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第41話 「トゥルクの人々」
名台詞 「それはカトリを見ていれば、叔母様にも解るようになりますわ。」
(ロッタ)
名台詞度
★★★
 カトリがトゥールクのロッタの実家に到着する。まずは使用人のセルマに迎え入れられ、そしてロッタの叔母であるイーネスの前に出される。イーネスはこの屋敷に来た以上は自分の言うことが絶対だとして、セルマの指示命令は自分の命令だとして聞くようにカトリに突きつける。これを受けてセルマが「私の言いつけに背いたら承知しないよ」とカトリに言い渡したところでロッタがイーネスの部屋に現れる。ロッタは「それは待ってちょうだい」とセルマに命じ、イーネスにカトリはあくまでも自分が雇った使用人であり、カトリは自分の命令だけ聞けば良いことを突きつける。これに対してイーネスが「全く解らないわね、こんな田舎娘に何が出来るって言うの? なんであんたはこの娘を特別扱いするの?」と問うと、ロッタが返答したのがこの台詞だ。
 カトリだけでなくイーネスに対するロッタの絶対の信頼も上手く描かれている台詞だと感心した。カトリに対して厳しい言葉を浴びせかける自分の叔母に対して、カトリの弁護を一切しない上でこの台詞だ。つまりロッタはイーネスの性格を知っていて、このカトリという娘は自分だけでなくイーネスも気に入る少女であることをロッタが知っていると言うことだ。恐らく、ロッタは幼い頃に母を亡くし、この屋敷で叔母であるイーネスに育てられたのだろう。だからイーネスがどのような娘なら気に入るのか知っているはずだし、そのイーネスに育てられた自分だからこそカトリが気に入っているという事を自覚できているに違いないのだ。だからこそここでカトリを弁護してその場を繕うのでなく、時間は掛かってもカトリの言動を見てもらえばこの少女がイーネスの信頼を得られる娘になると確信していたのである。
 もちろん、もう話数に限りがあるとは言え、イーネスがカトリを簡単に理解するような展開は考えられない。イーネスがカトリを信頼するようになる過程で、カトリを巡ってロッタとイーネスが衝突することになるのも確かだろう。だがロッタはカトリはイーネスが気に入る少女だと信じているからこそ、突き進むことになるのだと考えられる。
 またイーネスにとってカトリが気に入るはずの少女だからこそ、ロッタはこれ以前にカトリにイーネスについて語らなかったとも考えられる、。もしイーネスにとってカトリが気に入らない存在であるとしたら、カトリに警戒するよう事前に説明したと考えられる。そんなことまで見えてくるから、この台詞が印象に残った。
名場面 リラク邸到着 名場面度
★★★
 カトリのトゥールクでの働き先となる、ロッタの実家であるリラク邸に着いた。カトリは玄関の前で大声で屋敷の人を呼ぶが返事がない、続いて呼び鈴を引いてみるが反応がない。もう一度呼び鈴を鳴らそうとしたところで、屋敷の使用人が出てくる。「こんにちは、私カトリです」とカトリは声を上げるが使用人は黙ってカトリを見下ろすだけだ。「私、カトリです。奥様はいらっしゃいますか?」続けてカトリは問うと、「奥様というのはイーネス様のこと?」とやっと使用人は口を開く。「ロッタ様です。カトリが来たとお伝えください」とカトリが続けると、「ロッタ様はいらっしゃらないわ」と使用人は冷たく答える。「あの、どういうことなんでしょうか? 私は奥様に呼ばれて…」カトリの言葉を遮るように「知っているわ、ロッタ様はお散歩よ」と使用人が答えると、やっとカトリは安堵して「あの、私カトリと言います」と自己紹介する。使用人は冷たく「三度目だよ」とだけ答えると、奥から老齢の女性の声で「誰が来たの?」と声が飛んでくる。「ロッタ様がお雇いになった…」とここでセルマという名前が判明する使用人が答えると、「ああ、あの娘が勝手に雇った田舎娘ね」と奥の声は手厳しい返答が返ってくる。セルマがロッタが不在だからどうするかを尋ねると、「外で待たせるわけにも行かないでしょう」と返答があってカトリは屋敷の中に通される。その過程でセルマはカトリがアベルを連れてきたことを非難し「奥様が何というか…」と付け加えると、カトリが「奥様が連れてきて良いと…」と訴えると「この家では奥様はイーネス様ですよ」と冷たく言い放つ。カトリは力なくアンサーバックし、アベルに待つように言うと屋敷の中に入る。
 カトリが新しい勤務先に到着するのはこれが三度目、最初はメンヘルの奥様への不安、二度目は話が全く伝わっていないことを不安材料として描き出したが、屋敷の人や空気が悪いようには描かれずカトリに取ってそこが楽園となるよう上手く描かれていた。だが今回は違う、最初の応対した使用人のセルマは冷たくて厳しい印象を一発で植え付けてくるし、ここではまだ声だけで登場の屋敷の主イーネスはさらに厳しそうな口調でまだ姿すら見ていないカトリを田舎娘と罵る。この上でセルマがアベルの存在を非難すれば、この屋敷の「空気」は完成だ。この空気でカトリは完全に警戒モードに入っているし、何よりもその表情からいつもの明るさが消えている。こうしてこの屋敷はカトリに取って楽しい場所ではないことがうまく示され、今後の不安を盛り上げる事に成功している。
 ここだけ見ているとカトリに味方はいないんじゃないかと感じてしまう。ひょっとしたら散歩から帰ったロッタもイーネスに合わせて辛いことを言い出すんじゃないかと…でもこの後、名台詞欄シーンでロッタが現れればやはり以前と同じ優しい奥様なのでカトリと一緒に視聴者も安堵するところだろう。登場人物と一緒に視聴者も一喜一憂できる、こんなアニメって最近のではあまり見ないなー。
感想  ミンチン院長 キターーーーー!!!! ジェームス キターーーーー!!!!
 リラク邸を取り仕切る厳しい声の「奥様」は、中西妙子さんじゃないですかー。なんかミンチン院長とかぶるところが多くて怖かったぞ。対照的に恐らく庭師であろう男性の使用人であるサロモンは郷里大輔さん、ジェームスとは違って主人公に優しい使用人だなぁ。だんだん「小公女セーラ」の声も揃ってきたぞ、考えてみればロッタの中の人も「小公女セーラ」ではざーますざーます言ってたもんなー。
 前半はコミカルで面白かった。前話からずっと荷物車に閉じ込められたアベルが何かやらかしそうな空気を匂わせておいて、やっぱり何かするところは面白い。でもそのアベルを巡る騒動は「何も起こらない物語を盛り上げる」だけでなく、カトリが列車内を走り回ることになってアッキと再会するというご都合展開の発端を担っている。でもアッキとエミリアが実は知り合いだったという展開はなく、二人は初対面であることが明確に描かれたのはとても良かったと思う。確か、この二人は恋人同士になって終わった記憶がよみがえってきた。これだけでなく、今話を見て色々と今後の展開を思い出したのは事実だ。
 そして前半の最後にカトリはいよいよ屋敷に着く。ここでロッタが留守というのはこの手の物語ではおやくそくで、名場面欄のように物語を不安な方向に盛り上げる。だけど今話は敢えてロッタ&カトリとイーネス&セルマの対立は第一ラウンドだけで終わらせる。本話の目的はあくまでもトゥールク編における新キャラの紹介にあるからだ。
 イーネスもセルマも覚えてる。確かセルマは早い段階でカトリに落とされた記憶がある、イーネスはなかなか落ちないんだよなー。確かカトリの声を聴くと頭痛が…とか言い出すんじゃなかったっけ? でもラストまでに結局はイーネスもカトリの側に落ちるんだ。
 さらに台所担当の使用人ノーラは、どこかで声を聴いたと思ったら「小公女セーラ」のパン屋のおかみだ。このキャラも覚えてた、「初登場で陽気に歌っていたキャラは誰だったかなー」ってずっと思い出せなかったんだ。それに犬小屋担当のサロモン、もう残り10話をきっているこの段階で、新キャラが続々と出てくるのは前作「わたしのアンネット」と同じだな。サブタイトルのつくりまで同じだし。
 いよいよ次話から、この屋敷での「本題」が始まる。次回予告では早速ロッタ&カトリとイーネス&セルマの対立の第二ラウンドが示唆されていた。ここまでのライッコラ屋敷の物語やクウセラ屋敷の物語が平穏だっただけに、ここからは新しい「カトリ」が見られるかもと思ってちょっと期待しちゃうぞ。

第42話 「絵のない絵本」
名台詞  「叔母様も大変だったのね。そう、きっと疲れてしまったんだわ。」
(ロッタ)
名台詞度
★★
 名場面欄シーンの事件があった夜、クラウスを寝かしつけた後でロッタがカトリに「さっきは酷い目に遭ったわね…叔母様はだんだん偏屈になるわ。昔はこれほどでもなかったんだけど」と語る。カトリはロッタの母がいつ他界したのかを問い、ロッタが「私が8歳の時」と答えると「その時から、あの方がこの家の主婦代わりをお勤めになっているんですね」とカトリが語る。これへの返答としてロッタが語ったのがこの台詞だ。
 本話の前半〜中盤にかけて、カトリを巡ってイーネスと激しく対立していたロッタだが、そのロッタも心の中ではキチンとイーネスを理解している事が解る。これだけの屋敷を切り盛りすることがどれだけ大変か、その気苦労はクウセラ屋敷を切り盛りしていたロッタはよく承知していたことだろう。だから実感を込めてイーネスに同情することができる、疲れてしまったら常に優しくなんかしていられないし、何かに当たりたくなってしまうこともよく解っているのだろう。
 この台詞によって、カトリの件では対立しているロッタとイーネスは、他の件については良好な関係を築いていることが行間に込められたと思う。ロッタはイーネスのカトリについての考えは、今はこのように偏屈だがカトリの人格を知れば必ず信用してもらえるという絶対の信頼を持っている点も前話で描かれている。だからあそこまで対立してもイーネスに対する批判は出ない、これはカトリの今後のことを思って言わないのでなく信用しているからだ。
 つまり、ロッタが長年世話になっている叔母様に対しての「思い」が上手く表現されているのだ。
名場面 カトリvsイーネス 名場面度
★★★
 夕食前のひととき、カトリはクラウスに本の読み聞かせをしていたが「5分後にクラウスを連れて食堂に来るように」とロッタに命じられていたので時間になったところで食堂へ行った。だがそこにはカトリの食事は用意されておらず、「カトリごめんなさい、ちょっと変なことになっちゃったの。叔母様があなたにいろいろ聞きたいことがあるらしいの。食事の前にどうしても知っておきたいって言うのよ」とロッタが語ったところからカトリとイーネスの対決が始まる。「あの、どういうことでしょうか?」とカトリが叔母様に向き合うと、イーネスはカトリにではなくクラウスに今カトリと何をしていたかを問う。クラウスは純粋にカトリに本を読んでもらっていたことを語り、その本が「絵のない絵本」であるとする。するとイーネスは笑って「カトリは何も描いていない白い紙を見ていい加減な話を聞かせていた」と決めつけて「学校へも行かなかったんだ、別に字が読めなくても恥ずかしくはないさ」と続ける。クラウスが「カトリは字が読めるよ」とカトリを擁護し、ロッタが「絵のない絵本」がアンデルセンの本であることを語る。するとイーネスはこの件について「冗談だ」と誤魔化し、ロッタはすかさず「カトリは字が読めるんです」と突きつける。それでもイーネスは「デタラメを読んだに決まっている」と言い放ち、カトリに新聞紙を投げつけ、この新聞の論説を読んだから信じるとロッタに突きつける。カトリは新聞を手に取ると論説を探し出し、軽く咳をすると何度かつっかえながらも論説を読み始める。その論説を書いたのがアッキだというのもこれまた驚きだが、ロッタに難しい所を教えられながらも何とか読み切る。「叔母様、解りましたでしょう? カトリは字が読めます」とロッタが訴えるが、イーネスは今度は「詩を知っているかい?」とカトリに直接突きつける。「詩ですか…?」と聞き返すカトリに対し、「やっぱり詩は無理のようね」と結果を待たずに決めつけるイーネス。だがカトリは13話でも出てきたカレバラの詩の一節を朗読、さすがのイーネスもこれに驚きの表情を浮かべる。そこへエリアスが登場し、カトリの朗読に感激して「お前はカレバラをみなに読めるのか?」と問うと「この章だけです」と正直に答えるが、エリアスは「大したもんだ、なぁイーネス?」とイーネスに振る。イーネスは反論の言葉が出ない。
 この後のシーンでノーラが結果を語るまでもなく、カトリの勝利と言ったところだ。だがこの勝負における会話はイーネスとロッタの間で行われ、カトリはその展開に従って攻撃していただけだ。カトリ自身の意見の陳述や反論が一切ないまま進んでいるのが、「世界名作劇場」で多く見られる「主人公と気難しいおばさん」の対決とはひと味違うところだ。そしてカトリが今回の決戦兵器である「カレバラの詩の一節の朗読」で攻撃すると、決着のジャッジをするのはロッタでなく突然登場したエリアスというのは説得力があった面白い。これはイーネスにとってこの対決での敗北を突きつけられただけでなく、もはやこの戦いにおいて味方がいないことを思い知らされた事になるからだ。イーネスは自分より上位の旦那様まで、カトリの側に着くとは思ってもみなかったのだろう。
 そしてこの戦いでさりげなくカトリに手を貸していたのは、画面には出てこないアッキという点も面白い。カトリが朗読させられた新聞の論説はアッキが書いたものだし、朗読した詩もアッキに教えられたものだ。カトリに対するアッキの影響力というのが強く描かれていて、アッキが「カトリの成長に必要な大人」としての地位を確立したと言っていいだろう。
感想  いよいよカトリを巡るカトリ&ロッタとイーネスの争いが激化する。とりあえず第二ラウンドは名場面欄の通りでカトリが有利に終わる。だがすかさず次の不安を入れるのがこの物語の良いところだ、この屋敷ではカトリの強力な味方であるロッタとエリアスの長期不在が示唆されるのだ。この展開に後半以降ではカトリの不安が明確に描かれ、ついには夢でうなされるようになる。このロッタの不在がこの争いをイーネス有利にしてしまうことは確かだろう。だが次話ではこの争いの続きが描かれるのでなく…次回予告で示唆されているのはソフィアとの再会だ。
 あとはいつもの「牧場の少女カトリ」で、これと言って何も起きていない。前半ではノーラとサロモンが今後起こるであろう事を上手く予測したり、セルマが本音をノーラ達に本音を語ったりすることでカトリが使用人扱いでなく家族扱いの厚遇を受けている事が広まり、名場面欄シーンの事件への橋渡しをする展開だ。ここからロッタとイーネスの激しい論争となり…って色々起きているように見えるが、よーく考えてみよう。前々話でカトリが祖父母の家を出発してから前話〜今話までと2話半かけては、劇中での同じ日の出来事なのだ。残り話数が僅かなのに、なんとまぁのんびりした物語なんだ…。
 とはいえ、カトリにとっては祖父母と別れて初めての街に行き、初対面の人達も沢山いたのだからとても長い1日に感じたはずだ。だからカトリ主人公の物語としてこの時間の流れ方は正しいのかも知れない。そう考えるとよくできた物語だなーとも思う。

第43話「自動車に乗った!」
名台詞 「そうね、あれだけ言われたら引き下がれないわね。」
(ロッタ)
名台詞度
★★
 カトリが屋敷に来て2日目の朝、朝食後にイーネスがカトリに部屋へ来るように言う。カトリについて字が読める事は解ったが、数学ができるかどうか確認していないと言うのだ。ロッタはイーネスにそんなテストはするまでもないとして、カトリにイーネスの部屋へ行く必要は無い旨を告げる。これを受けてイーネスは「カトリは算数ができない」と決めつけて高笑い。だけどカトリの気分が晴れず、ロッタの部屋の前で「奥様…」と声を上げる。「気にすることはないわ」「(刺繍の)新しい図案を2枚書いたの、見てくれる?」と語ってカトリを部屋に入るよう促すが、カトリは「奥様、私やっぱり行ってきます」と返してイーネスの部屋へ走る。その後ろ姿を見送りながらロッタが呟いたのがこの台詞だ。
 そう、カトリがあのまま引き下がれるはずないというのは視聴者も感じたことだろう。だがロッタは最初、イーネスとの対決を避けた。これはカトリに入らぬ気苦労をさせぬためだと解釈できるが、その結果はカトリがイーネスに侮辱を受けることとなってしまった。ここまでやられるとはロッタも思っていなかったのかも知れない。だからロッタもやはり踵を返すべきと考えたかも知れないが、もしもイーネスが意図的にカトリに難問を出してカトリが解けないようなことがあれば、カトリの将来が危ない。だからこそロッタはこのイーネスに無視するしか対抗手段がない。
 だが頑固なカトリはこまのイーネスの侮辱に耐えられるはずがない。普段のカトリなら「行くべきではないでしょうか?」「行ってもよろしいでしょうか?」と主人に確認を取るところであるが、今回は有無を問わさずイーネスの部屋へ走り去ってしまうといういつもと違う反応を見せた。そのカトリの行動にロッタはカトリが侮辱されたと感じていることに気付いて、この台詞を吐いたに違いない。そしてカトリを制止することもせず、イーネスのテストを受けさせることにしたのだ。
名場面 カトリvsイーネス 名場面度
★★★★
 名台詞欄シーンを受けて、カトリはイーネスの部屋のドアをノックする。「カトリです」というとイーネスは「おや、驚いた」と呟いて入室させる。「謝りに来たのね、カトリ」とイーネスが言うと、カトリはかしこまって「算数の問題をやらせてください」と申し出る。「本気なの? デタラメな答えでは私はバカにされたと判断しますよ」とイーネスが返すと、カトリは「一生懸命やります」とハッキリ答える。最初の問題は「5+3」であったが、あまりにも簡単すぎてカトリが戸惑っている間にセルマが「7」と答えたことで、先に正解を言われてしまう。「カトリ、お前はこんな簡単な問題も…」とイーネスが言いかけたところで、カトリは「次の問題をお願いします」と返す。2問目は「12+7」、3問目は「26+13」、4問目は「17+38」、5問目「177+94」…ここまでの足し算問題にカトリは全問正解し、続いて引き算だ。6問目「38−15」、7問目「222−155」…続いてイーネスは引き算もできると判断、「かけ算はどう?」と問うて、8問目「7×4」…だがカトリは難なく正解し、たった一問で「九九も出来る」と判断される。イーネスが身体を震わせて9問目の「24の3倍は?」、10問目「35×7」…特に10問目を暗算で解いたことで割り算問題となる。11問目「450÷25」…これに正解するとセルマが驚きの声を挙げる。12問目「876÷73」…イーネスは暗算では無理だろうからとノートと鉛筆を渡す。セルマがその計算過程を覗き込むが、イーネスに「解るの?」と聞かれ「いいえ」と即答だ。イーネスが頭痛のそぶりを見せるとカトリが回答を読み上げる。イーネスが「その通り、とにかく簡単な計算ができることはわかったわ、それじゃこれをやってごらん」と言い放つと、13問目をノートに記す。その問題は「36.8−2.82÷0.3×3.5」というやけっぱちで書いたとしか思えない問題であったが、カトリはこの問題に敢然と挑む。と思ったらイーネスが驚きで顔を歪ませるシーンを挟んで、次はもうカトリが笑顔で小躍りするようにイーネスの部屋から出てきて、ロッタの部屋へ駈けて戻るシーンとなった。
 言うまでもなく、カトリ&ロッタとイーネスによる対決の第3ラウンドだ。イーネスの言うことはもっともで、前話の名場面欄に挙げた第2ラウンドではカトリの国語力は解ったが、算数力は解らなかった。カトリも言われっぱなしでは納得が行かず、名台詞欄を受けてまさに「売られた喧嘩を買う」かたちになってしまったが、敢然とイーネスによる挑戦に立ち向かうこととなった。
 その結果は物語の展開上カトリが勝つのは当然だが、その展開が面白い。最初は簡単な問題から始まったが、それにどんどん正解を出すカトリに舌を巻くイーネス。そこへたまに首を突っ込んでくるセルマの3人の関係が何とも言えない。特にここでのセルマの反応は、当時の使用人の学力レベルを上手く示していると言って過言ではないはずだ。そしてエスカレートしてゆく問題、特に最後の問題の滅茶苦茶さが何とも言えない。なんてったってここまで割り算ですら割り切れる問題ばかりだったのに、いきなり少数問題だ。
 そしてこのテストが終わった後のカトリの喜びが良い。なんてったって「私をバカにした罰よ」って感じての小悪魔的要素も見られるし、純粋に「これであの人は五月蠅く言わなくなるだろう」という喜びのような物を感じる。いずれにしてもカトリにイーネスの問題を解くシーンをずっと付き合わされるからこそ、このカトリが部屋を出て行った後のシーンを見ているとこっちも嬉しくなる。
 さて、最後の13問目「36.8−2.82÷0.3×3.5」の解き方だが、「足し算や引き算」と「かけ算や割り算」が混ざる式では「かけ算や割り算」を先に解くという基本が解っていればそう難しくない問題だ。まず2.82を0.3で割って9.4、続いて9.4の3.5倍が32.9を先に計算しておいて、最後に36.8からこの32.9を差し引けば良いだけの話。正解は「3.9」。
 1〜12問目までは、本サイトでは敢えて正解は書かない。本作を見ていない方がいたら、これを瞬時に解けるかどうかやってみよう。12問目以外はノートなどは用意せず、暗算で解くこと。
感想  今話は面白いわ。もう感想欄をこれだけで終わらせても良いと思う位面白い。物語全体の話としてみて面白いのでなく、今話の1シーン1シーンが面白おかしく描かれていて、特に後半ではその面白さが光っていると言って良いだろう。
 と言っても冒頭はいつもの「牧場の少女カトリ」であって、カトリが新着早々寝坊したことを問題視されたことが、ロッタによって弁護されるだけの展開は正直良くも悪くも「いつも通り」だった。だがサロモンが温室のチューリップを屋敷へ運ぶようカトリに命じた辺りで、なんか「プッツン」って行っちゃったんだろうな。いや、それでもすぐに面白くなるのでなく、じわじわと面白くなって行くから凄い。
 カトリがチューリップを食卓に飾ることをセルマに提案、セルマがこれを実行するとエリアスやロッタだけでなくイーネスにも評判だ。これを「都会的センス」とイーネスが評するが、カトリの手柄をセルマが横取りしたかたちになっていることを劇中の人々が知らないだけにこのシーンがおかしく映る。これが面白くなりはじめの発端だ。
 続いてイーネスとロッタのやり合いだが、この中間過程は変わったことがない。だけどロッタがもう怒っているのに「怒りますよ」と突きつけたり、イーネスがこれまで本作では誰もやらなかった「勝ち誇って一人で高笑い」という言動を見せ、これが真面目なシーンなんだけどどこかおかしい。そして名場面欄も、真面目に進んでいるのだが画面中の3人のバランスが面白い。ここまでのシーンは画面中の登場人物が真面目にやっているからこそさらに面白い。
 名場面欄シーンの後はもう何処かネジが1本抜けたんじゃないかと思うほどのに物語が暴走する。いや、ソフィアが運転する自動車程度の騒ぎじゃない。カトリに敗北したイーネスの様子を語るロッタの笑い声が耳についた辺りから、一気に暴走する。公園のシーンでカトリが噴水を見た感想を語った時の、噴水の動きもおかしい。でもこの程度で止まったら「暴走」とまでは行かない、「どこかでネジが1本抜けた」だけで印象に残らないだろう。今話を「暴走」状態にしてしまったのはまさしくソフィアの再登場だ。しかも当時珍しかった自動車を暴走させての、その初登場からは信じられない再登場だ。だいたい自動車という固い物体が、このシーンではゴムのように伸び縮みする辺りは「世界名作劇場」らしくない。そしてソフィアがカトリ・ロッタ・クラウスの3人を載せてのドライブ、ロッタが断ろうとする辺りからギャグアニメのノリになり掛かっている。カトリが「運転にはまだ慣れてない…」と指摘すると「慎重に走らせる」と言いつつもやっぱり暴走するソフィア、大袈裟に咳き込みながら走る車、「せ、先生は運転してどのくらいなんですか!?」「3日目よ、上手なもんでしょ?」「でも先生、ちょっとスピードの出し過ぎではないですか?」「これ以上遅く走ったら馬車と同じになっちゃうわ、それじゃ自動車に乗った意味がないでしょう?」…このカトリとソフィアの会話は最高。もうソフィアに「世界名作劇場の暴走娘」って名付けちゃうぜ、「夜露死苦!」とか言い出しそうで怖い。最後に車が屋敷の前を一度通り過ぎ、「あ、ごめんなさい」とバックして戻るのも面白い。カトリが「私、腰が抜けたみたい。降りるのちょっと待ってください」と訴えて「慎重に運転したつもりなんだけどな」と平然と語るソフィア面白すぎ。なんかルーシーメイが自動車運転したらこんな感じになりそう!ってひらいめちゃったよ。何処か被るところがあるんだ、ルーシーとソフィアって…絶対に声優が同じだけの問題じゃないと思う。ナレーターもソフィアを弁護するのでなく、「乱暴な運転」って言い切っちゃっているよなー。だから面白い。「愛の若草物語」の34話みたいにこういうぶっ飛んだ話も息抜きに必要で、本作では終盤のここに入るしかなかったってところなんだろうな…。

第44話「にくらしい娘」
名台詞 「私は心配してないの、本当言うと。あなたみたいにしっかりしていれば、何も怖いものはないわね。きっとじっと辛抱しなくてはならないことが起きるわ。でもこれから先、あなたが大人になるまで何度か起こる事よ。そういうとき、あなたに好意を持っている人、信頼している人が何人もいることを忘れないでね。」
(ロッタ)
名台詞度
★★★★
 名場面欄参照。
名場面 カトリとロッタ 名場面度
★★★★
 ロッタがスウェーデンへ旅立つ日が迫ったある夜のことだ、カトリとロッタは夜のひとときを刺繍をしながら過ごしていた。突然ロッタが「大丈夫よね?」と呟く。「は?」と返すカトリにロッタは「私が留守をしても」と付け加える。カトリが「はい」と明快に答えると、ロッタは名台詞欄に記した台詞を語る。
 今話はこの台詞に尽きると言っても過言ではない。この台詞のためにある1話と言って良いだろう。前々話から示唆されていたロッタとエリアスの二人が長期不在になる展開、多くの視聴者はロッタに対し「カトリはここに来たばかり何だから行くのやめたれよ…」と思ったことだろう。だが実はロッタはそんなことに気付かない鈍い女ではない、ロッタも今この状況で自分が屋敷からいなくなったらカトリに何が起きるかを明確に予測していたのだ。そしてそれでカトリが辛い思いをするであろう事まで解っているのである。
 だがロッタは敢えてクラウスの子守を理由にカトリを屋敷に取り残し、自分が出かけるという選択肢を取った。そこにはロッタという女性のカトリに対する愛があることが、このシーンと台詞を通じて見えてくる。
 つまりロッタはカトリを甘やかすだけでなく、敢えて「試練」も与えて人間的に成長させることにしたのだ。このままカトリに優遇処置を続ければ、カトリがこの厚遇を自分の努力で掴んだことを忘れて増長する恐れがある。それを防ぐにはこの屋敷で一度は辛い思いをしてもらわねばならないのだ。そしてカトリ&ロッタとイーネスの対立の決着が完全についていない今こそが、その格好の時だ。カトリが学力を示したことはロッタにとってはあくまでも「自分にとってカトリを必要としている理由」を証明したに過ぎず、カトリが厚遇される理由までは証明していない。要は今ここでロッタがいなくなれば、イーネスはカトリの主人であるロッタがいないことを良いことにカトリをこき使うであろうが、カトリを一方的にクビにはできないという微妙な情勢になっているということで、ロッタはその状況を自分で作り出し、一番よく分かっているはずだ。
 イーネスを「学力」でもって一度徹底的に攻撃した直後だ、イーネスは感情に走りカトリに無茶な要求を出すことは目に見えている。だからこそカトリはこれに耐えねばならない、これに耐えて自分の立場をしっかりと弁えないことには、今後ロッタの手によって学校に行くことは許されないし、クラウスの家庭教師という名目を持つ権利も与えられない。ロッタはそう考えているに違いないのである。
 同時にカトリならこの試練を乗り越すことができるという信頼と、カトリを一度そのように扱えばカトリの人格が解ってイーネスはカトリが好きになるはずという信用も、ロッタは持っているに違いない。それがロッタの愛情であり、愛の鞭なのである。そんなロッタの「カトリを成長させるためには厳しいこともする」という愛情がよく見えていて、今回で最も印象に残ったシーンと台詞だ。
 だが、このシーンの後のナレーターの解説はいらないなー。折角ロッタが良いシーンを見せてくれたのに…。
感想  正直言って、今回は名場面欄シーンと、ロッタが船で行ってしまうシーンと、カトリがいよいよイーネスに酷使される最後の2分間だけあればいい。他のシーンはみんな蛇足と言い切って良いだろう。ソフィアは今話に入って自然にいなくなっていても問題なかったはずで、わざわざカトリに「応援している」なんて言わなくてもいい。だって、それは視聴者はわかり切っていることなんだから。もちろんそれはアッキに対しても言えることだ。この要素もロッタの名台詞だけがあれば十分だ。
 ただ、クラウスとサロモンが自動車ごっこしているシーンは楽しかったし、サロモンとノーラの会話も面白かった。何よりもソフィアと自動車の組み合わせが出てくるだけで、物語は突然面白おかしくなるんだから不思議だ。カトリとアッキもソフィアの自動車運転の話題になって、アッキがソフィアの運転を「乱暴と言うより下手だ」と評するのも面白かった。アッキはソフィアの運転に乗ったことがあるのかな?という点は視聴者の想像に任されたのだと思う。
 そして最後の2分、イーネスが怖い顔で出てくると突然物語は次作「小公女セーラ」のような様相を見せる。高圧的に主人公に仕事を言いつける主人と、これに健気に答えて仕事に勤しむ主人公って構図は「小公女セーラ」まんまだ。まさか本作で練習していたんだじゃないだろうな?と勘ぐりたくなる。イーネス担当の中西妙子さんも、本話の収録の頃には自分が次作で何をやらされるかを知っていたと思うから…そんなことはないな、思い過ごしっと。

第45話「疲れた一日」
名台詞 「この庭、狭いんだ。」
(クラウス)
名台詞度
★★
 カトリから「庭で遊ぶように」と言われたクラウスは、アベルと一緒に庭を駆け回る。だがその途中で花壇を横切ってしまい、そのことをサロモンに注意される。これに対してクラウスが呟いた台詞がこれだ。
 たった一言だが、とても面白い台詞だと感じた。この一言はこの屋敷の庭の広さを上手く伝えてきていると感じたからだ。確かにクラウスが生まれ育ったクウセラ屋敷の庭や牧草地に比較すれば狭い、だがこの庭にはクラウスがアベルと一緒に駆け回るだけの広さがある。つまり都会の屋敷としては広い庭を持っていることを、この台詞が上手く際立たせてくれているのだ。
 クラウスが呟いた「狭い」は、正しくは「つまらない」と言うところが正しいだろう。都会としては広い庭を自由に駆け回ることができず、花壇を避けるなどの制約までつきまとってくる。おまけに母がいないことで「だいすきなおねえさん」であるカトリも相手にしてくれない。クラウスにとってはつまらないことだらけの日々なのだ。こうしてクラウスが「屋敷の外を探検する」「母がいつも連れて行ってくれた公園を探す」という展開に無理がなくなり、物語がクラウス行方不明事件へと繋がることに上手く説得力を持たせてくれたのもこの台詞だ。
名場面 カトリの部屋 名場面度
★★
 夜、イーネスは「子供は寝る頃になると母親を思い出す」として、セルマにクラウスを寝かしつけているカトリの様子を見に行くよう命ずる。カトリが泣き止まないクラウスに手を焼いている…イーネスはそう決めつけているのだ。セルマがクラウスが寝ているはずのロッタの部屋に行くが、そこにはクラウスの姿がない。そこでセルマはカトリの部屋へ行ってクラウスの居場所を聞こうとしたら、カトリのベッドにクラウスが寝ているのを見つける。「あらこっちにいたの?」と言いながらセルマはカトリのベッドで眠るクラウスの様子を見る。「よく眠ってる」とセルマが優しく言うと、「坊ちゃん、どうしても一人で寝るのを嫌がるものですから」とカトリがクラウスがここで眠る理由を語る。「ロッタ様のことは思い出さない? 泣いたりしなかった?」とセルマが問うと、「少し泣きました、でもこっちのベッドに入れて本を読んであげていたんです」とカトリは自分が取った対応を語る。驚いた表情でカトリを見つめながらセルマは「二人で寝るの?」と問う。カトリが「仕方ありません」と答えれば、セルマは優しく「随分窮屈だろうね」と答えると、部屋から出て行く。「おやすみ」との夜の挨拶を残して。
 多分、であるがセルマが落ちるのはこのシーンがきっかけになるのであろう。実は昼間のシーンではカトリの掃除の手際が良いことや、他の仕事をしていても本職である「クラウスの世話」という自分の役割を忘れていないことなど、セルマがカトリの働きを認めているシーンが描かれている。イーネスに「カトリは頼りないわよね?」と問われれば、その答えに一瞬戸惑うという本心もさらけ出している。こうしてカトリに対して多少の評価をしていたセルマが、カトリの働きに対して一定の信頼を置くようになる理由がここにはキチンと描かれている。
 セルマもカトリが泣くクラウスに手を焼いている光景を想像していたはずだ。イーネスほどではないにせよ、カトリがクラウスを必死になだめているようなそんな光景があると思っていたのだろう。だがカトリはクラウスの「一人で寝たくない」気持ちを理解し、的確にこれに対応してクラウスを短時間で眠らせていた。
 カトリはクラウスを一人にさせないためにクラウスを自分のベッドで寝かし、クラウスが寝るまでは本を読む…それだけならクラウスは自分のベッドで寝せれば良いが、そうすればクラウスは自分が寝付けば一人にされると解るので納得しないし、万一夜中に目を覚ませばそれこそ大泣きだ。それは屋敷の人々に迷惑を掛けることになる。だからカトリはクラウスを自分のベッドで一緒に寝るべきであり、例え自分が寝るスペースが窮屈であってもそれがもっとも良いと判断したのだ。
 この判断を見たセルマはカトリの機転の良さに驚き、「こいつはできる」と判断したに違いない。誰にも迷惑が掛からぬように、短時間で目的を達したのだから。だから今までカトリには棘のある語り口調だったセルマから、その棘のある口調がこのシーンでは消えている。それどころか気付けばカトリを気遣う台詞まで吐いてしまっているのだ。
 もちろん、セルマがこのまますぐにカトリに対して信頼を置いた態度を取るとは思えない。そんな態度を取ればイーネスが黙っていないことを、このメイドは熟知しているはずだからだ。だがこうすることで、いつの日かイーネスがカトリを信頼するようになったときに、セルマもこれに自然に倣うことができるようになるのだ。
感想  今回はセルマの話だ。だけど話の殆どが良い意味でも悪い意味でもどうでも良いことで、今話は名場面欄に書いたラストシーンだけあれば良いと言っても過言ではないだろう。特に今話を見ていて、なんでクラウスが行方不明になる必要があったのかが解らない。なぜならその理由が語られないのだ。設定年齢5歳なんだから、キチンと理由を付けても言いように感じた。たとえば「見当たらない母を探しに行った」でもいいし、「カトリが遊んでくれないのに反抗」でもいい。今回の展開ならだった一言台詞を付け加えるだけで、「母がよく連れて行ってくれた公園を探しに行った」でも良いのだ。さらに言えば、レオというキャラクターがわざわざ必要だった理由も思い出せない。もう残り話数を考えれば、これからレオがカトリと親密になるとは考えにくい。親密になれたとしてもマルティやペッカの立場はどうなる?ってことになる(それを処理するのに話数が足りない)。
 前半の掃除シーンでは、セルマが部屋に置いてある壺についてうまくフラグ立てを行う。もうあの壺が出てきた瞬間に、「カトリが誤ってこれを割る」という展開が頭に浮かんだもんなー。そしたら次回予告でそれが示唆されて終わるし。
 ノーラとサロモンが、イーネスがカトリをいじめていると語るシーンがあったのは良いけど、なんかこのシーンも二人が明確にカトリの味方になりきれず食べかけの伏線になっちゃいそうだ。セルマが明確にカトリを信じれば、このシーンの料理のしようはいくらでもあるんだけど、イーネスの存在を考えるとそうはいかないし。そのイーネスは今話後半では頭痛や歯痛がなかったと言うことで、これはクラウス行方不明事件がカトリの失態と勝手に思い込んでいるからだと解釈すべきだ。どう考えても「クラウスの子守の代かわり」を用意しないまま、カトリに無茶な仕事をさせたイーネスがこの事件の最大の責任者なんだけどなー。ミンチン院長みたいに感情だけで動くからああいう失態をするが、それを自分の失態と感じないというのは上手く作ってある。気になるのは、名場面欄シーンの状況をイーネスが聞いたらどう反応するかだな。カトリの判断を無視して「主人の子供を使用人のベッドで寝かせるなんて非常識だ」とでも言うんだろうな。

第46話「美しいもの」
名台詞 「なんだか、あんたが気の毒になってきた…。」
(セルマ)
名台詞度
★★★
 カトリがクラウスを連れて公園へ散歩へ出ようとしたちょうどその時に、イーネスはカトリが勝手に高価な花瓶に花を挿した事実を知る。怒り心頭でイーネスはセルマにカトリを呼び戻すよう命じ、セルマは屋敷の門を出たところでカトリに追いつく。「奥様がお呼びだよ」とセルマが用件を伝え、カトリは「はい」と返事を返して屋敷へ走り出した瞬間にセルマが呟いた台詞がこれだ。カトリはこれに「はぁ?」と小さく返事をすると、クラウスをセルマに託してイーネスの元へ走る。
 前話から今話でカトリを監視し、その働きぶりに感心したセルマがついに「落ちた」のがこの台詞だ。前話の名場面欄シーンだけでなく、今話に入ってもカトリは朝早くにイーネスに命じられていた掃除をほぼ物音を立てずに行い、朝食時に食卓に飾る花を用意するなど、命じられたことをこなすだけでなく他人を気遣いながら仕事をこなす様子を見せつけられていた。また早朝に掃除を済ませた件については、カトリが本職である「クラウスの子守」という仕事に就けるようになった事も示しており、セルマはカトリの時間管理能力も見せつけられたかたちになっていたはずだ。もちろんこれはセルマがカトリを評価することに繋がり、カトリが早朝に命じられていた掃除を済ませた事を報告した際、「ウソだ」と訝るイーネスに本当であることを告げるなど助け船を出すようになっていた。
 そしてこのシーンでは、セルマはなぜカトリが叱られるのかを知っている。それはカトリが良かれと思ってやった「高級な花瓶に花を挿す」という行為が裏目に出た事であり、その行為の結果にセルマも感心させられていたことはこの直前のシーンを見ていれば解るだろう。カトリは何も悪いことをしていないどころか、気遣いが裏目に出て叱られるのが解っているからこその台詞であるが、その前提条件としてセルマがカトリを認めていなければ出てこない台詞でもある。だからこの台詞がついにセルマがカトリに「落ちた」台詞としてとても印象に残った。
 このシーンを境に、セルマは積極的にカトリに助け船を出すようになる。カトリが花瓶を割ったシーンでは、「本当は自分が悪い」と錯乱したクラウスの世話を見ていたカトリに代わってすぐに掃除の準備をしている。イーネスが花瓶の件をエリアスに報告した際も、意地悪な報告をしたイーネスに対してセルマが真実を語るだけでなく、留守中の仕事ぶりをエリアスに報告するなどして心象をよくしておいたのだろう。そういう「行間」も見えてくる台詞だ。
名場面 カトリとエリアス 名場面度
★★★
 名台詞欄シーンを受け、カトリが屋敷にある大事な花瓶を割ってしまうという事件が起きる。「カトリが一生働いても返せない高価な花瓶だ」「旦那様はこの花瓶を私より大切にしていた」と嘯くイーネスの言葉に、カトリは驚愕する。
 それから数日後、エリアスだけが屋敷に帰ってくる。カトリは自分の部屋に戻ってしまい神に祈りを捧げていると、そこにエリアスがやってくる。「どうしたカトリ? 身体の調子でも悪いのかね?」とカトリを気遣いながら入室するエリアスを、カトリは「いいえ、お帰りなさいませ旦那様」と細い声で迎え入れる。「いつまで経っても降りてこないので、やってきた」とエリアスが語るとカトリは旦那様が何を言いたいのかが理解できたのだろう、だが「旦那様、お許しください。私…私…」と言い出したところで言葉が途切れてしまう。「花瓶のことかね?」とエリアスが問えば「はい、本当に申し訳ないことをしました」とカトリは涙ぐんで下を向く。だがこれに対してエリアスは「イーネスから話を聞いたよ、セルマも話してくれた」とこの件について二人の証言があったことを告げる。驚いて顔を上げたカトリに「どうやらセルマの話の方が、妹の話より信用できそうだ。お前には何の落ち度もないよ、妹がだいぶ辛く当たったそうだね。私がお詫びをすれば妹のことは許してくれるかね?」とエリアスが一気に語る。「そんな…」とカトリが声を上げると、「クラウスの面倒をよく見てくれているようだね、これもセルマから聞いたよ。ロッタはまだ半月位は向こうにいる予定だが、いずれ手紙を書くと言っていたよ」とカトリの働きを認める。カトリは「半月…」と辛そうな声を上げるが、「大変だろうけど、クラウスのこと頼むよ」とエリアスが最後にに付け加えるとやっといつものカトリの調子に戻って「はい、旦那様」と快活に答える。そしてエリアスが茶の支度ができているから来るように言うと、カトリは改めて快活に返事を返す。そしてエリアスが部屋から出て行くと、目に涙を貯めながら「神様、ありがとうございました」と呟く。
 ロッタがスウェーデンに旅立ってからこっち、イーネスの非人道的とも言える扱いは見ていて辛かったが、やっとそれが実を結んだと言って良いだろう。セルマがカトリの働きを認めたことで、セルマは旦那様にカトリの働きぶりが良かったことを報告したに違いない。もちろんイーネスからは意地の悪い報告が入っているが、イーネスの報告はヘルシンキで見たカトリの言動からはとても考えられないものだったに違いない。セルマもイーネスと同様に、出かける前にカトリを嫌っていたことをエリアスは知っていたのだろう、そうなればより立場の近いセルマがカトリを評価してもおかしくない…と判断したのだ。
 その働きぶりはエリアスが改めてカトリを評価することに繋がったとともに、大事な花瓶についてもカトリ一人の責任ではないことも理解できたはずだ。花瓶を壊してしまい狼狽しているカトリにこれらを上手くまとめて語り、今後も期待している旨を上手く伝えたシーンだと感心した。
 エリアスがカトリを信頼していることはヘルシンキでの物語を見れば明白であったが、ここではこれが改めて示されたことで屋敷内にもイーネス一人を除いてはカトリを信用する空気が広まったはずだ。まぁいずれイーネスもカトリがどれだけ使えるかを知り、カトリに落ちるはずなのだが、それまではみんながカトリを信用するので面白くない日々が続くだろう。そんな展開まで予測させられてしまうこのシーンが、印象に残った。
感想  まずクラウスの寝相の悪さに笑う話だ。まぁクラウスと狭いベッドで一緒に寝たことで、カトリが夜中に何度か起こされ、朝早く起きる理由でもあることを示唆するにはあれくらい派手にやった方が良いのは確かなんだけど…これまでもクラウスの睡眠シーンは何度も出ているが、あんな寝相が悪いシーンは全くなかったので唐突な感が拭えない。
 もひとつついでに言うと、エリアスが帰ったシーンを屋敷の階段辺りで聞かされたカトリの反応だ。これまでのカトリだったら、失敗したらすぐ謝罪に行くことを知っていて、部屋に逃げ帰るようなことはしなかったと思うんだけどなー。話も最終版になってこれまで積み上げてきた一貫性が崩れ始めていることが、見ように印象に残った一話でもあった。
 だがセルマのカトリに対する態度の変化は上手く描いたと思う。今話ラストの名場面欄シーンは、セルマがカトリを評価していなければどうにもならなかったシーンだ。だって「こいつはできる」どころか、ついに香取を気の毒に思っちゃうもんなー。セルマについては前話までにカトリを評価して味方につくことは解っていたが、話を短絡させずにしつこいながらももう1エピソード入れておいたことで、セルマがカトリに対する姿勢をもう一段上げることができた。これによって名場面欄シーンが上手く行ったのは確かだろう。
 あとはなんか、クラウスがキチンと成長していることが上手く示されたと思うなー。最初の頃のクラウスだったら、カトリが花瓶を割ってイーネスに叱られているシーンで「僕が悪いんだー」なんて泣き出さないと思う。同時にすぐに母を思い出して泣き出すことで、幼児であることを忘れさせない配慮もしている。実は本作、最もキャラクターとして完成しているのは1にロッタで2にクラウスかも知れない。カトリですら前述したようにブレることがあるもんなー。
 で、残り3話しかないんだけど、その残りでロッタが帰ってきてイーネスとの争いにも決着を付け、かつカトリが母と再会するストーリーなんてできるのかな? だんだん不安になってきた。
 本放送時は、この後に次回予告見て「次は小公女なんだ」って言っていたのをハッキリ思い出した。まさかあんなにハマる作品になるとは、この時は思ってもいなかったよ…。

第47話「お土産のランドセル」
名台詞 「ああ、今パンジーたちもそうだと良いけどな…。強い奴じゃなくては、きれいな花にはならん。」
(サロモン)
名台詞度
★★★
 本話冒頭、カトリはサロモンによるパンジーの花壇の手入れを見学していた。「花も温室より、外の方が好きなのかしら?」とカトリが問うと、サロモンは「そうかも知れん、でもこれからは雨にも当たる、風にも吹かれる」と答える。これを受けて花を見つめながら「雨や風…」と呟くカトリに、サロモンが「あんなもそうだね。家を出てから、大分雨や風に出くわしたろう」とサロモンが語ると、カトリは「そうね」と同意する。サロモンが「このお屋敷へ来てからも…」と付け加えれば、カトリは「私、雨や風なんか気にしないわ」と快活に答える。それに答えたサロモンの台詞がこれだ。
 最終回2つ前というこの段階へ来て、サロモンがこの物語の本質を語った。カトリが最初に家を出てから本当にいろいろあったこと、これを通じて本作が語って来た物語の一つは「強くなる」ことの重要性だ。カトリは様々な出来事を経て強くなったから、この物語で一番カトリの境遇が悪化したリラク邸では、辛い目に遭ってもそれを乗り越えることができたのである。このテーマで物語を見た場合、ライッコラ編とクウセラ編はカトリが成長するためのステップであり、最後の数話という最終局面であるこの屋敷での出来事が本編とも言えるだろう。残り話数から言ってもう本編は終わって良い段階だ、残りの2話は大団円に向けてカトリの夢や願いを実現させる展開でなければならないのだ。
 だからこそテーマの一つである「強くなる」の統括を、今話で誰かがしなければならない。本来ならある程度の話数を掛けてカトリを見守り続けたロッタや、ずっとカトリの親友を演じていたマルティの出番なのだろうけど、こんな大事な局面においてこの二人が不在と来ている。そこでその役割が、この最終局面でのレギュラーの一人で、屋敷の庭師であるサロモンに回ってきたに過ぎない。そして彼のキャラクター性を活かして、カトリを花に見立てて「強かったからこそきれいな花になっている」事をキチンと示唆したのだ。
名場面 ロッタからの手紙 名場面度
★★★
 ある日、ロッタからカトリ宛の手紙が届く。これを見たイーネスは「雇い人に来た手紙を調べるのは当たり前」として勝手にその封を切りかかるが、セルマが毅然とした態度で「おやめください、そんなことをなさったらロッタ様がお怒りになると思います」「もし奥様が書いた手紙をロッタ様が勝手に開いたらどうなさいますか?」「私、カトリには何の悪意も持っていません。むしろ感心しています」と告げてこれを制止する。
 だが本当の名場面はここからだ。このイーネスが途中まで封を切った手紙を、セルマがカトリに渡す。封が切られ掛かっているのを見たカトリが「これ…?」と呟くが、これに対しセルマは「これはね、奥様がご自分に来た手紙だと思って破りかけたの。でもあんた宛だと気が付いておやめになったのさ」と説明し、「奥様、謝っていらっしゃったよ」と付け加える。カトリはその説明に納得し、明るい声で「そうですか」と答える。
 いやー、セルマは良い仕事するわと純粋に思った。カトリの側に落ちたセルマが、イーネスが勝手にカトリ宛の手紙を開封しようとしたときにこれを制止する展開は読めていた。だがその手紙をカトリに渡したときに真実を伏せて、あくまでも「イーネスの勘違い」で処理をした。誰も悪人にしないどころか、カトリにイーネスに対する不信を与えないように上手く対応したと感心した。
 こういうシーンでは主人公に花を持たせるため、叔母様を悪人にしてしまいがちである。「ポリアンナ物語」では、ナンシーがそういうシーンが演じていたのは事実だ。だがここはイーネスに長く仕えているセルマだ、彼女にとってカトリを信頼することとイーネスを裏切ることは別問題だ。カトリを信頼しつつもイーネスの立てるという、イーネスの使用人としての最高の行動を見せたと言って良い。
 前段シーンでセルマがイーネスを制止した件も、ただカトリに同情したからという理由ではない。それはついでの理由であり、主の理由はロッタとの間に問題を起こさせないためであり、これもイーネスのために正しい行動である。その上で相手がカトリなら、「イーネスが勘違いした」ということにして、さらに作り話だが「イーネスが謝っていた」とすればそれを信じてもらえるはずで、全てが丸く収まると言うことも読めていたのだろう。だからこそ誰も悪人にしないうまい解決方法を採れたのだ。
 本来、このセルマがカトリに手紙を渡すシーンなんかなくてもよく、それは視聴者の想像に委ねても問題がないシーンだ。だがそうすると視聴者もカトリにとってのイーネスを勝手に悪人にしてしまう、すると今後イーネスがカトリの側に落ちるときに説得力が失われてしまう。たせからこそ敢えてこのような印象的なシーンを追加したのだと考えられる。
感想  本話は途中まで、「強くなる」というテーマで一貫している。名台詞欄シーンから始まって、ロッタから届いた手紙の内容、それにクラウスの言動というかたちを通じてカトリも強く成長したことが示唆される。名台詞欄シーンにも書いたが、これは本作の重要なテーマの一つで、それを統括する一話であったと言っても過言でないだろう。レオと一緒にいた悪ガキが再登場するが、彼らのうち一人はカトリのロッタからの手紙を盗み見したことでカトリがとても「強い」事を知ったはずだ。レオの再登場は次回、いよいよカトリの勉学への道が叶う展開のオチで重要な「学校名」を示唆するためだろう。そっか、レオはクラスメイトになるんだな。恐らく次回は中学に入学するマルティも再登場だろう。
 だが公園におけるカトリとクラウスの物語が終わると、唐突に物語はいつもの「牧場の少女カトリ」に戻る。イーネスが突然倒れてカトリの活躍で医者がこの日の内に呼ばれるという展開だ。もちろんこの展開に入り掛かったところで誰もがソフィアの再登場を予測し、サロモンが馬車を飛ばせば「またカトリはソフィアとのドライブをさせられるんだな」という展開が見えてきて笑わなくて良いところで笑えてしまう。もちろんその通りの展開になり、ソフィアの暴走運転がまた見られるわけだ。ソフィアが自動車を運転すると、本当に空気が変わるなー。イーネスが倒れるという緊急事態で緊迫した空気が、一瞬で消えるもん。その上で「でも先生、私たちがお医者さんを呼ばなくてはならないような事になっては…」「私が自動車をひっくり返すとでも思っているのね? そんなこと今までに…一度あっただけよ!」「あったんですか?」「ウソよ、ひっくり返ったんじゃなくてちょっと横になっただけ」…ってこの会話、サイコー。カトリの顔もギャグ漫画の顔になるし…。
 そんなことをやってるから、最も肝心なロッタの帰国が最小限にしか描かれないという悲劇だ。土産としてカトリがランドセルをもらった事なんかついでみたいだ、その上クラウスがもらった太鼓の方が印象に残るし…。
 そしてイーネスが倒れた件は放置されたまま本話が幕を閉じるが、これがなんかの伏線だと信じたいなー。医者を呼びに行ってくれたことにイーネスが素直に感謝するのかなー?

第48話「ああ入学」
名台詞 「おじいちゃん、おばあちゃん、私はとうとう学校へ通うことになりました。今日、試験に合格しました。まだ夢のような気持ちです。髪の毛を引っ張ってみました、やっぱり夢ではありません。カトリ・ウコンネミは自由学院初等部の6年生です。そして、なんと特待生になったんです。」
(カトリ)
名台詞度
★★★★
 屋敷を訪れたカトリがマルティに試験結果を語る。「ダメだったの、試験に落ちたのよ」…これを聞いたマルティは「学校はカトリを解ってない」と憤慨するが、カトリはマルティに顔を寄せて「受かったわ、私」「特待生になったわ」と本当の結果を語る。二人は踊りながら喜び、カトリは「おじいちゃん達に手紙を書くから届けて」「私、先に手紙書いちゃうわ、それからゆっくりおしゃべりしましょう」と言って、自室への階段を上り手紙を書くシーンへと流れる。そのシーンを背景にカトリが祖父母に宛てた手紙の内容として語られるのがこの台詞だ。
 ここに「カトリ勉学への道」という物語の一つの結果が示され、この展開においては無事に本話で語り終えたと言って良いだろう。カトリの勉強をしたいという気持ちは物語の始まりから一貫していて、そのためにカトリが学校で行けるようになることが主人公の目的の一つであったと言って良い。その「ひとつの物語の完結」として、手紙設定ではあるがとても優れた台詞だと感じた。そこにはカトリがずっと持ち続けた「願い」が叶い、それによる喜びがキチンと表現されていることがちゃんと詰め込まれているからだ。
 同時に、この台詞を語るカトリを演じる及川ひとみさんの演技もとても良い。嬉しさを隠しきれないうわずった声をキッチリと演じていて、ひとつの「目標達成」を視聴者に上手く印象付けているからだ。これもこの台詞が「物語の内の一つが終わった」ことを上手く示唆していると思う。
 そしてこの台詞を印象付けるのが、この台詞が語られている間の画面だ。カトリが跳ねるように階段を駆け上がって部屋に飛び込み、手紙を書きながら…手紙に書いたように髪の毛を引っ張るシーンはとても印象的だ。ここのもカトリの喜びがキチンと込められているだけでなく、これまでの名かでカトリが最も可愛く描かれているとも感じた。
名場面 試験直後 名場面度
★★★
 カトリの自由学院入学試験は、面接・国語・算数の3科目であった。うち面接と国語のシーンのみが劇中で演じられると、画面は控え室で待つロッタが不安な表情で部屋を歩き回るシーンとなる。そこへ控え室の扉が開き、まだ緊張した表情のままのカトリが入ってくる。背中で扉を閉めるカトリに、ロッタが「どうだった?」と駆け寄ると、カトリは「わかりません、あと10分ほどしたら奥様に来て頂きたいそうです」と相変わらず緊張した声で答える。「出来たの? 問題は?」と矢継ぎ早に質問を浴びせるロッタに、カトリは「算数はだいたいできたと思います」と答える。さらにロッタが「じゃあ…じゃあ、国語の方は?」と緊張した声で聞くが、ここでシーンはマルティが屋敷を訪れるシーンに変わる。
 もどかしい展開とはこういうのを言うのだろう。恐らく、カトリとしては国語の朗読などもある程度で来たいたと自覚していたはずだ。だがまだ合格と決まったわけ出ないので敢えて自分の感情を殺している、カトリはそういうことが出来る賢い少女であることはここまで散々描かれてきたのでそう解釈することは無理もない。
 だがここで印象的なのはロッタだ。このシーンではカトリよりロッタの方が明らかに取り乱していて、緊張していて不安も大きく感じている。ロッタがここまで不安がることで、ロッタの「カトリを娘だと思っている」という思いに説得力が生まれるだろう。本当に愛しているからこそ、カトリの進路が気になって仕方が無い。イーネスを学力で言い負かした実績があるとは言え、やはり専門家がどう判断を下すかはロッタも不安だったのだ。ロッタの不安は語りに対する不信ではなく心配であり、かつその前段でのカトリの入学手続きにおいてカトリを自信たっぷりに紹介したこともあったのだろう。
 そしてここでロッタが大袈裟に不安がり、そのロッタが聞いた質問を敢えて流さないことで、次のシーンが活きてくる。カトリが「ダメだったの、試験に落ちたのよ」とマルティを一度騙して驚かせるシーンだが、このカトリのウソに視聴者までもが一度騙されるのは、その直前のこのシーンがあったからだ。
感想  今話は「最終回ひとつ前」、「世界名作劇場」の各作品では「物語の結論」が出るところである。もちろん「トムソーヤーの冒険」「愛の若草物語」「ポルフィの長い旅」など例外は一部に存在する。だが基本的に本話で物語はひとつの決着を見るはずだ。それが名場面欄や名台詞欄に書いた、「香取が学校へ通えるようになる」という結論だが、それは本作で仕掛けられた二つの物語のうちの一つでしかないことは物語をずっと追ってきた者にとっては説明するまでもない話であろう。
 まず今話では、カトリが入学する学校名が明白になるところから始まる。「自由学院」という学校名は既にレオの口から出ていて、カトリもここに入学の方向で話が進んでいることが解る。もちろんこれにレオが喜ぶシーンが差し込まれるわけだが…なんかレオってこれだけのために出てきたのかと思わざるを得ない内容になっちゃったなぁ。だがこの裏で、カトリが急遽受験をすることになるという物語が派生し、「カトリの受験」で物語は突然盛り上がる。別に受験は急遽設定するのでなく、最初からありきで物語を作っても良いと思うけどなー。その行間で、やっと病に倒れたイーネスが入院して手術を受けたことが判明する。今話のイーネスを見て、「ポリアンナ物語」のスノー夫人を思い出したぞって、良く考えたら声が同じだ。
 続いてカトリがアッキに夕食に招待されるが…このシーンは何のために差し込まれたの? 確かにアッキはエミリアと恋仲になり晴れて婚約したのだが、二人を引き合わせたのはカトリであり、これに感謝してアッキがカトリを夕食に招待するのは不思議な展開ではない。だけどこのシーンって、大団円の一つとして物語に決着がついた後にやって欲しかったなぁ。先にカトリの受験や名台詞シーンなどを演じてから、本話のオチをこっちにしても良かったんじゃないの?と正直感じた。
 後は受験とその結果だ。「世界名作劇場」で受験と言えばなんてったって「赤毛のアン」だが、印象に残る受験であったがあそこまでは盛り上がらなかったなー。しかも受験は面接ベースで進んでいるから、カトリの緊迫感がどうも薄いし。だからこそロッタの大袈裟な不安が印象に残るという構造が出来たのもあると思う。そして名台詞欄に書いた通り、「カトリが学校へ」という物語の結論の内の一つが印象的に鳴ったのは事実だから。
 後は残り一話。カトリが母と再会するのは既定路線だが…カトリの母がどうやって突然現れるのか覚えていない。だって今からカトリが故郷へ帰るのはおかしいし、時間的にももう難しいだろう。何らかの理由でカトリの母がトゥールクに来る展開だったかなー、覚えてないなー。

第49話「おかあさんの帰国」
名台詞 「あんた、友達のくせして知らなかったの? カトリはね、星の国の王女様なのよ。」
(ソフィア)
名台詞度
★★★★★
 カトリが学校へ通い出すと、クラスではあまりにもカトリの成績が良いので「農村で生まれた貧しい雇い人」というカトリの経歴を誰も信じず、「本当は戦乱でどこかから密かに逃げてきた王女様」だという噂が流れる。レオは登校時にカトリにこれをしつこく聞くが、もちろんカトリはこれが噂に過ぎないと答えるだけだ。ある日、登校中にカトリとレオがソフィアが運転する自動車に拾われると、レオはソフィアがカトリのことをよく知ってそうだと判断すると「教えてください、カトリは一体何処の国の王女様なんですか?」と問うてみる。これに対するソフィアの返事がこれだ。
 上手いオチを付けたと感心した。カトリについて上述したような勝手な噂が流れるほど頭が良いと言うことを示唆したかったのだろうけど、話が大きくなりすぎてレオに真実を語っても面白くも何ともない状況に陥ってしまったのは事実だ。だからこの噂の件に関してどんなオチを付けてくれるかと期待してみてしまったのは事実だ。カトリとレオの前にソフィアが自動車で現れたときは、おやくそくの暴走ネタにレオが巻き込まれるだけかと思ったが、ここでレオがカトリの正体をソフィアに問うと言う展開だけでも上手く考えたなーと思った。もちろんそうなればソフィアの性格から言って、真実を語って終わるとは思えない。そしたらこんなメルヘンチックなオチを付けたのがとても印象に残った。
 そう、カトリの物語を通じてカトリに何か称号を与えるとすれば、こう呼ぶのが最も相応しいかも知れない。カトリが「星の国の王女様」であることは、ここまで物語を牽引してきた努力と運と根性の全てが揃っているからだが、その結果がなんとも出来過ぎたおとぎ話のようになったしまった。おとぎ話と言えば王女様を連想するが、その王女様の姿も夜空に彩られた神話に出てくるような王女様の姿を連想できるだろう。だから「星の国の王女様」という称号は上手く考えたと思う。
 さらにこの台詞に至るソフィアの自動車暴走シーンは、毎度の事ながら滑稽に描かれていて面白い。レオがソフィアにカトリの正体を問う直前なんか、彼の動きはギャグ漫画のそれだ。最後の印象的な台詞は、物語の最終局面であるトゥールク編に大きな花を添えた自動車暴走シーンの中で出てきた点も、とても印象的であった。
名場面 カトリとサラの帰郷 名場面度
★★★★★
 カトリはソフィアが勤める病院に入院していた母と感動の再会を果たす。それから数ヶ月が過ぎて夏休みになると、カトリは母を伴って祖父母が待つ故郷の村へと帰る。その汽車の車内でカトリは母に尋ねる、「お母さん、正直に言って欲しいの。私、お母さんが考えていたような娘になっていた?」と。サラは隣に座る娘を見下ろすと「いいえ」と即答だ。カトリがちょっと悲しい表情をして「失望したのね…」と返すが、サラは首を振って「その反対よ。あなた、お母さんが考えていたより、ずっとずっと素晴らしい娘になっていたわ」と続ける。
 たったこれだけのシーンで、本作の最終的な結論が描かれたと言っていいだろう。カトリと母の再会というのは、本作が幕を閉じる最低条件であったはずだが、それもただ再会するだけではその条件が達せられない。母から見てカトリが恥ずかしくない娘になっていることがキチンと示唆する必要があったはずだ。本来はサラがこれを見せつけられるシーンが演じられてしかるべきところであるが、本作ではそこまで再現する時間はない。これは再会シーンの病室の外にロッタとソフィアがいるだけで十分とみる向きもあるが、それに加えてこのシーンが効果が大きいのはサラの娘を褒め称える台詞を聞いたカトリの表情が出てこないことだ。この母の最高の褒め言葉に、娘がどんな反応をしたかは視聴者の想像に委ねられた…つまり視聴者一人一人が描く「成長したカトリがこの言葉にどう反応したか」こそが、カトリの成長した姿であり母が見るべき「素晴らしい娘」の姿である点だ。
 もちろん、物語をずっと追ってきた人はこの言葉を聞いて増長するカトリなんと誰も想像しないだろう。喜んだ上でさらなる高みを目指す、これが私が想像したカトリの返答だ。このサイトをご覧の皆さんはサラの台詞にカトリがどう反応したと想像しただろうか?
 こうして物語は残り数分というところで本題の幕が閉じる。後は久々に登場のペッカを含めた3人とナレーターで、「オチ」を描くのだ。
感想  最終回…前半は全然それらしくなかったなぁ。カトリが学校へ通うようになったとは言え、ノリはいつもの「牧場の少女カトリ」のトゥールク編だ。その中でイーネスが病を通じてカトリを認めた点はキチンと描かれた点も評価したい。理由付けもカトリ本人の功績と言うより「ソフィアに出会えたこと」の方が大きそうだ。だがイーネスには素直にさせず、カトリに対して「礼を言っただけで謝ってはいない」「真実を言っただけで褒めてはいない」と言い張るのも面白い。やっぱりイーネスはこのノリで退場してもらわないと、このまま最終回で終われなくなってしまう。
 カトリの学校シーンは、名台詞欄シーンに尽きるだろう。確かにカトリの成績が良いだけでなく、学力が認められて「特待生」では、「田舎の貧しい農家出身で学校へ行っていない」と言っても誰も信じないだろう。「特待生」という響きはカトリを王女様に祭り上げてしまうだけの効果は絶大だ。その問題の解決にソフィアが暴走して解決というのは、本作のトゥールク編らしいノリで良い解決法だったと思う。
 そして後半、唐突に冬になるとマルティが現れるが…別にマルティとの別れは冬のシーンでなくても良かったと思うけどなー。正直、ラストの駅のシーンでペッカと一緒に迎えに来ていても良かったと思う。最後の大団円は、それで十分に話は転がったはずだ。そんな感じで引っ張りに引っ張ってからカトリの母がトゥールクにいる事が判明し、勝手に屋敷の外に消えていったクラウスをほったらかしにして物語は病院へ。しかもそこはすソフィアの勤める病院…名前見て気付けよ!とツッコミを入れたいのを視聴者はこらえるしかない。ロッタは現在の保護者として着いていったのだろう。そして感動の再会を下手に引っ張らず、余計なシーンや台詞も無しに、うまく簡潔にまとめたと思う。でも私としては、その後の名場面欄シーンの方が印象的だったな。
 そして最後は、ペッカが繰る馬車で「オチ」が演じられる。この馬車シーンを通じてカトリと母の「これから」が描かれ、この内容はカトリと母が共に生活出来そうな内容であるという内容でありこれで何も心配することはないと視聴者が感じるところだ。そして最後にカトリの将来がナレーターによって語られて、ものかダリは終わる。最終回は前半がのんびりしすぎたせいもあって、後半が忙しくなってしまい一次はどうなるかと思ったけど、主人公の近未来と遠い未来がキチンと描かれたことで物語は何の語り残しもなく上手くまとまった。これは私が最終回を散々批判した「ポルフィの長い旅」にはなかった点である。「世界名作劇場」の多くの作品のように、大団円に丸々1話かける必要は無い。工夫すればこのように手短に作ることも出来たはずなのだ。
 いずれにしても、11月から約2ヶ月の再放送リアルタイム視聴に皆さんお付き合いくださり、ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。本作についても、概要と総評と追加考察を就けて終わる予定ですので、もうしばらく「牧場の少女カトリ」にお付き合いくださいませ。

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