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第21話 「アベルが狙われた」
名台詞 「ハンナの手を噛んだ勇敢な犬を見に来たのさ。おー、よしよし。私が責任を持つから、今晩この綱を外してから寝るんだよ。カトリ。」
(グニンラ)
名台詞度
★★★★
 羊の毛を刈る作業も終わり、放牧も通常体制に戻った日の夜に事件が起きる。またもアベルがハンナに噛み付いたのだ。アベルがハンナに噛み付いた理由は食べたくもない肉を強引に口の中にねじ込まれそうになったからだが、屋敷の人間はその原因を誰も知らない。アベルの凶暴さを力説するハンナの声に、屋敷の人々は「おかしい」と思いつつもアベルはついに繋がれることになってしまう。繋がれてしまって惨めな姿を晒すアベルを、カトリとペッカが慰める。そこへグニンラが現れるとペッカが「物好きだなぁ、おばあさん。わざわざアベルの惨めな姿を見に来たの?」と声を掛けるが、その返答がこれだ。
 この台詞にはこの夜起きた出来事によって「何が起きるか?」を見通したグニンラの結論が描かれている。グニンラは間違いなくこの日の夜に羊の毛を盗む盗賊たちがこのライッコラ屋敷を襲うであろう事、そしてその共犯者がハンナであることを見抜いたのだ。だが証拠は何もない。グニンラはここまで、もし何かあればアベルが盗賊たちの行動を阻止してくれるであろう事も見通していたのだが、それもハンナの企みで消えてしまった事が現実になってしまった事への対処が必要であった。
 グニンラはハンナを疑い、その言動の一つ一つを見逃していなかったはずだ。昼間にウッラが作業小屋の鍵の話をすればハンナが詳しそうだった点もそうである。さらに夜に作業小屋の鍵がなくなっているのにウッラが気付いたときも、それを何も落ちていないところでハンナが発見して拾ったという点もそうだ。夜の誰も外に出る用事がない時間帯に外でハンナがアベルに噛み付かれた点…特に後者は、ハンナがアベルに何かをしたから噛み付かれたと判断するに充分だったはずだ。盗賊が何かするとすれば、一番の難敵はアベルになるはずだからだ。
 だがハンナが盗賊の共犯者という証拠がないので、それを突きつけることも出来ない。テームもウッラもハンナを疑っていないという別の困難がグニンラにはあったのだ。だからハンナの不審な行動を言い出すことも出来ず、彼女は全てをアベルに託すことにしたのだ。自分の読み通りに盗賊が現れれば、アベルなら盗賊の企みを阻止するだけでなく、手柄を立てたアベルの信頼回復につながり一石二鳥だ。もし読みが外れて盗賊が現れなかったら…カトリを庇って自分が責任を取って辞めれば良い。
 そんなグニンラの頭の良さ、そして優しさまでが見えてきて、グニンラのキャラクター性を確固たるものにした印象的な台詞だ。グニンラはハンナのことになると口を閉ざすなど、「こいつも本当はハンナの仲間じゃないか?」とも思わされる描き方をされていたが、そうではなくグニンラこそがこのライッコラ屋敷のピンチを救うことがこの台詞で確定するのだ。
 この台詞を聞いたカトリは、驚いた表情でグニンラを見つめる。そしてグニンラの言う通り、カトリは就寝時間直前にアベルの元を訪れて綱を外す。こうしてこの盗賊襲来の件は、ハンナの活動が失敗に終わると同時に、アベルが盗賊から屋敷を守るという大手柄を挙げる展開が約束されたのだ。
名場面 ペッカの雇い入れ願い 名場面度
★★★
 羊の毛を刈る作業も終わり、放牧も通常体制に戻った日の夕方、ペッカはカトリと一緒にテームの前に立つ。そしてペッカをライッコラ屋敷で雇って欲しいと願い出る。その返事は「君はよく働くんで雇いたい気持ちは充分あるんだが…もう間もなく冬だ、仕事もなくなる。それに私の所が忙しいときには手伝いに来てくれる人もあるしなぁ」というものであった。「でも一人位は…」と食いつくカトリに「そうもいかんのだ」と答えるが、「ペッカはとても気立てのいい人だし、働き者だし、もしちょっとでも怠けるようでしたら私が許しません」と食らいつく。これを聞いたテームはカトリを制し、ペッカに他に働き口はないか問う。ペッカは16話名場面欄に出てきた話をすると、「なんだそうか、兄さんと一緒に働けるところがあるのか。ならそこが一番良いじゃないか」とテームが返す。だがペッカは「だけど俺、旦那様のところがとても気に入ったんです。本当です」と食い下がるが、「それはとても嬉しいが、君が一番気に入ったのはカトリじゃないのかい?」と返される。図星のことを言われて驚くペッカと頬を赤くするカトリに「ハハッ、これは冗談だ。だが真面目な話、君を雇うためにはカトリを辞めさせなければならない」と告げると、ペッカは「とっ、とんでもない」と慌てる。これが決定打となってペッカはライッコラ屋敷で働くことを諦める。
 「世界名作劇場」シリーズではよくある、大人たちの都合により子供の願いが却下される典型的なシーンである。物語がリアルだからこそ、子供たちの願いは叶えたくても叶えられないときがある、そんな現実を視聴者に訴えるシーンである。
 ペッカからして見れば、ライッコラ屋敷で働きたい理由はカトリがいるからというだけではない。本人がこのやりとりで訴えたように、ライッコラ屋敷との相性が良くて働きやすく気に入ったという理由もあるだろう。同時に転職するにしても遠くへの移動を避けたいという思惑もあるはずだ。その移動についても手間と経費が掛かるはずで、ペッカとしては何とかしてこれを避けたいはずだ。
 だがテームも出来た男だから、そんなペッカの気持ちは分からないはずがない。だから頭ごなしに雇えないというのでなく、ペッカのこれまでの働きをキチンと評価した上で「雇えないのはやむを得ない」という意味合いで伝えるのだ。それはライッコラ屋敷の現況…つまり働き手もちゃんと揃っていて(特に男手は揃っている)人員不足ではないし、何よりもペンティラ屋敷の牛を引き受けた事で親類から借金をするなど牧場経営上の問題もあるはずだ。ペッカが他に行き場がないのでなく、働くあてがある以上は申し訳ないけどそっちへ行ってもらうしかないと言わざるを得ないのがテームの立場だ。テームにとってカトリの言い分も解るし、その前の座談シーンでテームがペッカを気に入っている事を考えると、彼はまさに「心を鬼にして言わざるを得なかった」のであり、これが伝わってくるように上手く描いたと思う。
 こうして、ペッカが劇中時間で数日後に姿を消すことが確定する。ペッカは次話で姿を消すともう出番ないんだったかなぁ? 面白いキャラなのに。
感想  ハンナと共謀してライッコラ屋敷から羊の毛を盗もうとした盗賊に、アクション仮面がいたぞ。のちに20年以上にわたって「クレヨンしんちゃん」で正義の味方を演じる玄田哲章さんが、この「カトリ」では悪党を演じていたなんて…。
 いよいよハンナの物語に決着がつく。前話で示唆された通りにハンナが盗賊をライッコラ屋敷に招き入れ、盗賊が羊の毛などを盗み出そうとする展開だ。作業小屋の鍵の話から始まり、その話を無警戒にハンナの前で進める辺りからが本展開だ。これは途中まで面白いほどにハンナの陰謀通りに事が進む。アベルに関しても毒殺は失敗したとは言え、自らがアベルに噛み付かれたことでアベルが繋がれてしまうことになったので、ハンナの成功と言えば成功だ。これが放映された頃は、「グリコ森永事件」の余韻がまだあった時代だよなぁ。「どくいりきけんたべたらしぬで」って、当時この話見て頭に浮かんだのを思い出した。
 だがハンナの行動を怪しんでいたグニンラだ。グニンラはハンナが怪しいと解っていてそれを明確に伝えない。ひょっとするとこいつも仲間なんじゃないかとの疑いまで感じてしまう。使えねーばーさんだなと思っていると、名台詞欄にあるようにカトリにアベルを放すようコッソリと命じる。これてで盗賊の行動とハンナの野望は潰えるのだ。実際に盗賊を撃退したのはアベルだが、真の立役者はどう見てもグニンラだ。
 盗賊が逃げた後のオチのシーンも良かったな、テームが「アベルはどうやって綱を外したんだろう?」と問うと、カトリは「さぁ…」と呟いてグニンラを見つめ、グニンラは「そのままアベルの手柄にしておいて良いんだよ」という表情で笑っているのも印象的だ。良いおばあさんだ、ハンナの仲間かも?と一瞬でも疑ってごめんよー。
 そして同時進行はペッカの物語だ。ペンティラ屋敷を解雇されたペッカは、一時的にライッコラ屋敷に雇われてカトリと共に働くが、その終わりの日も近付いてきていると言う展開だ。ここでペッカがただ単に「カトリが好き」だからここで働きたいのでなく、ライッコラ屋敷が居心地が良いからこことにいたいという事を明確にしたのは良いと思う。同時にペッカがライッコラ屋敷の人々からも信頼されているからこそ、次で来るはずのペッカとの別れが盛り上がるのだと思う。だが名場面欄に描いた通り、ペッカがライッコラ屋敷の人々を信用していて、ライッコラ屋敷の人々が屁ペッカを信用していることと、長期的な雇用は話を別にせざるを得なかったということだ。この立場に立っているのはテームだけで、恐らくウッラ辺りも「ペッカがいても良いのではないか?」と意見していたと私は解釈している。
 いやー、でもこれでハンナっていう嫌な女がいなくなったわ。この平穏な物語を一人でぶち壊してくれたもんなー…って、これは褒め言葉だ。こういうキャラがいて実際に盗賊に入られるからこそ、この平坦な物語に緩急が付いて盛り上がるのである。悪役とは言えハンナも印象的なキャラクターの一人だったのは、間違いない事実だ。

第22話 「春を待ちながら」
名台詞  「フィンランドの長い退屈な冬を、少しで楽しく過ごすにはグニンラおばあさんのような人が必要でした。グニンラおばあさんは色々な話を知っていました。そして、とても上手に話して聞かせてくれるのです。森の獣たちや、渡り鳥の話、妖精たちの話、そして王子様やお姫様の話、魔法使いも大活躍です。それは長い間、家の中で過ごさなくてはならない人たちが生み出した物語です。」
(ナレーター)
名台詞度
★★
 雪も降り始め、カトリの糸車が用意できたことでカトリも糸紡ぎを始めたその日。テームがグニンラに「そろそろお話を聞かせて欲しい」と語ると、ウッラもこれに続いて話をせがむ。グニンラは冬はまだ長いとしてその時は話をしないが、その直後に冬のライッコラ屋敷の風景を背景に流しながらのナレーターの解説がこれである。
 ここにはグニンラが単なる糸紡ぎ手として雇われているのではなく、冬の間の娯楽を兼ねている事が上手く示唆されている。テレビもラジオもインターネットも無かった時代、人々の娯楽は少なく夜は早く寝て朝は早く起きる生活だったことだろう。だが北極圏が近いフィンランドでは、真冬には昼間が僅か数時間という短さで、とても長い夜が待っている。その長い夜をどのように人々が過ごしたのか、そしてこのような場で語り継がれるおとぎ話の意味というのを、上手く解りやすく解説してくれる。
 そしてこの解説中の背景画像がとても印象的だ。ただ単にライッコラ屋敷の風景を流すのでなく、この風景の中になんと妖精が現れる。その妖精の足取りを追う形でライッコラ屋敷の雪景色を見せてくれるのだ。ただ単に景色を見られるだけでなく、ナレーターの語り口調も良くてなんか暖かく感じるから不思議なものだ。
 「牧場の少女カトリ」のナレーターは武藤礼子さん、もう10年近く前に故人となったが、本サイト考察作品でもいくつか名演を見せてくれている。「赤毛のアン」ではちょっと厳しいダイアナの母を印象的に演じてくれたし、「わが青春のアルカディア」では人々に自由を訴える使者でかつハーロックの恋人という役でとても強く印象に残っている。
名場面 ペッカとの別れ 名場面度
★★★
 いよいよ冬も近付いたある日、ペッカがライッコラ屋敷を去る日がやってきた。この日のペッカはカトリと一緒に放牧場へ行き、いつものように過ごすが、いよいよペッカがここを離れねばならない時間がやってくる。「渡り鳥が南へ行くなぁ」「冬が来るのね」…二人の会話は暗い。「それじゃ、カトリ」「行くのね?」「コーレリッシュ村まではだいぶあるから」「そうね、暗くなるのが早くなったし」「初めて行くお屋敷だから、明るいうちに着きたいんだ」「クウセラ屋敷…だったわね?」「そう、クウセラ屋敷だ」「もう逢うことないかしら?」「そんなことあるもんか。俺、来年になったらこっちに戻ってくるかも知れないし」「来年?」「ハッキリとは言えないけど、ペンティラ屋敷がまた牛を飼い始めたら…」「その時はまた働くつもり?」「もちろんさ、カトリもコーレリッシュ村まで来たら、クウセラ屋敷に寄ってくれよ」「それはもう…でもあっちの方へ行くことなんか…」…ペッカは希望を見いだそうとするが、カトリが沈みがちの会話が途切れると、ペッカはカトリに手を差し出す。「さようなら」「さようなら、どうもありがとう」、二人はがっちりと握手をする。「ペッカには本当に色々助けてもらったわね」「大したことは出来なかったぜ」「ううん、感謝しているわ」「そうだ、マルティに会ったら俺がよろしく言ってたって伝えておいてくれよな。あいつはなかなか良い奴だった」「言っておくわ」…二人の会話は尽きないが、いよいよ意を決してペッカが振り返る。アベルに「カトリのこと頼んだよ」と声を掛けるとついに歩き出すペッカ、後を追うアベル。「さようなら、ペッカ」とカトリが呟いたと思うと続いて「さようなら」と叫ぶ。手を振るペッカ。「行っちゃった。みんな行っちゃうのね、アベル」とカトリは小さく呟く。そして母と別れたあの日のことを思い出して、アベルを抱いて突っ伏して泣く。
 ペッカとの別れは、前話の余韻も何もないままに今話冒頭でガチで描いてきた。そしてこの別れは単なる印象的なキャラクターの退場だけではない要素が込められている。
 ひとつは、カトリの前からどんどん親しい人がいなくなっている事実。マルティはまた現れるにしても再会まで長いし、家に置いてきた祖父母のこともある、警察に捕まるという形で突如姿を消したアッキ、まあいなくなって一安心のヘレンやハンナというキャラとも別れたが…そしてカトリの前から姿を消した真打ちはなんと言っても母だ。このシーンはそのようなカトリとの別れを演じた人を思い出させ、カトリの立ち位置を再確認するところにある。元来カトリが持っているはずの孤独、少女一人が家から離れた場所で働く「孤独」が彼女に常につきまとっていて、その上で母不在というカトリの険しい道のりを再認識させられるだ。
 そしてもう一つは、カトリの会話が沈みがちにすることで物語のトーンを落とし、このペッカとの別れがトリガーとなり「冬が到来」したことを上手く示唆している。北欧の冬は長くて辛いはずで、これまでの夏や秋の楽しさや恵みとはまた違う生活の変化を、主要キャラとの別れを上手く使って切り替えたのだ。
感想  アンネット キターーーーーーーーーーー!!!!!
 藩恵子さんも「カトリ」に出ていたとは知らなかった。しかも劇中劇の主人公とは…なんか「世界名作劇場」でなじみの声がだんだん揃ってきたなぁ。ヘレナの母親がフローネだったっけ?
 今話はあれだけ盛り上がった前話の盗賊騒動の余韻は一切無し、前話までのことをすっかり忘れて冒頭からカトリとペッカの別れを突きつけてくる。周囲に子供がいないカトリにとってはこれは大事な問題だろう。名場面欄に記した通り、この別れがトリガーになって冬が来るというのは上手い展開だ。しかしこの流れで、もう多くの人はハンナっていう嫌な女の存在は忘れただろうな。
 そして前半の中程からは、グニンラが語るおとぎ話が劇中劇として演じられる。前述したように主人公の少女は藩恵子さん、その見た目はアンとルーシーとカトリを足して三で割ったようなキャラクターだ。で声がアンネットだから笑える。
 でおとぎ話が長々と続いて、やっと「めでたしめでたし」となったら、もう今話終わり?って感じ。でもこの話は色々と教訓もあって面白い。人に優しくすること、でも失ってはならない「何か」があること。その「何か」を大事にしたから王子様と結ばれる結末を迎える少女。沢山の宝飾類よりも友にもらった粗末な指輪が大事というその心は、いつまでも持ち続けたい。
 でも、少女がお肉のスープが欲しいと訴えるシーンは、アンネットみたいで本当に笑った。

第23話「熊と牛はどちらが強いか」
名台詞 「カトリは糸紡ぎも機織りも編み物もすっかり上手になったようだから、家畜番を辞めても大丈夫だな。旦那様はこんな状態が長く続くようなら、家畜番には逞しい大人が必要だって考えているのさ。」
(ビヒトリ)
名台詞度
★★★★
 春が来た。グニンラが屋敷を去り、いよいよ牛の放牧を再開…と思った矢先に、近所の屋敷で牛が熊に襲われて牛2頭が失われるという事件が起きる。その対策を語り合うライッコラ屋敷の食卓で、ビヒトリがカトリに告げた台詞がこれだ。
 この台詞を境に、物語は唐突に「カトリの解雇」という重大事件へと舵を切る。ここまでいくつかの別れや盗賊騒動があったとはいえ、カトリは重要な働き手の一人として屋敷での立場を確固たるものする平穏な物語が続いていた。だからこそ劇中のカトリだけでなく、視聴者もビヒトリが語った「カトリの解雇」を示唆する台詞に強い衝撃を受けるはずだ。
 確かにカトリは子供なのに賢く働き者であり、どんな仕事もすぐ覚えてしまう。だけど同時に多くの視聴者がカトリにおける唯一かつ最大の欠点が「子供であること」に気付いたいたはずだ。子供名だけに今回問題になっているような猛獣に襲われるような事態だけでなく、もしハンナの仲間のような盗賊がカトリ一人の時に来たら大変なことになるということは誰の目にも明かだった筈だ。今回の熊出没騒動はこれが現実になろうとしている展開であり、現実になった場合カトリがどうなってしまうのかを物語より先回りしてビヒトリが語ったわけである。
 そして同時にこの「カトリの解雇」は、カトリが賢いからこその悲劇であることもこの台詞に込められている。カトリの賢さと物覚えの良さがあれば…他でもやっていけるというビヒトリとテームの判断だ。
 この台詞に対し、カトリはテームに真意を問う。テームはカトリに万一の際に自分と牛を守れるかと問われて、回答に窮する。この台詞とその次のカトリとテームのやりとりを起点に、物語は「カトリの解雇」と、その向こうにあるカトリの次の働き先への展開へと大きく舵を切ったわけだ。
名場面 熊VS牛 名場面度
★★★★★
 近所の牛が熊に襲われるという事件が発生したが、その後1週間熊の目撃がなかったという理由でライッコラ屋敷ではやっと放牧を再開する。家畜番はこれまで通りカトリの担当であったが、カトリは万一の際に備えてテームにラッパを持たされる。
 牧場に着いてみると普段通りののんびりとした放牧になるかに見えたが、近くの別の屋敷の家畜番が大勢の牛を連れて逃げている光景を目撃するところで物語は暗転する。その家畜番は熊を目撃したと語り、大慌てで屋敷に戻ろうとしていて、牛を屋敷へ連れ帰ることを進言される。この話にカトリもライッコラの牛を集めて屋敷に帰ろうとする。その帰り道で、列の先頭の牛が歩みを止めてしまい道から逸れる。カトリは大慌てで先頭へ向かいそこで見たものは…行列の前に立ちふさがる巨大な熊の姿、既にアベルは牛を追うのやめて熊と対峙していた。熊は恐怖に震えるカトリに、狙いを定める。アベルが熊を制止しようとするがすぐに突き飛ばされてしまう。カトリは助けを呼ぼうとラッパを吹くが、もう落ち着きを失っていてラッパを鳴らすことも出来ない。そうする間にも熊はカトリに迫り、カトリは助けを呼びながら森の中へ逃げる。だが熊の足が速く、カトリはついに熊に追い詰められてしまう。悲鳴を上げるカトリと対峙する熊の元へ、一頭の牛が突進してくる。直前シーンでカトリに甘えていたクロという牛だ。クロはその鋭い角で熊に体当たり、続いて反撃しようと立ち上がった熊に再度体当たりして近くの大木に押しつける。「ああっ、クロ!」とカトリが叫ぶが、どちらも怯まない。「クロ頑張って! そんな熊に負けたゃダメ!」とカトリの応援を背景に、熊と牛の身体のぶつかり合いが何度も続く。そのまま決着を見せずに今話が終わる。
 もちろん、このシーンは次回予告で示唆されるように、「カトリの解雇」の直接原因であろう。だがそれに見合うシーンとしてとても迫力を持って描かれた。当時見たはずなのに、「牧場の少女カトリ」にこんな手に汗握るシーンがあったなんて覚えてなかったなー。
 何よりもこの戦いでは、これまで何度もカトリを窮地から救ってくれたアベルが、早い段階で敗北してしまうのは大きなポイントだ。これによりカトリは熊と自分で戦わなくてはならなくなったと同時に、牛30頭の命運まで握らされてしまったのである。名台詞欄シーンでテームがカトリに「自分と牛の両方を守れるか」と問うたのが活きてきたかたちだ。
 これまでの展開から、カトリが持っているラッパの音で熊が逃げるとか、その音で誰かが助けに来るとかそんな甘い展開を予想するはずだ。だが肝心な所でラッパは鳴らせない、アベルが倒されるのもここである。カトリの一世一代のピンチ、ここでカトリが死ぬはずはないし、大怪我をするのを見たくないから視聴者は画面に吸い寄せられる。
 そしてカトリを救い来るのは…なんとカトリが番をしていた牛だった。この牛と熊の戦いが本当に迫力を持って描かれる。こうすることでこの熊の脅威が感じられ、カトリがどれだけ危険だったかということも解る。
 そして決着が描かれないのは、何にしろカトリが助かることが明白であり、カトリが助かってからの話は次回の話だからここで切るのは正しい判断だろう。この手に汗握るシーンに途中で視聴者を一週間焦らすことで、視聴者は次の物語に自然に引き込まれて行く。
 そして今話ではさんざん、このシーンに至る展開が描かれていたのも見逃せない。前半のまだ冬のシーンで、ライッコラ屋敷に熊が現れて牛が襲われそうになるシーンもそうだし、このシーンの直前でクロがカトリの頬をぺろんと舐めるシーンもそうだ。また前回以前から積み重ねてきたカトリの牛に対する愛情、それに応えて従順な牛たちの姿というのも、「牛がカトリのピンチを救う」という展開に説得力を与えるものだ。さらに言えば1〜2話でおじいさんが熊に襲われ大怪我した展開も、ここでカトリのピンチを煽るためにあったのかも知れない。
 とにかく、物語が前半が終わり後半の新しい物語に変わろうとするところのハイライトシーンとして、とても印象的だったのは確かだ。ここまでカトリを怖い目に遭わせなきゃ、名台詞欄シーンのようなやりとりがあってもカトリをライッコラから解雇されることは、物語展開上許されなかったのである。
感想  ライッコラ屋敷の展開が中盤を迎えた15話辺りで思い出したのは、カトリがどこかでライッコラ屋敷を辞めて本作後半では別の屋敷での物語になる事だった。だが前話まで、カトリがライッコラ屋敷を辞めなきゃならないような要素は何処にもなかった。どうして辞めるんだっけな…と思っていたら、前回見た今話に対する次回予告で思い出した。そう、カトリが熊に襲われるんだったと。
 そして今話、もうハッキリ言って冒頭から熊はカトリを襲う気満々で話が進む。最初は平穏なライッコラ屋敷の冬が描かれるが、その平穏を打ち破るようにアベルの鋭い吠え声がライッコラ屋敷に響く。これ、1話の事をちゃんと覚えている人は「アベルの中の人がアベルが熊を見つけたときの吠え方をしている」と気付くはずだ。そして熊の足跡発見、これで話が終わるかに見せかけておいて、テームが熊舎に隠れていた熊を発見して緊張が走る。結局はここではライッコラ屋敷の人も家畜も被害はないのだが、テームが熊を撃ち漏らす。同時にこの熊の出現で屋敷の人達に「嫌な予感」を語らせることで、視聴者に「今後も熊に襲われる」という事を上手く伝えていると思う。
 そして短時間に春が来るが、その春のシーンとして描かれるのが楽しいシーンではないのも、この「嫌な予感」に拍車を掛ける。もちろん春になればグニンラとの別れは予測されていたものであったが、その別れを大袈裟にやることで「カトリはもうグニンラに逢うことはない」という現実を視聴者に予感させ、「あれっ?」と思うところだ。そしてグニンラがライッコラ屋敷出発後に熊を目撃、立て続けに近所の屋敷で発生する熊騒動。こうして「カトリが熊に襲われてもおかしくない」という要素を全部揃えたところで、名台詞欄シーンとなって、物語は次の展開である「カトリの解雇」に大きく梶を切ったのは名台詞欄に書いた通りだ。
 そして実際に事件が起きるところまで、視聴者を油断させない。たとえばこの間にカトリが平穏無事に牛の番を終えて帰宅するシーンが入ったり、それが何日かあったことを示唆してしまっては「カトリがいつ熊に襲われてもおかしくない」という緊張感が解かれてしまう。カトリがこの春最初の放牧へ出かけたその先で事件が起きるから、緊張したまま名場面欄の大事件へと話が進み物語が盛り上がったのだ。一度油断させるというのも盛り上げる要素だが、ここは油断させないのが良い方向へ向いているシーンだ。
 なかんかこう、1話掛けてじわじわと物語を盛り上げ、1話のラストに大事件が起きるという系統の話は「牧場の少女カトリ」にはここまで無かったように思う。あったとしても大事件になる前に助けが現れて、解決しちゃっていたもんなー。名場面欄にも書いた「手に汗握る」って物語がなかった…つまり主人公が誰に助けられるのか解らず、ギリギリまで主人公が「敵」と戦わされるような物語って本当になかったんだ。だからこそ「カトリの解雇」という前半最後の重大局面を迎えるに相応しい1話だと思った。

第24話「出会いと別れ」
名台詞 「ああ、本当はあなたにいつまでもここにいてもらいたいの。家畜番としてではなくて、私の娘としてね。」
(ウッラ)
名台詞度
★★★
 いよいよカトリがライッコラ屋敷を出て行く日、出発を前にウッラはカトリに「餞別」として大事なハンカチを贈る。これにカトリが感謝の言葉を返したのを見届けると、ウッラはカトリを抱きしめてこう語るのだ。
 カトリがライッコラ屋敷に到着する前から「問題の人」として話題となり、いざ初登場してみるとメンヘルだったライッコラの奥様。彼女はカトリの登場により娘を失ったショックで罹っていた精神疾患が治癒し、昔の賢く働き者の奥さんに戻った。その理由がウッラ自身によって最後の最後に明かされる。そう、ウッラにとってカトリとはまさに娘のような存在だったのだ。
 もちろん、最初のウッラはメンヘルだったとは言えカトリを「一人の家畜番」としてしか見ていなかったはずだ。だが9話で病に苦しむカトリを見ているうちに、病で苦しんでそのまま逝ってしまった娘とカトリを重ね合わせるようになってしまったことで、まずはカトリを献身的に看病することで「張りを持った生活」を獲得することで過去の悲しみを克服し、精神疾患からも立ち直ったのだ。それだけではない、カトリはその前後のあらゆるシーンでウッラを気遣い、そしてウッラに忠実であった。だからこそウッラも忠実なカトリを気に掛けているうちに、本当の娘のように感じていたのだろう。その気持ちが良く出ている。
 そしてウッラが怖いのは、カトリを失った事でまた娘を失うような悲しみが自分を襲うのではないかというもののはずだ。だからこそカトリにそばにいて欲しい、カトリに娘になって欲しいと叶わぬ願いを持っていたのだ。
 ライッコラ屋敷の人々の中で、カトリがいたことによって最も変わったし、最も影響を受けたのは間違いなくウッラであろう。私は今度のウッラは、カトリがなぜ屋敷を去らねばならなくなったのかをよく理解していて、カトリを失った事でメンヘルに戻ることはないと考えている。それはカトリとの日々を通じて、悲しみを乗り越える術を知ったからだ。
 そしてこの台詞の後、テームがカトリの1年間の働きを認める職業証明書を発行したことで、ライッコラ屋敷での物語が幕を閉じたのである。
名場面 再会 名場面度
★★★★
 夕方、祖母が一人で水汲みをしているところに突然カトリが帰ってくる形で、カトリの帰宅が描かれた。祖母がカトリの突然の帰宅に驚くシーンを演じると、今度は祖父がどうしているか?という話題となり、祖父は体調を崩して寝込んでいるとされる。そこで祖母がイタズラ心を出し、敢えてカトリを部屋の外に待たせた状態で祖父の寝室を訪れる。
 祖母の来訪に気付いた祖父は、何かが気に入らないという様子で顔を背ける。「どうです? 具合は?」と問う祖母にも「悪い」と素っ気なく応えるだけだ。「大した熱もないから、いっそ起きたらどう?」と語る祖母に、「具合が悪いって言っとるだろうが」とやる気のない声だ。「夕食は?」と祖母が問えば「食べたくない」と予想通りの返事、「あらそう、じゃあ食べて良いのね、二人で」と祖母が応えれば「どうぞ」と自然に返して眠りにつこうとする。だがすぐに何かがおかしいことに気付き「おい」と祖母を呼び返す、振り返った祖母に「今、二人って言わなかったか?」と問い詰める祖父。「言いましたよ」すまして応える祖母に「どうして二人なんだ?」と問う祖父に、祖母は「どうしてなんでしょうね?」と敢えてとぼける。扉の外ではカトリが笑顔で隠れている。「じゃあ、静かに寝ててくださいよ」と言い残して寝室を出て行こうとする祖母を、「ちょっと待て」と制止する祖父。「何を隠している?」「何も…」「ウソつけ」と会話が進むと、カトリは必死に笑いをこらえている。「あ、そうか。帰ってきたんだな」やっと祖父が気付くが、まだ祖母は「誰か?」ととぼけているのが面白い。「バカ、決まってるじゃないか。カトリだ、カトリ。何処にいるんだ? おーい、カトリー! 返事せんかー!」と叫ぶと、カトリは笑いをこらえるのをやめて寝室へ飛び込む。後は二人の抱擁シーンだ。
 カトリと祖父の再会シーンを淡々と描くのでなく、こういう面白いシーンに描いたことが強く印象に残った。既に先に祖母との対面をごく普通に描いているので、祖父との対面は一工夫必要になるところだ。そこで祖母のイタズラで、敢えてカトリを隠して祖父に意地悪な対応をさせることで引き延ばすだけでなく、二人の再会を面白く印象的にすることで再会の「差別化」を図ってきたのだ。
 またこのシーンは、この老夫婦のあうんの呼吸も見えてきて面白い。この頑固じーさんだからこそ、こういう悪戯をすれば本人が病気だと言い張っていても起き上がるに違いない…そんな祖母の夫の操縦方法と思わせてくれる面白いシーンで、とても印象に残った。
感想  いよいよカトリの解雇が現実の物となる。前話のラストで熊に襲われ、今話冒頭ではカトリを救うために熊に立ち向かったクロという牛と、熊の戦いの結末が描かれる。熊は牛の体当たりを繰り返し受けたことで絶命し、同時にたまたま近くを通りかかったテームと周囲の屋敷の者達がカトリ救出にやってくる。彼らは前話で出てきた家畜番から「熊出没」の報告を聞いて、慌てて周囲の様子を見に来たのだろう。そこへ熊に襲われたことで放置状態の牛の行列を発見、牛の体当たり音に従って森へ入ったことでカトリを発見したと解釈すべき所だ。
 この事件は、前話で示唆されたように「カトリの解雇」へと繋がる。厳密にはちょうどカトリの契約更改が近付いていたので、次の契約はしないという方針というのが正しいところだ。一応、もしカトリに他に勤め先が見つからなかったら、家事手伝いなどの形で再雇用があり得ることを含んでいるとは言え、ライッコラ屋敷の事情を知り尽くしているカトリはその「含み」に乗ることはないだろう。「帰宅して家族に相談」はそのまま辞めることになるはずだ。
 そして名台詞欄シーンとその直後のカトリの職業証明書のシーンだけで、ライッコラ屋敷の人々との別れはあっさり演じられる。確かに名台詞欄シーンで一度盛り上げた後とは言え、ちょっとおかしいなーと思っていたら突然のペッカの再登場だ。ペッカは現在自分が勤めているクウセラ屋敷で働くことをカトリに勧め、カトリはそれを持ち帰って検討と言うことで話がまとまる。後半戦のカトリの職場はクウセラ屋敷でよかったんだっけ? 思い出せない。
 ペッカとの再会劇が演じられた後、過去にカトリが悪ガキに襲われたあの村の通過だ。だが今回のカトリはちゃんと対策を取っていて、その村を全速力で駆け抜けるという対策を取ることになる。だがこれで転倒、そこで看護師の女性と出会うのだが…カトリはそこで女性の社会進出と言うことは学んだようだが、この女性は印象に残らないぞ。色んな事を学んだと言うには、登場時間が短すぎて説得力が無い。
 そして祖父母との再会は名場面欄に書いた通り。実は祖母との対面シーンも、良く見てみると普通じゃないんだが。
 マルティの再登場を期待したが、それは次回に回されたことは次回予告で示唆された。そしてその次回予告を見て驚いたことは…ハンナも再登場かよー。あの女はもう出てこないと安心していたのに。でも私にそこまで感じさせるほど徹底的に悪役を演じている吉田理保子さんはやっぱり凄い。ハンナと一緒に盗賊も出てくるのかな? またアクション仮面が出てくるのか? だとしたら次はカトリとマルティのピンチかもしれん。そんな状態でまた来週!とは、良いタイミングの再放送だ。

第25話「島での出来事」
名台詞 「カトリのこととなると全く夢中なんだから! んもう…それいっ!」
(マリ)
名台詞度
★★
 う〜ん、このキャラが名台詞欄に出てくるとは思わなかったなー。
 カトリが帰ってきた翌日、登校時にカトリが戻ってきたことを知ったマルティは下校時はもう待ちきれない。ハルマ屋敷とカトリの家への分岐でマリに馬車を停めさせ、荷物を部屋に入れておくよう頼む。マリは「知らないわよ」と素っ気なく返すが、「頼むよ」と言い残して走り去るマルティの背中を眺めながら、マリが叫ぶように馬車を発進させながら語る台詞がこれだ。
 この台詞が印象に残ったのは、今話に描かれた「行間」をたったこれだけで演じてしまったように感じたからである。その行間とは、登校時にカトリとマルティが逢ってからこの台詞のシーンまでの間、つまりこの姉弟の登下校中に何が起きていたかという「行間」である。登校時の方はマルティが馬車を乱暴に走らせて姉を困らせるイタズラが描かれるが、下校時は何も描かれていない。だがこのマリの台詞や、その口調を見ていれば何が起きていたか明かだ。そう、マルティは下校の馬車でずっとカトリの今から逢いに行くことを筆頭に、カトリの話ばかりをしていたであろう事がこの台詞から手を取るように解るのだ。
 このマリという姉が弟の親友カトリに対してどんな感情を持っているかは定かでない。ただひとつ言えるのは、カトリ本人の人格とは別にカトリの話にはうんざりしているのは確かだ。弟がカトリカトリカトリと五月蠅いからもうその話はいいやっていう姉の感情が、この台詞に込められていて面白いと感じたのだ。
 あと気になって仕方が無いのは、この姉がちゃんと弟の学校への荷物を部屋に入れておいたかだ。個人的に予測ではブツブツ言いながらもマルティの荷物を部屋に入れておいたと思う。たぶん、この姉はそういうキャラクターなのだろう。
 (次点)「おじいちゃん達との再会もつかの間でした、今日はクウセラ屋敷へ出発です。マルティに送っていってもらう途中、あのハンナさん一味に捕まってしまったの。そして、危機一髪のところをアッキさんが助けてくれたんです。次回『牧場の少女カトリ』、『助けてくれた人』お楽しみに!」(カトリの次回予告ナレーション)
…う〜ん、このネタバレが素晴らしすぎる(皮肉)。折角次回のサブタイトルが上手く考えら、次回予告画像にもアッキが登場しないよう考えられているんだから、誰が助けに来るかは言わなくて良いのに…この次回予告で次を見る気なくした人は多いと思う。
名場面 おじいさん倒れる 名場面度
★★★
 昼食時、祖母はカトリに畑にいる祖父を迎えに行くように命じる。これに従って畑へ走ったカトリだが、畑を見ると誰もいない。だが鍬がほったらかしになっているので、祖父がここにいたのは確かだ。「おじいちゃーん」カトリが叫ぶと、遠くからカトリを呼ぶ祖父の細い声が聞こえてきた。声の方を見ると祖父が木の下で苦しそうに座り込んでいたのだ。祖父の元へ走り、「胸が…胸が苦しくて…」と訴える姿を見て、カトリは服のホックを外して祖父を楽にしてやる。カトリは帰った来たときに寝込んでいた事を問い詰め、「お医者様に診せなくては」と訴える。「しばらく静かにしていれば大丈夫」と語る祖父に、カトリは自分の給金があることを告げるが「身体のことは自分が一番よく知っている」として医者を呼ぶことを拒む。「あのお金はお前が稼いだ大事なお金だ。大切に使わんとな」と祖父は優しくカトリに声を掛けると、二人は家へ戻る。その帰り道に祖父はカトリに「さっき畑で休んでいたこと、おばあちゃんに言わんでくれるかな。あれに余計に心配をかけたくないんじゃ」と訴える。「でも…」とカトリが返せば「頼むよ」と祖父は念押し、「それじゃあ、今日は静かに寝ていてね」とカトリが返したことで一件落着かに見える。
 前話の祖父が寝込んでいたシーンは何かの伏線だと思っていたが、ここで祖父に劇中での1年前に見られなかった病が襲っていることが明確になる。これの前のシーンでは祖父が畑で一人で発作に苦しむシーンが描かれており、ここのやりとりでカトリに語るように生やさしい病状でないことはもう視聴者には明確だ。だがこのじいさんはそれでも何事もなかったかのように日常生活を回そうとするのだ。
 その理由はもちろん、自分たちの貧しさにあるだろう。自分が倒れてしまい祖母とカトリだけになってしまえば、二人の生活が行き詰まることは火を見るより明らかだ。だから自分が頑張るしかないという祖父の思いが上手く描かれている。ならば本来、ここで医者にかかって身体をキチンと治すべきでもあるのだが…いくらカトリが予想以上の給料と共に帰ってきたからと行って、その給料を自分の治療費に使えばあっという間に底をついてしまうことになる。孫を一人働きに出した祖父として、それだけはできないという気持ちも伝わってくる。
 だから祖父は、自分の深刻な体調のことを隠そうとすることに説得力がある。
 そしてこの一件は、「しばらくは家にいる」とつい先程まで語っていたカトリの気持ちを変えるには十分すぎることであるのも見ていれば解るだろう。マルティに「しばらく家にいる」と言ったその舌の根も乾かぬうちに、カトリに数日内にクウセラ屋敷へと旅立つことを決意したのである。そういう意味でこのシーンは地味ながらも物語が次の展開へと大きく舵を切った瞬間であり、クウセラ屋敷編はここからスタートと言っても過言ではない結果になるはずだ。
感想  カトリ帰宅後の最初の話、今話はマルティとの釣りが終盤にかかるまではのんびりした話だが、そののんびりの中に名台詞欄シーンのような物語の転換点がある。おじいちゃんが病であることを知ったカトリが、自分がまた稼ぎに出ないとじきに生活が成り立たなくなることを理解するのに十分なシーンだ。今話は本題はここであり、ハンナ再登場は本展開の手前でトラップを仕掛けるための伏線でしかなかったことは、次回予告まで見れば誰もが理解するところだろう。
 だから名場面欄前後のカトリの発言が違って当然だ。しばらくは自宅に留まると言っていたカトリが、あのシーンを境に「3日後にはクウセラ屋敷に旅立つ」だからなぁ。その間に何があったかを知っているのはカトリ本人と祖父だけ、その祖父は朝までカトリが「しばらく家にいる」と語っていたのを知らない…という複雑な展開だ。
 そして後半、マルティが出てきてもカトリは「何があったか」を語らずに「3日後に旅立つ」ことを告げる。そうだ、言われてみればマルティはカトリがライッコラ屋敷を解雇されたことを知らないんだ。この二人の物語はどうなるんだろう?
 そして釣りに出かけ、以前出てきた無人島に立ち上る煙。このシーンだけは当時見たのをなぜか覚えているんだけどなー。そこにいたのがハンナとその仲間達というわけだ。アクション仮面もいたぞ。
 でも今回は、カトリがハンナらが潜んでいるのに気付き、あの盗賊が今度はマルティの家であるハルマ屋敷を狙っている事が判明すると言う展開になる。ハンナはそこにいるのがカトリだと気付かない…なぜならそこに、ハンナを敵視しているアベルがいなかったからだ。ハルマ屋敷が狙われていることを知って逃げ帰る二人に、ハンナ達は気付くが追いつくことは出来ず、結局逃げることしか出来なかった。カトリの通報でハルマ屋敷は無人島の捜索をするが、盗賊は逃げた後でもぬけの殻だった…だが盗賊達が潜んでいた証拠を見つけたのは確かだろう。
 ハルマ屋敷が盗賊に入られるのを未然に防いだカトリは、ハルマ屋敷からビフテキをプレゼントされるというのは驚いた。実はハルマ屋敷の盗賊捜索隊が「盗賊達が潜んでいた証拠を見つけた」はずの根拠がこれだ。いくら実の息子が訴えることでも、証拠がなきゃハルマ屋敷側も「本当に盗賊に入られる可能性があった」と認めないだろう。カトリの家には豪華なビフテキが送られたと言うことは、一緒にいたマルティにもそれなりの褒美を贈られたはずだ。
 で、最後にあの次回予告だもんなー。なんであそこでアッキ再登場を予告しちゃうかなー…アッキの退場にごくありふれたものなら、それで良いんだけど…「逮捕」という特殊事情で物語を退場させられたアッキの再登場は、「最終兵器」でなければならないのだ。恐らくこの次回予告、画面にアッキが出ないことを考えると画を作った段階ではアッキ再登場を示唆しないつもりであったであろう事は容易に想像がつく。でも台詞を決めるときに誰かが判断ミスったんだろうな。前話の今回に対する次回予告でハンナ再登場を示唆するのも、ちょっとネタバレが酷すぎと思った。前回のハンナ登場予告と、今回のアッキ再登場予告は、盛り上がるはずのところが盛り上がらなくなるという悪影響を作るだけで、再登場の意外性などを完全に削いでしまう悪い例だ。おそらく「牧場の少女カトリ」が当時視聴率で苦戦したのも、この次回予告のおけるネタバレにあると思う。

第26話「助けてくれた人」
名台詞 「全くのウソ、実を言うと今日初めて撃ったんだ。上手く撃てるかどうか心配だった。友達が身を守るのに必要だからって貸してくれたんだけど。とんだところで役に立ったよ。お茶をもう一杯どう?」
(アッキ)
名台詞度
★★
 盗賊達に襲われたカトリとマルティを、偶然近くに居たアッキが助けた。アッキは助けた二人を改めて別荘へ連れて行き昼食とする。「君たちをここへ招待した日に、僕は逮捕されたんだったね」と思い出したアッキに、カトリは「ロシアから逃げてきたんですか?」と聞き、マルティは「ピストルを何度も撃ったっていうの本当?」と問う。この二人の質問のうち、マルティの質問への返答としてアッキが語った台詞がこれだ。
 やはりここはよい子の「世界名作劇場」だ、主人公達を助けるイケメンが悪であってはダメだ。盗賊達に「ロシアから逃げてきてピストルを何度も撃った」と脅したアッキだったが、その内容を裏返せば自分が逃げるために追っ手を殺害したことになる。これじゃダメだ、いくら主人公のピンチとはいえ「悪人が悪人を倒す」のではよい子の「世界名作劇場」ではなくなってしまう。
 だからアッキが盗賊達にピストルを突きつけるシーンでは、良く見るとアッキがピストル初心者のように震えている演出がなされている。これで現場を落ち着いてみている視聴者は「大丈夫なんか?」と思うところだろう、その上でこの台詞が出てきたことでアッキがピストルを持っていても使っていないだけでなく、使わないように心がけていたこともよく分かる。
 その上で、ピストルを持たされたという自らの設定を語って予想外に役に立ったことを笑うアッキは、「牧場の少女カトリ」で一番の色男として完全に定着したと言って良いだろう。ここまでの色男になるのだから、あの井上和彦さんが演じているのも納得だ。
 でもこの「牧場の少女カトリ」の本放映時期を考えると、当時の私はこの井上和彦さんの声を聞くと笑わなくて良いところで笑ってしまっていたと思う。当時の井上和彦さんと言えば、私が見ていたアニメではギャグばかりやっていた印象があるからだ。この「牧場の少女カトリ」の放映されていた前日の土曜日には「OKAWARI-BOY スターザンS」の主人公でギャグばかりやっていたし、さらに前日の金曜日には「魔法の天使 クリィミーマミ」の立花慎吾といういぢられ役をやっていた頃だ。金曜・土曜と立て続けに井上和彦さんに笑わされた次の日曜日にアッキさんでは、絶対に余計なところで笑えていたはずだ。
名場面 馬車上の会話 名場面度
★★★★
 クウセラ屋敷へはマルティが繰るハルマ屋敷の馬車で送迎されることになった。マルティが馬車を出すと、カトリはいつまでも後ろにある家の方向を見ている。「もう家が見えなくなったわ」とカトリが呟いて諦めるように前を見ると、「おじいさんもおばあさんも、とっても悲しそうな顔をしていた」とマルティが暗い声で語る。「もう少し家にいても良かったんじゃない? 僕だったら今からだってそうするな」とマルティは続けるが、これに対してカトリからの返答はない。「ねぇ、どうなの?」と前を見たまま問い直すマルティの声に、やはりカトリの返答はない。おかしく感じたマルティがカトリの方に目をやると、カトリは目に涙を浮かべて悲しみにじっと耐えている様子だった。驚いてカトリの名を呟くマルティに、カトリは半泣きで「私もおじいちゃんやおばあちゃんのそばにいたかった、ずっといたかった…」と語る。「ごめんカトリ、僕つまらないこと言っちゃった」と謝るマルティに、「あと10日もいたら、きっと働きに出るのが嫌になってしまうわ」と半泣きのまま訴えるカトリ。マルティがこれに同意するとカトリはついに流れた涙を拭いながら「おじいちゃんはもう、力の要る仕事はできないわ。心臓が悪いのよ。この間、畑で倒れたの…」と誰も知らない家の事情を語る。「そうだったのか…」とマルティが驚くと、「おじいちゃんが働けなくなったら、とっても困ることになるわ」とカトリは自分の決意した理由を語り「カトリが働いて助けなければならないんだな」とマルティが賛同する。「私、クウセラ屋敷にはどうしても雇ってもらうつもり」とカトリがドアップでマルティに訴えると、マルティはカトリの気持ちを全て理解して頷く。
 今話ではカトリと祖父母の二度目の別れは意外にあっさりと流された。だがその代わりに、馬車の上でカトリがマルティに全ての気持ちを語る。マルティが言うように本当は自分ももっと長く家で過ごしたかったこと、だけどそうしてしまったら自分が怠けてしまうこと、そして祖父が倒れたことなど家の事情により自分が怠けている場合ではなく、家の生活が自分の肩に掛かっているという現実をマルティに語るのである。
 このシーンの始まりでは暢気というより、カトリと一緒に馬車でドライブが楽しいって感じのマルティが、この会話でとても神妙な表情に変わる。カトリの気持ちは本当は泣きたいほどのものであるのに、それをかくして元気にに振る舞っていたことを彼は理解したはずだ。そして裕福なマルティには想像できない、家族の生活が自分の肩にのしかかっているという事実。マルティはここでカトリに同情しただけでなく、またカトリを自分より大人と感じて尊敬したに違いない。だからこそ、この会話が途切れるとマルティはカトリを元気づけることが出来る秘密兵器(姉からカトリに贈られた本)を出すことで、カトリに希望を持たせるのだ。
 このシーンではカトリの本心と、それを垣間見たマルティの思いの言うのが伝わってくるようても印象的に演じられていた。こうすることでいよいよ始まるクウセラ屋敷編でのカトリの気持ちをしっかりと視聴者の印象に残し、主人公がどんな思いでここから働き続けるのかを確認する意味での重要なシーンと思った。
感想  本作も話数ベースで物語の半分を消化し、いよいよ後半のクウセラ屋敷編がスタートと言うところだ。でもまだ本編に入らず、前話同様にライッコラ編からの橋渡し的な物語が続いていると言って良い。だが名場面欄シーンは明確にクウセラ編に入っているのは確かだ。カトリの気持ちをマルティとの会話の中を通じて視聴者に意識させるという上手い描き方をしてきた。
 今話で何よりも驚いたのは、マルティの姉のマリが突然良いヤツになっていたことだ。でも言われてみればマリはカトリに直接辛く当たったことはない、初期の頃にカトリを蔑視する発言が一度あった程度で、その後はカトリカトリカトリと騒ぐ弟に振り回されていたというのが正解だろう。そのマリが前話でマルティが乱暴に馬車を走らせたことで滑稽なシーンを展開してからは、ちょっと印象度が変わったと言って良い。そして今話ではカトリに本を贈るという予想外の展開を見せるのだ。これにマルティだけでなくカトリまでもが「もっと意地悪な人だと思った」「見直した」と発言するのは、正直で良い。今のアニメだったらこういう正直に台詞を吐かせるような事はしないだろうなぁ。同時に、マリがマルティに本を託すシーンも、見ていた面白かった。あそこは視聴者も「マリが弟に意地悪をする」と思って見るからこそ面白い。時間を掛けてマリのキャラクターを「意地悪そう」にした甲斐があったってもんだ。
 そして後半、よせばいいのに近道なんかするから、「世界名作劇場」シリーズの「旅もの」ではすっかりおやくそくの「馬車が壊れる」→「主人公のピンチ」という王道パターンにハマってゆく。馬車が壊れて助けを求めた相手がハンナと盗賊一味だったという展開は予想通り、ここまでは前回の次回予告がなくても展開としてあり得るだろう。だけどその後のガチで盗賊に殴られるマルティ、さらって売り飛ばすと宣告されるカトリという大ピンチは…次回予告でネタバレさせられていたから白けた。もうね、どこからどうやってアッキが出てくるかそればかり気になってダメ。やっぱりあそこはアッキが助けに来るというのが解らないから盛り上がるところだ。どうやって主人公が助かるのか解らないからこそ、緊張感が出るのだし手に汗握るシーンにもなるのだと思う。さらにアッキ登場に「意外性」がなくなり、悪が撃退され主人公が助かるシーンでも盛り上がりを欠いてしまった。もし次回予告によるネタバレがなければ、★×5の名場面シーンに挙げたと思う。
 でてきたたアッキが、実は屈強で肉弾戦に勝つという展開でなく、胸から拳銃を出して解決させてしまうのは彼らしくて良いと思った。アッキは病気だったという設定もあるし、どちらかというと頭脳派として描かれていることを考えれば、彼が格闘戦では勝てないと誰もが思うところだろう。だがそれはアッキに拳銃を撃ちまくる悪人という印象がついてしまう諸刃の剣でもあり、これを防止するために今話のオチとしてアッキの別荘シーンがあることは名台詞欄で語った通りだ。
 今回を見てみて、本当に前回の次回予告でのネタバレが痛いと思う。あれのおかげで本当に盛り上がるべきところで盛り上がりきれなかった1話になってしまったと言わざるを得ない。もしアッキ登場のネタバレがなかったら、盗賊に襲われたシーンはアッキ再登場というサプライズと合わせて本作一の強印象シーンになったかも知れない。
 これでハンナは本当に退場かな、盗賊も退場かな…。しかし正義の味方アクション仮面が10歳の少女を売り飛ばす話をするなんて…「クレヨンしんちゃん」世代が見たら驚いただろうな。

第27話「都会育ち」
名台詞 「でも、もう二度と捕まらないよ。この国が独立するまでは、絶対に捕まるもんか。」
(アッキ)
名台詞度
 コーレリッシュ村のクウセラ屋敷へは、トゥールクへ向かうというアッキが保護者として同行することになった。だが既に日が傾き、トゥールクを目指す頃には夜になってしまう。そのことをアッキに尋ねたカトリに、彼は警察がまだ自分を捕まえようとしているかも知れないとして「この道を行く方が安全だ」と語る。これにカトリが「独立運動をすると捕まえるなんて、おかしいと思うわ」と返すと、「まぁ、そうだね」と笑った後にアッキが呟いた台詞がこれだ。
 この台詞は今話を含めてこの物語全体の流れには直接関係ないが、アッキという人物を印象付けるためにはどうしても必要だったと思う。アッキは凜々しく登場したと思ったら警察に逮捕されたり、結果的にそれで主人公のピンチを救ったとはいえ拳銃を持ち歩き、しかも当時舞台であるフィンランドでは禁止されていた独立運動に荷担していると来ている。アッキというのは主人公の頼りになる人物であると同時に、何処か危ういキャラであることは間違いないのだ。
 そしてその危ういキャラである理由が必要となる。初登場でフィンランド文学をこよなく愛していることが判明していた彼だが、その根底には愛国心があり、それを基にした「祖国をこのままにしておいてはいけない」という強い思いと燃える心を持っていることだ。それは方向性は違えど、働いたり便器要することを通じて世の中を知りたい、世の中の役に立ちたいというカトリの心との共通点であろう。この二人が惹かれあったのは方向性は違うが共通する思いがあるという事を明確にし、これを明確にすることでアッキが主人公を助ける理由が判明してくる。それはアッキの「カトリを正しく導かなければならない」という思いとなり、自分が危うくてもカトリだけは守らねばならないと考えている理由となることが、この台詞から見えてくるのだ。
 つまりアッキがカトリやマルティに手を貸すのは、気まぐれなどではなく真剣なものであり、そのカトリのためにも自分は再度捕まることは出来ないのであり、その思いの再確認をカトリの目の前でしているのだ。
 そして何よりも、こういうカッコイイ台詞を吐く井上和彦さんの声がこれまたカッコイイ。ここだけは金曜、土曜とさんざん彼のギャグを見せられた後でも、思いを新たにして見ることが出来る。つまり井上和彦さんの声だからと前の日の同じ声を思い出して、笑わなくて良いところで笑う必要がなくなる台詞だったとも感じている。
名場面 ペッカとビリヤミ 名場面度
★★
 カトリがクウセラ屋敷に到着し、奥様の判断で即採用となった翌朝、泊まりがけで街へ行っていたペッカとその兄のビリヤミが乗る馬車のシーンとなる。「そろそろ来てもいい頃だな…」とペッカが呟けば、ビリヤミは興味なさそうに「誰が?」と問う。「俺が何度も頼んだ子だよ」とペッカが返すと、カトリを知らないはずのビリヤミがカトリの名前を出し、ペッカがカトリカトリカトリとしつこく言うからどんなバカでも覚えると返す。これに続きペッカは申し訳なさそうな顔で「雇ってくれるんだろ?」と問うと、「何度も言ったろ? そんな小さな女の子に何をさせるんだ?」と厳しいお返事。その理由として家畜の世話はペッカが、家の中のことは二人の使用人がいるから十分だとする。「折角やってきたカトリを、追い返すって言うの?」とペッカが不安そうに問うと、ビリヤミは「仕方ないだろ」と言うことしか出来ない。「ひどいな、それはひどい。いくら何でもそれじゃ俺の立場がないよ」と自己保身に走るペッカに、ビリヤミは「俺に相談も無しに、人に雇ってやるなんて言ったお前が悪いんだ」と厳しく説く。「いいよ、俺が奥様に頼んでみる」と直訴を宣言するペッカに、「ま、やってみるんだな。だがあの奥様には、田舎育ちの小娘などは用無しさ」と涼しい顔で応えるビリヤミの声に、ペッカは困惑と怒りが入り交じった表情で「兄ちゃん!」と叫ぶことしか出来ない。
 良いシーンだ。このシーンはカトリがクウセラ屋敷に来る前に演じられていたら、主人公の危機を煽るシーンとして機能したかも知れないが、既にカトリが先にクウセラ屋敷にいて奥様の判断で即採用となった後に見るからこそ色んな意味で面白い。このシーンが面白い要素は多々あるが、何よりもカトリの到着と先に即採用と決まった事を知ったビリヤミがどんな反応をするか? そんな期待を視聴者に持たせることでとても印象に残るのだ。本人のことを知らぬ事とは言え、主人公カトリを「田舎育ちの小娘」「用無し」呼ばわりし、逢ってもいないのに厄介払いしようとした代償をどのように受けるか?という楽しみである。
 このシーンの直後に、クウラセ屋敷のお坊ちゃんであるクラウスとアベルが遊んでいるのをペッカが見つけ、「おいおい、知らんぞ。俺は知らんからな」と慌てるビリヤミの声でその答えが一つ出る。そして屋敷でカトリが奥様の身の回りの世話担当として雇用決定していることを知ると、カトリを呼んだのはビリヤミと言うことにされてあとはペッカの思惑通りに話が進むという醜態を見せる。いずれにしても、本来は主人公のピンチになるはずの「ビリヤミはカトリを追い返すつもりだった件」は平和的に、面白く解決してので、このシーンが印象に残ったのは確かだ。
感想  カトリ、クウセラ屋敷到着。だが屋敷にはビリヤミの婚約者であるアリーナを除いては、カトリのことを聞いている人は誰もいないという障害を乗り越えることからはじまる。その過程で舞台が変わったこともあって次から次へと出てくる新キャラクター、独断でカトリの雇用を即決定した優しい奥様はグランディス(by「ふしぎの海のナディア」)、その息子のクラウスはジャック・ロビンソン(by 「ふしぎな島のフローネ」)、使用人のヘンリッカはモレルおばさん(by「わたしのアンネット」)というどこかで聞いた声のオンパレードだ。特にクラウスの声なんか、どうしてもジャックにしか聞こえない。ペッカにカトリの居場所を聞かれたときの「知らない」なんか、まんまジャックだったもんなー。だいたいクラウスって名前も、前作ではマスコットペットの名前だったろうにー。
 前半は前話の展開を引きずっているが、前話では盗賊襲撃という大事件があったのでクウセラ屋敷へ向かえシーンを仕切り直している。そして前半の途中でクウセラ屋敷に着き、前述の内容となるのだ。そして後半の前半分までを使ってカトリが奥様の信頼を得る物語が描かれ、ペッカやビリヤミが名場面欄シーンを演じる前に屋敷での立場を確立してしまうというのは本当に面白かった。
 その間にもう何度目になるか数えていないマルティとの別れと、アッキとの別れが描かれる。アッキとの別れではナレーターが「今後とカトリとアッキが逢うことはない」と言っているが、シーンで示唆するだけでなく解説まで加わる場合はナレーターの言葉は信用しないに限る。アッキが「カトリに本をプレゼント」「衝撃の逮捕を演じる」「カトリを盗賊から救う」「カトリを次の勤務先へ送迎する」だけのキャラとは思えないからだ。何らかの形で最低一度は出てくるであろう。
 いよいよ次回からクウセラ屋敷での日常となり、クウセラ屋敷編が本格始動する。ここでライッコラ屋敷の物語とどう差別化を図るかが、本作の評価のポイントとなるであろう。既に「家畜番」と「家事手伝い」の違いという差異が生じており、カトリの立場の違いからライッコラ屋敷の物語とは違う展開が約束されていると言っても良い状態は出来ている。その差別点がどんなものになるかか、本作の注目点だ。

第28話「新しい生活」
名台詞 「カトリ、ペッカは友達かも知れないがクウセラ屋敷の雇い人だったことを忘れないでくれよ。俺は旦那様がいないこの屋敷のことを任されている。雇い人が俺に逆らうような事があると、上手くやって行けない。例えそれがペッカであっても、他の者に示しがつかなくなるんで困るんだ。わかったかい? カトリ。」
(ビリヤミ)
名台詞度
★★★★
 カトリがクウセラ屋敷で働き出した二日目、ペッカは自分が命じられた仕事をサボってカトリに頼まれてアベルの犬小屋作りをしてしまう。ビリヤミはペッカが仕事をしていなかったことに気付いており、「後で(仕事を)するよ」と涼しく応えるペッカに何をしていたかを問い詰める。カトリが「自分が頼んだ」と言うが、ペッカはカトリを庇って「カトリには関係ないこと」とするが、ビリヤミは全てお見通しだった。彼はペッカを叱るだけでなく、カトリにこう言い聞かせたのだ。
 つまり、この台詞の内容をかみ砕けば「公私混同をするな」ということだ。つまりこの台詞は、カトリにもペッカにも真剣勝負を求めているものであり、友達同士だから(ペッカに対しては好きな女の子が相手だから)と馴れ合いをしてはならない、「友達は友達、仕事は仕事」という「仕事の基本」を植え付けているといえる。
 確かにカトリがライッコラで働いていたときは、少し離れた放牧場で家畜番という仕事内容から上司の目が行き届かず、こういう馴れ合いが横行していたのは事実だ。これはペンティラ屋敷時代のペッカにも言えることで、上司の目が行き届かないからこそペッカは仕事を抜け出してカトリの所へ行っていたのだし、カトリもそんなペッカやお遊びに来たマルティの相手をしたり、カトリの体調が悪いときはマルティに代わってもらって横になったり、マルティに祖父母への手紙を託すために一度帰宅したりと、やりたい放題だったのだ。
 だがこのクウセラ屋敷の現場は違う。ペッカは兄であると共に上司であり事実上の雇い人でもあるビリヤミの目が行き届いている範囲内で働くのだし、カトリも奥様という上司の目の届く範囲内での仕事が主だ。常にそれぞれを「働かせている人」の目が行き届いていて、同時に相応の仕事量が与えられているので、遊ぶことが許されない職場になったという「変化」がこの台詞から見えるのだ。
 同時に、この台詞はこの物語を見ている子供達に「仕事の心構え」というのを上手く突きつけていると思う。仲の良い友達同士や兄弟でも、仕事の場になれば関係なく真剣勝負をしなければならないという現実だ。こういう子供を社会教育するアニメって、今のアニメにあるのかな?
名場面 未明の医師宅にて 名場面度
★★★
 クラウスが急な病に罹り、カトリはペッカに頼んで隣町の医師の家まで馬車を走らせる。未明の少し明るくなった時間に医師の家に着くと、家の中から使用人と思われる年配の女性が出てくる。「何だい? こんなに朝早く…」と迷惑そうに対応する使用人に、カトリはクラウスの病状を語り医師に診て欲しいと懇願する。だが使用人は医師に聞きに行くこともせずに「ダメだよ」とオウム返しの返答だ。カトリがさらに懇願するが、「近くても遠くてもダメなんだよ」と意地悪としか思えない返答。「もう夜が明けているじゃないですか!」とカトリが訴えると、使用人は目に涙を浮かべ「先生のお葬式は、昨日だったのさ」と衝撃的な返答をする。驚くカトリに、使用人は「ニーラネン先生は三日前にお亡くなりになったんだよ。さぁお帰り」と告げることしか出来ない。「そんな…」と衝撃の事実に言葉を失うカトリだったが、家の奥から「どうしたの?」と若い女性の声が飛んでくる。使用人がカトリのことを話すと、「病気?」と聞いてその女性はカトリ方へ歩くところでシーンが途切れる。シーンが代わると、ペッカが繰る馬車にカトリだけでなくその女性が乗っているという展開だ。
 前回の次回予告で、クラウスが高熱を出して倒れること、カトリがペッカに頼んで馬車で隣町の医師の元へ往診の依頼へ行くことは示唆されていた。だから多くの人は今話を見れば、明け方とはいえカトリが医師の家に着いてしまえば問題解決と思うところだろう。使用人が往診の依頼を断っても、医師本人が出て来て解決とか、カトリが出際に奥様から渡された金一封で解決とか、そういう甘い展開を期待していたはずだ。現に私もそうで、奥様がカトリに金一封を渡しておいたのはこういう事態に備えての伏線だと思っていた。
 だが展開はそんな視聴者の甘い予想を徹底的に裏切る。使用人が医師が死去したことを告げたとき、唐突にカトリだけでなくクウセラ屋敷がピンチに見舞われることになって驚くことだろう。私も使用人が「先生のお葬式は、昨日だったのさ」と告げたとき、テレビに向かって「うそー!」って叫んでしまった。
 でももう今話の残り時間もない、言われてみればこの残り時間ではクラウスが完治どころか、医師の診察を受けるシーンが挟まる時間がないのも明白だ。そこで医師不在のピンチで、とてもじゃないがカトリ達が別の医師を求めて彷徨うシーンが挟まる余裕なんかさらにない。「どうなっちまうんだ?」と視聴者が思う頃を見計らって出てくる若い女性、この女性は今話のラストで医師見習いのソフィアと名乗る。こうしてこのピンチは、あっけなく「新キャラ登場シーン」に変化して、とりあえずクラウスの診察をしてくれることになり解決する。
 ここは前話の次回予告で示唆したのが「クラウスが高熱で倒れる」「カトリが深夜に医師を呼びに行く」で止めておいたのが上手く聞いている。だからこそその直後の暗転と、その暗転をきっかけに当時要する新キャラが印象に残るし、暗転したときも僅かな時間であるが物語の緊張は最高潮となる。う〜ん、26話に対する次回予告はこれを見習って欲しかったな…でなくて、幼児の病気とそれが深夜という緊張感を「医師の急死」でさらに盛り上ったところでの新キャラの登場シーンだったというオチに、もう驚いてみることしか出来なかった。
 で、ソフィアは間違いなく一発屋じゃ無いと思うんだけど、この人は何をする人だったか覚えてない。
感想  ルーシーメイ キターーーーー!!!!
 ソフィアの声、最初誰だか解らなかった。最初に声を聞いたとき「舌っ足らずな喋る方をするなぁ」とは思ったけど、松島みのりさんだったとは…。でもこの強印象な初登場の仕方を見ると、今回クラウスを診察するだけの一発屋キャラでないことは確かだと思う。これが今回しか出てこないキャラだったら、暴れるよ。
 実は今話、見ているうちに本放映当時に見たと思い出した話である。ペッカが犬小屋を作っている辺りから今話の展開を突然思い出した。そうそう、クラウスが病に倒れてカトリが夜中に医者を呼びに行ったら…医者が急死していたって話だって思い出した。カトリが奥様が絵を描くモデルになって変なポーズを取っていたシーンがあったのも思い出したぞ。ソフィアが出てきたのも思い出したが…その先は次話以降でなんか思い出すかも?
 確かに名場面欄シーンは展開が強烈なので、思えていたのは確かだ。これも「世界名作劇場シリーズで夜中に医者を呼びに行ったらその医師が死んでいた話があったんだけど、どの作品だったっけ?」とずっと思っていたものだ。実は「愛の若草物語」や「わたしのアンネット」等を見ていたときは、どこかでその記憶の片隅にあったシーンが出てくるんじゃ無いかと思って待っていたのだが…「カトリ」だったか、そうだったか。
 前半はこれに言って何も起きないが、名台詞欄シーンの教訓は大きいと思う。ペッカは気にしていないが、カトリは気にしていているってことはライッコラでの馴れ合いも反省していることだろう。あのビリヤミの台詞もかすかに覚えていた。あれを聞いて「大人になって大好きな鉄道の仕事をする事になった場合も、当てはまる台詞なのかな」と思っていたが、当てはまると思うように感じたのは社会に出てからだ。もちろん流されやすい私は、たまなに公私混同していたけど。
 そしてその何も起きない展開を後半まで引きずり、引き延ばしに引き延ばしてからクラウスが熱を出すという展開になるからなぁ。後になって考えると引き延ばした時点でおかしいんだ、「レギュラーキャラの病気」という事件に対して、何をするにも中途半端なタイミングで事件が起きているんだから。今話のうちに全部済ますにしては遅すぎるし、解決を次回に回すには早すぎるしという微妙なタイミングで事件が起きている。でもここで「おかしい」と感じてしまったら、この話は面白くなかっただろうな。
 次回、アベルに続きマスコットキャラとして「猫」が出てくるようだ。

第29話「夢を見ていた」
名台詞 「あなたがなりたいの? そう…ここにいては絶対になれないわ。私はスウェーデンの大学で勉強したのよ。これからはフィンランドでも勉強できるわ、それでもヘルシンキかトゥールクの大学でなくてはダメでしょうね。あなたには無理よね、そんなこと言っても。でもね、希望は持ち続けなさい。そうすればひょっとしたら道が開けるかも知れないわ。さようなら、カトリ。」
(ソフィア)
名台詞度
★★★★
 クラウスの二度目の往診で、かつトゥールクの病院に帰るために最後の往診としてソフィアがクウセラ屋敷を訪れた。だがカトリはペットか湖に漁へ出ており、屋敷には不在だった。カトリには会えないと肩を落としたソフィアだったが、その帰り道で漁から戻ってきたカトリと偶然出逢う。「逢えないかと思ったわ」と嬉しそうに語るソフィアに、「本と子猫、ありがとうございました」と礼を述べるカトリ。ソフィアはすかさず、最初の往診の時にカトリがソフィアに何かを聞こうとして言葉を切ったのは何が聞きたかったのかを問い詰める。カトリは少し恥ずかしそうな表情をしたあと、「お聞きしたかったんです、どうやったらお医者さんに慣れるんですか? 先生」と一気に問いを投げかける。それを聞いたソフィアが驚いた表情をしたあとの返答がこれだ。
 この台詞は、カトリが朧気に見ていた夢…「医師か看護師になって人々を救う仕事をしたい、頑張ればそれが叶うはず」だという夢を破壊するものだ。カトリがどんなに家庭環境が悪くても、どんなに仕事が辛くても、今やっていられるのはこの夢に支えられていたという面もあるはずだ。だがカトリはこの台詞を聞くことで一度は夢が絶たれる、この台詞を聞いているカトリの表情はみるみるうちに暗くなり、最後は肩を落とす。こうやって主人公が持つ夢が明確に破壊されるのは、「世界名作劇場」シリーズではとても珍しいと思う。多くの作品で主人公が持つ夢は困難であっても、破壊されることはなかったからだ。
 ソフィアの言う「ここ」というのはクウセラ屋敷がある田舎の村という意味だけではなく、クウセラ屋敷そのものにあると思う。つまりカトリの今の立場…「学校へも行けずにどこかの屋敷で下働きとして働くしかないという」意味も含まれている。その立場をも抜け出さない限り未来はないとこの若い女医は、主人公に明確に突きつけるのだ。
 だがソフィアという女性とこの台詞が印象的なのは、そういう現実的な事だけでこの台詞を終わらせないことだ。これは「世界名作劇場」シリーズではあらゆる登場人物が口を酸っぱくして語っている「希望を持ち続ける」ということだ。夢を捨てずに希望を持てば、いつか何かしらの形で道が開けることを告げている。裏返せば医者は無理にしても、同等に頭脳を要求される仕事にカトリが就くという点が本作の大団円で必要になったわけで、これは最終回のオチのための伏線であると私は考える。
 同時に、この台詞からはこのソフィアという女性も、まだ女性の社会進出が当然でなかったこの時代に女性ながら医者を目指したことで、さんざんな苦労をしてきたという点も見え隠れしている。ソフィアが一度カトリの夢を閉ざす厳しい言葉を掛けるのは、自身の苦労と重ね合わせて「この困難を乗り越えないとダメ」と突きつける親心にも聞こえる。
 こうしてカトリは一度夢をリセットされる、彼女がここからどう這い上がるかは次回以降に持ち越しだ。でもソフィアはこれだけのキャラじゃなかったと記憶しているんだけどなー。
名場面 ペッカとソフィア 名場面度
★★★★
 クラウスの診察が終わった後、ペッカが繰る馬車でソフィアは帰宅する。だがその馬車で、ペッカが居眠り運転をしてしまい「眠いのは解るけど我慢して、危ないわ」とソフィアに窘められる。そしてソフィアはペッカの居眠り運転防止として何か話をしながら行くことを提案するが、困ったことにソフィアはペッカのことをよく知らないので何を語れば良いのか悩む。そこでカトリの話題、ペッカが「カトリは良い娘です」と語るとソフィアが「それだけ?」と返す。「頭が良い」「それだけ?」「働き者だし、誰からも好かれる」「それだけ?」「う〜ん、あとは…あ、カトリは動物が好きだ!」「犬を飼っていたわね、私の家には猫がいるわ。まだ小さいけど」…やっとソフィアが違う反応を見せる。だがペッカは思い出したように「ああそうだ、本が好きだ!」とソフィアの反応を無視してカトリのことを続ける。「本が好きなの?」と問い直すソフィアに「学校へ行かなくても字が読めるし書ける」とペッカが付け加える。ソフィアが問う、「あなたはカトリのことよく知っているのね?」「長い付き合いですから」「長いってどのくらい?」「1年ちょっと」「あまり長いとは言えないわ。あなた、カトリのこと好きなのね?」…ここで会話が途切れる、ペッカが明らかに返答に困っているのだ。それを見たソフィアが「ね? そうでしょう?」とさらに念を押すと、ペッカは観念したように「好きですよ、当たり前でしょう」と返す。笑顔のソフィア、走り去る馬車…。
 この会話、好きだ。ソフィアがペッカの口から聞きたい言葉が何か、見ている方はもう言われなくても解っている。だがペッカはあくまでもそれを言おうとしない、だけどソフィアも何とかそれを吐かせようとする。この二人のやりとりは大好きだ。
 ペッカの表向きの気持ちは、「カトリは大事な友達」であって「妹のように可愛がっている」というものであるが、本心はそうでないことはよほど鈍感な人以外は誰もが気付いているだろう。これは視聴者だけでなく登場人物達にも言えることだ。ライッコラ屋敷の人々はそのペッカの気持ちを見抜いているし、ペッカの兄であるビリヤミもこれを見抜いていると思う。そして今話でそれを見抜いたのがソフィアであって、ソフィアはその確信をなんとしてもペッカの口から語らせようとしたのだ。
 なぜそんなことをしたか? これはソフィアの単なるイタズラ心だけでは説明はつかない。ソフィアはカトリという少女に興味を持ち、そのカトリがどんな少女であるかを知りたかったのだ。そして目の前にはカトリに夢中になっている男子、ソフィアはペッカが簡単には自分の本心を語らないことが解っていたはずで、だからこそ本心を聞き出そうと揺さぶれば、カトリの情報を色々と語ってくれると判断したのだと解釈できる。
 そしてまず「死んだ父が飼っていた猫の処遇に困っていたソフィア」として、カトリが動物の世話が大好きだという重要な情報を得て、さらには本が好きで勤勉な少女である事も知る。こうして彼女はカトリにプレゼントとして本を贈り、同時に(言い方は悪いが)処分に困っていた子猫をカトリに渡せば、それを好意的に受け取り飼ってくれると判断したのだと思う。つまりこのやりとりは、カトリへのプレゼントへの伏線だったのだ。
感想  今話はまず、ソフィアが看護師と間違えられるシーンが徹底的に演じられる。これは当時は女性医師というのが珍しかったことを示唆するために敢えて置かれたシーンなのだろうから、ペッカなりカトリがニーラネン先生急逝という事情を語れば省略できたシーンだとツッコミを入れてはならない。そしてクラウスの診察シーンではソフィアが小児科医であることが明確にされ、インターンだからとまごつくようなことをさせずにてきぱきと診察させたのは、ここはソフィアがクウセラ屋敷の皆に信用されねばならないところなので正解だ。しかし、この頃はフィンランドにはまだ「注射」ってなかったんだなぁ。注射を見て泣くクラウスの声が、どうしてもジャック(by「ふしぎな島のフローネ」)とダブってしまって…。その診察シーンの最後、診察後のひとときに本話内での伏線が張られる、それはカトリがソフィアに何かを聞こうとして言葉を切るシーンで、これがラストの名台詞欄シーンに繋がる。
 後はカトリとペッカが寝不足について語ることと、クラウスの病状が一進一退であること以外、平和なクウセラ屋敷の日常が進む。ビリヤミとアリーナはことある毎にラブラブで、なんか最近の話題作「進撃の巨人」のフランツとハンナみたいだ。アベルはクラウスの病気で仕事がなくなると怠け癖がつき、ペッカはビリヤミとアリーナのラブラブから除け者にされて…この展開、本放映時に見たぞ。
 しかし、クウセラ屋敷では近くの湖で漁をやっているんだな。カトリとペッカがボートで湖に乗り出すから何をするのかと思ったら、定置網を引き揚げて魚を捕まえているなんて。この日は大量だと言うことはクウセラ屋敷の食卓は魚ばかりだったんだろう。
 これだけ長々と色々と演じておいて、本話の本題は名台詞欄シーンだけだ。これについては名台詞欄で語りきったので改めて書くことはないだろう。そして最後に、ソフィアはトゥールクの自分が勤める病院の名前を述べてから去るので、今後カトリが何らかの形でトゥールクの街を訪れ、ソフィアが勤める病院を訪問するという展開があるのだろう。

第30話「美しい白鳥のように」
名台詞 「私はね、カトリだったらなれると思うよ。学校へも行けないような貧乏人の娘でも、努力すれば看護婦だろうが先生だろうが医者だろうが何だろうが、なれるんだってことを見せて欲しいわ。あんただったらそれができるわ、カトリ。」
(アンネリ)
名台詞度
★★★★
 久々にライッコラ屋敷を訪れたカトリが、ウッラに自分の夢を語る。「人のために役に立つ仕事がしたい」として看護婦や学校の先生になりたいというカトリの持つ夢で、もちろんカトリも「簡単に離れると思っていない」「一生懸命努力すれば…」というのが前提だ。だがこれにウッラは落ち着いた口調で「こんな田舎で学校も行っていないのだから、とても無理だと思う」「屋敷の奥様にならなれると思う」と現実を突きつけるのだ。その直後、カトリはアンネリに伴われてかつての自室に置いてある本を取りに行くが、そのかつての自室で二人きりになったときに、先のカトリとウッラの会話を聞いていたアンネリがこう告げた。
 前回と今回でカトリは自分の「夢」に対して、二人の大事な女性から現実を突きつけられて道を閉ざされるという経験を立て続けにしたことになる。二人の言うことはもっともで、一人は田舎とはいえ勉学に励む環境があってもその道が困難なことを知っているソフィア、そしてもう一人はこの田舎というのところがどういうことかという事を痛いほど知っているウッラの言だ。この二人の言葉はカトリにとって「夢」を諦めさせられるものであっただけでなく、説得力もあったはずなのだ。だからこそ自分がその「夢」へのレールに乗れないことを悟って落ち込む。
 だがそれで納得が行かなかったのは、恐らく若い頃はカトリと同じ境遇にあったと考えられるアンネリだったと言うわけだ。アンネリはカトリの「夢」を聞いて驚いたと共に共感し、そしてなんとしても叶ってほしいと感じたはずだ。アンネリにも若い頃に色々と夢があっただろうが、すっかりおばはんになった今も屋敷の雇われ家政婦にしかなれなかった。アンネリはそんな現実や社会を恨んだこともあるのだと思う。だからカトリのような強い夢を持つ娘が、自分に成り代わってなりたいものになって、その現実や社会というものをぶち壊すのを期待しているのだと思う。だからこそ今カトリに必要な言葉…貧乏だろうが田舎だろうが、困難を打ち破るのを見てみたい人がいるというもう一つの現実をカトリに伝えたのだろう。
 この台詞を聞いたカトリは、感激する。カトリにとってもこれは嬉しい台詞だったはずだが…だがやはりカトリにとっては「この現状をどうぶち破るか」という悩みが強くなったのは確かだ。でもこの台詞がなければ、カトリは再起不能なショックを受けたかも知れない。
名場面 「みにくいアヒルの子」 名場面度
★★★★
 ライッコラ屋敷の往復で色んな事があったその夜、カトリはクラウスに「みにくいアヒルの子」の話を読んで聞かせる。劇中で描かれたのはその中でも、「アヒルの子」がいよいよ成鳥になったところからだった。そして「アヒルの子」が自分が白鳥になっていることに気付いたところからは、カトリの声が涙声になる。それでもカトリは朗読を続けるが、ついに言葉が途切れてしまう。「どうしたの?」と問うクラウスの声に「ごめんね、ちょっと待って」と返して号泣。「どうして泣いてるの?」とクラウスは混乱気味、そこへロッタが「カトリ、あなたも白鳥になりたいのね…」と呟く。これに「カトリも白鳥になりたかったのです」と返すのはナレーターだった。そのまま今話が終わる。
 前回と今回の展開によりカトリの気持ちの変化を、上手くオチにしたと言って良いだろう。同時にここまで見て本話のサブタイトルの意味がやっとわかるというもどかしい展開だ。名台詞欄でも語ったが、前回と今回でカトリは徹底的に「夢」が叶わぬものであると突きつけられている。それによってのカトリの気持ち、田舎だから、貧乏だからと夢を諦めたくない、何とかして夢に向かいたい…「みにくいアヒルの子」そんな自分の姿にダブって見えてしまったのだ、そして羨ましいことにお話の中の「みにくいアヒルの子」はきれいな白鳥になるという形でどん底から這い上がり、夢を叶えている。自分もこうなりたい、どうすればこうなれるのかというカトリの気持ちが上手く表現できたと思う。
 もちろん、今のカトリは「アヒルの子」が白鳥に育つ前の段階だ、田舎だから、貧乏だからと道が閉ざされ、閉ざされた道の前で道を開こうともがいているだけだ。だからこそ「アヒルの子」という先人の話は、涙無しには語れなかったのだ。
 そしてこんなカトリを見た奥様が、カトリに同情を示しているのも確かだ。これでこの先の展開が読めてくる、この奥様は何らかの形でカトリにキチンと勉強の機会を与えるという展開だ。ただロッタにも戦場で戦っている旦那がいて、しかもビリヤミに任せきりとは言えこの屋敷を守ってゆく義務もある。そんな中で下働きの少女に勉強をさせることは困難だ。つまり、物語はここから「カトリがどのようにして勉強の機会を得るか?」という方向性であるのは確かだ。当時見たはずなんだけど、覚えてないなー。
 ここまで主人公の夢を閉ざして泣かせておいて、主人公が夢に近づけないまま終わり…なんていうバッドエンドだったら、絶対に当時見たのを覚えているはずだ。ここまでの展開に対して「セオリー通り」に進んだからこそ、当時見た記憶が殆ど無いんだと思う。
感想  いろいろ詰め込んだなー。しかも前半はクウセラ編に入ってからずっと続いているのんびりした展開、前半の残り時間が僅かになったところで、やっと次回予告で示唆されていたライッコラ屋敷探訪の話になり、色々詰め込んだのはここからだ。
 まずここでグニンラばあさんの話が出たときに、正直「23話であんな大々的に別れを演じておいて、ここで再登場したら思いっきり白けるぞ」と感じた。それにしても馬車の上で、カトリとペッカが互いに年を取った後の想像をしているシーンは大笑いだった。
 そしてライッコラ屋敷到着、まずカトリとアンネリが大袈裟に抱き合うが、あんなに仲良かったっけ?と感じてしまう。ウッラは太ったのではなく妊娠していたという展開は次回予告にあったけどやはり驚きだ。これでメンヘルに戻ることもないだろう。ここでは前回のソフィアの名台詞と同じ趣旨のことを、今度はウッラに突きつけられてカトリがまた衝撃を受ける。名台詞欄のアンネリの台詞はとっても良いんだけど、カトリはなかなか立ち直れない。
 そしてその衝撃から立ち直らぬうちに、続いて衝撃的な事件だ。傷心のカトリを載せたペッカの馬車が、グニンラばあさんが住む村に着くと、なんとそこではお葬式が行われている。ペッカが村人にグニンラばあさんの家の場所を聞くと、返ってきた返事はその葬式がグニンラばあさんの葬式だったというものだ。これはここでグニンラばあさんと再開して白けるのを覚悟していたら、逆にこんな衝撃的な事件でもうカトリとグニンラばあさんの再会が二度とないと断定されてしまうとは…。今のカトリはグニンラおばあさんと話がしたかったんだろうな、グニンラおばあさんと将来のことを語り合いたいのでなく、その存在そのものがカトリにとって必要だったんだと思う。そんな存在がなくなったことで、物語はどことなく陰鬱な空気に包まれてしまう。
 そしてラストは名場面欄シーンの通り。最初は軽いノリで普段ののんびりしたクウセラ屋敷の日常で、アベルとミッキとクラウスの2匹と1人が頬笑ましく動いてくれただけに、終わってみてこんな重い話に変わっていたときは本当にビックリした。これじゃ本放映時に14歳中学2年生男子だった私の印象に残らないのも頷ける。でも話が深くて、ここ数話は大人になってみてみると本当に面白いと感じる。もうちょっと後に「牧場の少女カトリ」が本放映されていたら、また違った印象があったはずだ。
 あとよく見たら、このページではついにカトリが名台詞欄に載らなかった。カトリは本作では積極的に物語を引っ張っているし、良い台詞も沢山吐いているんだけど、どうも他のキャラがそれ以上の台詞を言ってしまうことが多いように感じる。

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