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第31話 「ながい夜」
名台詞 「でも…、私が起きた時はとうさんもぐっすり…」
(フィオリーナ)
名台詞度
 ナイスツッコミ、とはこの台詞のことだろう。ピューマ出現で不安な夜を越して迎えた朝を、一行は野宿した廃墟の中にピューマの足跡を見つけるなど驚きの中で迎えていた。そのピューマが一家を襲おうとしたところを自分が退治したと嘯くペッピーノだが、そこへ現れたピューマ狩りの猟師に「ピューマは人を襲わない」と告げられて、ペッピーノの嘘が崩れかかる。そして猟師が立ち去った後で、フィオリーナが思い出したかのようにボソッと言うのがこの台詞だ。
 この台詞の「間」がとてもいい、猟師の一言でペッピーノの嘘が崩れだし、ペッピーノは「馬を襲おうとしたに違いない」としたところでその場が収まるかに見えた。だがこのフィオリーナの一言は、そこを丸く収めなることを許さなかった。実はピューマの廃墟への侵入を許すという危機的状況に最も近付いた時刻に目をさましていたのはフィオリーナであり、ペッピーノもマルコもフィオリーナが夜中に目をさまして廃墟の中を歩き回っていたことなど知る由もないのだ。だからこの一言はペッピーノの言い訳を瞬時に無効にしてしまう、ペッピーノは「寝たふりをしてピューマをおびき寄せた」とさらに言い訳を重ねるが、それをバレバレにしてしまう効果があっただろう。
 目が覚めてからペッピーノが必死に言い訳をしている間、視聴者は何処でフィオリーナが夜中に目をさましたときのことを語るか楽しみだったと思う。だがペッピーノの虚言がフィオリーナとは別のところ(通りすがりの猟師)から崩れたことで、視聴者は一時フィオリーナが目をさましていたことを忘れるのだ。そのタイミングを見計らってフィオリーナがペッピーノにととめを刺す形になったという意外性をこの台詞を通じて見せてくれたと思う。フィオリーナも一番面白いタイミングまで自分が目をさました事実を一切言わないのが、これまた良かった点だ。
 またこの声に反応したのがマルコというのも面白い。彼は彼でペッピーノから寝てしまった後の事を託されていた、だけどそれをなさずに眠り込んでしまったことが、こともあろうにフィオリーナにバレてしまったのである。だってマルコはフィオリーナが目をさましたことを知らないのだ。ま、ピューマ退治を自分の手柄にしたいペッピーノがいる限り、マルコがペッピーノの代わりに番をして眠ってしまったことなど動でも良くなるから良かったのだが。
名場面 フィオリーナが夜中に目をさます 名場面度
★★
 草原の中に廃墟を見つけそこで一夜を過ごすのだが、ペッピーノとマルコは近くでピューマと遭遇してしまったがために交代で寝ずの番をすることになった。まずはペッピーノが番をし、ペッピーノが睡魔に耐えられなくなったらマルコに代わるという手はずだったが…。
 まず目をさましたのはマルコだったが、マルコが目をさますと既にペッピーノは眠りに落ちていた。マルコは「自分の番が来た」と棒きれを持って寝ずの番をしようとするが…こちらも耐えられずにすぐ眠りに落ちてしまう。直後に馬が突然鳴き出したことでフィオリーナが目をさますのだ。フィオリーナは馬を鎮め、毛布もかぶらずに棒にもたれて座ったまま寝ているマルコに毛布を掛けて横に寝かせ、そしてまた自分は寝床に戻り再び眠りにつく。
 たったこれだけのシーンだが、フィオリーナのファンにはたまらないシーンだろう。彼女の馬に対する優しさ、そしてマルコに対する優しさがよく出ている。また、マルコを横にしたときにマルコが一瞬目をさますのだが、その時のマルコ目線のフィオリーナの顔がこれまた良いんだ。もちろんそれだけのシーンであれば感想欄で軽く流しただろう。それだけでないから当欄で取り上げたのである。このシーンは「今話が終わった後」に印象に残る。
 それは名台詞欄を参照して欲しいが、今話の物語の「オチ」への伏線であり鍵になっていたのだ。翌朝、廃墟の中にピューマの足跡があったことで、皆の寝床にピューマが現れたのは事実とわかる。だがその事実に対し、自分がピューマを退治したと誇らしげに嘯くペッピーノ。もちろんこの状況にオチがつかないと物語は終われないわけで、このフィオリーナが夜中に起きていたことは重要な展開であったことが後になってわかる。名台詞欄のところへ行けば、「ペッピーノは寝ていた」ということを、誰もが思い出せるように考えてあるのだ。
 という訳で、ある意味今話はフィオリーナの活躍が目立った回と言えよう。今話では特に何も起きていないのだし…。
  
感想 ♪こーいーにー ゆーれるー こーこーろー ひぃーとつー…
 ってほらぁ、このページ見ている人は何のギャグなのかわからないじゃないか、松山千春の名曲「長い夜」って、古っ。
 それは置いておいて、特に何も起きない1話である。ペッピーノとマルコがピューマに出くわしたときは「大ピンチか?」と思わせるが、物語はまったりとお笑い路線へ進んだと行っていいだろう。ペッピーノの芸人としての性格が良く出ていて、状況が揃えばすぐ物語を作ってしまう彼の能力が発揮された回だった。ま、これはよく言えばの話で、悪く言えば虚勢を張っていたに過ぎないのだが。だがそれでもこの男のこの性格は、娘達に愛されていることは上手く描かれたと思う。
 それより今話は、私を喜ばせたのはフィオリーナをうまく使ってくれた点だろう。この娘が物語の鍵を握り、物語のオチを付ける重要な役割を果たしてくれたのである。フィオリーナ好きにはたまらない1話であるだろう。この娘が物語の前面に立つことはあっても、大事な役を引き受けたのは24話だけであった。今話はフィオリーナのうまいツッコミなしには語ることは出来ず、物語の本筋が全く進まない回でありながらとても印象に残った。逆にフィオリーナが特に好きという人でなければ、この回はとても退屈ではないかと思った。
 そろそろフィオリーナの出番の終わりが近付いてきたな−。この辺りでじっくるこの娘を見ておかなきゃ。
  
研究 ・ 
 

第32話 「さようならといえたら」
名台詞 「もうすぐお前達二人も別れ別れになっちまうのか…。父さんだって新しい街に向かう度に、いつも同じようなことを考えちまうのさ。例え何人でも、私たち一家を温かく迎えてくれる街があったら、今度こそそこへ落ち着こう。けど、いつもそれが裏目に出ちまう。持って生まれた性分ってやつかな? 父さんの…。勘弁してくれよな、ジュリエッタ。」
(ペッピーノ)
名台詞度
★★★
 いよいよバイアブランカへの旅はラストコース、バイアブランカの入り口にあるという山を越えてこの日のうちに到着できるという場所まで来た。そこで馬車を止め昼食の準備を開始すると、作業をしながらコンチエッタが訴える。フィオリーナがマルコが出会ったことでフィオリーナが明るくなったが、そのフィオリーナとマルコに別れが迫っているとし、「フィオリーナには長く付き合える友」が必要だとした上で、もう旅から旅への生活は終わりにして落ち着こうと訴える。妹たちに「ここがあなたの国であなた街で、ずっとここで暮らすのだと言ってやりたい」と訴えたのだ。それに対しペッピーノは、アメデオと無邪気に遊ぶジュリエッタを見たと思うとこう返答する。
 前述の長女の訴えに対し、父も同じ考えていたことが読み取れるだろう。この台詞から父の娘達に対する愛情が見えてきて、大人になって娘をもつ身だからこそこのペッピーノの台詞が強く印象に残った。そしてこの台詞の影には、波平の名演技もあって「娘達にすまないと思っている」という思いがしっかり込められている。もちろん本来ならいい男性とつきあい始めていてもおかしくない年頃のコンチエッタに、旅芸人と一家のの母親代わりの二重苦をさせていることについても彼は「すまない」と思っているだろう。
 この台詞からもうひとつ読み取れることがある。それはなぜペッピーノ一座がアルゼンチンに渡ると決意したかという本当の理由だ。つまり彼らが旅芸人として旅から旅への生活をしていた理由が、「いつか安住の地を見つける」ということにあったようだ。だがヨーロッパのあちらこちらを回り、何処でも自分達を受け止めてもらえず新天地を目指したと言ったところだろう。こうするとブエノスアイレスを発つ直前、フォスコから「ここにいてもらえないか?」と誘われたときにペッピーノが一瞬揺らいだ理由も見えてくる。ペッピーノはあの時、初めて芝居で「大成功」して他人までも儲けさせた事で、初めて「引き止められた」に違いない。本来ならそこに居座るのが家族の幸せのためなのだが、ペッピーノの「性分」はマルコを放って置けなかった。その結果がこの台詞を語っている時点での現状だという背景も見えてくる。
 この台詞で「旅芸人」としてのペッピーノは、「父親」としての顔と存在感を強くしたのは確かだ。
名場面 列車を見送る 名場面度
★★★
 ペッピーノとコンチエッタが昼食の支度をしている間、マルコとフィオリーナは「水汲み」と称して川へ遊びに行く。すると遠くから汽車の煙が見えたので近くの鉄橋まで行って汽車を見送ろうと画策する。
 鉄橋まで行くと汽車の通過に間に合い、貨車に羊が積まれていたこと等を語り合う。だが汽車が走り去ると、突然二人の間に暗い空気が漂うことになる。その空気の変化に気付かないままレールに耳を押し当て、汽車の音を聞くマルコはフィオリーナにも聞いてみるよう勧める。フィオリーナが同じようにレールに耳を当てると、マルコはジェノバでエミリオ達とよくこうやっていたと語り出す。その言葉が引き金になったのか「帰ってしまうのね、マルコはジェノバに…」と語り出すフィオリーナ。立ち上がりながら「えっ?」と返事を返すマルコにフィオリーナが続ける、「帰るのね? おかあさんにあったらすぐに…何だか、ずっとずっと昔みたいな気がする。ジェノバにいた頃って…」と語りだし、ジェノバでの思い出を語ろうとするのだ。それを途中で遮るようにマルコが言う、「よそうよ、その話…」。それに対しフィオリーナは「遠いのね、イタリアって…本当にやめよう、こんな話。ごめんね、マルコ…行くわよ、私。」と言ったかと思うと、一家が待っているところへ走り去ってしまう。一人残されたマルコは呆然とその後ろ姿を見送る。
 名台詞欄の展開と並行して、フィオリーナが「マルコとの別れ」を意識していることが明確にされるシーンだ。今の彼女にとってマルコと別れることは身を割かれる程の厳しい「現実」であった。彼女がそれを切り出したのが、走る去る汽車を見ての結果だろう。走り去る汽車とこれから自分の前から消え去るマルコの姿が、彼女には重なって見えてしまったのだ。
 一方のマルコにとっては「母に逢える」という現実の方が先に立っていて、フィオリーナとの別れというのはその喜びの前にかき消されてしまっている。だからまだフィオリーナがどれだけ寂しい思いをしているか理解できていない、だから彼は突然「自分との別れ」に対して強烈な寂しい感情を示した彼女をみて驚いたのだ。もしマルコにとってのこの状況が「母と逢える」直前でなかったら、マルコはこのフィオリーナの思いに応えて彼女の思い出話を聞き、彼女との別れを強烈に惜しんだ事だろう。
 そんなフィオリーナのマルコへの思いがしっかり描かれていて、これまたフィオリーナのファンにとってはたまらないシーンだっただろう。同時にフィオリーナのファンにとっても、彼女の降板が近いことを知らされて寂しい思いをするシーンであっただろう。
  

 
感想  ああ、フィオリーナの登場回もあと僅か。私は寂しいぞ、強烈に寂しいぞ。名場面欄シーン以降のフィオリーナを見ていて、気持ちが痛いほどよくわかったぞ。バイアブランカについたらマルコの話なんかどーでもいーから、その後のフィオリーナの話をしてくれー。そうしたら視聴者とフィオリーナが別れずに済む…って、そんな訳には行かないな。
 物語は前半と後半で見事に分かれた、前半は名台詞欄のシーンと名場面欄のシーンによる「マルコとペッピーノ一座の別れ」を視野に入れるという内容であった。マルコとペッピーノ一座はいつまでも一緒に旅を続けるわけに行かず、バイアブランカで掴めるマルコの母の消息如何では別れとなるのは決定的である。もちろん意表を突いてマルコの母がバイアブランカよりもっと先の街にいるという展開ならペッピーノ一座との別れを回避することになるが、それでは物語として白けてしまうのは火を見るより明らかであろう。また残り話数を考えた場合、バイアブランカでマルコと母が出会うという展開もないだろう。つまりここは同時に、バイアブランカで母には逢えないが、手がかりは掴めてマルコは別の街へ行くことになるという今後の展開を示唆したことにもなるのだ。
 そして後半はようやっと「マルコの母捜し」という本題が動く。マルコの母についての手かがりを知るべく彼はバイアブランカへと向かっているわけだが、バイアブランカでマルコの母の行方を知るメレッリを探し出せる保証が何処にもなかったのだ。そのメレッリの探し方が示唆されることで、バイアブランカでの物語が到着より先に動き出すのだ。そのためにバイアブランカで成功してブエノスアイレスに戻るシルバーニ一家との出会いが描かれたのである。しかし双子が三組ってどっかで聞いた話だよなー、旦那が製材所の社長で、嫁がいいとこのお嬢様出身で、赤毛の少女を子守に置いていて…。
 しかしラストのフィオリーナはどうするつもりか気になる。彼女は「学校へ行きなさい」という家族に反発し、「がむしゃらに働けばあっという間に時は過ぎる」として「働く」と宣言した。もちろんその言葉の通りで働いてマルコとの別れの傷を癒すつもりだったのかもしれない。だけど彼女の思いにはその先があっただろう、働いてお金を貯め、いつの日かイタリアのマルコに会いに行くと…。
 
研究 ・ブエノスアイレスからバイアブランカへの旅
 今回はマルコとペッピーノ一座によるブエノスアイレスからバイアブランカの旅を追ってみたい。例によってこの地図を参照しながらの考察としよう。
 もちろん赤い線がマルコらがたどったと思われるコースで、「1」〜「5」に主なエピソードの予想位置を入れた。全行程約635キロ、25話までにこの旅行が20日間を予定していたことが複数回にわたって確認でき、32話のコンチエッタの台詞ではさらに5日遅れていることがわかるので25日をかけての移動だったことがわかる。1日あたり25キロというペースだ。
 「1」地点はペッピーノ一座とサルバドールが出会った地点だが、これは劇中の描写と地図や衛星写真から割り出した状況を照らし合わせてこの位置と断定したものである。本来は26話はブエノスアイレスを出発したその日なので、この地点はもっとブエノスアイレス側に寄せたいところであるがやむを得ない。ブエノスアイレスからここまで、4日も掛かったことになるがそう解釈すべきだ。
 そして「1」地点からバルボーサ大牧場は「ふたつ先の宿場を右に曲がる」と語られているので、この牧場の位地は「2」地点であると想像される(もっと街道に近いところのはずだが少し大袈裟に表現した)。だが「1」地点からここまでに地図上にはまともな街はなく、この位地もかなり怪しいと言わざるを得ない。だが距離的には馬車で2〜3日掛かる距離ではあり、一行が途中で最低2泊(27話で野宿と28話冒頭で宿場に泊)していることを考えれば距離的な辻褄は合う。
 「3」地点はブエノスアイレスから10日、全行程の半分より少し手前で、ここが馬車の破損による難航やカルロスとの出会いを演じた地点だと推測される。
 「4」地点は31話、一行がピューマに襲われたのはこの辺りだと推測される。劇中で語られたように、バイアブランカの手前にはちょっとした山地があって、距離を逆算するとその山地が見えてくるのはこの辺りではないかと考えられるからだ。だが山の高さを考えるともうちょっとバイアブランカ寄りの地点の可能性もある。
 そして「5」地点、バイアブランカを前にしてマルコとフィオリーナが汽車を見送ったのはこの辺りと思われる。ここも劇中で描かれた風景と地図や衛星写真との比較で推測した地点で、劇中に描かれた川も地図上では確認できる。だがここに鉄道の線路があるかどうかは不明で、さらに物語の展開(その日のうちにバイアブランカに到着)と照らし合わせるともっとバイアブランカ寄りであってもいいのではないかと考えられる。
 このような行程でマルコとフィオリーナは旅の物語を紡いできた。う〜ん、なんかそんな景色を一度見に行ってみたいけど、生きているうちは無理だろうな。
 いよいよ物語は、バイアブランカでの物語へ突入だ。

・今回の旅程
(ブエノスアイレス〜バイアブランカ)
移動距離 635km 161里
合計(ジェノバから) 13275km 3380里

第33話「かあさんがいない」
名台詞 「イタリアへ帰ります。母さんの手紙がそんなに長く届いていないのなら、かあさんは死んだのかも知れない。他には考えようがないんだ、いくら捜したってかあさんはもういやしない。僕は、何かに呪われてるんだ!」
(マルコ)
名台詞度
★★★★
 バイアブランカ到着の最初の夜、マルコはモレッティから状況証拠を元にした最悪のシミュレーションを聞かされる。それは長期間手紙が来ないのは、母が死んでいるからに違いないというマルコを打ちのめす内容だった。これによってマルコはすっかり動揺し、名場面シーンで帰って来たペッピーノに「働いてブエノスアイレスへ帰る」と言い始める。ペッピーノがブエノスアイレスに着いたところで、ジェノバから母が帰ったという報せがなかったらどうするかを問われると、マルコはこう叫んで泣き出すのだ。
 マルコのハイアブランカにおける絶望の底辺が上手く表現された台詞だ。特に最後の「何かに呪われている」と言う台詞は、今後の物語展開で何度も感じるようになる部分でもあるだろう。だがまだ南米の旅は序盤に過ぎないと言う事を知っているのは、この物語の内容を先回りして知っている者だけだ。そのような者がこの台詞を聞くと、「まだまだゲームはこれからですよ」と言いたくなってしまうを堪えるしかない。
 とにかく、思いつめる性格のマルコだから一度悪い予想を聞くと、そちらへそちらへとどうしても考えが行ってしまう。その点は6話10話でしっかり印象付けられたマルコの性格で、この序盤でのマルコの性格付けがとても上手く行っていると感心するシーンである。あくまでも「最悪のケース」で敷かない話を聞かされて取り乱すマルコの姿を見て、視聴者はここからどうやってマルコが立ち上がるのかを注目せずにはいられなくなるだろう。
名場面 かあさんがいない 名場面度
★★★
 バイアブランカに到着して最初の夜、ペッピーノ一座は宿代が前払いと言われたことで急遽バイアブランカの盛り場で公演をすることになる。その公演が終わり一座が夕食を取っていると、フィオリーナがアメデオの動きの変化に気付く。これを見たフィオリーナは宿に母を捜しに行ったマルコが帰って来ていると判断し、マルコの夕食を持って先に宿へ戻る。
 宿に着いたフィオリーナが聞いた部屋の中の物音は…すすり泣くマルコの声だった。これに驚いて扉を開くと、そこにはベッドに横たわって泣くマルコの姿があった。「マルコ…」声を掛けてみるとマルコは静かに起き上がる。「おかあさんのこと…」フィオリーナが続けようとするのを遮って、「僕がぐずぐずしている間に、とっくにイタリアに帰っているかも知れないんだ」とマルコは怖い表情で語り始める。「えっ!」驚くフィオリーナ。「ブエノスアイレスでかあさんが見つからなかったときに、イタリアに帰れば良かったんだ。なのにみんなに迷惑かけてバイアブランカまで…バカだよ、バカなんだよ僕は…」とマルコはまた涙を流す。そして19秒の沈黙を挟んでフィオリーナが食事を差し出すが、「何も欲しくないよ」とマルコが拒否する。するとペッピーノがべろんべろんに酔っぱらって帰って来るのだ。
 モレッティと話をしてみてマルコが思い知った事、それは少なくともこの街には母がいないことと、母の手がかりを知るメレッリを探し出す手かがりを何も持ち合わせていない現実だ。つまりここで完全にマルコの母捜しは壁にぶち当たってしまったわけで、「バイアブランカに着けば母の逢える、逢えなくとも居所はわかる」という希望が完全に打ち砕かれた形となった。つまり「母をたずねて三千里」第三幕であるバイアブランカ編において、マルコは絶望の底辺に達するのだ。
 そんなマルコを「見ていられない」というフィオリーナの気持ちと、どう声を掛ければいいのかわからないというフィオリーナの困惑がこれまたうまく描かれている。フィオリーナはここでのマルコの幸せを信じていただけに、マルコが母を捜し出せずに落ち込むという展開は予想外だったと推測される。だから彼女はマルコにどう対処するか、判断できないのだ。
 そしてやっと絞り出した行動が、19秒もの沈黙を挟んで食事を差し出すこと。彼女はあまりの衝撃に自分がマルコの食事を持ってきていたことを忘れていたに違いない。またマルコも予想通りとはいえ、これを拒否するのに台詞をうまく選んでいる。ここでの二人の対面は、今話で最も印象的だった。
 

 
感想  バイアブランカ到着、そこで待っていた展開はブエノスアイレス到着直後と同じくマルコを一気に奈落の底へと突き落とす内容だ。ブエノスアイレスの時は、メレッリが消えていた上に全財産を盗まれるというダブルパンチであったが、今回はひたすら母の消息が掴めないという一点でマルコを突き落とすのだ。そして追い打ちを掛けるようにモレッティがマルコの母について状況証拠からシミュレーションをし、「死んだ」という結果を出すことでマルコの「思いつめる性格」を利用してマルコを再起不能なほどの衝撃で打ちのめす。こんな主人公にとって容赦が無く過酷な物語はこれまであっただろうか?
 そしてその横でフィオリーナは、言葉少なにそのマルコの衝撃を見た衝撃というのを演じる。それは名場面欄だ。
 そしてこの衝撃の底辺から脱出するキーワードがまだ何処にもない。ブエノスアイレスの時は既に「ペッピーノとの再会」という伏線が張られていて、しかも「バイアブランカに手がかりがある」という鍵も示されていた。だがその手がかりに従って来てみたらこれだ、という思いがマルコだけでなくペッピーノ一座も含めて見事に演じられているのだ。
 それにしても声優さんの使い回しがなー、モレッティさんのこえはどう聞いてもロンバルディーニと同じ声、つまりディファルジュ先生(by「小公女セーラ」)だったぞ。それと今だからこその注目どころは、波平さんとカツオの掛け合いシーンがあることだ。もうカツオ役でお馴染みだった高橋和枝さんが亡くなって、何年になるんだっけか?とホテルのロビーのシーンでつくづく感じてしまった。
 
研究 ・ 
 

第34話「ジェノバに帰りたい」
名台詞 「僕の欲しいのは仕事なんだ。」
(マルコ)
名台詞度
★★
 ペッピーノ一座が街中の広場で公演を終えた後、ドメニコのところから戻って来たマルコと合流してホテルへの帰り道を進む。その最後尾を歩くマルコに、コンチエッタが今から役所へ寄って母の居所を捜そうと提案するが、そのマルコの返事は小さな声でボソッとこう言うだけであった。
 これもマルコの気持ち、心を閉ざしてしまった状況をうまく演じていると思う。彼は昨日のモレッティの元への訪問に続き、ドメニコの元を訪れたことでとどめを刺されたといっていい状況だ。このバイアブランカに母がいないことが確定し、その上でマルコの働きどころもないという八方ふさがりの状況になってしまっていて、コンチエッタやフィオリーナが考えていたよりも深刻な状況だということを、この短い台詞に全て込めたのである。
 恐らく、コンチエッタもフィオリーナもマルコが母がいないと断定できる状況まで情報収集を済ませていたとは思っていなかったことだろう。マルコもその辺りを説明していない、バイアブランカに住むイタリア人の情報を全て握っているという二人の人物が否定したのだから間違いないことを、マルコは誰にも説明できずにいるのだ。これを説明できれば彼女たち姉妹もマルコがなぜ帰りたいという方向へ思考が変化したのか、なぜペッピーノ一座から独立して働きたいという思いを持つようになったのかを理解し、特にコンチエッタはマルコが行くべき方向を指さすことが出来たはずだ。その簡単な解決方法…信頼できる年上の人に相談してみるという方法すら、マルコの頭から消えているのである。それどころか、マルコの情報収集結果を知らないとは言えまだコンチエッタがそんな脳天気なことを考えていたと言うことが、彼には許せなかったのだろう。そんな気持ちもこの短い台詞に上手く詰め込まれている、マルコ役のフローネの名演技だ。
名場面 マルコが出かける朝 名場面度
★★
 今話はマルコがホテルの部屋をコッソリ抜け出すところから始まる。それに気付いて食事が入った袋を抱えたフィオリーナが後を追う。「マルコ…」フィオリーナが声を掛けてもマルコは気付かないかのように歩き続ける。「何処行くの?マルコ」フィオリーナが続けると、マルコはやっと振り返りドメニコ・ノーチェなる人物に会いに行くと告げる。何の話か見えずに困惑した表情のフィオリーナは「夕べはそんな事言わなかった…何か心当たりでも?」と問うと、マルコは言葉を荒げて「あるもんか、そんなもの…かあさんのことなんかもうわかりはしないんだ!」と返してしまう。「マルコ…」あまりの剣幕に名前を呼ぶしかできないフィオリーナに、マルコは「仕事を頼みに行くんだ」と棘のある返事を返してまた歩き出す。だがマルコはフィオリーナが後を追っていることに気付くと立ち止まり、振り返りもせず「一人で行かせてよ」と小さく言う。フィオリーナは意を決したかのような素振りを見せると、マルコの隣に立ち朝食を差し出す。「ありがとう」と小さく言い残したかと思うと、マルコは走り出す。その背中をフィオリーナが見送る。
 前話に続きマルコの絶望が描かれるが、今話ではこの結果として追加された点がある。それはマルコが心を閉ざしてしまったことだ。しかもペッピーノやコンチエッタという面々を飛ばして、いきなり一番仲か良かったフィオリーナに対して心を閉ざしてしまったことを見せつけてくる。この容赦のない描き方によってマルコの心の傷がどれだけ大きいか、そしてマルコの「帰りたい」という気持ちがどれだけ大きいかを視聴者とフィオリーナに突き付けてくる。
 このマルコの「心を閉ざした」状況が、いきなりフィオリーナに対してだからこそこのシーンは強烈なインパクトを持っていると思う。私はこのシーンのためにバイアブランカへの道中でマルコとフィオリーナの仲の良さが印象付けられたと言っても過言ではないと思う。
 で、今話はこのどん底から上へ向かう物語なんだろうと視聴者は身を乗り出して見る事になるが、とんでもなく今話のマルコはずっとこの調子でいくのだ。あー、見てらんない。
  
感想  前話でマルコの絶望が描かれ、今話はさらにその傷口に塩を塗り込む話だ。まったく容赦がない物語だとしか言いようがない。前半でマルコがドメニコから話を聞いたところで、マルコの母がこのバイアブランカにいないという事実だけはハッキリする。前話のモレッティの話は「状況証拠」だったが、今話のドメニコの話は確定的な情報だ。だが今話では解決の糸口が一つ示されているが、それがそうだと判明するのは次回予告を見てからというこれまたもどかしい展開だ。それこそ次話でマルセル・エステロンと名乗ることになる男の登場だ。
 名場面欄・名台詞欄で挙げたように今話は前話に引き続き、マルコの心境をじっくり描いている。特に名場面欄に挙げた今話冒頭シーンは、マルコが心を閉ざす状況を演じた相手がいきなりフィオリーナという展開で多くの視聴者を驚かせたことだろう。マルコの絶望は「ジェノバに帰りたい」という思いになるが、これはホームシックに罹ったのではなく「帰らなければならない」という使命だ。帰ってもう一度母の居所を考え直して出直さねばならない、いや先に母が帰っているかも知れないというささやかな希望も含んでいる。
 いずれにしてもその思いの理由は「母がこの街にいない」という事実の他に、マルコ自身が進むことも退くことも出来なくなってしまったという現実の前に放り出されたこともあるはずだ。既にマルコは「盗まれる」という最悪の形で全財産を失っており、バイアブランカへの旅もペッピーノに連れてきて貰って初めて可能だったのだ。だがここで母に逢えなかったら、もうお金もないから戻ることは出来ないし、新たな母の消息を掴んでも進むことすら出来ないのだ。つまり、彼はペッピーノ一座と運命を共にするしかなくなってしまったのだ。こんな現実にいきなり放り出されれば、誰だって「何かに呪われた」と思うしかない。
 だがこの絶望の底辺から抜け出す糸口は既に現れている。次回はそれが遂に形となってマルコの前に展開し、マルコが新たな希望へと突き進む方向へ物語が変わる。それとそうそう、フネ、波平、カツオ(旧)に引き続き、マスオさんも登場。なんかサザエキャラがどんどん揃いつつあるなぁ。やっと前話からの見てられない展開から脱することが出来る…。
  
研究 ・ 
 

第35話「おかあさんの懐かしい文字」
名台詞 「待ってくれ、マルコ。実はその、ブエノスへ帰る旅費のことなんだが…。いや、金はあるんだ。かあさんがその手紙に同封しておいたお金を、メレッリはある男に預けてある。今日は間に合わなかったが、明日汽車が発つまでには必ずこの私が…。そうだよ、ブエノス行きは明日発つんだ。わしらが今朝見たあの汽車さ。金は必ずこの私が宿に届ける。あんたは一日も早く、あの汽車でアンナのところへ…。」
(エステロン)
名台詞度
★★★
 マルコが駅で出会った浮浪者風の男、エステロン。彼はメレッリを知っているとマルコに語り、そのメレッリは死んだとマルコに告げた。だがエステロンはメレッリの家を調べるから午後3時に逢おうと約束してマルコの前から立ち去る。
 そして再びエステロンと会話をした店に来たマルコの元に、一通の手紙が届く。それに従ってやってきたのは。ある牧場の納屋だった。そこでエステロンは母がマルコに宛てた手紙をマルコに渡す。その手紙の内容とエステロンの一言で、母の居場所がわかるという展開を見せた。これを受けて母発見の報せをフィオリーナにしようと飛び出したマルコを、エステロンが止めてこう語るのだ。
 いやー、もう古いアニメなのでネタバレさせてしまうが、この台詞にエステロンの正体を暴露する内容が全部詰め込まれている。この前のシーンでエステロンはアンナからピエトロへの手紙を燃やすシーンが流され、続いてアンナの勤め先を「メキーネスさんの家」とあっさりと告げた辺りから、ペッピーノだけでなく視聴者も「なんかおかしいぞ」と感じた事だろう。その上でのこの台詞だ。マルコが何も言ってないのに手紙に仕送りが入っていたことを知っている点、その金をこの男が用意すると言い出す不審さ、そして最後にマルコの母の名を口に出してしまった点。これでエステロンの正体について、多くの視聴者が気付いただろう。
 もちろん気付くのは視聴者だけでない、この台詞を横で聞いていたペッピーノもだ。マルコはこのエステロンの台詞がおかしいことに気付かずエステロンに感謝を告げているし、コンチエッタもこのシーンに感動しているだけだ。だがペッピーノは髭を動かしながら「これはおかしい」という表情を繰り返し、帰りの馬車では考え込んでしまう。そう、彼は見破っていたのだ。
 このエステロンが我を忘れて自分の正体に繋がる言葉を、不自然さもなくさりげなく口にしてしまうという意味で、上手く言葉を選んだと感心したシーンだ。同時にマルコの「希望」も描かれ、物語は長いトンネルを脱出した。
(次点)「マルコ…よかったわね…よかったわね…マルコ!」(フィオリーナ)
…宿に帰ってきて「母発見」を知らせるマルコに、フィオリーナはこう声を掛ける。この台詞のフィオリーナの感情がとてもよく演じられていて、これまでのフィオリーナ最高のシーンだと思った。
  
この台詞を吐きながらマルコを押し倒すフィオリーナ…う、羨ましすぎる。
名場面 マルコVSエステロン 名場面度
★★★
 傷心のまま街を彷徨い、駅へやってきたマルコはそこでエステロンという男と出会う。エステロンは自分の軽率な行動でマルコに迷惑を掛けたと、マルコを近くの店へ誘って話をする。そこで出てきたマルコの口から出てきた言葉は「メレッリおじさんを捜さないと…」という言葉であった。エステロンが反応しているのに気付かずマルコはなぜメレッリを捜しているかを語る。それを聞いたメレッリは、突然周囲を片付けて「急な用事を思い出した」と席を立つ。だが彼は店の入り口まで行くと振り返って、たった一人でここまで来たのかを問う。頷いたマルコを見届けるとまた帰ろうとするが、再度振り返って「マルコはこれからどうするのか?」と問う。するとマルコは「わかりません」とした上で、こうなったのはメレッリのせいだとし、「散々迷惑駆けた人なんだけど…」と言いかかる。身を乗り出して聞くエステロン、「メレッリおじさんは本当は良い人なんだとみんな言ってました」「もしそうなら僕が来ていると知れば名乗り出てくれると思う」と続ける。エステロンはちょっと表情を変え、「何故バイアブランカにメレッリがいると?」と問うと、マルコはここで目撃情報があったからそれを頼りに来た事を語る。エステロンは一瞬驚くが、すぐ持ち直して「今度こそ失礼するよ」と立ち去ろうとするが…またすぐ立ち止まって振り返る。そして少し悩んだ後、言いにくそうな感じで、「間違いかも知れない」と前置きして「メレッリと同じと思われる人間を…」と言いかかる。そこでマルコは表情を変えて「メレッリおじさんを知っているのですか?」と問い詰める。たじろぐエステロンに「教えて下さい、間違いだって構いません」と食い下がるマルコに、エステロンは少し悩んだ後「気をおとさんで聞いてくれ、その男はもう半月前に死んだよ…」とマルコに告げる、そしてエステロンはその男について語る。「メレッリおじさんが…死んだ…」と呟きながらふらつくマルコに、エステロンはこれまた少し悩んでから、3時まで待ってくれればメレッリの家へ行って、マルコの母さんの手がかりを捜してくると提案するのだ。「本当ですか?」と問うマルコに「ここへもう一度来てくれ」と言い残して、エステロンは店を去る。
 説明が長かったが、このマルコとエステロンの会話シーンで、マルコにとっての長いトンネルといえるシーンが終わる。絶望の底にあったマルコはこのエステロンという男から「希望」を見いだすのだ。もちろんこれには「メレッリは死んだ」というマルコにとって最悪の情報も入っていたが、エステロンがメレッリの家を捜索すると提案したことで、とにかく皮一枚で首が繋がった形で物語が展開を始めるのだ。
 もちろんこの男は怪しい、怪しすぎる。だがこの怪しい男に、藁にもすがる思いでマルコは食い下がる。どう考えても「メレッリが死んだ」以上は、この男にメレッリの情報提供を託すしかてはないのだ。そのマルコの心境を上手く描き出し、演じられていると感じた。
 さらにエステロンの方だ。これは彼の正体を知っていて見ると、ここでの彼の悩みや気持ちが良く描かれている。その正体はやっぱ物語の展開を待つことにして、その彼のリアルな動きこそ、「ただの怪しい男でない」という印象と「確実な情報を持っている」という印象を視聴者に植え付け、物語が進んでいることを印象付けてくるのだ。そういう意味でこのシーンを見た人の多くが「停滞していた物語が進んだ」と感じた事だろう。
  
感想  停滞していた物語が動く、バイアブランカへ来て八方ふさがりの状態になってしまい、進むことも退くことも出来なくなってしまったマルコに、マルコの母に関する確かな情報が突然降って湧いてくる。しかもその情報主が前話でマルコから食べ物を奪った浮浪者だから、視聴者は最初信じられなかっただろう。だがそういう信じられないところから話が降って湧いてくるのが、リアルな点でもあると思う。
 ペッピーノ一座は相変わらず、マルコが自分達の想像以上に情報収集を進めていたことに気付いてなかったが、今話でその情報のズレも修正される。前半のラストでマルコが「メレッリを見つけた」とペッピーノに打ち明けたことで、一座はマルコが予想以上に探索を進めていたことを初めて知ったのだろう。それまではモレッティに頼るのが一番の近道と信じており、コンチエッタはその考えに従った台詞をフィオリーナに告げる。フィオリーナはマルコの情報収集が一座の想像を超えていたことに気付いていた可能性は高い、前話の名場面シーンでマルコの悩みが「母を捜す」から「何とかして帰る」に変わっていたのに彼女が気付かないはずはない。
 そしてペッピーノとコンチエッタがエステロンの元に行くマルコに同行するという設定はこれまた良い。名台詞シーンではこの二人の反応の対比こそが、物語を盛り上げて視聴者を物語に引き込むのだから。
 あーあ、いよいよフィオリーナも次話で終わりかぁ。なんか寂しくなるなー。それを理由に考察を途中で止めるようなことは…たぶんしないと思う。
 
研究 ・バイアブランカ
 前々話からの物語の舞台はバイアブランカという街である。ここはアルゼンチンの首都ブエノスアイレスから南へ約600キロ、ブエノスアイレスから弓なりに大西洋へ着き出している海岸線が次に凹んだ場所となる。その湾の奥に街が位置し、バイアブランカとは「白い湾」という意味を持っている。湾奥にあったこともあって古くから港町として栄え、2001年現在の人口は27万人だ。
…って、やはり物語の舞台としてのバイアブランカの考察を期待していた方も多いと思うが、ブエノスアイレス同様に劇中に出てくるバイアブランカは架空の要素が強く、ペッピーノ一座が宿を取った場所、住所がハッキリしているモレッティの家(ラパス通り…ホテルから南へ3丁、そこを右へどんどん行った先のお屋敷街)やドメニコの家(サン・パブロ12番…ホテルから北へ3丁、西へまっすぐ行って橋を渡った向こう)、次話でフィオリーナとの別れを演じる駅の位置すらも確定することが出来なかった。南米は鉄道事情が悪いせいか、ネットで参照できる地図にアルゼンチンの鉄道路線が書かれていないのが痛い。とても痛い。
 なお、バイアブランカからブエノスアイレスまでの鉄道路線ルートがわからないので、旅程計算は往路と同じものとする(次話研究欄)。

第36話「さようならバイアブランカ」
名台詞 「マルコ、お前って子は…本当に何処まで…。」
(ペッピーノ)
名台詞度
★★★★
 汽車でブエノスアイレスへ出発したマルコを見送ると、ペッピーノはエステロンに声を掛ける。エステロンがメレッリだとすると話が全て繋がるとし、「これでよかった」とするのだ。だがエステロンは自分がメレッリであることを告げた上で、アンナはブエノスアイレスにいないことを打ち明ける。怒りに震えてペッピーノはメレッリを殴るが、メレッリは金の工面が出来なかった事を詫びマルコが母に逢えるよう手はずを整えてあることを語る。そのメレッリを見たペッピーノは、線路が延びる方向へ振り返ってこう呟く。
 この台詞にペッピーノのマルコに対する愛情が見える。間違いなく母に逢えると思ってブエノスに送り出したが、「実はそうでない」と知ったペッピーノのマルコを心配する思い。それに次から次へと苦難が降りかかるマルコに同情と、前途を思っての台詞だ。
 そしてこの台詞は、視聴者がメレッリの台詞を聞いた同じように感じた事だろう。視聴者の思いを劇中でペッピーノが上手く代弁するかたちである。そしてその思いを、波平さんが本当に上手に演じる事で、多くの視聴者がペッピーノとともにマルコの運命に思いを寄せることになる。
 そしてこの台詞が、ここまで物語を彩ってきたペッピーノ一座の最後の台詞となった。
名場面 フィオリーナとの別れ2 名場面度
★★★★★
 バイアブランカへ旅立つマルコは一座に見送りの言葉を掛けられ、ペッピーノに促されて客車のデッキに乗り込む。「さよなら皆さん、本当にありがとう」マルコが声を掛ける、「マルコ…」フィオリーナとマルコが見つめ合う。響く汽笛の音、動き出す列車。遠ざかるフィオリーナの姿に、マルコは「フィオリーナ! アメデオを頼んだよ!」と叫ぶ。「おかあさんによろしくね!」とコンチエッタが叫ぶと、「マルコ!」小さく声を上げてフィオリーナが走り出す。「マルコーっ!」涙を流しながら掛けるフィオリーナに「また逢えるよ、逢えるよきっと」マルコが叫ぶ。フィオリーナは駅員にぶつかりながらホームの端までマルコを追う。「フィオリーナ! 大丈夫!?」とマルコが叫ぶ。立ち尽くして列車を見送るフィオリーナ、汽車を追うアメデオ。「フィオリーナ!」「マルコ!」二人は名を呼び合う。遠ざかる汽車を見て「さよなら…さよなら、マルコ」とフィオリーナはそっと呟く。汽車が見えなくなっても立ち尽くすフィオリーナに、コンチエッタがそっと寄り添う。「アメデオー!」ジュリエッタも駆けてくる。

 感動的な別れだが、言いたいことはたったひとつ。

…さようなら、フィオリーナ。
  

  
今話の名場面欄・名台詞欄をもって、マルコの旅の前半を彩ったペッピーノ一座が物語から降板した。
さらば波平、さらばドロンジョ様…
感想  短い中に色々詰め込んだ回だった。物語は途中まで三重の展開を見せる。
 ひとつはエステロンの謎解きを軸にしたペッピーノとコンチエッタの物語。ここはエステロンという男がとてつもなく怪しいという雰囲気を、彼の正体がわかる前に盛り上げておく役割がある。そうやってマルコが母の元へ行けるのかという不安を煽って、視聴者を惹き付けるのはこの物語では「おやくそく」の感がある。
 その合間にエステロンがドメニコの元を訪れて、いきなり正体をばらすという展開を並行させたのは意外な作りだ。ペッピーノとコンチエッタが一生懸命エステロンの怪しさを盛り上げている裏側で、である。もちろんこの意外性が物語に「変化」を付けるし、マルコと一度会うだけのドメニコというキャラの存在理由だろう。ドメニコは視聴者に「エステロンこそが間違いなくメレッリ」だと突き付けるために存在するのだ。しかし、マスオさんの悪人演技はもうサイコー。
 そして主展開はマルコとフィオリーナが共に歩くことで、マルコの気持ちを浮き彫りにする。そしてマルコの中に生まれる不安、疑い、そして安心と疑いへの後悔を浮き彫りにするのだ。
 このような多重展開が、別れのシーンで瞬時に合流したのは見ていて面白かった。
 そして身を割かれるようなマルコとフィオリーナの別れ…これは感動的で逆に言うことが思い付かない素晴らしいシーンになった。ああ、フィオリーナの出番が終わりだなんて…。そして二人の別れの後はペッピーノがエステロンの正体を見破る展開がちゃんと残されたのは意義深い。ここにはこれまでの「ペッピーノ一座に守られた旅」から、マルコが自分で判断して決断し運命を切り開かねばならないという旅に展開が変わったことを視聴者に告げるのだ。
 ああ、遂にフィオリーナが…(しつこい)…さらば、また逢う日まで…。
  
研究 ・ 

・今回の旅程
(バイアブランカ〜ブエノスアイレス)
移動距離 635km 161里
合計(ジェノバから) 13910km 3541里

第37話「はてしない旅へ」
名台詞 「母親には誰でも逢いたいもんだ…この歳になってもな。」
(ファドバーニ)
名台詞度
★★★★
 ブエノスアイレスに母が不在であることを知ったマルコは、エステロンから「何かあったらファドバーニという男を訪ねてこれを見せてほしい」と手紙を受け取っていたことを思い出した。この言付けに忠実に動いたマルコは、ボーカのジェノバ料理店店主のフォスコの付き添いの元、荷役の仕事で金持ちになったというファドバーニを訪ねる。ファドバーニはマルコにエステロンと名乗っていた男がメレッリだったことを告げた後、彼の所業を良い連ね、マルコが力を落としたところでロサリオ行きの船に乗せることを約束し、ロサリオの有力者への紹介状を書いてコルドバへ行けるよう手はずを整える。それを説明した後にファドバーニが付け加えるように語った台詞がこの一言だ。
 この台詞は単にマルコに同情しているだけでなく、その同情の理由をも上手く語っていると思う。しかも現在の私の年齢の男でも同情できる台詞でだ。母に逢いたい、親に逢いたい、そんな気持ちは子供から大人になる過程で消えるものだと、子供の頃の私は信じ込んでいた。だけど実際にこの歳になってみると、やはり「親に会いたい」という気持ちは消えていないのである。そんな自分の心の中にある現実をこの台詞に教えられた大人は少なくないだろう。
もちろんその「親に会う」という理由は子供と大人では違う。子供は何と言っても親に甘えたいのだし優しくして貰いたいのだが、大人になると親の「老い」が気になるし、それで元気かどうか気になるから顔を見ておきたいのだ。だが大人も子供も親に会うと感じる気持ちは同じ、「ホッとする」のであり「安心する」のである。
 この「いくつになっても母に逢いたい」というここでファドバーニが吐いた台詞こそが、この物語で多くの人がマルコに感情移入出来る理由であり、この物語の根底に流れているものだ。この物語で訴えようとしている「親と子の絆」というものについて考えさせられた上で、大人達に「何故この物語に引き込まれるのか」を自然に再確認させるという意味で、素晴らしい台詞だと感じた。
名場面 ロス・アルテス通り7番地 名場面度
★★★★
 バイアブランカからの汽車を降りたマルコは、エステロンから聞かされた母の居場所…「ロス・アルテス通り7番地」を目指して真っ直ぐ走る。そして該当の番地と家を見つけたマルコは「あの家だ」と呟いて固唾を呑む。そしてゆっくりその家の紋の前まで歩く。「ここだ…」と呟きながらマルコはその家から母が出てくる状況を思い浮かべて緊張するが、「勇気を出すんだ、かあさんに逢えるんだぞ」と自分で自分に言い聞かせる。やがてその家の庭に一人の少女が現れる、マルコはその少女が母が奉公しているメキーネスさんの娘だと思い声を掛ける。「ごめんください、メキーネスさんのお宅ですね?」…この言葉に少女は不思議そうな顔をする。それに気付かずに自己紹介を続けるマルコに少女は答える、「メキーネスさんなら、3ヶ月前にコルドバへ引っ越されたわ…」。その台詞にマルコは「えっ?」と声を上げるとフリーズし、5秒間沈黙する。
 ここは多くの視聴者が「マルコが真実を知る」瞬間で色々な期待や不安を込めて見続けたシーンであろう。ある者はマルコが「母がさらに遠くにいる」と知って打ちのめされると画面から視線を逸らしたであろうし、またある者は真実を知ったマルコの反応を期待したことだろう。そしてその反応は言葉も最小限で、マルコがフレーズするという形で描かれた。
 それだけのシーンでなく、今話が始まってからこのシーンに至るまでの展開が非常に面白い。マルコがアンナからの手紙を読むことで、過去の思い出を思い出す。このシーンでは母が既にブエノスアイレスにいないというマルコ以外の人が知る「事前情報」を忘れさせる役目がある。「事前情報」自体は忘れなくても、忘れなくともその「事前情報」が信頼が高い情報であることを忘れさせる役割を持っているといっていいだろう。そしてそのアンナからマルコへの手紙に出てくるメキーネスの娘の存在。これはこのシーンに物語が進んだときに「やはりここにいるのはメキーネスではないか?」と視聴者に錯覚させる役割がある。こうして油断した視聴者が「事前情報」を忘れて「ここがメキーネスの家」の錯覚するように出来ているし、「事前情報」を忘れて無くても「メキーネスがブエノスアイレスにいないのは何かの間違い」と期待を持つように出来ているのがこれまた憎い。
 いずれにしろこうしてマルコは「現実」を知ることになり、次なる展開への布石となるのだ。
 しかしこの少女…やっちゃっていいですね。ルーシーメイ キターーーーーーーーーーーー!!!!

  
感想  前話の名場面シーンの直後から、物語は新展開へ向かって大きく動き出す。前話のラストで視聴者も含めたマルコ以外の全員に、エステロンの正体が明かされた上で「アンナはブエノスアイレスには不在で、遠くコルドバという街にいる」という「事前情報」が明らかにされている。これを受けてマルコが新たな旅に出るという転換点が前話のラストから次話までの位置づけといったところだろう。私の解釈としては前話でペッピーノ一座が降板しても、まだ新展開に入ったとは思っていない。ここはいわば前回までの展開でマルコだけが知らなかったことが、マルコに明かされるというものであり、残務整理的な話である。
 前話までで「ブエノスアイレスに戻れば母に逢える」とマルコの気持ちを持ち上げておいて、到着後に真実を知って落とされるというのは定番になりつつあるが、今回はこれに加えてファドバーニによってエステロンの正体が知らされ、メレッリが何をしてきたかが包み隠さず明かされるという展開でさらにマルコは下へ落とされるという二段階のショックを受ける。この親戚による裏切りという展開は、だんだんしつこい表現になってきたかも知れないがやはり「容赦がない」展開だ。
 だが今回はマルコを落とすだけ落として終わるのでなく、少しだけ持ち上げる。つまりこの「持ち上げる」の部分は新展開に足を突っ込んでいる部分であり、ここまでの落とされる展開がバイアブランカでの物語の「残務」であるのだ。つまりここでは物語の展開が線を引いたように瞬時に変わるのでなく、緩やかに新しい展開に入るという展開をたどる。
 いよいよ次はマルコが北へと進路を変え最も「母をたずねて三千里」らしい物語へと突入するきっかけだ。次話で物語は完全に「新展開」に切り替わって行くことになる。
研究 ・ 
 

第38話「かあさんだってつらいのに」
名台詞 「やっぱり僕、ロサリオへ連れて言ってもらいます。さっきの人の船で…船の話を聞いたら、途端に決心がついたんです。ごめんなさい、僕、どうかしてたんです。みんなで僕のこと心配してくれてるのに、メソメソしたりグズグズしてて…かあさんの住所だってハッキリわかってるのに。」
(マルコ)
名台詞度
★★★★
 フォスコの店を手伝っている間に、マルコは古代進マリオと名乗る船乗りと出会う。その船乗りはマルコのことを既に知っており、ファドバーニの紹介でマルコをロサリオに送るのが自分達の船だと語り、船のことや待ち合わせの場所などをマルコに語る。そしてマリオがその場を去るとフォスコが現れ、マルコに本当にコルドバへ旅立つのかどうかを心配そうに確認する。その返答としてマルコが力強くこう語るのだ。
 マルコはブエノスアイレスに戻ってきて、母の不在と親類の裏切りという二重のショックに耐えきれず「自分がなすべきこと」を見失ってしまっていた。自分がどうしたら良いかわからなくなってしまい、先が見えない不安に「もう母に逢えないのではないか」と思いつめてしまったのである。このマルコの思いつめる性格によってマルコの苦しみが大袈裟に描かれることになるが、物語が盛り上がるという点においてはこれは正しい描かれ方だろう。
 そこでマルコが見落としていたのは、ファドバーニに逢ったことで母の居場所がハッキリしたという本来ならば喜ぶべき情報が入ったことであった。だが思いつめたマルコにはこの情報が朗報とは気付かず、かえって「遠い場所に行く」という不安に戦くことになる。
 この不安を撤廃するのは、その遠い地への旅に対する不安を取り除くことであった。ここで出会ったマリオという男がマルコにとって優しい男であり、その男が語りロサリオまでの船旅は楽しそうだと聞こえたこと。これがマルコの不安を見事に取り除いた。その結果、マルコは「母の居場所がハッキリした」という事実を朗報として受け止めることができ、「思いつめる」というマイナス思考から「前進する」というプラス思考へと切り替えることが出来た。このマルコの想いや性格がこの台詞に見事に詰め込まれている。
 そしてマルコはこの思考の転換によって、色々な人が自分を心配して助けてくれるという事実にやっと気が付くのである。自分を心配してくれて力を与えてくれるのは、ペッピーノ一座だけではなかったということだ。だからマルコは、旅立つ前にブエノスアイレスで世話になった人を訪れようと決意して出かけるのだ。
 もちろんこの台詞を聞いたフォスコは、これまでの沈んだマルコを見ていた不安だったのだが、一転して安心する。彼もマルコが思考を転換したことに気付き、安心してロサリオへ送り出すのだ。
名場面 想い出 名場面度
★★★★
 ロハス邸に行ってロハス夫人から母の悪口を散々聞かされたマルコだったが、街を歩いているとアメデオが勝手に走り出す。そんなアメデオを追って行き着いた先は、マルコとフィオリーナとの感動の再会が演じられたあの公園だった。「僕をここへ連れてきたかったんだね、アメデオ」とマルコは声を上げ、フィオリーナと再会したベンチを見つけて腰を掛ける。「お前がフィオリーナを連れてきてくれたんだ」…アメデオに想い出を語るマルコ。その前を修道女が横切ることで、マルコはこの街にもう一人恩人がいたことを思い出す。
 このシーンは凄く気に入った。回想シーンが一切無いのに、フィオリーナの顔や声が思い出せるよう上手く造ってあるのだ。ここまでずっと見てきた視聴者は、マルコと一緒にフィオリーナを思い出しては感慨に耽ることだろう。彼女が画面から去ったのはつい前々話のことなのだが、なんかすごく話数を重ねているような錯覚すら思い出す。
 旅先での想い出に出会うというのは、そんな不思議な気持ちを味わうことになる。その切なさを短いシーンに上手く詰め込んだと感心した。旅先できれいな女性と出会ったりしたときに経験あるからなー、マルコに思い切り感情移入しちゃったよ。
  
感想  ブエノスアイレスからバイアブランカの往復を描いた第三幕「バイアブランカ編」の最終話はまさに今話であろう。前回までの落ち込んだマルコがまた「前進あるのみ」と自分を取り戻し、その上でブエノスアイレスで出会った人々を訪ねるという展開で物語を一度リセットする。マルコの南米の旅としても、今話で前半と後半で区切ることが出来る。ロシータとペッピーノ一座についてはマルコの「想い出」として精算したが、メーテルジブリアーナとは再会劇を通じてその存在をリセットするという重大な物語だ。こうして過去の展開に一度区切りを付けてから、物語は次話からの新展開へと足を踏み入れることになる。
 そして「過去の展開への区切り」という今話の大きな展開の中に、新展開の新キャラもキチンと用意される。それは次話の船旅でマルコの力となるマリオだ。せーの、古代進キターーーーーーーーーーーー!!!!!!!!って、やっぱり富山敬さんの声はいつ聞いてもいいや。説明しよう!ってか。
 だがただ過去の展開の人を登場させて物語をなぞるのでなく、物語に登場不能となったペッピーノ一座だけでなく、マルコがブエノスアイレスで最初に助けられたロシータも出さなかったのはポイントが高い。軽はずみに彼女を出していたら、アンナがロハス邸の人々に歓迎されていなかったという事実は薄まってしまい、アンナの悪口を聞かされてもブレないマルコというりが描けなくなってしまうのでこれでよい。同時にロシータに逢えないことで安易に回想シーンで物語を繋ぐようなことをしなかったのも好感が持てる。個人的にはもう一度ケイト・ポップルボイスを聞きたかったが、それでは白けてしまっただろう。
 そしてロシータとペッピーノ一座について、回想シーンを一切使わずに想い出を紡ぐ展開をしておいてから、メーテルジブリアーナと再会劇を演じさせたのもとても良い。これはロシータに出会えなかったからこそ再会を期待するし、再会して感動するシーンでもあるのだ。そしてジブリアーナのマルコの母に対する想いをハッキリさせて、物語はマルコがロサリオ行きの船に乗り込んで喜ぶというオチを付ける。
 いよいよ次話から新展開。「母をたずねて三千里」のラストを飾る第四幕、「再会編」とでも名付けようか。いよいよここから物語の「容赦のなさ」がマルコに牙をむく、「母をたずねて三千里」らしい展開となって行くのだ。
研究 ・ 
  

第39話「ばら色のよあけロサリオ」
名台詞 「ロサリオ……あそこからコルドバまで、馬車で10日…。」
(マルコ)
名台詞度
★★
 マルコを乗せたアンドレアドーリア号がいよいよロサリオに着く。船長のロサリオが見えたとの声に飛び起きたマルコは船首へ走り、眼前に広がるロサリオの街を見てこう呟く。
 この台詞こそが今話の、そして今回の移動手段であるアンドレアドーリア号の役割を上手く示している。そう、まだ後半の旅が始まったばかりで先は長いのだ。その「先の長さ」を具体的にマルコか呟くことで、いよいよ終盤戦にかかるこの物語の期待と不安を高める。
 もちろん初めて見る人にもここから先の道のりが平坦でないことは重々承知のことだろう。マルコにはコルドバという「終着地」は見えてきてはいるものの、ここまでの展開を考えればそう簡単に物語が進むわけはないのだ。マルコの「馬車で10日」という台詞には、そのここから先も決して平坦ではない道のりが示唆されていると言えよう。
 そして劇中のマルコ当人が、ここからの道のりが決して平坦ではないことを悟っているのも確かだと言う事が分かる。とにかくこの台詞でもってこの先の苦難が予想され、新展開第一話目の今話の役割がこのたった一言で済まされてしまうという印象深い台詞となったのだ。
名場面 次回予告 名場面度
★★
「ロサリオに着いたマルコは、早速ファドバーニさんから紹介された人の屋敷を訪ねます。その人に会えればおかあさんのいるコルドバへ連れて行ってもらえると喜んでいたマルコでしたが、出てきた執事にすげなく追い返されてしまいました。行く宛てもなくロサリオの街を彷徨うマルコは、幸運なことに移民船で一緒だったフェデリコじいさんと再会したのでした。次回『母をたずねて三千里』、『かがやくイタリアの星一つ』お楽しみにね!」
 見事な次回予告だ。次話は「母をたずねて三千里」でも有名な「あの話」なのだが、こんな感動的な物語が隠されていると言うことを全く予感させない。だがこの予告自体が次話にものすごい感動が詰まっていることを予感させてくれる、それは過去の流れから見た場合に次話で主要な点になることを全てネタバレさせてしまっていることだ。マルコがファドバーニからの紹介者を訪ねた結果や、フェデリコと再会するという「先回り」してネタバレさせる必要も無いことをわざわざネタバレさせるのである。これで「なんか変だぞ」と初回視聴時に思う人は多いかも知れない。つまり今話の続きの物語として重要な要素を次回予告の段階で語ってしまうという事実に、物語で一・二を争うほどの感動の名場面があるのではないかと予感させる作りになっているのだ。
 私はこの次回予告を初めて見た時の感想は覚えていない。というか私が「母をたずねて三千里」を最初に通しで見た時、次回予告は全てカットされていた記憶があるのだ。それもあって今になってこの次回予告を見せられて驚いたのだ。
 ちなみに当名場面欄で「次回予告」が挙がったのはこれで二度目、「小公女セーラ」で一度次回予告を名場面欄に挙げた。それとは別に「愛の若草物語」の名台詞欄次点にベスの次回予告を挙げたことがある。
 
感想  新展開、「母をたずねて三千里」第四幕の初回は、「つかみはOK!」的な話で特にこれと言って何も起きない。ただ船上での物語を面白おかしく描いたのと、マルコがブエノスアイレスから新展開の最初の舞台であり、感動の舞台でもあるロサリオへの移動を淡々と描いただけである。同時にロサリオから先の旅路が困難に満ちたものであることを予感させるという重責を担っている。
 特に今回の船長とマリオのコンビは見ていて面白い。「世界名作劇場」シリーズの脇役同士のコンビでは一・二を争う名コンビであると思う。実は名場面欄は他を選んでいたのだが、この二人のことばかりになってしまってマルコが出てくる隙が全く無かった…つまり本筋から大幅に脱線してしまったので名場面欄を修正したのはここだけの話。この二人が出てくるのが今話と次話冒頭だけというのはなんか勿体ない、この船での旅がもう一話欲しかったなー。
 で、いよいよ次が「あれ」である。「母をたずねて三千里」のマルコの旅の中でも、一・二を争う感動の名場面だ。前話でそこへ向けて盛り上げるようなことはせず、その感動シーンは唐突に現れるのだ。
研究 ・アンドレアドーリア号
 今回のマルコの旅は小さな帆船でのラプラタ川の遡上となる。その船の名はアンドレアドーリア号、船員はわずか二人という小さな船だ。
 船の大きさは見たところ全長20メートル、全幅5メートルといったところだろう。現在で言えば30トンクラスの小型の貨物船といったところだ。船影を見て戴ければわかるように、とても立派な帆が張ってあるのでとても二人だけで操船出来るとは思われない。また二人という人数は昼夜ぶっ通しで誰かが操船するにはちょっと無理のある人数だ、あと一人か二人増員して当直体制をしっかりしないと、二人とも過労で倒れるぞ。
 この船は劇中の台詞等から、ブエノスアイレスとロサリオを結ぶ定期貨物船と考えられる。川沿いの街で貨物を乗せたり降ろしたりしながらふたつの街の間を各駅停車で結んでいるのだろう。途中のサンニコラスという街に寄港する予定であったが、通過したのはマルコを早くロサリオへ送りたいという船長の一存では決められないはずだ。恐らく前もってサンニコラスからの荷物がなく、降ろす荷物も急ぎではないので帰りで良いという判断があったことだろう。
 この旅路をこの地図に示してみた。「1」地点がブエノスアイレス、「3」地点がロサリオ、そして「2」地点がマリオのこと人が住むサンニコラスである。全行程は350キロ、劇中で4日間の行程と語られていたので、1日平均80〜90キロ程度の旅路であったことがわかる。24時間ぶっ通しで船が進んでいたなら平均時速3〜4キロ、せいぜい2ノットと言うことになろう。


・今回の旅程
(ブエノスアイレス〜ロサリオ)
移動距離 350km 89里
合計(ジェノバから) 14260km 3631里

第40話「かがやくイタリアの星一つ」
名台詞 「いいんだ、いいんだ…いつかお前さんも、何処かできっと今夜の恩返しをすることになる。」
(フェデリコ)
名台詞度
★★★★
 名場面シーンを受けて椅子の上に上がり皆にお礼の挨拶を使用したマルコだが、「ありがとう、みんな…みんな…ありがとう。僕…僕…」と言葉にならない。そんなマルコにフェデリコは優しくこう言葉を掛ける。
 そう、受けた恩は返さなきゃならない。マルコがここで得た教訓はこれだ。目の前にいる人達に直接でなくてもいい、結果的にこの人達に恩返しをしなければならない。マルコはこの年をフェデリコのこの台詞で、深く決意したことだろう。
 この台詞について思いを馳せる出来事がこの連載中に起きている。それは3月11日の東北太平洋沖地震の震災についてだ。これまで世界各地で地震被害が出る度に、素早く援助を申し出てきた日本に実に多くの支援表明があったことは、まさにこの台詞の論理によるものだ。国内においても兵庫県や新潟県など、過去に大きな震災を経験した地域が積極的な支援活動を展開している。その底辺にはやはりこの台詞の論理「いつか恩返しをする日が来る」というものがあったのは確かだろう。
名場面 イタリアの星 名場面度
★★★★★
 ファドバーニの紹介で訪れたバリエントス邸で、マルコは容赦のない酷い扱いを受けた上に差別的な発言でもって侮辱される。それで落ち込んで進退窮まり路頭に迷うマルコとフェデリコが再会し、フェデリコの息子であるジョバンニが事態を打開する手段として「イタリアの星」という店を挙げる。
 そして夜、フェデリコとジョバンニがマルコを連れて「イタリアの星」を訪れた。ジョバンニは店員に断りを入れた後、店内の客にジェノバから来た少年がこの街の金持ちに侮辱をされたことを語り出す。続いてフェデリコが立ち上がりマルコ本人についてとマルコのこれまでの旅路について語り、その上で侮辱され進退窮まって路頭に迷っていることを説明、「わしはなんとしてもこの子をお袋さんに会わせてやりたい」とすると店内の客からどよめきが上がる。続いてジョバンニが「ここに20人以上のイタリア出の人間がいる、一人2ペソ足らず出してくれれば、明日この子はコルドバ行きの汽車の中だ」と語ると「汽車で!?」マルコは驚き、「なるほど」とフェデリコもジョバンニの意図を知る。「もう余計な事は言わねぇ、切符代をみんなで出し合って、この子をコルドバへ送ってやろうじゃないか。それとも犬っころのようにここにおっぽり出してもいいのかね!?」…ジョバンニがギレン・ザビ顔負けの手振りで演説ぶると、店内の観客から同意の声が上がって男達は札を出し合う。目の前のテーブルに見る見るお金が貯まって行くのを、呆然と眺めるだけのマルコ。さらに店内の男達はイタリアの歌を歌ってマルコを励ます。店員の女性はマルコにエビが載った特性のパスタ料理を振る舞い、イタリア人以外の客もロサリオの人間が冷たくしたお詫びにとお金を差し出す。これを見てマルコはフェデリコに抱き付いて泣く。そしてジョバンニが集まった金を勘定し、「着いたぞ! コルドバに!」と声を上げると観客から歓声が上がる。マルコは椅子の上に立って星飛雄馬ばりの涙を流しながら泣きながら店内の人達に礼を言おうとするが、言葉にならない。
 もう言うまでもない「母をたずねて三千里」で一・二を争う名場面である。容赦のない仕打ちで進退窮まったマルコが、何も知らぬ大勢の同胞達に助けられるこのシーンはこの歳になると涙無しでは見られない。遙々遠いところからやってきた小さな仲間を救おうという男達の心意気、そしてそれに動かされたその場に居合わせただけの異郷の人…このシーンを作り完成させたのは間違いなくこのシーンだけで出てくる名もない脇役達だ。
 そして路頭に迷うかに思われたマルコは、このような形で多くの人の支援によって道が開かれるのである。今話では前半で徹底的に落とされただけに、こういう「救い」のシーンですぐに復帰したのはある意味清々しくもあり、多くの人の印象に残ったシーンなのは間違いないだろう。
  

  
感想          .。::+。゚:゜゚。・::。.        .。::・。゚:゜゚。*::。.
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 だめだ、この歳になると涙腺が緩んでるからこういうシーン(名場面欄)見るとどうしても涙が出てしまう。何よりもマルコが一度どん底まで落とされた後なので余計だ。またわざわざ店内のイタリア人以外の人がマルコにロサリオの人間がやった非礼を詫びて募金するシーンを入れたのは泣ける。まぁこれは実在のロサリオの人のためのフォローなんだろうけど。
 何度も言うが今話のマルコはどん底まで落とされる。これまでどん底まで落ちたのは何度もあるが、差別的発言で罵られるという精神的ショックがでかすぎる展開は始めてた。それでもマルコは怯まずに「歩いてでもコルドバへ行く」と立ち上がるが、それはどう考えても無理。そこでご都合主義的に現れれるフェデリコ、ここで終わって今までのように地味にマルコが助かる展開ならフェデリコの登場は本当に「ご都合主義」になってしまうところだった。初視聴当時はフェデリコが出てきた事で、ここからはバイアブランカ編のペッピーノのようにフェデリコやその親族と一緒に母との再会までの物語になると思っていたから。
 ところが物語はジェットコースターの用に急上昇する。名場面欄のように「募金」という激しい展開でマルコは唐突にコルドバ行きの切符を手にすることになるのだ。まだ物語は10話残っているので多くの人はコルドバに着くまでにまた苦労があると思うだろうから、完全に意表を突かれる展開だ。残り話数からの関係で想定できることはコルドバで母に逢えないというという展開であり、勘のいい人はそういう目線でここから数話を見る事になる。
 今話は「母をたずねて三千里」らしい「容赦なくマルコを追い落とす展開」と、「追い落とされたマルコが人の情けで立ち上がる」展開の両方がセットだった。これまでは落とされる話は落とされる話、立ち上がる話は立ち上がる話で別々だったことが多かった。だからこそ余計に今話の後半、特に名場面シーンで油断した人は多かったことだろう。
 こうして物語はいよいよ終盤、第四幕「再会編」の核心部分へと入って行く。
研究 ・ 
 

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