・「宇宙戦艦ヤマト」実写版(2010年12月放映)感想
 2010年12月、「宇宙戦艦ヤマト」の実写版映画が封切りとなった。主人公の古代進役に「SMAP」の木村拓哉氏を起用したことで、大きな話題となっているのは言うまでもない。
 だがこの映画、ネット上で意見を拾ってみると上映前からどうも評判が良くない。そんな意見の多くを見ていると、主演男優やその所属事務所に対する偏見、原作アニメ(初代テレビシリーズ)に対する固執といった感情で占められたものが多くて、冷静かつ参考になる意見が少ないのに呆れ気味であった。また監督の交代劇や、撮影開始直前になっての雪担当女優の変更があったりしたことも、この映画が上映前から「負」のイメージを着せられる原因になってしまったことだろう。
 そこで私としては主演俳優に対する偏見や映画撮影前の出来事に対する偏見は一切抜きで映画を観覧するよう心がけ、その感想と原作との比較による考察をここに残しておきたい。

・ 注 意
当サイトの考察ではネタバレがあります。
劇場上映中につき、物語展開や結末等を先回りして知りたくないと言う方は、この先の閲覧には十分注意をして下さい。
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それについては当方は一切関知しませんのでご了承下さい。

   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

・交通整理
登場人物に関する改変
古代 進 … 基本的に変更無しだが ヤマトに乗り組む前はレアメタルを掘り それを防衛軍に渡すことで食糧や薬品の横流しを受けていた
沖田 十三 … イスカンダルミッションは彼の独断で行われた 他は原作アニメに準ずる
森 雪 … 生活班班長からブラックタイガー隊隊員に設定変更 性格も男勝りなものに改変
島 大介 … 「既婚者で子持ち」に設定変更
佐渡 酒造 … 男性から女性へ変更(名は不明) 医務室で戦死せずに生還する(「さらば」との比較) その他の設定に変更無し
ミーくん … 佐渡と共にヤマトに乗り込む(「さらば」準拠だが佐渡と共に生還する)
アナライザー … 古代が持つ携帯端末状のコンピュータシステムとなる(声と性格は同じ) コスモゼロの支援システムでもある
相原 義一 … 男性から女性に設定変更(名は不明) および通信班の交信担当からレーダー担当に変更
斉藤 始 … 「さらば」(テレビシリーズ「2」)のキャラであるがイスカンダルミッションに参加 (以下空間騎兵のキャラ全て同様)
太田 健二郎 … 航海班から技術班に変更 雪に対する片思いはカット
古代 守 … 冒頭の火星宙域戦(原作の冥王星宙域戦)で戦死
島 次郎 … 島の弟から息子へ設定変更 同時に戦災により言葉を失った設定となる
古代の両親 … 遊星爆弾の直撃を食らった場所が神奈川県三浦半島から宇宙ステーションに変更 その遊星爆弾も「古代が撃墜に失敗したもの」に設定変更
デスラー … 地球人類型の異星人から実体のない精神体に設定変更 「ガミラス」という名称は地球人がつけたものに変更
スターシァ … 地球人類型の異星人から実体のない精神体に設定変更 デスラーと同一だが光の部分とされた 放射能除去装置は持っていないが地球環境を元に戻す能力は持っている
ヤマト … 外観や性能は初代テレビシリーズと変わりないようだが グラスコックピット化により余計なメーター類が廃され 通路はエスカレーターからただの廊下となった
コスモゼロ … 機体を折りたたむように変形したり 巨大ロボットを搭載したりしている アナライザーを支援システムとして飛行する
ガミラスの艦艇 … 全て外見が岩石状の物質に変更され 兵器というより怪獣のような形態となる

初代テレビシリーズ以外の原作アニメとの共通点(上述との重複点もあり)
・真田と斉藤の戦死状況とその際の戦闘状況(「さらば宇宙戦艦ヤマト」踏襲)
・徳川の戦死状況と最後の台詞(「さらば宇宙戦艦ヤマト」踏襲)
・最後まで生き残った乗組員は古代を残して救命艇で脱出する(「さらば宇宙戦艦ヤマト」踏襲)
・ヤマトは地球を救うために「発射口を塞いだまま波動砲を使用して自沈する」という戦法をとって失われる(「完結編」踏襲)
・古代と雪の間に性交渉があり子供が生まれる(「完結編」踏襲)
・相原相当人物が女性のレーダー手に 佐渡相当人物の女性の艦医に それぞれ変更(「復活編」踏襲)
・ヤマト艦橋などの機器類についてグラスコックピット化が追求されている(「復活編」踏襲)

原作アニメとの違い
・古代や島や雪の年齢設定が二十歳前後からもっと年上へ
・冒頭のガミラスと地球艦隊最後の戦いは冥王星宙域ではなく火星宙域
・ガミラス艦隊は学習能力が高いので一度使った戦法は効かなくなる
・古代が「イスカンダル」からのメッセージを拾った場所は地球上
・「イスカンダル」からのメッセージ内容は星の位置と波動エンジンの設計図のみで放射能除去装置供与の話はない(この事実は古代のみが知らされる)
・従ってイスカンダルへの飛行は「行けば人類が救われる」という確証のないまま沖田の独断で実行される(この事実は古代のみが知らされる)
・古代と島以外のヤマト乗組員は全て元は沖田艦の乗員であった
・斉藤をはじめとする空間騎兵隊が乗り込んでいる
・古代は島とともに元々遊星爆弾撃破を任務とするコスモゼロ隊のエースであったが 自らの失敗で家族を失ったことで除隊 イスカンダルミッションの志願兵として復隊という設定
・波動砲の初使用が進宙時の大型爆弾襲撃に対して
・最初の戦闘(原作では地球宙域・本作品では木星宙域)で乗機が被弾して操縦不能になるのは山本でなく雪
・木星に「浮遊大陸」は存在しないので寄港しない 土星通過も描かれないのでタイタンにも寄港しない
・冥王星にガミラスの最前線基地がない
・太陽系離脱時に乗組員が家族と交信するのに許された時間は1分(原作は5分) 斉藤が母と連絡を取るシーンが展開される
・太陽系外縁部にガミラスによる機雷原が存在しない
・2200年の年明けに餅つきをしない
・古代と島が殴り合いの喧嘩をしない
・ドメルの不在
・バラン星の戦いや七色星団の戦いはない(ただしこれらの戦いで描かれたエピソードの一部は他の戦闘で流用されている)
・第三艦橋はガミラスに巨大爆弾が取り付けられたことで乗っている乗組員ごと切り離したという理由で失われる
・ヤマトの波動砲発射口を塞いだのがドリルミサイルではない(最後まで除去もされない)
・デスラーがヤマトに連絡を取るときは無線通信に割り込むのでなく 精神体を艦内に送り込んでメッセージを伝える(斉藤に憑依したり直接実体化するなど)
・ガミラスとイスカンダルは同じ惑星
・ガミラスとイスカンダルは同一存在(ガミラスが影でイスカンダルは光という設定)
・ガミラス/イスカンダル星での戦いは地上戦が主
・ガミラスもイスカンダルも異星人に実体はなく精神体というかたちで存在する
・イスカンダルには放射能除去装置はないが地球の放射能を除去する能力は持っている
・そのためにスターシァは雪に憑依してヤマトに乗り込む(←物語の結末を左右した重要な点)
・イスカンダル訪問後にガミラス殲滅作戦を行う
・ガミラス殲滅の過程で「さらば宇宙戦艦ヤマト」の白色彗星動力部破壊時の展開を取り 加藤・山本・真田・斉藤という主要メンバーが古代や雪を庇って戦死する
・沖田は物語の結末を待たずに死去する その前後に雪が仮死状態にならない
・原作通りにヤマト地球帰還直前にデスラーの急襲を受けるが この際にヤマトの徳川以下多くの乗組員が戦死する(「さらば宇宙戦艦ヤマト」に近い展開を取る)
・デスラーがヤマトが見ている目の前で地球を破壊する巨大ミサイルを放つ
・このデスラーの行為に対して「さらば宇宙戦艦ヤマト」で超巨大戦艦に対抗する際と同様の展開を取る
・従って生存した古代以外の乗組員は「さらば宇宙戦艦ヤマト」同様にヤマトから脱出する
・生存乗組員が脱出する際に雪は古代と運命を共にしない(地球を救うべくスターシァが憑依しているため)
・佐渡は戦死せず他の乗組員と共に脱出する(「さらば宇宙戦艦ヤマト」との比較)
・デスラー艦の撃破方は「発射口が塞がれたままで波動砲を発射する」という「完結編」を踏襲したものだが 最後の波動砲の引き金を引くのは沖田でなく古代

・物語
・「初代」+「さらば」+「完結編」+α/4
 既存の「ヤマト」ストーリーを知っている人に、もっとも簡単にストーリーを説明するとなればこういうのが一番早い。物語のベースは初代シリーズであるが、中盤を過ぎるとシリーズ他作品から転用した展開と合流する展開となっている。

 物語は原作(初代)同様に地球艦隊がガミラスに敗北し、地球人類の存続が絶望的な状況になっているところから始まる。だが原作と違って印象的な点は、いきなりブラックタイガー隊による宙空戦、しかも森雪がブラックタイガーを繰っている状況から始まる点であろう。このシーンを冒頭のタイトルより先に見せられることで、見ている者はこれまでのアニメで演じられた「ヤマト」との違いをいきなり見せつけられることになる。そして原作通りに古代守の繰る艦が沖田艦の盾となって撃破されるシーンとなるという物語の始まりは、展開的には原作アニメと同じではあるが全く印象の違うものになってしまう。
 そして印象の食い違いを感じたままで、古代の初登場のシーンへと変わって行くのだが、この古代も原作の古代とはやっていることが全く違い、結果的にはイスカンダルからのメッセージを発見するという原作に沿った展開となるがこれも印象が大きく変わっている。この冒頭の「雰囲気の違い」にアニメの「ヤマト」を知っている人がついて行けるかどうか、多分ここがアニメの「ヤマト」を知っている人におけるこの映画の評価が分かれるポイントであろう。この部分で脱落したら、後がいかに良くても多分ダメだと思う。私はこの段階では雰囲気について行けた、特に火星宙域戦の描写の迫力に押されて森雪の設定云々どころの心境ではなかった点が大きかったかも知れない。古代についても「レアメタルを掘ってそれを軍に売り渡して生計を立てている」という設定は悪くないと思った。また地下都市の描写がアニメよりもリアルだった点や、古代が地上に上がったシーンでアナライザーの登場もあって驚いてそっちに目が行きがちであった。従って後述する古代や雪に対する「違和感」は、まだこの段階で感じていない。
 この後はヤマトが旅立つまでの展開が描かれるわけだが、この辺りで細かい演出がされているのが心憎い。例えば地球防衛軍司令の藤堂がイスカンダルミッションを世間に公表する際に「記者会見」という手法をとってテレビ放送されたというシーンは、面白いシーンだと思った。またこの記者会見のやり取りに出てくる藤堂とマスコミの会話や、地下都市世界の再現については原作アニメ以上の「地球世界」の設定の深さや、リアリティを感じ取ることが出来た。私としてはこの部分でこの作品に心を掴まれた形となった。
 このようなシーンを経てヤマトが宇宙に旅立つと、今度は映画の上映時間もあって矢のように早い展開で物語が進む。波動砲初使用シーンは地球発進時に回され、その余韻もないまま地球宙域の戦いを飛ばしてに原作通りのワープテスト。初ワープで雪の胸が露わにならない点に不満を感じる暇もなく(笑)、木星宙域での戦い。この辺りから古代と雪の描写に違和感を感じるようになるが、それは登場人物項で記したい。続いて原作10話を踏襲した太陽系脱出時のエピソードが入り、原作と同様に沖田と古代の距離が少し縮まるように描かれる。
 この次の戦いからは徐々にオリジナル色が強くなる。原作のドメルと言った「敵将」の存在はなく、敵戦闘機を捕獲するエピソードもあるがこの展開はまるでちがうものとなってくる。特に敵戦闘機捕獲によりヤマトは初めてデスラーと接触し、ガミラスの正体が「精神集合体」であることを知るがこれについて原作に慣れ親しんだ人は大きな違和感を感じただろう。だが一方で「さらば宇宙戦艦ヤマト」でヤマトが訪ねたテレザート星のテレサと似たようなもんだと、私のように納得して見ていた人もあっただろう。私はこの辺りから作品のノリが「さらば」に近くなったと感じていた。
 そして沖田が倒れ、その間に古代と雪のあんなことやこんなことが描かれた後にヤマトはイスカンダルに到着する。同時にイスカンダル方向からガミラスからの襲撃を受けたことで、乗組員が疑念を呈するという展開は全く同じだが、原作との大きな違いはイスカンダルとガミラスは同じ惑星だとされた点だ。裏表の外見が全く違う星で、「メッセージ」に記された行き先がこの星そのものではなく、この星の「一点」とされている事実が思い出したかのように出てくる点はいただけない。これは展開上の伏線が必要だった点であり、例えばデスラーがヤマトに乗り込んできたようにスータシァが乗り込んできて詳細な行き先を告げるような展開でも良かったと思う。いずれにしろこの「一点」が地下であることで、ここで完全に展開は彗星帝国→ガミラス、テレサ→スチーシァに置き換えた「さらば」と同じものとなるだろう。「さらば」テレザート星上陸作戦に似た地上戦が展開され、一行はスターシァの元にたどり着く。
 ここで大幅な設定変更がある、スターシァもデスラーと同じように精神体であり、「二人」は同一で裏表の存在だという設定が取られた点だ。そしてそれぞれは「自分の星が崩壊する」という危機に対し、星に残って運命を共にするという部分と、外へ侵略へ出て移住地を開拓するという部分の違いだという。こんな難しい設定を取るなら、原作通り二重惑星の片方ずつで良いじゃないかと感じた。どうしても同じ星の存在にしたければ、種族の違いなど処理方法はいくらでもあったはずだ。だがスターシァが具体的な「放射能除去装置」を持つわけではなく、放射能除去の能力を持つだけとされた点はいいと思う。原作の展開はどう考えても都合が良すぎで、見ず知らずの文明に突然助けられるという不自然さがどうしても残るものだった。この作品では地球を侵略する側も救いの手をさしのべる側も同一物のそれぞれ一部でしか無く、手をさしのべる側は自分の別の一面の行為に対する償いとして「自分に出来ること」として自分の力を使うという展開を取った。
 だがこれは原作と比較すると、この後の展開が大きく揺れる重大な設定変更となる。これまでヤマトシリーズでは地球を助けた者が直接地球に行った事実も理由もなかった。だがスターシァはヤマトと共に地球へ出向かねばならなくなったのである。原作のスターシァは自分の星と滅びるという運命を選択し、「一緒に…」というヤマトからの申し出を断っている。つまりここで物語の結末が原作と違うという点が明確になったのだ。同時に地球へ向かうためにスターシァは雪に憑依するという手段を取ったため、雪が死ぬという展開はあり得なくなる。これも原作初代シリーズや「さらば」とは違う展開が用意されていると理解できる設定だ。
 そしてスターシァの元からの帰り道、真田がガミラスの中枢を発見する。その中枢部へは両脇を護衛に固められた橋を渡って行くというもので、これはどう見ても「さらば」の彗星帝国動力炉破壊シーンと同一だ。もちろんここは「さらば」の同様の展開を取り、斉藤が仁王立ちの形で、瀕死の重傷を負った真田が爆破ボタンを押しながらという形で戦死する。この光景を背に艦へ戻る古代と雪は、これまた「さらば」と同様に自分達を護衛した加藤以下の全員が戦死しているのを発見する。そして生き残りのブラックタイガーで二人は逃げだし、ヤマトに戻る。
 ここから原作同様にヤマトの帰還については殆どが省略され、地球帰還寸前まで話が飛ぶ。ここで沖田が力尽きるが、この手前で雪が襲撃されてされて仮死状態になるというシーンは描かれていないので、原作最終回のような酷い展開とはならずに済んだ、私としてはここだけでこの映画の評価はかなり上がったのは事実だ。もし沖田の死を原作と同じように「雪の復活の代償」というあり得ないシーンに描いたら、原作で最も気に入らなかった部分がそのままと言うことで私もこの映画に対する評価がかなり悪くなっただろう。
 でこのまま終わるのかと思わせておいて、やはり原作同様に地球目前でデスラーの襲撃を受けることになる。もちろんここは真田が戦死して既に不在である以上は、原作のように「こんなこともあろうかと」とはならない。どうなるのだろうと期待してみていると「さらば」でヤマトが彗星帝国から総攻撃を受けたシーンのように、徹底的な攻撃を受けることになる。この過程で徳川が「さらば」と同様の状況で戦死し、古代がヤマトで特攻することでデスラーを破るという方法を考え出したことで、また展開は「さらば」とどうようになるのだ。もちろん乗組員達は最初は古代やヤマトと運命を共にすると叫ぶが、古代がこれを説得して皆は脱出する。
 だがここで「さらば」ど同一に出来ない部分がひとつだけあった、前述したように雪には地球を救うべく同行しているスターシァが憑依しており、ここで雪が死ぬと地球の将来が失われるという設定が置かれたことである。もし「さらば」と全く同じ展開を取るなら、既に雪は死んでいて古代はその雪の亡骸を抱きながら敵艦に突っ込んで行くという名シーンを描くことになるが、そういう結末には出来ないことは見て来た人は瞬時に理解している事だろう。結局、雪は脱出させられるわけだが、この過程がただ単に古代に説得されるだけではなく、古代がショックガンを使って気絶させ強制的に島に連れて行かせるという展開となる。このショックガンは往路で斉藤の身体にデスラーが憑依した際に出てきており、ここでその機能や能力がさりげなく明示されていたのがよかったと思う。この「古代と雪の別れ」はヤマトの他のシリーズでは見られない独特のものであり、この映画だけで描かれた独自のものである。原作の二人はシリーズにもよるが、常に地球に共に帰還して結ばれるか共に滅びるかのどちらかで「いつも一緒」なのだ。だが「復活編」では雪は物語冒頭から「行方不明」とされて殆ど物語に出てこないが。
 そして「さらば」でも名シーンのひとつに上げられる脱出艇と艦橋の古代の敬礼シーン、艦橋に1人残された古代の前に先に戦死した仲間達の亡霊が現れるところまでは「さらば」だが、この後に古代が艦長席に座ってターゲットスコープを出すと雰囲気は「完結編」のラストに変わるのだ。そしてヤマト最期のシーンの沖田のように古代が波動砲の引き金を引き、ヤマトはデスラー艦と共に失われるところで本編部分が終わる。
 ラストシーンは「元の自然が取り戻された地球」を強く印象付けるシーンが出てくる、画面に出てくるのは親子…雪とその子供だ。出てきた子供はヤマトの上で古代と雪の性交渉が示唆されるシーンがあった以上は、間違いなく古代の子供であるということだろう。実は科学的に考えると宇宙空間での妊娠というのは非常に危険で、宇宙空間を経験した胎児は遺伝子に異常を来して正常に育つ可能性が低いとされているがこんな事を突っ込んでいる場合ではない。二人の性交渉とこの結果としての子供は原作でも描かれていて、この「オチ」にも「完結編」の要素を入れて物語を大いに盛り上げる。

・「時代」とともに変化したヤマト…セット等
 CGで再現されたヤマトを初めとする艦艇はさらに洗練された形となり、現在から見た「未来」を想像させるものとなった。戦闘シーンは立体化されたことでさらに迫力を増し、地上戦もヤマト側の「危機」がよく現れていたと思う。ヤマト艦内などのセットは原作よりもあっさりしたものとなったが、「あの艦が現実になったら…」という意味では現実的と言えよう。特に松本零士デザインのコックピットでよく見られる「ゲージだらけ」が再現されなかった点については、原作を知っている人の間では評価が分かれる点だと思うが、私は実写映画としての世界観のリアリティを追求するならあの程度でいいと思っている。無数のゲージが消えた代わりにシステムのグラスコックピット化が追求されており、ヤマト艦橋の光景は「現実的な未来戦艦の操縦席」として描かれたと評価したい点だ。松本零士の「ゲージだらけ」のコックピットの実写化を期待するなら、氏が原作の他作品が実写になるのを待つしかない。
 艦内通路が単なる廊下になった点も、破滅寸前の地球に「単なる廊下を全部エスカレーターにする」という贅沢が許されるはずはないので「払拭された不自然」の一つに数えていい。ブラックタイガー格納庫シーンはとても雰囲気が良く、「船底」という雰囲気がとてもよくでていて、私のような乗り物好きから見れば好感度の高いシーンだ。格納庫シーンは引退したフェリー(伊勢湾フェリー…パンフレットより)の車両甲板を使用して撮影したとのこと、どうりで雰囲気が良いはずだ。
 もちろんその格納庫にいるブラックタイガーも洗練されたデザインになって「現代的」と感じ、これも印象が良かった。ただ古代が乗り組んだコスモゼロにはまいった、突然変形して「手」が出てきただけで興ざめだったのに、最後は中から巨大ロボットだもんなー。アナライザーを使うにしてももうちょっと考えて欲しかった。ただコスモゼロの拡張ユニットとして、アナライザーが同化できるという設定はいいアイデアだと思った。本当は原作通りのアナライザーに出てきて欲しかったところもあるが、実写という事を考えると限界があったと考えざるを得ない。だいたいこの映画でアナライザーが雪にセクハラ行為をしたら、その場でバラバラに分解されそうだ(笑)。それ以前にアナライザーが原作通りの設定だったとしても、女性乗組員が多いこの物語では雪に対しセクハラ行為をする理由もないだろう。
 とにかく実写のヤマトは「空想の宇宙船」臭さが払拭され、現実的な「未来の乗り物」「未来の兵器」として描かれた点は大きく評価したい。アニメなら前者でいいと思うが、これはアニメより現実的にするとして作られた実写映画だからこそ、このような要素でヤマトが描き直されるべきだと私は考えていた。

 だが逆に現実臭さが消えてしまったのがガミラスの艦艇群だ。原作以上にグロテスクに描かれ、原作にあった「兵器臭さ」や「乗り物臭さ」が完全に払拭されている。またガミラスの艦載機はどう見ても昆虫で、グロテスクな艦艇とともに怪獣に見えてしまったのは良くなかった。
 ただガミラスが人間と全く違う「精神体」という設定を考えれば、人間が思い付く乗り物とは全く別の形に描かねばならない。その点を考えると、どう見ても昆虫の艦載機はともかく艦艇についてはこういう描き方もありだと見終えてから考えるようになった。これは地球の艦艇類にはちゃんと「船→航空機」という進化の過程があり、ガミラスの艦艇には別の進化があるという世界観が確立されていたことに、後になって気付いたからだ。
 そのガミラスの艦艇の中でも群を抜くのが何と言ってもデスラー艦だろう。形はともかくその大きさは間違いなく「さらば」の超巨大戦艦を意識したものと思われる。地球へ向けられるデスラー艦の巨大ミサイルもなかなか迫力があってよかった。ただどう見てもヤマトの自爆で簡単に沈むとは思えない大きさにまでしまったのは問題だったと思うが。
 それと、空に飛行機雲を引きながら落ちてくる遊星爆弾も、なかなか雰囲気があってよかった。

 世界観が上手に示されたのはなにもメカだけでない。例えば序盤で古代が地下都市から地上に登るシーンは、古びたエレベーターなどその地が「人が立ち入るべき場所ではない」という雰囲気を上手く出していた。そして海が失われた地球の風景と、その海底だった場所に鎮座する「大和」はCG合成とは思えない程のクオリティだった。特に「大和」については「船体が3つに分かれて沈んでいる」という現実世界に沿った設定は取らず、原作アニメの設定同様原型を留めて沈没しているという設定にされたのは好印象だった。そしてその「大和」の船体の中からヤマトが現れるという原作での名場面を、迫力あるCG合成で忠実に再現した点は「ヤマトファン」としては評価が高いところだと思う。
 さらにガミラスの攻撃で赤くなってしまった地球や、その他惑星群の描写も、「ヤマト」の世界観を見事に再現したと思う。ここでも天文観測の進歩による最新の知見は敢えて取り入れず、初代「ヤマト」に合わせた宇宙空間としたのは好印象。それにイスカンダルの美しさは原作同様なのも嬉しかった。
 「物語」項で語った通りガミラス/イスカンダル星では洞窟での地上戦が繰り広げられるのだが、これは「さらば」のテレザート星の戦いを想像させるよう世界観が上手く作られていたし、スターシァと対面後に描かれたガミラス中枢部は「さらば」の彗星帝国動力炉をうまく再現していて、そこで繰り広げられた「さらば」同様の名シーンに「本当にヤマトが実写になったんだ」と感嘆させるものがあった。

 セットのついでに書きたいのは登場人物の服装である。なんとあの矢印が描かれた地球防衛軍の制服をそのまま再現してしまったのだ。しかも班によって色分けがされているという設定まで再現されており、彼らの服装も「ヤマトが実写になった」と感動できるものであった。ただヤマトのあの制服はもっと平面的なイメージと、現在では使われていない特別な素材を使っているような印象があり、白い作業服に矢印を立体的に描いたという解釈は思いもつかなかったので新鮮な面もあった。この制服、私が見に行った映画館のスタッフも「実写ヤマト」の宣伝に着用していたのは笑った。
 沖田が着ていた艦長用のコートはさらに現実的となり、胸に数々の勲章が輝くなどさらにかっこよく描かれたと思う。

・登場人物
・一部キャラの「女性化」は成功だと思う
 登場人物は基本的に「初代」と「さらば」のものを引き継いでいる。その中でも前評判ではあまりいい意見が聞かれなかった、一部キャラが女性に書き換えられた点を最初に考察したい。
 原作初代ヤマトでは乗組員の女性は雪だけであり、女性進出が激しく軍関係でも女性の姿を見ることが多くなった現代から見ると不自然になったのは否めない(ちなみに「初代」で佐渡の部下に女性看護士が描かれたが、「女性は森だけ」という設定を優先させるために完成寸前に男性看護士に書き換えられたという実話がある)。「基本的に女性乗組員は雪だけ」という設定は「さらば」やテレビシリーズの「2」に引き継がれたのは勿論、「新たなる〜」以降でも引き継がれた設定である。「永遠に」では女性乗組員にサーシャが追加されたが、これも真田の養女という点を考えれば「特別扱い」のひとつと考えるべきだろう。
 また雪が女性一人という配役から、女性に向いている仕事を全部やってしまうという問題もあった。あるときは艦橋でレーダー手をしているかと思えば、あるときは古代と一緒に艦載機に乗り組んで資材の収拾や分析や探索をしていたり、またあるときは佐渡の横で看護士としての任務があり、乗組員にコーヒーを入れたり餅を振る舞ったりという「雑用」までこなしていた。結果原作の雪はスーパーウーマンとして描かれ、誰からも頼りにされる存在として描かれていた。
 もちろんこの原作の雪の行動が不自然なのは当然だ、現実の戦艦でレーダー手と資材収拾担当と看護士が兼務なんてまずないだろう。したがって「ヤマト」実写化により設定をよりリアルにする必要性が生じた際に真っ先に問題となったのは雪の設定変更だったと推測するのは難しくない。そこで原作での雪の業務内容と検討し、雪が「古代の恋人」として定着するために本来はどの立場に着くべきか、そして雪の代わりをどうするかという問題を解決されることになったのだろう。
 結果雪はブラックタイガー乗りということで古代の部下として落ち着かせ、空白になったのはレーダー手と看護士をどうにかするいうことになる。どちらも男ばかりの原作「ヤマト」で雪の活躍が目立つところであり、代わりに誰かを配置するなら女性にすべきところだ。かといってキャラクターを安易に増やすと原作「ヤマト」からどんどん離れていってしまう。そこで考え出されたのが艦医の佐渡と、通信班の相原を「女性化」するということになのだろう。勝手に命名しよう、「佐渡 酒美」と「相原 義子」の誕生だ。

 ここにもうひとつの事実がある、それは2009年に公開された長編アニメ「宇宙戦艦ヤマト 復活編」だ。「復活編」では古代と雪は夫婦となっており、古代の留守中に雪が護衛艦隊の艦長として出撃して敵襲に遭い行方不明になるという展開を取る。つまり雪はヤマトに乗り込まないことになるのだが、ここでも上述のような内容で「雪の代わりをどうするか」が考えられたようだ。また劇中時間が「ヤマト」他作品から少し後の時代とされたことで、新キャラクターを追加した方が自然であることも作用したと思うが、蓋を開けてみるとやはり女性に変わった役割は艦医とレーダー手だったのだ。もちろん「復活編」は既存のキャラクターに固執する必要がないので、艦医には佐々木美晴、レーダー手には折原真帆という新キャラクターが設定されていて、どちらも佐渡や相原とはほど遠い性格であることは言うまでもない。

 この佐渡と相原の「女性化」であるが、私としてはこれは大成功だったと考えている。
 正直なところ映画を見るまでは、相原はともかく佐渡については「女性化」されたことに強い抵抗感を感じていた。しかし実際に映画を見てみると、高島礼子さん演じる佐渡がとてもいい味をだしていて驚いたのである。なんか映画の中に本当にアニメの佐渡先生がいるような、見事に「女になった佐渡先生」を演じてくれたのはとても凄かった。ハッキリ言って今映画のキャストの中で最も印象が良く、最も原作の雰囲気を出していて、最も役作りが上手く行っていたのは高島礼子さんの「佐渡先生」だと感じた。初登場シーンではアニメの佐渡と同じく、眼鏡を鼻の先に掛けて頼りない感じで出てきてこれだけで私の心を掴んだ。そしてミーくんと仲良く会話したり、酒瓶を持ち歩いたかと思えば徳川と呑みながら語り合い出したりしたときは、もう完全に佐渡だった。佐渡先生を演じた高島礼子さんは世代的にはドンピシャのヤマト世代のはず、女性でありながら佐渡先生の役が回ってきたのに驚かれたのは想像に難くないが、原作のヤマトをよく知っているからこそ女性でありながら佐渡先生を上手く演じたのだと思う。
 相原を演じたマイコさんもとても相原らしかったと思う、実は実写の相原がアニメの相原と同じ役どころになることはあまりなく、この映画ではレーダーで索敵した結果を読み上げるのは女性の声でなければならないという理由で女性に役が回ったに過ぎないと思われる。原作の相原はレーダー手で敵の距離や方位を読み上げる役ではなく、通信を担当していて「通信入ります」という方の役のはずだ。初代ではドメルの厭戦作戦にまんまとはまってホームシックに罹るなど情けないイメージが残っている人も多いだろう。だがマイコさん演じる相原はその索敵結果を読み上げる「声」に相原のキャラクター性の全てを叩き込んできた、その敵の数や距離を読み上げるときに若干怖がる演技を入れてくれたのである。ここに相原本来の情けなさが見事に込められ、原作で相原が主になるエピソードが全く転用されていないのに初代「ヤマト」を知っている人なら誰もがその相原のキャラクター性を思い出したことだろう。相原を演じたマイコさんは撮影に当たり原作の「ヤマト」をしっかりと見て、相原について相当研究したことは想像に難くない。ちなみにマイコさんと言えば今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で、岩崎弥太郎の奥さん役をしていたのでそれで印象に残っていたところだった。

 結果的にはこの佐渡と相原の「女性化」は、演じた役者さんの名演によって成功したと言えると私は思う。ここは「ヤマト」を愛している方にはこの二人が「女性化」させられてしまったという前情報だけで毛嫌いせず、是非ともしっかり見て欲しいところだ。本当にアニメに出てきた佐渡と相原がそこにいたのだから。

 佐渡や相原とは別に、ブラックタイガー隊に実写版オリジナルキャラである女性乗組員が設定されていることも、付け加えておきたい。

・でも古代と雪には大きな違和感
 私がこの映画で最も違和感を感じたキャラは古代と雪の二人である。雪は最初の登場から、古代は途中から違和感を感じるようになってきたというのが正しいところだ。
 雪についてはその初登場シーンから違和感全開だった、というかあまりにも原作と違うので戸惑っていたというのが正解だろう。まずいきなり艦載機でガミラスと直にやり合っている辺りが「なんかちがう…」の発端である。そしてヤマト艦内での古代との喧嘩シーンでは、原作の雪に見られない乱暴な言葉遣い…いや、もっとも違和感が強かったのはその喧嘩の前に食堂で一人で酒を呑んでいた事だろう、しかもコップに入った液体の色からビールやワインではなくどう見ても日本酒である。原作の雪が一人で酒を呑んでいるなんて、原作「ヤマト」を知っている人には想像すら出来まい。そして雪らしくない言動はさらに続く、乗機が操縦不能になってところを助けられたのに礼の一言も言わないなど「最低女」の限りを尽くしてくれる。自艦を守るためとは言えあんな奴に第三艦橋ごと撃ち落とされて戦死した第三艦橋乗組員もあれじゃ浮かばれないだろうし、私が古代ならあんな女に手を出そうとはどう考えても思われない。だがヤマトがイスカンダルに到着すると、何故かそのような「最低女」の面が消えているのだ。これも雪を見ていて戸惑った理由のうちの一つで、なんかキャラクター設定が煮詰まらないまま撮影していたんじゃないかと勘ぐってしまう。そして最後の方、古代がヤマト共に自爆する運命を選んだときには完全に原作の雪になっていたのも腑に落ちない。
 ただここで割り引いてみなければならないのは、原作では雪が紅一点だったこともあってそれに相応しいキャラクターにしなければならなかったのに対し、本作品ではその箍が外れているという点だ。これで雪を等身大の現実の女性と同じように描けたのは良いが、それにしても酷すぎるというのが正直なところだ。何が酷すぎるって、古代が雪に惚れる要素が何処にもないのだ。
 そして私の批判点はその古代へと向かうのである。古代の初登場は決して印象が悪くなかった、むしろ序盤での古代には不自由で貧困に喘ぐ地下都市で今日を必死に生きる元軍人という悲壮がうまく演じられていて、好印象だった。だがその印象がガラリと変わってしまったのが古代がヤマトに乗り組んでからである。古代が元後輩達から慕われているという設定はいいのだが、その設定に説得力を感じなかったのが私にとっての発端だ。どんなに華々しい戦果を挙げていたとしても「人格」が伴わないと部下には慕われないものだが、その備わるべき「人格」が何処にも見えないのである。そして古代はいかにも現代っ子という軽さだけが目立つようになってしまい、見ているうちにどんどん印象が悪くなって行く。
 そして雪が第三艦橋を撃ち落とした直後のシーンで、何の理由も前触れもなく始まるあんなことやこんなこと。別にそういうシーンがあるのが悪いと言っているわけではない、その行為に及ぶ明確な「理由」が存在しないのだ。あれではどう見ても古代が「目の前にいる自分を慕っている(と思われる)女が落ち込んでいる」という状況を利用したスケベ男にしか見えないし、雪も雪で状況を考えず許してしまう尻軽女にしか見えなくなる。つまり二人が性交渉に及ぶ理由が、アダルトビデオと同等でしかないということだ。もう私にとってはここで古代のキャラクターは完全に破壊された。この後に古代がどんなにいいシーンを演じてもそれは空しく見えるだけ、最後の古代と雪の別れシーンではまた始めるんじゃないかと冷や冷やしたくらいだ。
 これらは古代を演じた木村拓也さんと雪を演じた黒木メイサさんのために言うが、これは役者には罪はない。脚本の問題だ。この「ヤマト」のキャラクターの中で最も大事に二人の、あらゆる行動に「理由」を明確につけなかったのが問題ではないかと。別に雪の言葉遣いが多少乱暴でもいいし、「最低女」でも構わない。ただそれから原作の雪に戻るのならその「理由」を明確にするべきだ。そのきっかけが古代との性交渉なら、その性交渉に及ぶ理由をキチンと描いて欲しかった。

・夢を叶えてくれた中堅・ベテラン俳優達
 「ヤマトの世界がアニメじゃなくて実際に見られたら…」これは多くの「ヤマト」ファンが感じてきた夢でもあるだろう。それが実写映画という形で実現したという意味では、この映画の存在は大きい。確かに古代と雪の関係など不満点は多かったが、それを補ってこの映画を良い映画として完成されてくれた役者さんが沢山いることを忘れてはならない。
 その中でも私の印象に強く残ったのが、柳葉敏郎さんの真田、山崎努さんの沖田、西田敏行さんの徳川の3人だ。この3人のうち柳葉敏郎さんはヤマト世代であることから、原作の真田を忠実かつ本人の思い入れを込めながら演じていたのは見ていてよく分かった。さすがに本作品では義手・義足の設定は消されたようだし「こんなこともあろうかと…」の発動はなかったが、この人の演技も「確かに真田さんがいる」と思わせてくれる名演だったと思う。
 ただ山崎努さんや西田敏行さんという面々はヤマト世代よりずっと上の人たちだ、このような役者さんがどのようにヤマトのキャラを演じるのか、それが見どころの一つだったと言っていいだろう。
 山崎努さんの沖田は原作の沖田の雰囲気をよく出していたと思う。だが話によると山崎努さんは「ヤマト」のことも自分が演じる沖田十三のことも良く知らずにこの映画に臨んだのだそうだ。しかもスタッフから「予習」として原作アニメを見るように言われてもそれを断り、自分なりの解釈で「ヤマトの艦長」を演じたとのこと。その結果が原作に近い沖田になったのだから驚きだ。山崎努さんといえば昔から映画の話題になるとよく名前を聞く役者さんだったし、最近ではNHK特集でネアンデルタール人に変装して東京の街を歩いたりして印象に残ってた。そんなベテランの一人が映画のスクリーンの中で、「ヤマトの艦長」を見事に演じていたのはまるで夢のようだ。もちろん映画を見ていて「沖田艦長がいるよ…」と感動したのは言うまでもない。
 対して西田敏行さんの徳川は役どころは原作と同じでも、性格や印象は原作のそれとはかなり違うところになった。原作の徳川はなんかいつも硬い表情をしていて、しゃべり口調も硬い雰囲気があってある意味「ベテラン機関長」という威厳を漂わせる性格であった。だがこの映画の徳川は少し柔らかくなってニコニコしていることも多く、一部の性格を「女性化」された佐渡から引き継いだ事で「剛胆さ」が売りの機関長という性格に改められている。だが原作の徳川との共通点は「頑固」であることと、仕事に忠実な点だろう。また古代に沖田を理解させるという役どころも、原作から引き継いでいる。西田敏行さんは「ヤマト」を見て徳川を知っていたのは確かなようで、原作との共通点はそれを際だたせて違和感の内容に演じ、原作との相違点を自分の演技で押し通したという感じに見えた。つまり徳川が原作通りの性格を演じるときは徳川なのだが、それを一歩はずれるようなシーンでは「釣りバカ」のハマちゃんになってたりするのだ。西田敏行さんと言えば、私にとっては「タブチくん」と「もしもピアノが弾けたなら」なんだけどなー…そんな人が徳川を演じて、「さらば」の最後の台詞を吐くなんてこれまた夢のようであった。

 キャラクターと言えば本来「さらば」のキャラクターである斉藤が出てきたのは驚いた。どんな大男が演じるのかと思って見ていたら、出てきたのは池内博之さん。私にとってはNHK大河ドラマ「新選組!」で一度見ただけの人だったが、この映画で原作との体格の違いを乗り越えて見事に剛胆な、現代風の若い陸戦兵士を演じたと感心している。この「さらば」の名物キャラである斉藤に初代ならではのシーンを演じさせるという試みは非常に感心した。そのためだけに「さらば」にはない「斉藤の母」(しかも演じるは藤田弓子さんだ!)を設定し、常に八幡様のお守りを持ち歩いているという設定は正直「らしい」と感じた。正直に言うとこの斉藤というキャラは、今映画で唯一原作アニメよりよりも気に入ったキャラである。

 「ヤッターマン」が実写になったときと同様、「声」だけのキャラクターはアニメの声をそのまま引き継いでいるのは嬉しい。該当するのはデスラーとアナライザーだが、原作でスターシァを担当した平井道子さんは既に故人であるのでこれは仕方ないだろう。デスラーもアナライザーも30年以上の時を経ているのに、当時と全く違わない演技で驚いたというのが正直なところだ。アナライザーは古代が持つ携帯端末に姿を変え、デスラーはアメリカのSF映画に出てきそうな実体のない姿に変わっていたとはいえ、その声だけで「ヤマト」の世界感が広がってくるのだから凄い。やはりアニメの実写化で一部の重要なキャラが「アニメのままの声」というのは、非常に重要だと言うことが今作品と昨年の実写「ヤッターマン」をみてよく理解できた。

・総評
 私の印象としては悪くない映画であったと思う。ヤマト原作の持つ不自然さはある程度払拭され、原作各作品の「良いとこ取り」の感はあるが良いシーンを切り出してうまく繋いだ点は感心できる。「宇宙戦艦ヤマト」を素材とした物語の、解釈のうちの一つとして受け入れられるものであった事は確かだ。古代や雪など、ここで批判したような私にとって大きな違和感を感じる部分も逢ったにせよ、全体的に見ればこの映画は「宇宙戦艦ヤマト」としてはありで、私に言わせれば「新たなる旅たち」以降のヤマトに比べたら余程好感が持てるとも思った。
 このところ私が子供の頃に見たアニメの実写映画化の例が増えている、去年は「ヤッターマン」でこれはとても印象がよかった。実写「ヤッターマン」では世界観の再現やキャラクター性の再現だけでなく、新たな解釈による新設定に挑むという部分も大きかった。私は「ヤッターマン」が成功したのはこれらのバランスが優れていたからだと思っている。
 そして実写「ヤッターマン」の印象が良かったからこそ、この「ヤマト」の実写化に期待していたという向きもある。キャラクターや世界観をキチンと再現した上で、どれだけ新解釈を載せてくるのか…いくら原作としてアニメが実在しているからと言っても、アニメでやったことをそのままでは面白くも何ともないはずだ。だからこそアニメと何処で差別点をつけるかというバランスは重要だし、「ヤッターマン」の時はこの部分で成功している。もちろんこれはアニメを実写映画化する場合のみでなく、小説を映画化したりアニメ化したりする際にも言えることだ。
 この実写「ヤマト」では、原作を忠実に再現しようとした部分は地球側のキャラクターと世界観で、対して原作と差別をつけようとしたのがガミラスとイスカンダルというところだろう。だがそれだけでは物語の内容自体が原作と大して変わらなくなるので、原作の続編である「さらば」や「完結編」の要素を付け加えることで物語展開上の差別をつけてきたとも言える。面白いことに後者の差別では物語の展開が大きく変わりつつも、「ヤマト」が元々持っていた世界観やイメージは変わらない。さらに前者の差別点であるガミラスやイスカンダルについての差別点は、後者の差別点に「ヤマトの世界観やイメージを崩さないまま」物語が回って行く重要なポイントとなった。結果全く新しい「宇宙戦艦ヤマト」が出来上がった、私はそう感じている。

 さて、「ヤマト」の次には「あしたのジョー」が実写になると既に大々的に宣伝されているが、私はこのアニメは1度しか見たことがないのでコメントできないし今のところ見に行く予定もない。今後色んなアニメが実写化という手段で映画になると思うが、最後に「この映画が実写になったら面白いのになー」というものを書き記してみよう。

・「Dr.スランプ」
 私が映画を企画して作る人間なら、絶対にこのマンガの実写化に挑戦する。問題はアラレちゃんの首をどうやって外すかだが…ピースケの帽子とか、スッパマンとか実写で見てみたい要素は沢山ある。
「魔法の天使クリィミーマミ」(当サイトで考察済み)
 今の時代だからこそこのアニメで描かれた小さな恋の物語は絶対にウケると思う。ただ最近はアイドルらしいアイドルがいないので、若い世代にはパッと来ないかも知れないが。
・「キャプテンハーロック」または「わが青春のアルカディア」
 実写「ヤマト」からは「松本零士臭さ」が完全に消えてしまったので、やはりその世界観を思う存分描けられる作品で改めて実写再現をして欲しい。問題はミーメをどう再現するかだと思うけど…「ハーロック」については原作もアニメとは違う結末はいくらでも作れるし。

…こんなところかな。

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