心象鉄道12.京浜急行・思い出の電車達
600形(U)・1000形(T)・800形(U)・2000形・1500形・600形(V)・都営地下鉄5000形

(マイクロエース・KATO・グリーンマックス Nゲージスケール)
私の少年時代の記憶を彩る電車達

模型写真・懐かしい地下鉄乗り入れコンビ

2016年4月12日追加記事こちら

800形(U)6連化工事完了


本記事の模型車両撮影に使った貸しレイアウト
東京都西多摩郡瑞穂町「ファインクラフト」さんです。
(JR八高線箱根ヶ崎駅徒歩20分・駐車場完備)

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1.京浜急行

 関東の大手私鉄の多くは都心と郊外のベッドタウンを結ぶ路線としての要素が強く、関西のように都市間鉄道としての性格を強く持つ路線は殆ど無いと言って良いだろう。そんな中に都市間鉄道としての性格を強く持つ鉄道会社がひとつある。
 それが京浜急行だ。東京(品川)と横浜という関東地方の二大都市を結び、その延長線上にある横須賀を経て三浦半島へ至る鉄道だ。この鉄道は横浜を境にその表情が大きく違うのが特徴で、特に品川から横浜の間は都市間鉄道としての趣を強く持つ。横浜から南はベッドタウンを結ぶ路線であるが、ここも山へ向かう路線が多い他の関東私鉄とは雰囲気が大きく異なり、「海」へ向かうという雰囲気が強く漂う独特の路線である。

 それは品川から京浜急行に乗って南へ向かうとよくわかる。最初は都心風景からすぐ下町風情に変化し、東京都内の住宅街を走り抜ける。大森、蒲田という古くからの街を駆け抜けると神奈川県に入り、車窓風景は工業地帯が近いことを感じさせるものとなる。やがて海辺に拡がる大都市横浜に入り、横浜の市街地を抜けると丘陵地に拡がる住宅街を結ぶ路線へと変化し、やがて丘陵は三浦半島を形成する脊梁部の山並みへと変化し、トンネルを何本も抜けたかと思うと、目の前にぱっと海が拡がる。この「行き着き先は海」という路線は関東の大手私鉄では京浜急行だけだ。小田急江ノ島線も海へ向かうが、こちらは電車から海を見る事は出来ない。海は終着駅の改札の向こうだからだ。

 この京浜急行は都市と都市を、または都市と半島を結ぶという風情だけではない、そこを結ぶ電車達が実に魅力的かつ、豪快な走りっぷりを見せてくれるのも面白いところだ。快特や特急と言った高速列車がフルスピードで飛ばしていくのはもちろん、見事な緩急接続ダイヤを実現するため、その合間を縫って走る急行や普通列車も特急などから「逃げる」ために可能な限りのスピードで走る。その豪快な電車の走りは、普段のんびり走ってばかりの西武線沿線に住む私を夢中にさせるのに十分過ぎるものだ。

 今回はこの京浜急行電車を、私が持つ鉄道模型を通じて紹介したい。

2.私と京浜急行

 私と京浜急行の付き合いは古い。正直言って、最初に乗った記憶は残っていない。沿線に母の実家や親類があったこともあって、物心ついた時には「よく乗る路線」のひとつになっていたのだ。
 親類の家は本線雑色駅近くと、空港線大鳥居駅の近く。私は幼少時代、杉並区に住んでいて鉄道はバスで荻窪駅か中野駅まで行っての利用だった。そこから地下鉄東西線に乗って日本橋へ行き、都営浅草線から京浜急行に乗り入れる電車に乗り換えて京浜蒲田へ、ここで普通電車や空港線(我々一家は穴守線と呼んでいた)に乗り換えて目的地を目指していたわけだ。私の実家が石神井に引っ越すと山手線で品川経由に変わったが、乗る電車は変わらなかった。

 京浜蒲田まで乗る電車は地下鉄から乗り入れてくる特急や急行である、赤に白い線が入った京急電車だけでなく、朱色・クリーム・シルバーの3色に彩られた都営地下鉄の電車がここでの出番だ。一度だけ都営地下鉄で当時最新車両だったステンレスカーに当たったことがある。数少ないステンレスカーは幼い私にも「新車」と映り、乗り込んだ時のわくわく感は今も忘れない。
 一度、品川で蒲田に停車する急行電車に乗り遅れたことがある。その時、我々一家の目の前に入ってきた後続の電車は「快速特急」という名前だけで早そうな電車だった。ぱっと見ではいつも乗っている特急の京浜急行電車と同じ電車に見えたが、よく見ると横の扉の数が少ない。そして車内を覗き込んだらなんとボックスシート! 思わず「この電車乗りたい」と言ってしまったの覚えているが、「蒲田に停まらないからダメだよ」と兄に言われて諦めたのも記憶に残っている。

 小学4年生位になってくると、持っていた本(「大百科」シリーズとか)などを通じて電車の形式を覚え始めた、特急や普通で乗る赤い電車は「1000形」、カラフルな都営地下鉄の電車は「5000形」、都営地下鉄のステンレスカーは「5200形」、快速特急のボックスシートは「600形」、穴守線の五月蠅い電車は「400形」ということがわかってきた。それらの電車が線路際ギリギリまで家が建ち並ぶ光景の中を凄いスピードで飛ばして行く。畑が残るのんびりした風景の中をのんびり走る西武線とは大違いだ。まだ当時は高架も青物横丁の手前までで、そこから立会川までは地平を走っていた時代だ。
 この時の私の憧れは600形だった、決して新しい電車には見えなかったが、ボックスシートの電車が我らが急行電車を豪快に追い抜いていく姿に魅了された。特に「ボックスシート」というのは、都会から出ることが殆ど無い少年にとってはよそ行きの電車であり、「遠くまで行く電車」として映りそれだけで憧れの対象だ。

 その600形に始めて乗ったのは小学4年生の夏休み。この日は、始めて親類の家へ向かう以外の理由で京浜急行に乗った記念すべき日でもある。当時「釣り」にはまり始めだった父が家族全員を連れて三浦半島へ釣りに出かけることになったのだ。この日の目的地は金沢文庫、始めてあの「快速特急」の客になったのだ。だが往路で来た電車は私をがっかりさせた。特急電車と同じロングシートの1000形が来たのだ、いつも見る「快速特急」と違ったのは残念だったが、横浜までのその豪快な走りに魅了された。復路はあの600形がやってきて、ボックスシートでの旅になったのを記憶している。窓の下に冷房の吹き出し口をみて「電車にはこういうクーラーもあるんだ」と驚いた記憶もある。
 その翌年にはやはり父の釣りの付き合いで横須賀市の猿島へ行った。この時も往復京浜急行だったが、往路は「快速特急」ではなく普通の「特急」だった。復路はやっぱり600形の「快速特急」で、やはりボックスシートでの「よそ行き」の気分を味わった。だがその後、父が釣りに行く場所が三浦半島から西湘方面に代わり、父が自動車を購入したこともあって鉄道利用ではなくなってしまう。

 だが私は京浜急行の虜になった。4年生の時、クラスに電車好きの子が私を含めて3人いたが、地元の西武線以外で話題に上がるのは残りの二人が語る小田急ロマンスカーと、私が語る京浜急行の話であった。「快速特急」という種別名はその友人達に興味を持たせるだけのインパクトがあったのは事実のようだ。「電車ごっこ」遊び(誰かが運転士・誰かか車掌を演じたり、自転車を電車に見立てて遊んだりする)で取り上げられるのも小田急ロマンスカーや京浜急行であった。
 中学に上がると、鉄道研究部などで私は京浜急行が好きだというキャラクターであった。

 小学6年生の時、京浜急行に快速特急用の新型が出る事を知る。80年代の京浜急行のフラッグシップとなる2000形の登場だ。営業運転を開始したと知ると、年始間もない頃だった頃なのでお年玉を握りしめて初めての一人旅をした。西武線と山手線を乗り継いで品川へ、そして1000形の「快速特急」で久里浜へ行き、ここで新型が来るのを待つという計画だ。往路の「快速特急」は1本後へずらせば600形だったと知って悔しがったのは覚えている。そして復路、「快速特急」を2本見送ると話題の2000形が静かにやってきた。大きな窓、ゆったりした座席…特急料金が要らない電車とはにわかに信じられなかった。久里浜駅のホームで同い年のやはり京浜急行が好きだという少年と仲良くなり、私が2000形は始めてだと言うと窓際の席に座られてくれた。大きな窓から流れゆく景色を心から堪能した初めての「一人旅」は、京浜急行が舞台だったのだ。
 そしてさらに私は京浜急行にはまってゆく。都営地下鉄電車で逗子線へ乗り入れる電車があると知って、わざわざそれに乗りに行ったのはこの「一人旅」から僅か数週間後の事だ。この帰りにもわざわざ2000形を狙ったのは言うまでもない。さらに朝の「通勤快速特急」の600形12両編成を見てみたいと、沿線の親類の家に泊めて貰って始発電車で浦賀を目指したのは小学校卒業式から数日後の春休みの1日。ついでに大師線も全線乗り、その数日後にはわざわざ三崎口まで往復し(帰りは当然2000形狙い)。京浜急行は私が始めて全戦制覇した大手私鉄となった。中学1年の夏休みには、試しに品川から浦賀まで普通電車で全線通すということもやってみた。

 このように、私の鉄道への興味が全国規模に拡がる前の思い出は、京浜急行が主役なのだ。京浜急行の模型はその頃の思い出が主だが、そうでないものもあるので今回はまとめて紹介したい。


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