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第1話 「アンネットとルシエン」
名台詞 「バカね、あんたは。私はここが一番好き、このロシニエールが。」
(マリー)
名台詞度
★★
 「ふるさとは遠くにありて思うもの〜」ってか。モントルーのような都会、そしてレマン湖のほとりのようなきれいな場所に行ける姉が羨ましいとルシエンが言うと、マリーはこう答えるのだ。
 弟が子供で純粋と言うこともあるが、この姉弟の台詞の対比は「故郷」というものを強烈に感じさせてくれる。村から出たことのないルシエンが外に出ることに憧れるのは当然と言えば当然だ、だが外へ出てみるとやはり家が恋しくなる。私も旅をしているとやっぱり住んでいる町が恋しくなるし、今だって実家が恋しかったりすることもたまにあったりする。そんな思いをマリーは思わず言うのだ。
 このちょっとした台詞の深さは今の年齢になって見たから感じるのだろうなぁ。子供の頃見ていたら印象に残ったのは最後のアンネットの台詞だろう。
 しかし、マリーのあの声で「バカね」を連発されたから…その辺りについては感想欄参照。
名場面 ルシエンが作った木彫りをアンネットが受け取る 名場面度
★★★
 いきなり羨ましいぞ、ルシエン。第一話でいきなりヒロインの口づけを貰ったキャラクターも珍しいだろう。
 しかし、この木彫りはこの物語に於いて記念すべきアンネットとルシエンの最初の喧嘩を引き起こすことになるとは誰も知る由はないだろう。この直後にジャイアンジャンが現れてジャイアニズムを炸裂させた後、この木彫りのナイフは川に放り込まれる運命にある。そこまで物語が進んだ後の切なさと言ったら、このモテモテシーンの後だけに他に例えようがなかったよ。
 
今回の
アンネット
VS
ルシエン
 
 第一話から壮絶な罵り合いが始まる。昼間のトカゲ事件の謝罪をしたはずのルシエンだったが、それに対しアンネットは悔しくないのか?とルシエンに問う。「悔しいから仕返しのつもりで…」と力なく言うルシエンにアンネットは「もっと堂々と仕返ししなさい」と言う、ルシエンは「ジャンのことは気にするなって…」と返してしまう。「だいたいルシエンは気が小さすぎるわよ」…アンネットのこの一言が余計だった、これをきっかけに二人は壮絶な罵り合いになり、「ルシエンなんか大嫌いよ」「ああ、嫌いで結構」…さっきのキスシーンはなんだったんだ?
 マリーが馬車に乗せてくれても二人はまだそっぽをむいたままだが、モントルーの話で自然に仲直りしている辺りがいい。
感想  「あれ? ケイトが出てる。ルーシーは先週終わったはずだぞ」…これが本放送当時の感想だった。マリーの声がケイトそのままたったので…特にケイトがルーシーによく言っていた「バカね」がこの回では連発だったので、その思いがとても強かったりした。
 さらにルシエンを見た最初の感想は「アンが男の子になって出てきたのか?」って感じだった。あのそばかす顔に赤い毛は真面目にアンかと思った。よく聞けば声まで一緒だし。
 本放送時、この第1話を見ただけではアンネットとルシエンがどんな物語を展開するのか全く予測がつかなかった。まさか「世界名作劇場」シリーズで最大の大喧嘩が物語の根幹を成すとは考えてもいなかったのだ。アンネットの母親が妊娠している様子が描かれていたので、オープニングに出てくるルシエンとは別の男の子がアンネットの弟なのだろうということは予測が出来た。でもオープニングにアンネットの母親が全く出てこないことは、この時点では気付いてなかった。まだ第1話では母親の身体が弱いという事実は描かれていない。
 しかし、初回からキスシーンと壮絶な罵り合いを演じるこのアンネットとルシエンの物語なのはだいたい理解できた。この二人がどんな物語を演じるのか、非常に期待を持って見ていた記憶がある。でもあんな殺伐とした物語になるなんて思ってもなかった…。
研究 ・物語の始まり
 前回の「愛の若草物語」視聴と同じく、この第1話の考察を書いている時点では必死になって「雪のたから」原作を読み続けている。アニメ第一話は原作にないエピソードなので安心しているが、すぐにクリスマスがやって来て原作と合流するからたいへんだ。
 物語はスイスの山村の風景を背景に、アメリア先生(笑)の静かなナレーションで幕を開く。西暦1900年、スイスの山村であるロシニエール村が舞台であり、第一話は淡々とアンネットとルシエンの日常を描くことに終始する。二人はよく喧嘩をするが仲かとても良いという設定を取っており、この基本設定からして原作とかけ離れている。原作では7歳時点でアンネットは明確にルシエンを嫌っており、避けている描写もあるがこの設定変更についてはどこかで考察して行きたい。
 当然そのような設定の原作には7歳のルシエンがアンネットに木彫りを作るようなことはない。そもそも原作ではルシエンの木彫りに対する才能が目覚めたのはダニーの事故がきっかけとなっており、この時点では木彫りが得意と言うことではなかった。またルシエンがクラスメイトにいじめられるという立場ではない、原作ルシエンはいじめられる以前の問題でクラスメイトからは相手にされていないという描かれ方をしている。逆に原作ルシエンはいじめっ子なのだ。
 モレル家の借金についても原作にはない要素だ。この第1話では借金に追われつつも健気に生きるモレル家の人々がしっかり描かれている。ルシエンの家を貧しいと表現することで、今後に起きるルシエンの苦悩を強調する狙いがあるようだ。

第2話 「ソリ競争の日に」
名台詞 「母さんは大丈夫だ。心配するな、アンネット。」
(ピエール)
名台詞度
★★
 ソリ競技大会終了直後、突如物語は暗転する。バルニエル家の隣に住むフェルナンデルが、アンネットの母フランシーヌが倒れたと報せに来たのだ。思わず父の上着を掴むアンネットとピエールは、フェルナンデルの馬車で急ぎ帰宅する。
 そしてその不安な道中、元気を無くして下を向いたままの父が娘に言う言葉がこの台詞だ。アンネットを力付けるだけでなく、自分で自分に言い聞かせている台詞なんだとこの歳になって見るとよく分かる。妻が倒れたという事実は立派な父親であるピエールの心からも冷静さを奪い去ったはずだ。だがここは不安がる娘の前だ、彼は自分が取り乱すわけには行かないのだ。この台詞とこの前後のピエールの行動に、一家の主として、そして父としての威厳を感じると同時に、人間としての弱さをも垣間見ているのは私だけでないと思う。
名場面 ソリ競争 名場面度
★★★★
 1900年12月13日、ロシニエール村では村を挙げてのソリ競技大会が開かれていた。アンネットとルシエンは予選では別々のレースに出場、それぞれ予選を1位で突破して決勝戦へとコマを進める。そして迎えた決勝ではアンネットとルシエンは「どっちが勝っても恨みっこなし」と誓い合う。
 だがルシエンはレース中盤でソリが壊れてクラッシュ、これを見たアンネットは「ルシエンの分も…」と頑張ったのだがゴール直前でコースを塞いでいたウサギを発見、これを避けようとしてクラッシュとなってしまう。
 この二人のレースでの駆け引きも良かったのだが、何よりもこのソリ大会の楽しさがこっちにも伝わってきて、見ている我々まで楽しくなってしまう。また序盤のアンネットとルシエンの仲の良さを引き立たせるという目的に従って、どちらも優勝させなかった展開は当時から感心していた。だってどう考えたってここはアンネットを優勝させて主人公に花を持たせるところでしょ? そうでないつくりだから私も「ルシエンが主役」なんて感じちゃったりするんだよな〜。
 さらにソリがクラッシュしたルシエンの悔しさの表現も好きだ。あまりの悔しさに周りの雪に八つ当たりをすると、木の枝から雪が落ちてくるのはおやくそく。この段階からルシエンって何をやっても上手くいかないように描かれている。
  
今回の
アンネット
VS
ルシエン
 
 ソリに乗って学校へ向かうアンネットに、ルシエンが勝手に勝負を仕掛けてくる。しかも道を外れて近道してもアンネットに及ばないというのはちょっと笑ったが。「どいたどいた! 邪魔だぞアンネット!」「負けるもんですか!」ってやり取りが見ていて心地よい。スピードアップしてアンネットを追い越したルシエンだが、最後は道ばたに積まれた雪に突っ込んで転倒。雪だらけになったルシエンの顔を見て笑うアンネット、笑うアンネットを見て笑うルシエン。今後のあの展開を誰が予測できるだろうか?
感想  ソリ大会楽しそう、自分も出てみたい!と本放送時は思った。村を挙げてのソリ大会って言うけど、村の大運動会みたいなノリなのかなぁ? さらに名場面で書いたとおり、ここで敢えてアンネットを優勝させなかった点は今思えばルシエンにも主役としての地位が与えられていることの証拠のような気がしてならない。なんてったって、これは原作にない展開だし。
 ここで母親が倒れるわけだが、母親が倒れるまではこんなほのぼのした日常を1年かけて描く物語なのだと信じて疑わなかった。まさか「世界名作劇場」名物であり、華でもある「序盤の家族の死もしくは別れ」がいきなり発動されたりするのか?と冷や冷やしながら見ていたものだ。
研究 ・ソリ大会
 ロシニエールの初冬の描写で始まった物語は、続いて冬のイベントを描くことになる。原作ではアニメで3話に当たるアンネット7歳時のクリスマスイヴから物語が始まるのでここはまだオリジナルストーリーだ。従って今回はちょっと他の人が考えない、しかもネット上でそれを考察して発表しようなんてしないであろうことを私なりに推察したい。それはアンネットやルシエンがソリでどれくらいの速度を出しているか、という点である
 なぜなら、彼らがソリで滑る速度がちょっと速いのではと本放送時から感じていたのだ。冒頭シーンではルシエンが、ソリ大会では多くのキャラクターがソリで転ぶのだが本当に大丈夫なのだろうか、これを考えてみたい。
 まずソリの速度を出すには劇中のシーンでソリと地面に固定されたものの両方が出てくるシーンを探し出さねばならない。冒頭のアンネットとルシエンの競争(「今回のアンネットVSルシエン」参照)では最後のルシエンが転ぶシーンの直前、ソリ大会のシーンではソリで滑るアンネットやルシエン達が真横か写るシーンを参考にしたい。

 まず前者のシーンであるが、ストップウォッチで計測した結果、ルシエンは背後にある柵2本分の距離を0.4秒ほどで通過している。ルシエンの身長などと比較すると柵の間隔は1.5メートルほどと考えられるので、3メートルを0.4秒で通過したと想像できるだろう。これから計算するとこの時のルシエンのソリの速度は27km/hとなる。おおざっぱに30km/hと考えればいいだろう。アンネットはこりより3〜4km/hほど低い速度で滑っていたと考えられる。自転車で思い切り飛ばしたときの速度とほぼ同じだから子供が乗るソリの速度としては適当だし、転んでもきちんと受け身が出来れば怪我をするスピードではない。よかったよかった、これならルシエンも怪我をしなくて済むだろう。

 次にソリ大会のシーン、後ろに見えるもみの木を比較対象にして速度を割り出すしかないだろう。定点撮影ではなく画面もソリと一緒に移動しているのでかなり正確な数値が割り出せる。もみの木が直径5メートルほどの円形に枝を広げていたと考えると、後者シーンの画面では背景のもみの木が20メートル間隔で並んでいたことが分かる。ストップウォッチで計るとこの間を0.8秒ほどで通過している。計算…するのやめた。考えてみよう、前述のシーンではルシエンは子供のソリの適正な速度で滑っていたとして3メートルを0.4秒である。その6.7倍の距離をたった2倍の時間で滑ったんだから…。
 ちょっとこれを考察するのを後悔した。次行こう、次!

第3話「愛と悲しみと」
名台詞 「大事に可愛がってやってね、母さんがいなくなっても。可哀想なアンネット、私のアンネット…」
(フランシーヌ)
名台詞度
★★★★★
 アンネットがクリスマスのミサから戻ると、家は不気味な暗さに支配されていた。アンネットが何が起きたのかと不思議に思っていると、父が寝室から顔を出し「赤ちゃんが生まれそうだ」と告げる。もちろんその報せにアンネットは笑顔となるが、父はちょっと暗い表情をしている。まぁ前回倒れたフランシーヌは今回の中盤までに回復したし、父の不安な表情はただのお産に対する不安だろう、と視聴者は油断をするのだ。
 不安と期待に満ちた時間がしばらく流れると、やがて寝室の方から産声が聞こえてくる。この物語のもう一人の主要登場人物であるダニー誕生の瞬間だ。赤ん坊から生まれた喜びを胸に笑顔で寝室の扉へ向かうアンネット、だが寝室の扉が開くと神妙な顔の父が顔を出す。アンネットが「男の子? 女の子?」とはしゃいで聞くと、父は静かに「入りなさい、母さんがお前を呼んでいる。」と告げる。その表情には長男誕生の喜びは何処にも見られない。
 この変な様子に気付かず笑顔で母の元に駆け寄るアンネット、母はアンネットに生まれた子供が男の子であることを告げ、さらにアンネットが名付けたダニエルという名前がピッタリだと告げる。と思うと、母は娘の手を取り、この台詞を吐くのだ。驚くアンネットを見つめながらこの台詞を最後まで言い切り、そのまま力尽きる。そしてアンネットの号泣…アンネット7歳編で最高の名シーンである。
 フランシーヌは子供を産むと同時に、自分の死期を悟ったに違いない。そして自分の人生の最後のページがめくられた事に気付いたとき、彼女が感じたのは娘と生まれたばかりの息子のことに違いない。娘に息子を託さなければならないと感じたに違いない。そして最後の力を振り絞ってこの台詞にその思いを託したのだ。
 「わたしのアンネット」ではここで最初の「世界名作劇場」の華である「序盤での主人公親子の別れ」が出てきた。唐突に主役の母が死んでしまうのは原作同様であるが、アニメではその前に一度母を倒れさせ、そこから一度回復してから最期の時を迎えるという二段構えの策を取った。これにより原作を知らない視聴者は母が元気になると油断したところを突かれてこのシーンに持って行かれるので、シリーズの中でも印象に残る「主人公の親の死」として描かれることになってしまった。私も「わたしのアンネット」序盤で強烈に印象に残っているのは、この母臨終のシーンである。
 そしてこれをもって母を失ったアンネット、残された弟…この物語はどういう展開になるのだ?と不安であり楽しみにもなってきた。原作を知らなかった本放送時は、これで片親となって苦しむアンネットがルシエンと力を合わせて乗り越える物語になると思い込んでいたんだけどなぁ…まさかあんな展開になるなんて…。
名場面 アルプスマーモットを追いかけるアンネットとルシエン 名場面度
★★
 当時はこのシーンを見て「やってることルーシーと同じじゃん」とちょっとひねくれて見たものの、やっぱり純粋に楽しめるシーンだ。ルーシーとケイトがウサギを追うシーンに似ているが、ここではそれに「雪」という要素を付けてさらに面白くなっていると思う。本筋とは関係ないが、今回の名場面を名台詞欄で語りきってしまったので、ここでは本来は次点級のこのシーンを紹介する。
 
今回の
アンネット
VS
ルシエン
 
 ミサでもらったしょうがパンを帰り道で全部食べてしまったルシエンが、アンネットがなぜすぐにしょうがパンを食べないのか気になってしょうがない(シャレじゃないよ)。「残しておくなんてもったいない」というルシエンに対し、アンネットは「わかった、私が持っているパンが欲しいんでしょ?」と核心を突く。「いやよ、あげないわよ」「ちぇ、誰が欲しいもんか、そんなもの」「嘘、欲しいって顔に書いてあるわ」「書いてないよ」「書いてあるわよ」「書いてない」…ここでモレルおばさんのジャッジが入り(「なにバカ言ってんの?」)、今回の対決はあっさり終わる。ちなみにこのやり取りは原作にもあるが、原作ルシエンはハッキリと「味見させてくれ」と言い放っている。
感想  名台詞欄で書いたとおり、油断してた。序盤で主人公親子は別れる運命にあるのに、フランシーヌは主人公の母親でありながらオープニングに出てこないのに…フランシーヌの体調が持ち直したことで油断した。このままあの優しい母親は快方に向かうと信じてしまった、そうだった、「出産」という大事なイベントが控えていたじゃないか。でもダニー妊娠シーンで、この手のシーンにありがちの「あ、動いた」っていうのが無かったからフランシーヌが妊娠していたのをすっかり忘れていた。
 最初はフランシーヌが倒れたこともあってちょっと空気が重かったが、熱が下がってからは楽しい楽しいまるで「南の虹のルーシー」を見ているような楽しさだった。まさか、ここまで楽しませておいて一気にあんな悲しい物語に視聴者を落とし込むなんて…今回の話で笑って良いのか泣くべきなのか当時は悩んだよ。
 実は私、フランシーヌ臨終シーンは「世界名作劇場」における主人公親子の別れシーンで最も印象に残っているシーンだ。「死」というかたちで別れを迎えてしまったこともあるが、その死も油断させられた上で突然突きつけられたこと、さらにフランシーヌが美しく描かれていることもその理由にある。劇中で親と死別した上、その臨終シーンが描かれた「世界名作劇場」主人公って他にいたっけ?
研究 ・クリスマスとフランシーヌ臨終
 いよいよ物語は原作と並行して進むことになる。原作ではアニメでこの3話に該当するクリスマスのミサから帰宅するシーンが物語の始まりとなっている。ルシエンはアンネットのしょうがパンの方が大きかったと愚痴を言い、しまいにはアンネットに味見させて欲しいとまで言い出す。原作ではアンネットとルシエンは仲が良くなく、アンネットはどちらかというと嫌っているようにも見えるのだ。ミサの帰りがルシエンと一緒なのも仲良しだからではなく、母が病に倒れたため一人でミサに行くことになったためモレルおばさんが保護者として付き添うことになり、そのおまけとしてルシエンがもれなくついて来たという描かれ方である。アニメにも踏襲されたシーンにモレルがアンネットに家まで送ろうかと訪ねるシーンがあるが、アニメでは単に一人で帰れるという理由でアンネットは一人で帰宅するが、原作では一人で夜空を見たかったのとルシエンから逃れたかったという理由となっている。かわいそうな原作ルシエン…。
 家に帰った原作アンネットは牛小屋で一夜を過ごそうとするが、すぐに父が呼びに来る。父に連れられて家の中に入り寝室に入ると、母が「クリスマスのプレゼント」として赤ん坊(ダニー)をアンネットに差し出し、名台詞欄に該当する台詞を語ってからアンネットは寝室を出てゆりかごで眠るダニーとともに暖炉の前に座る。アンネットは不安な表情でダニーを見つめているうちに眠ってしまい、その間に母が他界してしまう。
 原作のこのエピソードはちょっと表現が回りくどくてわかりにくい印象がある。それをアニメでは分かりやすく単純に仕上げたと思う。特にアンネットの目の前で母が死ぬというアニメの展開は分かりやすくなったと共に、今までしゃべっていた人が急に死ぬという不自然さも残すことになってしまった。どちらが良いかと言われれば、物語としてはアニメの方が圧倒的に分かりやすい。

第4話「おかあさんになったアンネット」
名台詞 「フランシーヌ、私たちのアンネットは本当に良くやっているよ。でもな、アンネットはまだ7歳だ、遊び盛りなのに随分無理をしているんだよ。もうこれ以上やらせるのは可哀想だ。お前もそう思うだろう? フランシーヌ。」
(ピエール)
名台詞度
★★★
 ピエールが妻の墓前でこうアンネットのことを報告する。アンネットは母親の代理として子育てに家事、それと勉強を両立させて強く生きているのだ。しかし、まだ幼いアンネットにとってこれは苦しいことの筈だし、何よりもいつまで続けられるかという大問題もある。さらにこの後、アンネットにクロードを呼ぶと打ち明けたときに言ったように、知らず知らずのうちに多くの人々にも苦労と迷惑を掛けている。このままではいけない、と父はハッキリと感じ取り、何かを決断したことが十分に読み取れる台詞である。
 このピエールの決断とは、自分のおばを呼んで家事と子育てを代行してもらうことだ。これによってアンネットの負担は確実に減り、他の子供達と同じように学校へ行ったり遊んだりすることが可能となるし、何よりも夏になって山小屋での生活が始まる前に自分自身の負担も減って仕事に専念できる。仕事に専念できねば一家の家計が危うくなるのも事実で、ピエールがぶち当たった現実とそれに対する決断が読み取れるのだ。
 この台詞からはピエールの妻と娘に対する深い愛情も感じ取ることが出来る。そしてこの台詞を言い切った後の沈黙は、フランシーヌが何かの答えを返しているように見えてならない。
名場面 夜の寝室でのシーン 名場面度
★★★
 フランシーヌの葬儀があった晩、いつも通り寝室で眠ろうとしたピエールだが突然寝室の扉が開く音に目を覚ます。驚いて扉の方を見るとそこには寝間着姿のアンネットがいて「一緒に寝てもいい?」と聞く、もちろん父はこれを了承し、アンネットは喜んで父のベッドに飛び込む。そしてアンネットは「明日から早起きをする」という宣言をして、就寝の挨拶をするだけのシーンだ。
 このシーンからは明日から母のいない生活が始まるため、早起きしてダニーの母親代わりとして働くのだという決意だけではなく、母親がいなくなってしまったことの不安と悲しみも感じ取ることが出来る。やはり母親を失ったばかりのアンネットは、不安と悲しさで胸が押しつぶされそうになり、自室で一人で夜を明かすことが出来なかったのだろう。だからこそ父の寝室までやって来て一緒に寝て欲しいと申し出たに違いない。さらに隣のフランシーヌが使っていたベッドに寝るのでなく、父のベッドに潜り込んだのもあまりの寂しさと不安に唯一頼りになる父が隣にいて欲しかったからだろう。
 それともう一つ、アンネットが父の寝室にやって来た理由の一つに「ダニーと一緒に寝たいから」というのもあったかも知れない。とにかくこの父と一緒に寝るアンネットの姿は本放送時からずっと覚えていた。
 
今回の
アンネット
VS
ルシエン
 
 アンネット達が買い物に行っている間、モレルがダニーを見ていたようだが、その際にルシエンも一緒に来ていたのだろう。オムツを洗濯するアンネットに「何か手伝う」と言うと子守を命ぜられる。最初は笑顔でゆりかごのダニーと遊んでいたルシエン、ところがダニーは突然泣き始める。必死になってダニーをあやすルシエンだが、結局はどうしていいか分からず、大声でアンネットを呼び出す。「なによルシエン、子守も出来ないの? ペーペルの方がずっと役に立つわ」とアンネットの先制パンチに、ルシエンは黙ってアンネットがダニーをあやす様子を見ているしかなかった。
感想  物語はフランシーヌの葬儀から始まり物語は暗く重たい空気が流れるが、名場面シーンの前でルシエンとマリーが食事を持ってきたところから暗い空気はどこかへ行ってしまう。アンネットは最初こそは父親に甘えたりしていたが、すぐに母親の死を乗り越えて立派にフランシーヌの代わりに家事と子育てにと走り回る。でもどちらかというと死を乗り越えたと言うより、忙しくなってそれどころではなくなったという方が正解なんだろうな。
 それとこの回で印象に残っているのは、アンネットが赤ん坊を抱えて学校へ行く話。むろん1日で破綻するわけだが、学校に赤ん坊という取り合わせが妙ですごく印象に残ったのだ。しかし教室の後ろのベビーベッドは誰が用意したのだろう?
 モレル家やニコラス先生のナイスフォローもあってアンネットの新生活は立ち上がるが、ピエールが言うまでもなくこれは多くの人々の努力と苦労に支えられていたのであっていつまでもこれに甘えているわけには行かなかったのだろう。ピエールの決断は「おば様を呼ぶ」と言うことだが、予告編で出てきたおば様は何か人が悪そうに見えた。「赤毛のアン」マリラみたいな気難しいおばはんが出てくるのかな?と当時は感じていたけど、まさか良い意味で期待を裏切られるとは…。
研究 ・物語の舞台
 今回の話も原作を踏襲しているが、アニメで描かれているアンネットが赤ん坊を連れて登校するなど明らかに無理をしているようなシーンは原作にない。原作アンネットはただひたすら子育てに専念しているようだ。また原作ではダニーの世話をする人を雇ったり、定期的に看護士がダニーの様子を見に来るなどバルニエル家は多くの人々に支えられている様子がハッキリ分かる。やがてダニーが動けるようになって目を離せなくなり、ピエールが仕事と子供の世話で疲れ果てたところで、アンネットと「牛を売ってもっと人を雇う」という話になるが、ここでクロード(原作ではアンネットの祖母)に来てもらうという話を思い付くのだ。
 さて、今回研究するのは物語の舞台である。「わたしのアンネット」の舞台となっているのはスイスのロシニエール村という実在する村だ。場所はこの地図の中心地点、レマン湖のほとりにあるモントレーから東へ10キロほどのところに位置する村だ。アニメで出てきた学校や駅といった建物は、全て実在するロシニエール村の学校や駅をモデルに描かれたという。ちなみにモントレーから西へ20キロほどのところにあり、やはり物語にも出てくるローザンヌはIOC(国際オリンピック委員会)があることで有名だ。
 このアニメの原作「雪のたから」では舞台となっている村を敢えて特定していない。これは原作本の前書きにハッキリ書かれていることだが、少なくとも原作のモデルとなった村はモントレーから峠を越えずに行ける村であるようだ。モントレーへ行くには峠を越えるという設定が物語の展開上どうしても必要だったため、原作では舞台を架空の村としたというのが真相のようである。
 ロシニエールが舞台と誰が決めたかはよく分からないままだが、物語を展開されるためにはこの村を舞台とすれば辻褄が全て合ってしまうのは事実である。

第5話「あたらしい家族」
名台詞 「私はクロード・マルタ、お前にとっては大おばになります。お前の父さんにもらった手紙で、この家の事情はよく知っています。しかし断っておくけどね、私が来たからと言って私にも出来ることと出来ないことがありますよ。私も歳だし、リューマチもあるし、目も悪くなってます。だから私を頼らず、今まで通り自分で出来ることは自分でやるように心がけなさい。いいね?」
(クロード)
名台詞度
★★★★
 クロードおばさんの記念すべき最初の説教、それはアンネットにとっては厳しい内容だった。単刀直入に「自分に頼るな」と先に宣言しているのである。だがこの台詞を聞けば聞くほど当たり前の事を言っているに過ぎず、誰にだって出来ることと出来ないことがあるから自分が来ただけで何もかもが上手くいくようになるわけではないと言うことと、自分で出来ることは自分でやらねばならないという「常識」を再確認しているだけである。
 むろん、普通の家庭に来たのならこんな確認をする必要はない。だがこのバルニエル家は仕事で手一杯の父親と、僅か7歳の長女が生まれて間もない赤ん坊を育てているという特殊な事情を持つ家庭である。そこへ大おばという存在が来ることは、それで今までの問題が全て解決と錯覚してしまう可能性があり、また今までやって来た事までこの大おばに頼ってしまうことになる可能性も非常に高いのだ。だからこそこの大おばは最初にこう宣言したのだろう。
 しかし今回はこの大おばの印象に残る台詞が多すぎる。最初からこのような印象深い台詞を吐くと言うことは、彼女はアンネットの心の支えになるのかも知れないと当時は感じていた。でもこの人の役割は、アンネットとルシエンが行くべき方向をひたすら指さすという役割なんだよね。そうなってくるのはまだ少し先の話。
名場面 子牛が生まれる 名場面度
★★★
 ある日の夕方、アンネットがルシエンと一緒に学校から帰ると、クロードが牛小屋の方で呼んでいるのに気付く。言ってみると子牛が生まれそうなのだという。生まれるのはまだ先だけど、ピエールが帰宅する前に生まれると行けないからと3人で協力して準備を始める。ルシエンは干し藁を集めて母牛のもとへ運び、アンネットはひたすら湯を沸かす。
 さらに陣痛に苦しむ母牛を押さえ込んだり、「何故お湯が必要なのか?」という謎解きをしたりとこのシーンは子牛が生まれる大変さというもの的確に描いている。そして翌朝には可愛い子牛が生まれており、もう立派に立ち上がっているのだ。
 「南の虹のルーシー」に山羊が出産する話があったが、それと同様にこれもキチンと現在の子供達に見せたいシーンだ。生命が生まれる神秘、動物の子供が生まれるとどんな状況なのか、こんな事を体験できる場所もないし、現在のテレビ番組では殆ど取り上げない。アニメに至っては絶対に出てこないだろう。前にも書いたが毎週殺人事件を起こして、成長も失敗も進化もしない主人公がその謎解きをするなんて下らないアニメを流す位なら、このような本当に「子供たちのためになる」シーンを流して欲しいと心の底から感じるのだ。
 
今回の
アンネット
VS
ルシエン
 
 またまたアンネットに子守を命ぜられるルシエン。前回失敗したのだからよせばいいのにそれを引き受けるが、アンネットが家の中に入っているうちにルシエンは大きな欠伸をしたかと思うとそのまま居眠りしてしまう。そしてルシエンの居眠りをいいことにダニーはペーペルの耳を引っ張って遊ぶのだ。それを見たアンネットは大声でルシエンを起こす。「どうしたんだい? アンネット、そんな顔して」ってこんな風に言われたらアンネットでなくても怒る。「忙しいからダニーを見ててって言ったじゃない、あんたって本当に役立たずね」と遠慮無く罵声を浴びせるアンネットにルシエンは返す言葉が出ない。「ちょっと居眠りした位であんなに怒ることないだろ!」と帰り道に愚痴るルシエンだが、そりゃ怒るっつーの。フェルナンデルに「調子はどうだい?」と聞かれて「いいわけないよ」と答えるルシエンは最高。
感想  クロードおばさんキター!!!!! 正直言って第一印象悪かった。馬車に乗っては愚痴ばかりだし、バルニエル家に着いてからは最初のうちは文句ばっかりだし。でもアンネットに文句つけた部分は翌朝までに自分で全部直しているあたりから「この人ひょっとしたらいいおばさんなのかも?」と本放送当時も感じた。そしたら時間と共にいいおばさんになって…今回のラストシーンでは第一印象の悪さを忘れさせてくれるほどのいいおばさんになっているし。
 「世界名作劇場」に出てくるこの手のおばさんは第一印象が悪いのはおやくそくだ。「赤毛のアン」のマリラと「愛の若草物語」のマーサとこのクロードが私にとって「3大第一印象が悪いけど本当はいいおばさん」キャラなんだよね。このクロード登場だけで丸々1話費やしたのはアニメならではだろう。
 これでやっと家族が全員揃ったことになる。あとはペットがまだ1匹足りないけど、それは原作でも出てくるのはまだ先だし…。 
研究 ・クロードの登場
 物語が本題に突入するとアンネットやルシエンの行くべき方向を示すという重要な役割を担うクロードの登場は、序盤での物語の転換点になると考えられる。平和な日々から母の死を経て、そこから順調に立ち直ったアンネットの元に母親代わりとなる大おば(原作設定では祖母)がやってくるのだ。そしてそれをきっかけに滅茶苦茶だった家の中が理路整然と回るようになるのだ。
 アニメのクロードはルツェルンの町から遙々馬車に乗ってやってきたとなっているが、原作では鉄道でやってきてアンネット達が駅まで迎えに行った設定になっている。アニメの設定ではロシニエール村に鉄道が開通するのはこの5年後で9話での話だが、原作ではこの時点で既に鉄道が開通している上、電化までされているのである(おばあさんは電気機関車でやってきたと書かれている)。実はロシニエールに初めて鉄道が通ったのは1904年8月で、開業時から既に電化されていたというのである。ちなみこのロシニエール村を通る鉄道路線だが、クロードがロシニエールに来た頃は峠よりモントルー側のみが開通していた、従って原作の舞台がロシニエールでないという根拠の一つとしてここの描写の違いを挙げることは可能だろう。
 他は原作ではルシエンが全く出てこないのと、子牛の誕生の有無以外はアニメは原作を踏襲している。名台詞に該当する台詞もあるし、クロードが来てから家の中が規則正しく動くようになったという描写も同じである。ただアニメでは前話に当たるニコラス先生と学校への登校が問題になり、結局土曜日に先生の家へ通って勉強することになるのは、原作の場合はクロードが来た後の話である。こうしてアンネットが母を失った後の生活がようやく回り始め、物語は次の展開へと進んで行くのである。原作ではクロードが出てくればすぐに物語はアンネットとルシエンが12歳になったところまで話が飛ぶが、アニメではもうしばらく二人が7歳時の話が続くのだ。

第6話「牧場にて」
名台詞 「来ちゃダメ、来ちゃダメよ〜。あんたなんか来たって何の役にも立たないわ!」
(アンネット)
名台詞度
★★★★
 この台詞に、昔も今も笑った。
 ルシエンじゃないけど、確かにそんな事がよく言えると思う。アンネットがロゼッタとともに急傾斜を滑り落ちたのは、アンネットの判断ミスであって、それを助けに来たルシエンにこの台詞はないと思う。ルシエンの「一人じゃ何にも出来ないくせに」「口だけは達者なんだから」というのは的確な答えだと思う。
 だがアンネットのこの台詞も間違いではない、アンネットとロゼッタを助けに降りたはずのルシエンまで滑り落ちてしまい、遭難者は救助隊の事故の巻き添えになってしまってさらに急傾斜を転がり落ちるのだ。
 この台詞にはアンネットの性格も出ているし、それとともにこれを聞いたルシエンの性格も見ることが出来る。そしてやっぱり自分たちだけでは何も出来ない二人の姿も…やっぱアンネットとルシエンは日本アニメ史上有数の名コンビだわ。
名場面 ロゼッタが急傾斜を滑り落ちる 名場面度
★★★★
 ピエールが出かけてしまい、牛たちの番と草刈りを託されたアンネットとルシエン。ピエールがいなくなるとアンネットはルシエンの草刈り鎌を使ってみたいと考え、この鎌を巡って口喧嘩となる。ルシエンがやけくそになって鎌を振り回していると、問題の急傾斜にロゼッタが近付いているのをアンネットが発見、一人でロゼッタを連れ戻しに行くのだが…ロゼッタと一緒に急傾斜を滑り落ちてしまう。この時のアンネットの悲鳴を聞いたルシエンがアンネットを助けに言ったところで、名台詞欄のシーンとなる。
 そしてロゼッタと共に急傾斜を転がり落ち、ロゼッタの下敷きとなったアンネットとルシエン。なんとか止まると「アンネット、大丈夫か?」と問うルシエンに対し、「それよりどうして降りてきたのよ、前よりもっと酷くなったわ」と言いながらロゼッタのカウベルに頭をぶつけるアンネットがいい。「父さんに知らせに行くべきだった」と言うアンネットと「最初にアンネットがそうすればよかった」と口答えするルシエン、「あんたのせいでしょ」と叫ぶアンネットと「助けに来たのに文句言うな!」と叫ぶルシエンの会話はもう最高。そしてどうしたらいいのか悩んでいる二人の元に、ペーペルが滑り降りてくる。そしてペーペルが吠えながらロゼッタに飛びつくと…ロゼッタは急傾斜を駆け上がり全てが解決する。「ペーペルに任せておけば私たち何もすることはなかった」と笑い合う二人。
 ピエールが「この先は坂が急だから気をつけるように」「ペーペルに任せておけば大丈夫だと思う」という意味ありげな台詞を吐いていたことで、この先に起きる事件とオチはなんとなく予測は付いていたのだが、その予測通りの事件とオチをとにかく面白く楽しく描いた点は評価が高い。何度見てもこのシーンは面白いし、アンネットとルシエンの言い争いも楽しく描かれている。本人達は必死なのだろうが、本当に笑わせて貰った。
  
今回の
アンネット
VS
ルシエン
  
 大きい草刈り鎌の使い方を覚えるようにルシエンに言うピエール。それを聞いたアンネットは当然のことながら私にも教えてと言い出す。「お前は女の子だから無理だよ」と笑顔で言うピエールに合わせ、ルシエンも「アンネットには無理だよ」と言う。「私にもできる」と反論するアンネットに、「でも無理だと思うよ、お前には」と答えるピエール、それに合わせ「無理だよ、お前には」と笑顔で言う言うルシエン。「ルシエン! あんた今何ていったの?」「アンネットには少し難しいんじゃないかって言ったんだよ」「違う! 無理だよお前にはって言ったわ」「僕そんな事言った?」「言ったわ、お前って、お前ってだぁれ?」「それはおじさんがそう言ったんだ、僕は言わないよ」「言った言った、調子に乗って。お前って誰のことなの?」「言わないよ、言わないったら…」。この言い争いは「わたしのアンネット」でも有名だろう。これを見たピエールがボソッと「先が思いやられるなぁ」というのも好きだ。
感想  「♪くちぶえはなっぜ〜」って歌声が聞こえてきそうなシーンの連続。ピエールとアンネットとルシエンは山の標高が高いところにある山小屋までやってきた。本放送当時もこの回を見て、アルムおんじが出てきそうで怖かったし、犬もいつの間にかにヨーゼフになりそうで怖かった。
 しかし今回のアンネットとルシエンのやり取りは本当に面白い。「今回のアンネットVSルシエン」欄はシーンを選ぶのにすごく悩んだ。ちなみに名台詞欄もすごく悩んだ。でもこの回の二人の言い争いで一番楽しいのはあのやり取りだろう。
 しかし山の上の山小屋って存在がどういう物なのか、「ハイジ」では説明不足の点があったがこの「アンネット」では分かりやすくかつ本来の使用方法で登場させたため、アルムおんじみたいな山小屋に閉じこもる生活がイレギュラーなのだとこの回を見て初めて知った。この「わたしのアンネット」はスイスの牧畜がどのように行われているかという描写についても丁寧に描かれているのは評価できる点であり、これも現在の子供達に見せたい要素のうちのひとつだ。
研究 ・アンネットとルシエンの関係
 ここからしばらくは原作にないオリジナルの物語だ。アンネットとルシエンは家の牛を山上の牧草地へ上げるピエールに同行し、牧草地にある山小屋でしばらく生活を共にする。ここで二人の絆が強まるのと、仲良しの思い出がたくさん出来るというストーリーとなっており、物語全般の中盤へ向けての伏線ともなっている。
 実は原作のアンネットとルシエンは、7歳時点ではあまり仲が良くない。むしろ原作アンネットはルシエンを嫌っているようだし、ルシエンもそれを知っていて近付こうとしないという関係のようだ。アニメでは二人は幼なじみの一番の仲良しであるという設定に変更され、さらに家族ぐるみでの付き合いがあるという設定に変えられている。その理由はこの先の物語が展開すると、二人には二度と仲直りなど出来ないような諍いが発生して行くのだが、その段で互いが「なんとか仲直りしたい」という物語に話を自然に、誰にも分かりやすく持って行くためにアニメでは必要とされたのだと私は考えている。原作では元々二人の仲が良くなかったこともあって、後のルシエンの苦悩はアニメとは全く違う意味合いになっているのだが、それはその時に考察したい。

第7話「チーズを作ろう」
名台詞 「チーズ作りの名人には僕がなるんだ。おじさんにもっと色んな事を教えて貰ってね。大きな草刈り鎌の使い方や、チーズの作り方なんか。」
(ルシエン)
名台詞度
★★
 アンネットと二人の夜、屋根裏にピエールがこさえた寝室でルシエンが将来の夢を語る。だがその姿は冷静に考えれば、ロシニエールの男として当然のことなのだが、その当然のことが出来る一人前の男になりたいとルシエンは語るのである。そしてその師となるロシニエールの男は親友アンネットの父、ピエールである。この時点のルシエンはピエールに憧れ、ピエールを目指し、ピエールのようになりたいというのが願望だ。憧れの男がいる、これこそが男を育てる大きなパワーなのだ。
 この会話、実はアンネットが「父さんのようにチーズ作りの名人になる」と言い出したところから始まっている。自分の夢を取られたルシエンはアンネットに対し「女の子には無理だ」と言ってこの台詞を吐いたのだ。いつものアンネットならそこで怒るが、この夜のアンネットは自分の夢を引っ込めて幼稚園の先生やらバレリーナやらの別の夢を語り出し、しまいにはそこで「白鳥の湖」を踊り出してしまう。だが何の恥じらいもなく夢を語り合う二人のこのシーンは、二人の仲の良さを強調するもので、視聴者にもそれが強い印象として残るのだ。
名場面 チーズ作り 名場面度
★★
 サブタイトルになっているものの、物語の展開としてはあってもなくても変わらないシーンなのだが。チーズの作り方をこんなに詳しく説明したアニメは他にないだろう。今の子供達に「チーズはどうやって作るのか?」と聞いたらちゃんと答えられるだろうか? 漠然と「牛乳から作られている」ということは分かっていても具体的にには分からないだろう。ひょっとすると牛乳から作られていることすら知らない子供達もあるかも知れない。
 こんな丁寧にチーズ作りが描かれているこのシーンも、現在の子供達によ〜く見せてやりたい。食べ物を作るには手間と人の力がどれだけ必要なのか、お店でズラッと並べられている光景しか知らない子供達にキチンと見せたいシーンだ。毎週殺人事件を起こして、成長も失敗も進化もしない主人公が…(以下略)
  
今回の
アンネット
VS
ルシエン
  
 名台詞シーンを受けてバレリーナになりたいと言う夢を語り、「白鳥の湖」を踊るアンネット。それに対しルシエンは「バレリーナはダメだよ、だってアンネットはお転婆だもの」と言いながら笑う。「言ったわね! ルシエン!」とアンネットが叫ぶと、寝床の背後にある干し草を投げつける、ルシエンもこれに応戦し、二人の枕投げ合戦干し草投げ合戦となるのだ。この騒ぎを聞いて階下でニヤッと笑うピエール、止めろよ。
感想  ♪テレテテテレッテテ テレテテテレッテテ テレテテテレッテテレテレ テレレレレ〜(3分間クッキングのメロディ)…ってな訳で「世界名作劇場」3分間クッキング、今回はアンプス風チーズの作り方ってところか。厳密にはチーズ作りのシーンは3分半やっていたけど。
 我々も普段食べているチーズというものがどのように作られているかよく分かる内容で、これは教材としても使えるぞと現在見直して考えた。現在のアニメじゃここまではやってくれないだろう、あ、でも「ポルフィの長い旅」ではアネークの冷蔵庫を使わないアイスクリームの作り方があったなぁ。またチーズは適切に管理すれば保存食としても利用できるような事も含まれていた。塩水か、なるほど。
 前半は前回の続きで山小屋での生活が描かれ、チーズ作りもここの中に取り込まれている。また「アンネットVSルシエン」欄や名台詞シーンもこちらでの出来事だ。一方、後半ではアンネットとルシエンは山を下り、日常の生活に戻っている。ここで初登場のキャラクターはアンネットの同級生の中で、ルシエン以外では最も存在感が強くなるフランツである。しかもドイツ語をしゃべっての登場は恐れ入った。ちなみにアンネットが住むロシニエール村はフランス語圏なんだそうだ、スイスには複数の言語圏があるという事実は、「わたしのアンネット」のこの7話で初めて知った知識だ。ちなみに「わたしのアンネット」はフランス語を日本語として、ドイツ語はそのままという解釈で良さそうだ。
研究 ・チーズについて
 劇中でチーズの作り方について教わったところで、我々が普段食べるチーズとは何なのかをここでおさらいしておこう。
 チーズとは人々が栄養満点の飲料として飲用していた家畜の乳に、凝固酵素等を加えて固形にしたものを言う。元々牛乳などの家畜の乳は保存性が悪く、液体のため運搬にも適していなかったが、これらの欠点を改善しつつ乳の栄養分等を逃がさないように工夫された物である。世界中にチーズに類する食品は存在し、日本でも8世紀頃から存在した「蘇」「醍醐」という名の食品としてチーズに該当する物が存在していた。
 チーズは世界中に存在するのでその起源は定かでないが、よく言われる説として「アラブ商人が羊の胃袋で作った水筒に乳を入れて旅に出て、その乳を飲もうと水筒を開けたら中に澄んだ水と白い固まりが入っていて、それを食べたのがチーズの始まり」というものがある。羊の胃袋に胃液の成分が僅かに残っていて、その凝固酵素がチーズを作ったのではないかとこの説では考えられている。
 劇中で作られていたチーズは、スイス原産のチーズの中でも穴が空いていなかった事からしてグリュイエールチーズと呼ばれる物ではないかと思われる。特徴は黄色からオレンジ色かかった色で、密度が高くて大きくて重いことらしい。「トムとジェリー」等のカートゥーンのアニメに出てくる穴だらけのチーズもスイス原産で、エメンタールチーズと呼ばれるものに分類される。我々が最もよく食べるチーズで、スーパーなどで売られているのはナチュラルチーズと呼ばれるものである。
 チーズには色々あるが、私が食べたチーズで最も印象深いのはブルーチーズである。仕事上で知り合ったフランス人の人が母国からの土産として持ってきてくれたのだが、なんかチーズにホコリが混じっているみたいでちょっと食べただけで「うげ」っと思った。でも遙々フランスから来た人を悲しませたくなかったので、全部食べましたともさ〜。

第8話「秋まつりの日に」
名台詞 「そらそら、それがいけないんだよ。相手がどうのこうのじゃなくて、まず自分がその気にならなきゃ。まぁいいだろうさ、そのうち二人ともくたびれて仲直りすることになるだろうよ。」
(クロード)
名台詞度
★★★★
 ルシエンがその気になれば私はすぐ仲直りできる、と言い放つアンネットにクロードはこう諭すのだ。本当に仲直りする気があるのなら自分から言い出さなきゃダメだと。喧嘩というのはそういうもんだ、双方が仲直りする気にならなきゃずっとそのまま、だから仲直りには「きっかけ」が必要なんであって、それをひたすら待つしかない場面もあるわけだ。ただその「きっかけ」が訪れた際に自分から素直に謝罪の言葉が出るか、そこが問題であるとこの台詞は言うのである。
 この台詞の深さ、これまでの人生経験でも数多く体験している。一方が「こいつは絶対に許さない」なんて結論を先に出した上で話を始めちゃったらもう終わり、人間って言うのは物事より先に出してしまった結論にしがみつく生物である。クロードはアンネットがそのような状況に陥りやすい性格だと知ってこれを言ったに違いないし、私もこの台詞を聞かせてやりたい人間の顔が片手で収まらない位出てくる。特に現在は「ネット上での論争」なんてダメだね、あれなんか「先に結論」を決めがちで論争を組み立てることが出来ないもんね。かつて和歌山のいじめ事件に巻き込まれたときにそれを痛烈に感じたなぁ。
 これがクロードが最初に吐くアンネットの行くべき方向を指し示した台詞である。クロードの名言はここから増えて行くことに…。
名場面 校外授業中にアンネット達が他校生に襲われる 名場面度
★★
 写生のために校外へ授業の場を移したアンネット達、アンネットとその友人達はもっといい絵を描こうと思って森の中へ入っていったのだろう。そこにいたのは前日にアンネットにバカにされ、それを根に持っている他校の不良生徒達だった。
 彼らはすぐに女の子達から絵を奪い取る、悲鳴を上げて泣き叫ぶ三人の女の子の声に最初に気付いたのはルシエンだった。ルシエンは悲鳴と鳴き声を聞くと猛烈に走り始め、アンネット達をいじめていた他校生にタックルをかます。この駆けて来るルシエンのカッコイイこと…。
 しかし、不良生徒3人対ルシエン1人では同然の事ながらルシエンの方が不利だ、女の子達を助けに来たつもりがやられる一方になってしまっている。そんなルシエンを見たアンネットは「こらー!」と言いながら立ち上がり、他校生の一番屈強そうなヤツをポカポカと殴り始める。だが簡単に突き飛ばされてしまうアンネット、万事休す!
 と思いきや、ここでこれまたカッコよく走ってくるのがあのドイツ語の転校生、フランツだった。フランツがタックルをかますと他校生の怒りは頂点に達し、「このやろー、生意気なヤツめ!」と今にも飛びかかろうとする。そこにどこからともなく聞こえてきたのはジャンの声だった、彼らはジャンの姿を見ると一目散に逃げてしまう。さすが、ジャイアンジャンの威厳にはシャトー・デーのガキ大将も適わなかったようだ。
 このシーンは当然のことながら、フランツのことで喧嘩を始めたアンネットとルシエンの喧嘩が終結するきっかけとなる。なんだかんだ言ってルシエンはアンネットを気にしており、またアンネットもルシエンが気になってならない。特にアンネットの場合、自分がピンチの時にどこからともなくやって来たルシエンが頼もしく見えただろう。まあ、ルシエンは他校生にやられるだけで役に立たなかったけど、その際それは関係ない。
 またこのルシエンの勇気は、今後の峠越えという物語のクライマックスシーンの伏線になっているとも考えられる。いや、本放送時の私はそう感じた。
  
今回の
アンネット
VS
ルシエン

 下校中、アンネットを追いかけてきたルシエンだが、アンネットはこの日のルシエンの行為を責め立てる。朝遅刻したこと、フランツにおかしな言葉を教えたこと…そして「わたしに謝ってもダメよ、謝るならフランツに謝りなさいよ」と言う。「フランツフランツって、そんなにフランツの肩を持たなくたっていいじゃないか!」とルシエンは遂に反論、「なんだい、フランツなんか!」「いい気になるなって言ってるんだよ」と息巻くルシエンに「言ったわね! ルシエンなんか大嫌いよ」とアンネットも負けない。「アンネットなんかフランツのご機嫌取ってればいいんだよ!」…このルシエンの一言がいけなかった。アンネットがルシエンに静かに近付くと、平手打ちを一発かましたあと「ルシエンなんか、絶交よ!」と吐き捨て走り去って行く。7歳編唯一の平手打ちシーンである。
感想  いよいよアンネットとルシエンの壮絶な喧嘩の第一章が始まる。今までの痴話喧嘩レベルとは違い、平手打ちあり、「もう絶交」の言葉あり、一定期間の無視もありとすぐに仲直りできるような生やさしい喧嘩ではない。しかし、最初の喧嘩はルシエンの勇気と根性で乗り切る、体つきのいい他校生3人組に自ら飛びかかるなんて自分には出来ない、と本放送時に感じたものだ。これをして二人が仲直りしなかったらルシエンが浮かばれないと思ったよ。しかし、これの数倍凄い喧嘩がこの先の物語の根幹を成すなんて…でも最後のアメリア先生のナレーションを聞けば、この大喧嘩でも序の口でしかないと分かる筈なんだが。
 その二人の喧嘩と仲直りに時間を割いたせいもあって、サブタイトルに出ている秋まつりがあまり印象に残らない回でもあった。チーズの品評会が行われるのもすっかり忘れたし…でもクロードが歳を忘れて踊るのだけは昔から覚えていた。
 それともうひとつ。次回予告で鉄道開通式と言われたのも私にとっては痛かった。早く次が見たいとワクワクテカテカしていたもんだ。
研究 ・7歳編完結
 物語は最初の8話でアンネットとルシエンが7歳時の話が完結する。前にも述べたとおりここで原作との一番の違いはアンネットとルシエンの仲そのものだろう。原作のアンネットはルシエンを嫌っているが、アニメ化にあたってこの部分が大きく改変されて幼なじみのとても仲良しという設定に変えられた。
 この設定変更の理由として、子供も見るアニメに主人公が準主役を嫌ったりするシーンを描くべきではないという大人の事情もあったと考えられるが、私としては今後の展開を考えると、話が自然になるようにこのような設定変更をしたと考えられる。
 この後、ルシエンの取り返しのつかない行為によってアンネットとの関係が破局的になるのだが、原作の場合はその際にルシエンの心の中に生まれる「仲直りしたい」という気持ちの出所がよく分からないのだ。元々嫌われている女の子の弟に一生治らない怪我をさせたのは悪いが、果たして自分のことが嫌いだとハッキリ言っている姉弟にあんなに熱心になれるだろうか? 自然に「許して貰わねばならない」という論理に達するだろうか? それこそそんなのとっとと忘れて日常生活に戻ればいい、周囲の人に悪く言われても気にしなきゃいいのだ。
 原作ルシエンがアンネットに近付きたかったという何かも見あたらない。徹底的に(自分勝手な理由で)アンネットを恨み、その恨みから弟のダニーをいじめているのだから近付いて仲良くなりたいなんて思考回路もないだろう。これはアンネットの側から見てもそうで、原作ではアンネットの側に仲直りしたいという思いがある描写はされていない。このように原作では破局的な関係に落ちた二人(元々破局的だが)が、仲直りしなきゃならない努力する理由など何処にもない。元々壊れている物がさらに壊れただけでそれを直すための理由付けがされておらず、唐突にルシエンが罪の償いとかに動き出すので話が不自然な点が否めないのが原作なのだ。
 ここで二人は大の仲良しという設定に変更したアニメでは、破局が訪れた後に「壊れた物を元に戻さねばならない」という強い意志が働くようにつくってあって話の流れが自然であるし分かりやすい。特にアンネット側に「許すか許さないかの迷い」を描けるようになったのは大きいと思う。こうして二人の距離を近付けたり遠ざけたりしながら、少しずつ和解へと話を持って行くことが出来るようになったのだ。
 ただし、原作の場合はルシエンがアンネットだけではなく多くの者に嫌われているという設定があり、ダニーへの償いを通じて成長して性格が変わり、嫌われ者でなくなるという側面もあるため一概に批判できるものではないことを付け加えておく。この辺りの詳細はもっと後の方で…。

第9話「村に汽車がやって来た」
名台詞 「よくあれだけ夢中になれるわね。ルシエンはまだ子供なんだわ、きっと。それにしてもあれが私の友達かと思うと、感心するのを通り越して情けなくなるわね。私にはとてもあんな真似出来ないわ。」
(アンネット)
名台詞度
★★★★
 鉄道開通式の帰り道、ルシエンはさっき初めてみた機関車の力強さにすっかり惹かれてしまい、「がったん、しゅっしゅっ」と言いながらすっかり機関車仮面(by ゴレンジャー)になってしまっている。いつもの分かれ道でルシエンと別れ、そんなルシエンの後ろ姿を見ながらアンネットはこう言ったのだ。
 でもアンネット、機関車の魅力なんて女の子には分かるまい…って当時はテレビの前でツッコミを入れていたけど、この後当のアンネットも汽車に夢中になっているシーンを展開するからこそこの台詞の意義は大きい。ダニーをダシにして駅へ機関車に見に行き、客車に乗り込んでしまってローザンヌまで無賃乗車してしまうという騒動をアンネットが起こすなんて、このシーンではまだ誰にも想像できない。この後アンネットが引き起こす騒動を考えれば、ルシエンの機関車仮面なんて大したことが無いという事を暗示する台詞でもあるのだ。
 しかし、この台詞が出てきたときは、自分のこと言われているかと思った。

↑ルシエンの機関車仮面、全話通してこのルシエンは好きなルシエンのベスト3に入る。
名場面 アンネットとダニーを乗せた汽車が出る 名場面度
★★
 二人に不意に訪れる旅立ちの時、ダニーを連れて駅までやって来たアンネットだが、ダニーが客車の中を見たいというので「出発する前に降りればいい」と客車に乗り込んでしまう。デッキの扉を開けて客室に入ってしまうダニー、そこへアンネットの目の前に車掌が、「見送りだ」と誤魔化すと車掌にすぐに降りるように言われ、アンネットは慌てて客車から飛び降りる。そこでダニーが乗ったままなのに気付いて慌てて客車に乗り込むのだ。
 アンネットが客車に乗り込むと、ダニーは車掌によって座席に座らされていた。アンネットは必死になってデッキの扉を開こうとするが、留め金が掛かっているのに気付かずに扉を開けられずに大慌てとなる。そんなアンネットに気付かずに客車の扉を閉める駅員、「ああ、待って〜!」アンネットの声もむなしく「発車オーライ!」…汽笛が鳴って汽車は走り出すのだ。「ダニー!」と叫ぶアンネットの声もむなしく…。
 このシーンは何よりも大慌てのアンネットが見どころのシーンである。車掌に肩を叩かれたり、客車の中にダニーを忘れたことに気付いたり、何よりも発車した後のアンネットの慌てようは最高だ。こうしてアンネットはクラスの仲間の中で誰よりも早く汽車に乗ることになりましたとさ。
  
今回の
アンネット
VS
ルシエン
 
 学校へいつも通りの待ち合わせ、アンネットが少し遅くなっただけでルシエンが「遅いなぁ」と文句を言うのには理由があった。鉄道開通前に踏切の遮断機で遊ぼうというのだ。「悪いけど、私見たくないわ、そんなもの」とアンネットの返事は冷たい、。「そんな言い方ってないよ」というルシエンは正解だ。だが踏切にたどり着くと遮断機によじ登り始めるルシエン、「やめなさいよルシエン、学校に遅れちゃうわ」「ほっといてくれ、明日から汽車が走るからもう今日しか触れないんだよ」…空気を読まずにアンネットに手伝ってくれと言うルシエンだが、アンネットは「ダメよ」とこれまた冷たい態度を取ったと思うと、すぐ駅の方へ向かって大声で告発する。「駅長さ〜ん、たいへんですよ〜、早く来て下さ〜い。」「おい、やめろよアンネット」「誰かが遮断機壊してますよ〜」「やめろよ」「はやくはやく〜、この人です〜、遮断機壊しているのは〜」「僕は何にもしてないよ〜、触っただけだよ〜、壊してないよ〜」…押し切ってアンネットの勝ち! 必死に言い訳しながら逃げるルシエン最高!
感想  鉄道が前面に出てくる話だ。「世界名作劇場」シリーズの中でも鉄道が出てきた話は多いが、鉄道が主役級となる話は「わたしのアンネット」の9〜10話だけだろう。他ではあくまでも登場人物の移動手段でしかない場合が多く、例外的に「小公女セーラ」でロンドンの街を描写する道具として出てくる程度だ。「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」「小公女セーラ」「愛の若草物語」で何度か鉄道が出てくるが、このように「開通式」という設定で鉄道が中心に置かれる話は無い。さらに「目的を持った旅行」以外の「単なる冒険」として、登場人物達が列車に乗り込んでしまう話は無い。
 まぁ鉄ヲタだからと言って、ロシニエール駅が1面1線なのに転轍機と転轍標識が存在するのはおかしいとツッコミを入れてはいけない。だいたい交換設備もないのに駅があるなんて突っ込んではならない、貨物ホームがあるのに貨物を取り扱っている様子がないのはおかしいと考えてもいけない。こう書くと袋叩きにあいそうだ。

 でも物語的に面白いのは鉄道の開通式よりも、その後のルシエンとアンネットだ。それは各々名台詞欄と名場面欄に書いたとおり。特にアンネットとダニーが汽車に乗ってしまったシーンは、不意にやってきた旅立ちに見ている方もハラハラさせられるし、また旅への期待と不安という旅情まで感じてしまうのだ。上手に次回へと視聴者を誘ったなと感心するシーンである。
研究 ・(二話分次話にまとめます)
 

第10話「ふたりの冒険旅行」
名台詞 「アンネットは汽車に乗ってないと思うな、僕。だってそんな事考えられないよ、アンネットが汽車に乗るなんて…ハハハ。僕だってまだ乗ってないのに。」
(ルシエン)
名台詞度
★★★★
 当時も今も、自分がその時のルシエンだったらそう言ったであろうと感じた台詞。汽車に乗りたくて乗りたくて乗りたくて乗りたくて乗りたくて乗りたくてたまらないルシエンの感心は、アンネットが本当に間違って汽車に乗ってしまったという事実でなく、アンネットが自分より先に汽車に乗っている筈はないという願望だ。ルシエンの「汽車に乗りたくてたまらない」という感情が上手に表現された台詞だと思う。
 無論、娘と息子が行方不明になって心より心配しているピエールでもこの台詞には良い反応はしない。一緒に娘のことを心配してくれると思ったらどちらが汽車に先に乗るかという心配ばかりのルシエンに対し、冷たくかつ感情を表に出さず「お使いの途中じゃないのか?」と言って自然にルシエンを立ち去らせるのだ。良くできた男である。
 そしてもし自分がこの物語の世界に入っていて、このルシエンの立場だったらやはり同じ事を考えたはずだ。カッコよくて力強い汽車という存在にひたすら憧れ、誰よりも早く乗りたいと思うのは男の子として当然だ。特にルシエンは肉親である姉に先に越された焦りもある、これで親友のアンネットにまで先を越されたら男としての面目は丸つぶれなのだ。ルシエンが「男の子らしさ」(「男らしさ」ではない)を最も強く見せる台詞であるかも知れない。
(次点)「おじさん…ぼく…ぼく…きっぷもってない。ぼくきっぷもってない、おねえちゃんももってない。」(ダニー)
…車掌が検札に来た時のダニーの第一声、この時の震えた声と表情が秀逸である。年相応の子供を上手に描いていて感心した。
名場面 木の上から汽車を見るダニー 名場面度
★★★★
 物語の最後、またクロードがダニーの姿が見えないと探し回る。ダニーはまたいつもの木に登って駅を見下ろしているのだ。その表情には長い小説を読み終えた人のようなさわやかな表情があった。ダニーにとって姉と二人だけの冒険旅行が幼き日の良い思い出になったことを印象付けるシーンだ。
 いま、万感の思いを込めて汽笛が鳴る。いま、万感の思いを込めて汽車が行く、一つの旅は終わり、また新しい旅立ちが始まる。さらば冒険の日(城達也の声で読もう)…ってダニーの頭の中はまさに劇場版「銀河鉄道999」のラスト状態なんだろうな。
 
今回の
アンネット
VS
ルシエン
 
「怒られたっていいよ、僕も汽車に乗ってモントルーへ行ってみたいや。ずるいよアンネットは、僕より先に汽車に乗るんだもの」「まぁ呆れた、あんたよっぽど汽車に乗りたいのね」「もちろんさ、ねぇ教えてくれよ。どうやってモントルーまで行ったんだい?」「それはね…最初はね…やっぱりやめた。あんな事もうこりごり」「あ〜酷いなぁ、酷いなぁ、もう少しで言うとこだったのに…ねぇアンネット、教えてくれよ」…汽車に間違って乗ってしまったアンネットから汽車のことを聞き出そうとするルシエン。だけどアンネットは…疲れ果ててしまいましたとさ。
感想  前回に続き鉄道が主の物語。間違って汽車に乗り込んでしまったアンネットとダニーの珍道中。ハッキリ言って「わたしのアンネット」全話を通じて一番好きな話だ。鉄道が出てくるからではない、この二人の旅が面白おかしくて何度見ても笑えるし、何度見ても二人と一緒にハラハラ出来るのだ。48話全部見終えたらこの話か6話はもう一度見たいと感じるだろう。いや、一度のみならず何度見ても飽きないと思う。「南の虹のルーシー」「小公女セーラ」「愛の若草物語」それぞれにやっぱそういう話は存在する。
 特に名場面を選ぶのに苦労した。デッキ扉の開け方がやっと分かった瞬間のアンネットの表情は最高だし、トンネルに入って真っ暗になった時を狙っておばさんのリンゴを盗むアンネットもドリフのコントみたいで最高だ。特におばさんがもう一個のリンゴを探しているときにアンネットのふところからリンゴが出てくる辺り、ギャグとして計算され尽くされているとしか思えない。
 原作には無い話だが、こうも遊んでくれると見ている方も楽しいし作っている方も楽しかったに違いない。それは「愛の若草物語」34話にも言えることだ(あれはやり過ぎの感もあるが)。原作をなぞるのも良いが、たまに原作から思い切り離れてこんな楽しい話を入れるのも「世界名作劇場」シリーズのいいところだと私は思う。
 だが、「わたしのアンネット」の場合はこう言う話は序盤に入れざるを得ないのは仕方がない。中盤のあの展開でこれは無理だろうから…。
研究 ・ロシニエール村の鉄道
 ロシニエール村に鉄道が開通する話である。これで村の人々も便利になったのだろう…ではこのサイトらしくこの鉄道を徹底的に調べてみることにしよう。
 この鉄道はモントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道(Montreux-Oberland Bernois Railway)という現在も実在するスイスでも有名な鉄道路線の一つである。総延長75.2km、軌間(レールの間隔、日本の在来線は1067mm)1000mm、最高急勾配73‰(1000m進んで73m登る、日本のJRでは長野県の飯田線にある40‰が最高)、鉄橋は63カ所、トンネルは18本、架線電圧900Vという諸元を持つ山岳路線である。
 この鉄道の歴史を調べてみよう、1901年12月にモントレーから劇中に出てくる峠の近くのアバンツまで開通、その後徐々に路線を延ばし、ロシニエール駅を経てシャトー・デイまで開通したのは1904年8月19日である…あれ、もう劇中の設定と話が合わなくなってる。設定では1901年春から5年の月日が流れたんだから1906年の秋だったはずだ。
 しかもこの鉄道の特徴は、開通時から電化されており、蒸気機関車に頼らず電気機関車で営業を続けてきたことである。あれ〜、劇中では蒸気機関車が派手に煙を吐いて走っていたぞ。また前述したが原作に出てくる「アンネットが住む村を通る鉄道」も電化されており、原作クロードは電気機関車で来たという設定である。
 歴史はやめとこう、ツッコミどころが多すぎる。ロシニエール駅はネットで画像を探してみたら、駅舎はアニメに出てきているのと全く同じ。これに感心したのだが…どう見ても現実のロシニエール駅は線路が4本(うち1本は貨物ホーム)ある。ありがとうございます(意味不明)。
 これ以上書くと鉄ヲタによる単なる揚げ足取りになってしまうのでやめとく。もうちょっと考証をしっかりとしろよ、日本アニメーション。

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