なところだ。
 「母をたずねて三千里」は、実は全話通し視聴は今回が初めてとなる。前述のように小学生時代に見た再放送では何話か飛んでおり、特に大事なエピソードにも見逃していて後から知ったというのがある。そんなこんなを思い出しながら、今考察を進めてきたい。

・サブタイトルリスト

第1話 いかないでおかあさん 第27話 フィオリーナの涙
第2話 ジェノバの少年マルコ 第28話 バルボーサ大牧場
第3話 日曜日の港町 第29話 雪がふる
第4話 お父さんなんか大きらい 第30話 老ガウチョ カルロス
第5話 なかよしエミリオ 第31話 ながい夜
第6話 マルコの月給日 第32話 さようならといえたら
第7話 屋根の上の小さな海 第33話 かあさんがいない
第8話 ゆかいなペッピーノ一座 第34話 ジェノバに帰りたい
第9話 ごめんなさいおとうさん 第35話 おかあさんのなつかしい文字
第10話 かあさんのブエノスアイレス 第36話 さようならバイアブランカ
第11話 おかあさんの手紙 第37話 はてしない旅へ
第12話 ひこう船のとぶ日 第38話 かあさんだってつらいのに
第13話 さよならフィオリーナ 第39話 ばら色のよあけロサリオ
第14話 マルコの決意 第40話 かがやくイタリアの星一つ
第15話 すすめフォルゴーレ号 第41話 かあさんと帰れたら…
第16話 ちいさなコック長 第42話 新しい友だちパブロ
第17話 赤道まつり 第43話 この街のどこかに
第18話 リオの移民船 第44話 フアナをたすけたい
第19話 かがやく南十字星 第45話 はるかな北へ
第20話 おおあらしの夜 第46話 牛車の旅
第21話 ラプラタ川は銀の川 第47話 あの山の麓にかあさんが
第22話 かあさんのいる街 第48話 ロバよ死なないで
第23話 もうひとりのおかあさん 第49話 かあさんが呼んでいる
第24話 待っててくれたフィオリーナ 第50話 走れマルコ!
第25話 ペッピーノ一座大あたり 第51話 とうとうかあさんに
第26話 草原へ 第52話 かあさんとジェノバへ

・「母をたずねて三千里」主要登場人物

マルコの家族および周囲の人々
マルコ・ロッシ 物語の主人公で9歳。元気だが頑固で思いつめる性格、だからこそあんな旅が出来たのだろう。
 …日本アニメ史上最も過酷な旅をしたのは彼で間違いないだろう、その性格が旅をさらに悲壮にさせ本作を名作にした張本人。
アメデオ トニオが飼っていたサルだが、トニオが働いているのでマルコが面倒を見ている。そのためマルコの旅に同行することになる。
 …「世界名作劇場」シリーズで最も主人公に忠実で、シリーズ1・2を争う有名なペットだろう。どんなときもマルコと共に生きた。
アンナ・ロッシ マルコの母で38歳。アルゼンチンへ出稼ぎに行ったまま音信を絶つ。マルコの旅の目的となる。
 …物語中盤では本当に実在するのか不安になった。
ピエトロ・ロッシ マルコの父で45歳の医師。貧しい人のために無料の診療所を作ったため借金まみれになり、妻を異国で働かせた張本人。
 …頑固さでは息子のマルコと良い勝負、だからこそ親子が激突するのだが…妻が音信不通になった責任をもっと感じろよ。
トニオ・ロッシ マルコの兄、機関車の運転を目指す鉄道学校生。
 …つまりは鉄ヲタってことだ(勝手に決めるな!)。
ジーナ 船会社で事務職をしている女性。マルコに仕事を依頼するなど、ジェノバ編においてはマルコの理解者を演じる。
 …船で運ばれた郵便物はてっきり郵便局が配達するのかと思っていたけど、どうも当時のシステムがわからん。
カタリナ ロッシ一家の隣に住むおばさん、旦那の仕事が長続きせず苦しい生活をする。
 …この人がいなかったら、第1話はどう展開したのだろう?
エミリオ 家庭事情により学校に行けず働いている少年、マルコと同じ学級だが年上らしい。
 …途中で声変わりしたというツッコミは無しだ。
ペッピーノ一座
ペッピーノ マルコがジェノバで出会った人形劇一座の座長、頼りなさから妻に逃げられるという経歴があるが、夢と度量はとてもでかい。
 …マルコの旅はこの男の存在なくして成り立たなかったであろう。大風呂敷を広げるがそれを実行しようとする逞しい男。
コンチエッタ ペッピーノの長女で一家の母親代わり、ペッピーノ一座の公演では主演を努める。
 …この長女が美人であったがために、様々な災難に遭うシーンも。
フィオリーナ ペッピーノの次女で無口な少女、公演ではシンバルと観覧料集金が担当。
 …今回見て思ったより昔の自分の好みに近かったので驚いた、アーメンガードに続く「萌え〜」モードで考察しよう。
ジュリエッタ ペッピーノの三女、公演ではまだ何も出来ないので裏で遊んでる。
 …あめでお…あめでお…。
旅先で出会う人々
レオナルド リオデジャネイロ行き定期船「フォルゴーレ号」のコック長、マルコの熱意に心を打たれマルコを「乗組員」として雇うことで渡航させる。
 …司厨長に過ぎないはずなのに船内で一番偉そうにしている。でも「フォルゴーレ号」はこの男で持っていることも確かだ。
ロッキー 「フォルゴーレ号」の甲板員で、マルコに船の内部を見せてやったことで顔なじみになる。
 …マルコの旅が始まるにあたっての立役者、こいつが余計な事を言ってなければマルコは「密航」なんて考えなかったはずだ。
フェデリコ 移民船で知り合った年配男性で、息子のいるロサリオへ向かっている。気は弱いがマルコに何とか力を貸そうとする。
 …マルコの旅に多大な影響を与えるのは、「第二部」ではなくその後再会してからだ。
レナータ フェデリコの息子の嫁で、フェデリコと共にアルゼンチンへ向かう。マルコに母親が息子を想う心を伝えようとする。
 …最初は船酔いで寝ているばかりだったが、下船の頃に持ち直して不安の絶頂にあるマルコを救う。声がアンナと同じ。
ニーノ レナータの息子でまだ幼児、移民船の甲板で泣いているところを他の船客によってマルコに押しつけられるという「出会い」を演じた。
 …そしてその出会いがフェデリコとの出会いに繋がったのだから、この子がいなかったらマルコの旅はどうなっていたことやら…。
ロシータ マルコの母が働いていたというロハス邸にいた留守番家政婦。マルコのためにアンナを知っている老婆を紹介し、食事を出す。
 …出番は少ないが強く印象に残った人、どん底にあったマルコを救うだけでなく視聴者をも元気づけた事だろう。
ジブリアーナ ブエノスアイレスにある教会の修道女で、慈善病院の看護士。マルコに上着とお金を手渡すなど、可能な限り手をさしのべる。
 …メーテルっ!じゃなくて、どん底にあったマルコを救っただけでなく、視聴者からは天使に見えたぞ。
アンナ・マリーニ ブエノスアイレスの事前美容院に入院していたマルコの母と同名の女性、幼い息子を亡くしていた。
 …そしてマルコに救われて成仏、そのマルコもこの女性から「母の息子への想い」を教わり希望を見いだす。
フォスコ ブエノスアイレス近郊のボーカでジェノバ料理店を営む男。マルコに同情し、ペッピーノ一座に店を劇場として貸し出す。
 …ペッピーノの才能を面と向かって認めた男、確かにあれだけ儲けさせられれば認めないわけに行かないだろう。
マルセル・エステロン
(フランシスコ・メレッリ)
バイアブランカに住む浮浪者暮らしをする男性、マルコに接近し「メレッリを知っている」と持ちかけるがその正体は…。
 …初登場ではこの男がマルコの絶望に対し、解決の糸口を持っているようには見えなかった。
ドメニコ・ノーツェ バイアブランカに住むイタリア人通、バイアブランカ在住のイタリア人をほぼ網羅している。
 …マルコの絶望にとどめを刺した男。だが彼の洞察力はエステロンの正体を暴く。
モレッティ バイアブランカに住むイタリア人有力者で議員、マルコに最悪のシミュレーションを語り絶望のどん底に落とす。
 …子供相手なんだから少しは言葉選べよ、当事者を前にして少しは言動をわきまえろよ…。
ファドバーニ ブエノスアイレスで荷役の仕事を一手に仕切る成金、エステロンがマルコに「何かあったとき」に訪ねるように勧めた男。
 …マルコにエステロンの正体と所業を告げて傷つけるが、その時の口は悪いがマルコに同情していたようだ。
アレクサンドル ブエノスアイレスからロサリオまでマルコが便乗したアンドレアドーリア号の船長、最初は冷たいがマルコがジェノバ出身と知ると…。
 …何だかんだで後述のマリオと名コンビ、知識に間違いはあるが的確な言葉でマルコが進むべき道を指さす。
マリオ ブエノスアイレスからロサリオまでマルコが便乗したアンドレアドーリア号の船員、寄港予定地に恋人がいるのだが…。
 …声はあの富山敬さん、富山さんが「世界名作劇場」シリーズに出ていた印象があまり無かったので正直驚いた。
パブロ コルドバの貧民街に住むインディオの少年、マルコと何故かウマが合い、マルコの母捜しに協力する。
 …初登場第一印象は良くないが、彼がいなければマルコはコルドバで進退窮まったのは確かだろう。
フアナ パブロの妹でまだ幼い。もろこし(?)を人形に見立て「チキティータ」と名前を付けて可愛がっている。
 …何故かマルコとアメデオが気に入るがその理由がよくわからない。33話も前に張られた伏線の犠牲者。
ホルヘ パブロとフアナの祖父で二人の保護者、影が薄い。
 …パブロとフアナは覚えていたけど、こんな保護者がいたのすっかり忘れてた。
「頭領」 コルドバからトゥクマンまでの道中で出会った牛車隊の責任者。病に倒れたマルコを助けた。
 …威厳たっぷりの割にはやっぱ存在感がなく部下が対立したときしか出てこない、こういう上司は困る。
マヌエル 牛車隊の若手メンバーの一人。頭領からマルコの世話を担当するよう命じれ、最初は嫌々だったが…。
 …やっぱあの人は昔からこういう役をやらされる運命にあったのか。
ミゲル 牛車隊の若手メンバーの一人。マルコを疎ましく思ったのか、アメデオを虐待するなど辛く当たるが…。
 …本物語最大のツンデレキャラ、マルコが好きでたまらないから辛く当たったのだろう。
ばあさま マルコが牛車隊から贈呈された老ロバ、その名の通り20歳を越える老齢だがマルコの「足」となる。
 …悲しい別れを演じ数話しか出てこないが、オープニングでも登場するから印象深いキャラだ。
エルナルド 草原で行き倒れになったマルコを助けた旅の男。それだけでなくマルコの足の怪我を治し、残り距離を教えてくれる。
 …本考察において、コルドバ以降のマルコの足取りに矛盾がないことを証明してくれたのは彼の台詞だ。
アンヘル マルコの旅のラストコースでふとしたことからマルコを馬車に乗せる。マルコを最後に怖がらせた男。
 …サトウキビ、美味そうだったぞ。
ラモン・メキーネス アンナの雇い主で、アンナをブエノスアイレスからトゥクマンへ連れ去った男。ある意味マルコを苦しめた張本人。
 …で、物語を最後まで見て気になって仕方が無いのだが、娘は何処へ消えた?

2011年5月22日更新
新作はこちらから

総評はこちら

・「母をたずねて三千里」オープニング
「草原のマルコ」
 作詞・深沢一夫 作曲/編曲・坂田晃一 歌・大杉久美子
 個人的には「南の虹のルーシー」と並ぶ「ネ申」オープニングだと思う。ギターを中心としたゆっくりした感じで曲に入って行き、後半ではテンポが上がって主人公の旅路を盛り上げるという名曲であろう。歌詞の「山もなく谷もなくなにも見えはしない」は日本アニメ史上に残る名フレーズだと思う、彼の旅が過酷であることが上手く示されて視聴者の不安と期待をうまく煽っていると思うのだ。
 背景には南米の大地で遠くを見つめるマルコの様子から始まり、マルコの旅の様子が走馬燈のように流される。そして後半でテンポが上がるとマルコがポンチョをかぶり、ロバにまたがって旅路を進むという分かり易い内容になっている。
 この曲と背景画像で、視聴者は嫌でもこの少年が辿る旅路に吸い込まれて行くだろう。この背景画像の状況は40話代後半のものであるが、そこまで行かずとも彼の旅が過酷であることは一目で分かるし、何よりもこのオープニングのような状況が来ることに期待を寄せてみてしまうのだ。物語序盤のマルコが旅立つ前でも、やはりこの画像によって彼の運命が示唆されることは視聴する上でとても大きいと思う。
 どちらかというと暗いオープニングではあるが、内容的には旅の果てには希望があることは一貫されており、この曲を聴く限りはマルコの旅が絶望の旅でないことは見てとれるだろ。その面もこの物語を視聴するためには重要で、どんなに辛い旅路も最後に母子の再会があると信じて見る事ができたので、やはりこのオープニングは名作なのだ。

次ページ「あにめの記憶」トップに戻る