「あにめの記憶」リアルタイム視聴5
「宇宙戦艦ヤマト2199」
・「宇宙戦艦ヤマト」 初代をリメイク
1970年代を代表するSFあにめのひとつである「宇宙戦艦ヤマト」、私は本放送時のことは幼すぎたので知らないが、小学生になってから再放送でその世界観を楽しんできた。勇壮なオープニングテーマ、細かく描かれた戦闘シーン、そして何よりも設定を全宇宙規模としたことで奥行きのある物語と、魅力的なキャラクターたちがこの作品を盛り上げ、一定世代の人々には忘れられない作品となっているのは確かだろう。
「宇宙戦艦ヤマト」は初代シリーズに続き、テレビ放映や劇場用長編として続編が作られたが、後発の「ガンダム」ブームに押される形で1980年代に入ると新作の発表が途切れることとなる。ところが2000年代に入ると「ヤマト」の復活が様々な形で首をもたげてくる。これは「ヤマト」で育った世代が大人になり、いよいよこのようなエンターテイメントを引っ張る世代になってきたことの証でもあるだろう。
まず「復活編」としてこれまでの「ヤマト」の続編が制作され、これは劇場長編複数作に及ぶ予定であったが、興行的失敗により公開されたのはプロローグである1作目だけであった。物語には今後のシリーズ続行に向けて、様々な伏線が張られつつもこれが活用されないままシリーズそのものが消えてしまった形だ。ただこの作品はこれまでの「ヤマト」とは一線を画し、登場キャラクターも殆どが新規であるという特徴がある。だが現実世界の情勢の変化に応じた設定変更が唐突で、これまでの「ヤマト」ワールドと世界観が合わないなどの問題のある作品であった。
この「復活編」の反省なのか、それとも既存の「ヤマト」ワールドを現代社会に合わせて新規に描く必要性に迫られているのに気付いたのかは解らないが、この後に出てくる「ヤマト」は基本的に「リメイク」となる。まずは当サイトでも考察を行った木村拓也主演の実写映画、これは私に中でも賛否両論のある作品となったが、色々あるが嫌いでない作品である。何よりも「ヤマト」ワールドを新たに構築し直し、女性の社会進出など現代社会にマッチした設定に作り直したのは見どころだったと思う。
そしてこの「実写版」の上映が終わって一段落着いた頃から、噂話として聞こえてきたのが「宇宙戦艦ヤマト」をアニメでリメイクするという話だ。しかも劇場版ではなく、週一回放送のテレビアニメとしてのリメイクが構想されているという話であった。2011年には正式な制作が発表され、そのタイトルは「宇宙戦艦ヤマト2199」となることも伝わってきた。そして2012年春にはテレビ放映に先だって劇場公開され、1年後の2013年4月から満を持してテレビ放映されることになった。
初代の「宇宙戦艦ヤマト」では多くの不自然な設定や展開が内包されていたのも事実である。この中には当時、途中で急遽設定が変わった点や、低視聴率により放映期間が大幅に短縮されたことで無理な設定をせざるを得なかったという理由があるものもある。
そこで本作ではそれらの不自然な設定の見直しがされている。目立つところでは「ヤマト」が旧日本海軍の戦艦「大和」の改造という設定を捨てたため、「大和」に対して戦艦「大和」にとらわれない自由な設定が可能となったことだろう。「ヤマト」のサイズも変わると同時に、「ヤマト」に艦載機を積載するスペースが設定上確保されたのはある意味見どころだ。登場人物も再整理され、地球側のキャラクターは軍人らしく階級をハッキリさせるとともに女性を増やし、ガミラス側でも政府の組織を明確化して高官達の職位をハッキリさせてリアリティを増した。その他、波動エンジン技術供与のタイミング、地球側の軍組織の設定、地球とガミラスの戦いの経緯、ヤマトの航路、ヤマトの防御兵器、ガミラスの人種差別など、多くの設定が変更されたり追加された。
だがある程度の矛盾を持ちつつも捨てなかった設定が残っているのも見ていて面白い点だ。その中で最たる物は、多くの人々に指摘されてきた太陽系内でのヤマトの航路である。どうしても譲れないところでは矛盾を持ちつつも設定を変えなかった、そういう作品である点はこの作品で好感が持てる点だ。
このような経緯を経て2013年4月から半年にわたって放映された「宇宙戦艦ヤマト2199」を、放送日の当日または翌日(録画の視聴)に視聴してそのまま感想や考察を書いたのが、本コーナーである。
(登場人物紹介は、旧作考察とダブル点が多いので省略させて戴きます)
・サブタイトルリスト
・「宇宙戦艦ヤマト2199」の前期オープニング
「宇宙戦艦ヤマト」作詞・阿久 悠 作曲・宮川 泰 歌・Project Yamato 2199
やっぱり「ヤマト」はこの曲で始まらなくちゃ、と最初に聞いたときに思った。ボーカルは元々この歌を歌っていたささきいさおを始めとする31組のシンガーにより、男女混声合唱により曲にさらなる重厚感が生まれて気に入ったバージョンだ。思わずシングル盤を買ってしまった程で、シングル盤にはテレビ放映で流された男女混声合唱版の他、男性ボーカルのみ、女性ボーカルのみのバージョンも収録。この中の男性のみバージョンがさらに重厚感があって勇ましい感じがある。
背景画像は旧作のそれにほぼ合わせてあるのも好感度が高い。ただし旧作基準で第一艦橋の内部シーンは短くされ、ヤマトが海中から浮上するシーンはカット。代わりにコスモゼロ等による空中戦の様子、ヤマトの武装(対空射撃や波動砲)が動く様子、そして古代や雪や沖田などのキャラクターの表情などが新作画像で入れられている。
これは旧作のオープニングと今回のオープニングを同時に見るとわかるのだが、本作のオープニングの方がテンポが少し遅いのだ。だから旧作の背景画像の短いシーンをひとつカットするだけで、新作の方では様々な新しい画像が入れられたという点は見逃せない。
実はこの曲だけでなく、本作は劇中に掛かるBGMも基本的に旧作を踏襲しているのが面白い。これら故・宮川泰による「ヤマト」のBGMはとても魅力的で、今回息子の宮川彬良によって書き直されて現代によみがえったこれらの楽曲が入ったサントラを買ってしまったのはここだけの話。
・「宇宙戦艦ヤマト2199」の後期オープニング
「Fight For Liberty」作詞/作曲・TAKUYA∞ 歌・UVERworld
正直言って、これの何処が「ヤマト」なんだと、主題歌にこの曲を選んだ人を問い詰めたい。あり得ないほどの「ヤマト」の世界観からはずれた主題歌であり、これは私がアニメ映画で主題歌が最も最低としている「クレヨンしんちゃん(劇場版)嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」に匹敵する本編とテーマの合わなさである。マジでこの曲がオープニングで流れる1分半は苦痛でしかなく、録画を見る際には意識して飛ばしているほどだ。
曲だけならまだしも、背景画像は本編のシーンを適当に繋いでいるだけ。これはもうハッキリ言って「手抜き」である。てーか制作側もこの曲を主題歌に押しつけられて萎えたんじゃないかと疑っている。本当はオリジナル画像を作るくらいのやる気が、この曲を聴いて萎えるというのは「ヤマト」が好きな人だったら絶対にありうる話だ。私が本作の制作者だったら、絶対にそうなって「もーいーや」って適当に既存の画像を繋いじゃうだろうな。
これは「クレヨンしんちゃん(劇場版)嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」や「愛の若草物語」の時の考察にも語った事だが、ここ何年もこのようなアニメ作品や映画の主題歌は「物語に合った曲」よりも「テレビ局や映画配給会社が最も売りたい歌手」の歌を使う傾向がある。だからこのように本編と合わない主題歌が出てくるのはある程度やむを得ない。だが「ヤマト」のように旧作が名作と呼ばれるほどの作品で、かつ主題歌が完全に見る者の脳裏にこびりついているものではなんとか考えて欲しかったなー。ただでさえオープニングテーマが変わることに抵抗があるのだから、選曲と歌う歌手については慎重に考えて欲しかった。
例えば2008年に放映されたリメイク版のテレビアニメ「ヤッターマン」では、歌っている人はともかく曲は旧作のそれを使う事を貫いた。だからこそ昔見た世代は当時に戻ることが出来るのだし、始めて見る若い世代もその昔の作品の「良さ」に触れることが出来るのである。そのような事を考えずに安易に「最も売りたい歌手」の歌を、内容も吟味せずに使ったことは批判されても仕方が無いだろう。
この曲、ネットで声を拾ってみると「ヤマト」のオープニングとしては最低の評価を受けている。どうしても気に入らなかったのは私だけではなかったんだなぁ。
・「宇宙戦艦ヤマト2199」の初期エンディング
「愛詞(あいことば)」作詞/作曲・中島 みゆき 編曲・瀬尾 一三 歌・中島 美嘉
正直言って、とても「宇宙戦艦ヤマト」らしいエンディングテーマだと思い、印象度の良いエンディングテーマだと感じた。誰が作った曲だろうと思ってエンドロール見てみたら、中島みゆきの曲だというではないか。中島みゆきがこれを歌うのを聞いてみたいな。
この曲の歌詞を見てみると、旧作のエンディングテーマ「真っ赤なスカーフ」が思い出される。「♪あの娘が振っていた〜」の「あの娘」が、見送った誰かを想う気持ちを歌っているように私には感じられた。それをその面を大きくせず、静かに歌うメロディになっている印象度がよい。最近の歌手の歌は歌詞が聴き取れないものも多い中、このような曲がとても印象に残りやすい。
背景画像は本作1〜8話の登場人物によるイメージ画だ。最初に2話冒頭の「大和を見上げる古代と島」で始まり、画面が上へと流れて行く。航跡を残して飛ぶサーシャの船を境にイメージ画となり、赤い地球を背景に銃を構える古代、雪、サーシャ、地球艦隊、守の横顔、真田、イスカンダル(横には花束が)を背景に薫、玲、徳川、山崎、島、土方、ガミラス冥王星艦隊、ヒルデ、反射衛星砲のスイッチを握るシュルツ、ガンツ、ヤレトラー…の順で画面の上から下へと流れて行くと流れ星が流れ、最後はヤマトの後ろ姿と沖田が出てきて画面が停止する。
この中でも主人公の古代やヤマト艦長の沖田が「良い場所」に出てくるのは当然として、何故かここまでで出番が多いとは言えなかったヒルデがとても目立つ位置にいるが目立つ。私は第二話で始めてこのエンディングを見た時、ここでのヒルデを見て「こいつがユリーシャか…」と勘違いしたほどだ。対して守が画面の隅っこ、しかも真田の後に隠れているのが納得が行かない。
でも考えて見ればこのエンディングに出てくる面々は、「宇宙戦艦ヤマト」でも最初の方にしか出てこない人達だ。デスラーもドメルもこのエンディングには登場せず、エンディングでは「おやくそく」の感があったスターシアも出てこない。代わりにガミラス側は冥王星基地の関係者しか出てこないのだ。これを見れば、このエンディングは序盤だけのものとすぐ理解出来ただろうに…。
・「宇宙戦艦ヤマト2199」の中期エンディング
「Best of my love」作詞・田中 秀典 作曲・楠野功太郎/玉井健二 編曲・玉井健二/百田留衣 歌・安田 レイ
9話で突然エンディングが変わったときは大いに戸惑ったが、慣れると「悪くない」と感じる典型的な曲だ。メロディが耳につくと離れないのが難点ではあるが、いつしか気付くとこの曲に合わせて歌ってしまう…歌詞もメロディも単純で覚えやすいだからこそだろう。
この曲がエンディングで採用された頃というのは、劇中にいくつかの恋愛要素が生まれる頃だ。その中でも劇中では、一時であるが玲が古代に対して片思いをしている描写が描かれている。この曲の歌詞を見ているとそんな玲の描写によく合っていると思うのは私だけだろうか? この曲の歌詞にあるようにもっと素直であったら玲と古代の二人の関係はまた違ったものになっただろうという本作の中盤展開を、上手くなぞった歌詞だと思う。
背景画像は「愛詞」の時と同じく、物語中盤の登場人物イメージ画を下から上へと流している。最初は格納中のコスモゼロで寄り添う古代と雪、続いて向かい合う玲とメルダの背景に二人の乗機、次元潜航艦UX−01や「ゲシュタムの門」管理衛星を背景にフラーケン・セレステラ・リンケ、ドメラーズとバラン星基地を背景にドメル夫妻、灼熱の恒星の間際を飛ぶヤマトを背景に沖田・佐渡・真琴・アナライザー、最後は総統府を背景にしたデスラーの背後に流れ星が流れて画像が終わる。その取捨選択が非常によく、中盤展開を上手くなぞったと感心する。最初の頃は傘を差したリンケが何者か解らなかったけど。
またこの背景画像、そのキャラクターに関わる「メカ」も上手く当てはめているのも見ていて楽しい。フラーケンのところで出てくる次元潜航艦は最初に見た時はまだ劇中に出ていなかったのでワクワクしたし、出てきた後は激しい戦いの余韻を上手く感じさせてくれた。
正直言って、本作のエンディングで最も印象深かったと言っても過言では無く、第一印象は決して良くなかったが、後期エンディングに変わったときはちょっと残念だった。
・「宇宙戦艦ヤマト2199」の後期エンディング
「Distance」作詞/作曲・高木 洋一郎 編曲・坂本 昌之 歌・JUJU
中期のエンディングだった「Best of my love」はどちらかというと賑やかな曲であったが、後期では「愛詞」と同じく落ち着いた曲調となった。前奏がほぼなしでボーカルから静に曲に入って行く始まり方は、本作の終盤で多かった「本編からそのままエンディングに入る」というつくりにおいては優れていた曲だったと思う。これが「Best
of my love」だったら、そのようなつくりにおいてうまく「余韻」を引いて終われることはなかっただろう。このようなつくりが七色星団の戦いでドメルが自爆して終わった20話や、最終回である26話など、「余韻」が大事な展開だからこそというのもあったが。特に最終回はこの曲がエンディングで良かったと心から感じた。
歌詞としては想っている男性のことを忘れられない女性の心を歌っている。その女性が想い人がいなくなったときのことを考えた思いを、悲しく切なく歌い上げている。最近の若い女性歌手が歌う歌でこんな暗い歌は聞いた事がないな…それはともかく、24話におけるスターシァと薫の姿を見て、だからこの曲なんだと理解出来た。24話では二人の女性が守という一人の男性を想い、その想い人がいなくなったことが描かれたからだ。
背景画像は例によって終盤(18話以降)のキャラクターの静止画が下から上へ流れて行くものだ。まずはヤマトの自動航法室の安置室を背景にしたユリーシャが憑依した百合亜とユリーシャのイメージ画で始まり、次はガミラス総統府にあるデスラーとスターシァが手を取り合う壁画…これが上へ流れると同時にアニメの画質に変わるもの、続いてバラン星や七色星団の戦いに出てきたガミラス空母群を背景としたドメル・ゲール・ゼーリックの3人、ヤマト艦載機を背景にした玲・加藤・篠原、大マゼラン銀河を背景に真田・薫・沖田・榎本、最後はイスカンダル・ガミラス星系を背景に古代と雪が向き合っている画で終わる。
この中でも最初の画は百合亜とユリーシャの関係を上手く示唆しているし、その次のものはデスラーとスターシァの関係を上手く再現しているのは言うまでも無い。今回は「メカ」という面は弱くなったが、「ヤマト」のもう一つの側面である「人間同士の物語」という点は上手く再現していると思う。
本作のエンディングはどれも質が高く、また前期・中期・後期で本作「ヤマト」の世界観に合っているのでとても好感度が高かった。それだけに後期オープニングの悪さが目立ってしまい、本作の質を下げていて残念と言わざるを得ない。
・総評と追加考察はこちらへどうぞ。
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