第15話「すすめフォルゴーレ号」 |
名台詞 |
「ねぇ、ロッシさん。思い切ってマルコをアルゼンチンへ行かせてみたらどうなんでしょう? 確かにまだマルコは幼い子供です。けどあの子くらいしっかりしていたら…それに、旅費のことでしたら私から船会社に頼めば何とか。差し出口かも知れませんが、私にもあんな息子がいてくれたらと。もしアルゼンチンでマルコに逢えたら、おかあさんどんなに喜ぶことでしょう。たとえ一緒に帰れなくとも、1年半も逢えずにいた可愛い我が子が訪ねてきた。そのマルコの強い気持ちだけでも、どんなに強い励ましになることか。こんな子守歌、ご存じですか?
『ぶどう畑のほうき星 あの子にそっと教えておくれ 母さんきっと元気になって 何処かの村で待ってるはずと あの子は何処に あの子は何処に 夜更けの納屋で麦打つ音が
あの子の耳に届くだろうか…』」
(ジーナ) |
名台詞度
★★★★ |
マルコの帰りが遅いとピエトロに告げられた夜、マルコの「母の元へ行きたい」という思いが強いことを知っているジーナは、マルコがアルゼンチン行きの船に隠れているのではないかと捜しに行く。ところが発見できずに帰ろうとしたところで同じ思いと目的で船を訪れたピエトロに会い、マルコが発見できなかったことを告げると共に帰ることになる。その帰り道でジーナはマルコについて、ピエトロにこう語るのだ。
ここではジーナがマルコを可愛がる理由がよくわかる。つまり結果を言えばジーナは海難で死んだ夫と、マルコを重ね合わせているのだ。そしてその夫が天国でどれだけ自分に逢いたいと思っていることか…そう思うことが励ましとなり、夫を亡くして女一人で生きていかねばならないという現実に対峙しているのである。そんな彼女だからこそ、もしアンナの元に突然息子が現れたら、アンナがどんなに喜ぶかを知っている。だからマルコを行かせて欲しいとマルコの父に提案するわけだ。
同時にもしピエトロの計画通り、ピエトロが何とか仕事を休んでいく場合も彼女は考えたのだろう。ロッシ家の経済事情を考えれば収入のないアルゼンチンの往復旅行に2人も行けるはずがないのは明白だ。もしピエトロが行くことになればマルコは留守番、アルゼンチンのアンナも夫に敢えて喜ぶと思うが、留守番のマルコはピエトロの帰りを落胆して待たねばならない。そんなマルコを見るのが嫌だったという思いもあるはずだ。
だがこの台詞が印象的なのは最後、子守歌を朗読する部分である。この歌詞には離れた子供を思う母親の気持ちが描かれており、これをジーナが心を込めて語るシーンは今話で最も印象に残った部分だ。ジーナの母性的な面がキチンと描かれ、彼女がどれだけマルコを可愛がっているかが見事演じられている。ちなみにこの曲は「母をたずねて三千里」の挿入歌、「母さんの子守歌」(作詞/深沢一夫)である。
このような強烈に印象深い台詞を残して、ジェノバでの物語を彩ってきたジーナは今話で退場となる。この人、結構気に入ってたんだけどなぁ。 |
(次点)「海は歩いて渡れないんです。歩いていけるのなら、地球の裏側にだって歩いて行きます。けど海は…」(マルコ)
…名場面欄シーン直前の尋問シーンで、マルコが乗り込んだフォルゴーレ号の目的地であるリオデジャネイロと、マルコが行きたいブエノスアイレスがどれだけ離れているかを告げる事務長に、マルコがこう返す。つまり陸地で繋がっていればどんなに離れていても密航なんかせず、歩いて行くんだとの思いを彼は口にしたのだ。だけど大西洋はどうしたって船の力を借りないと渡れないから、船の力を借りたいんだと…。この言葉を聞いたレオナルドはマルコの気持ちが本気であることを知り、マルコを船から降ろすつもりだったのが一転して乗せてやろうという意見に傾いたのだ。名台詞欄に挙げるのをどちらにするか、最後の最後まで悩んだ |
名場面 |
甲板にて |
名場面度
★★★★ |
南米へ密航しようとしてブラジル行きの船に潜り込んだマルコだが、小用が我慢できずにやむなく行ったトイレでコック長のレオナルドに発見されてしまう。捕まって事務長の尋問を受けるマルコに、ロッキーが「父親が来ている」と告げる。落胆するマルコはピエトロが待つ甲板へと連れ出される。
マルコが甲板に出てくると、船長が「この子に間違いありませんか?」とピエトロに問う。「さあとっとと連れていきな、分からず屋の親父さんよ」とレオナルドが言うと、マルコは反抗し「何度だって家出して密航する」と宣言する。そして父には「あと一ヶ月あと一ヶ月って、いつまで待てば良いんだ!」とまた不信をぶちまけることになる。それに対する答えは「お父さんはどうしてもご自分でお行きになるつもりだったのよ」と、ピエトロの隣にいたジーナの口から出てきた。驚くマルコを認めるとジーナはさらに続ける、「でもお父さんは今朝、あなたを定期船に、ダビンチ号に…」と言いかけたところでレオナルドが「ダビンチ号!? 冗談じゃない!」と割り込み、自分が乗るフォルゴーレ号の自慢を始めると、ロッキーは「もうおいらはマルコとは昨日から友だちだし…待ったなし、10時には出発だ」と口添えする。ジーナがフォルゴーレ号がリオデジャネイロ行きであることをツッこむと、レオナルドは積み荷の一部がリオ経由でブエノスアイレスへ行くのでその船長に自分が責任もって引き継ぐことを宣言、事務長がこれを制するが、レオナルドは事務長の足を踏んで事務長が痛がっているところを「この子はこの船にいたいと行っている、私もいてほしい、あとはどっちを選ぶかあんたが決める番だ」と続けてピエトロに決断を促す。ピエトロは少しの間を置いてから、「マルコ、選ぶのはお前だ…かあさんのところに行ってくれ、アメデオと一緒にな」とマルコに告げる。「本当に…僕行っても…」と父の決断に驚くマルコに、ピエトロは静かに頷く。ピエトロは振り返って船長に「どうやらこの子の気持ちは決まっているようです、この船で働かせてやって下さい」と依頼すると、船長は「本船には乗員1名の欠員がある、その補充の人選は君に任せる」とだけ言うと立ち去る。「マルコ、良かったわね」とマルコを抱きしめて喜ぶジーナ、ピエトロが母への伝言を伝えると、マルコは父にしがみついて泣く。
解説が長くて申し訳ないが、ここはマルコの船出が決まったシーンであり、マルコが母の元へ向かう事が初めて公式に認められたシーンである。だが同時にこれは、マルコの辛く長い旅の始まりも意味している。その旅のスタートはこのような形であったのだ。
実はこの「密航未遂」というマルコの行為によって、ピエトロはマルコの気持ちがどれだけ強いかを思い知った事になるのだ。と同時に「何としても自分で行く」という思いと、そのための「長期休暇のために仕事を調整しているが上手く行ってない」ことの2点を、ずっと隠してきたことでこのような事態を迎えてしまったことを後悔していたに違いない。そのピエトロの気持ちの変化、これを上手く描いているとともに、マルコと父の対立が本当に終わりを告げるシーンとして印象に残る。
またこの中でジーナの力はとても大きいと思う。恐らくピエトロはこの船からマルコを引きずり下ろすつもりで乗り込んだに違いない、ジーナが言うように「次のアルゼンチン行き定期船に乗せる」という決断はまだしていなかったと思うのだ。だがマルコの決意が固く、「何度でも家出して密航を企てる」と宣言されたことでピエトロの気持ちが揺らいでいるのをジーナは見落としていなかったのだと考えられる。だから彼女が勝手にピエトロが「ダビンチ号に乗せる」と決断したとして、話を前に進めたのだと私は解釈している。このジーナの出しゃばった行動にピエトロが口出ししなかったのは、「もう誰にも止められないから、誰か背中を押してくれ」とこころの中で思っていたからだろう。
レオナルドと事務長の掛け合いも良いし、ロッキーもマルコの支援者としてうまく印象付いたと思う、船長の威厳もかっこよかった。とにかくこのシーン抜きに「母をたずねて三千里」第二部は語れないだろうと私は思った。
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感想 |
前話ではマルコの旅立ちが宣言され、その「渡航方法」が示唆された。今話はそれを受けての展開であり、ピエトロの気持ちの変化とジーナの「行かせてやりたい」という思い、それに説得力を与えるためにマルコの「本気度」を印象付ける展開となった。さらに3つ目の「マルコの本気度」は、船員達がマルコの味方となるのにどうしても必要な要素だ。これが揃えば「密航」という手段を取ったマルコが発見されても、マルコはなんとかこの船での旅が出来ることは明白であり、事実物語はその通りに進む。
しかしピエトロが壁に貼った世界地図が消えているのに気付くのが遅すぎるぞ、あれだけでかでかと張っていたんだからすぐに気付いてもいいと思うんだけどなぁ。だがその世界地図が消えていることでマルコが「何かを企んでいる」ことは明白となり、思わずアンナの写真を取り上げてしまうことで置き手紙が出てくるという展開は「うまい」と思った。しかも置き手紙の内容は「さがさないでください」だからなー…小学生の時、このシーンを再放送で見て憧れた、「さがさないでください」と置き手紙をして長い旅に出るのに。まさかそれを現実でやってしまったのは自分だけじゃないかと思う、マルコのような母を捜すような真剣な旅ではなく、自分が一度やってみたかった日本一周の大旅行で親に向けてそう書き残したんだけど。
今話は印象深いシーンが多い、特に名場面欄の直後、マルコの旅立ちシーンはどちらを名場面欄に挙げるか悩んだほどだ。船が出て行くのに合わせ、ジェノバの街並みや人々が走馬燈のように流れて行くのはとても良かった。ここでジェノバ編で出てきた殆どのキャラクター(ペッピーノ一座除く)が一通り出てきたのもこれまたいい。こうしていよいよ、物語は「旅」本編へと進んで行くのだ。 |
研究 |
・フォルゴーレ号
マルコが南米大陸に渡るにはどうしても「船」が必要だ、このマルコを南米の地に誘う船こそがジェノバとリオデジャネイロを結ぶ定期船と設定されている「フォルゴーレ号」だ。今回はこの「フォルゴーレ号」について考察する。
まず劇中で確認できる諸元であるが、14話でロッキーがこの船についてかなり詳しく語っているので、それを引用して見よう。
「最新型快速商船フォルゴーレ号、排水量1200トン、クリッパー形、鉄船、動力・蒸気機関…ただし帆走あり、速力16ノット、1875年建造、船籍イタリア、」
このように船の性能は良く解る。蒸気機関で速力16ノットは、19世紀後半である当時としては優秀な方だっただろう。まだ蒸気タービン機関は存在せず、蒸気船は蒸気機関車と同じロッドとピストンを用いた「レシプロ機関」だったはずだからだ。ちなみに16ノットは約30km/hである。
船の形状を示す「クリッパー形」だが、これは19世紀に発達した高速大型帆船を意味している。貨物の積載性能より航行速度を重視した設計で、船首がきれいな流線型となる。このような船が誕生した背景は、当時はスエズ運河もパナマ運河もなかったため、南米やアフリカ大陸をどれだけ短い時間で迂回できるかで多くの船会社が競争していたというものがある。
ただ「トン数」が「排水量」になってしまっているのは残念(詳細は次話研究欄)で、船の大きさは劇中の各シーンから測り出すしかない。様々なシーンからサイズを割り出してみたところ、全長は70〜80メートル程度、全幅は10メートル程度と考えられる。参考までに「排水量1200トン」の艦艇を調べてみたところ、海上自衛隊の護衛艦「いしかり」が排水量1290トンと最も近そうだ。「いしかり」のサイズは全長85メートル、全幅10.6メートルなのでこの推測はあながち間違っていないと考えられる。
船影を見てみると貨客船なのは間違いないだろう。だが高速大型船ということなので、食料品などの貨物を主に輸送している可能性が高い。ちなみに劇中でマルコが働いた食堂と厨房は、あくまでも乗組員用のものであり船客は別に食堂と厨房が用意されていたことだろう。当時の船のことだから、船客用の食堂には一流のコックがついていたはずだ。
これでだいたいマルコが乗った船についてご理解頂けたと思う。この船でどんな物語が展開されるのか…なんか船ばっかり見て展開を見落としそうで怖いのは私だけ?
「フォルゴーレ号」 「世界名作劇場」シリーズに出てくる数ある船の中で最も美しいと思う。 |