第4話「四人のスケッチ」 |
名台詞 |
「俺、字が読めないんだ。書くのだって出来ない。これ、エミリーって読むんだろ? その本の裏に書いてあったの、見て練習したんだ。だから、エミリーが詩や絵を素晴らしいって言ってるのを聞いて、なんか悔しくてそれであんな事言っちまったんだ。ごめん、エミリー。俺、本当は凄いと思っているんだ、エミリーのことを。俺、勉強ってやつをしてみたい。それでいつか大統領になりたいんだ。」
(ペリー) |
名台詞度
? |
テディが絵を描いていることを母に知られ、完全にテディと一緒に遊べなくなって行く宛てもなくふらついているエミリーとイルゼの前に、ペリーが立ちはだかる。ペリーはまだ会ってもいないテディを悪く言ってしまい、それが原因でエミリーに無視され続けていた。エミリーは不機嫌な声で「何しに来たのよ?」と尋ねるが、ペリーはエミリーが落としていった教科書を差し出してからしゃがみ込み、地面にエミリーの名を書いてからこう力説するのだ。
この台詞に込められているのはペリーがエミリーを尊敬の眼差しで見ていたという事実だろう。この物語の前半までペリーがエミリに対し普通の友達以上の感情を持っていることは理解できる、だが私もそうだったがそれが淡く切ない恋心から出ていると感じてしまうように見えるのだ。それはエミリーがテディのことをペリーに話したときの反応が典型例で、おおくの視聴者が「ああ、ペリーは嫉妬しているんだな」と感じた事であろう。もちろん、ペリーがエミリーの名を地面に書くときもそうだ。
だがそうでないという事がこの台詞でハッキリ明かされる。彼は学校へも行かずにニュームーン農場の仕事をしていることを考えれば、ちょっと考えれば彼が字の読み書きが出来ないと分かっても良さそうなものだが。彼がエミリーの名を地面に書いていたのは本当に純粋な練習で、彼が持っていたエミリーへの嫉妬心はこの時点では「恋心」よりも、エミリーが「頭が良い」という自分に持っていない者を持っている事によるのだ。それを包み隠さず語り、自分がどうありたいのかをしっかりと語るこの台詞は印象に残った。
もちろん、ペリーがエミリーに対する恋心が無いわけではない。それがどうなるのかは物語の展開を追わないと分からないが…エミリーはテディに夢中のようだ。 |
(次点)「私はね!…う〜ん…私らしけりゃ何でも良いかな?」(イルゼ)
…上記のペリーの台詞に続いて、イルゼは「あんた(ペリー)が議員になるんなら、私は何でもなれそうだな」とした後で自分の将来の夢を語ろうとする。それで出てきた言葉はこれなのだが、この台詞も上記と同じ位印象に残った。彼女の言うように「自分が自分らしく生きる」という生き方を自分もしてみたいと感じた。 |
名場面 |
四人のスケッチ。 |
名場面度
? |
名台詞欄シーンに引き続き、将来の夢を語り合うエミリーとイルゼとペリー。エミリーが作家になりたいと力説すると、どこからとも無く「僕はこれからもずっと絵を描き続けたい」というテディの声が聞こえてくる。静かに3人の元に歩み寄るテディに、エミリーとイルゼは喜んで近付く。そこに顔をしかめたペリーが近寄ってゆく、自己紹介の後テディのの絵に感心するペリー。それをよそに「君たちの絵を描いて良いかな?」とエミリーとイルゼに尋ねるテディ、その声が聞こえると「俺は?」という感じで自分を指さしてアピールするペリーが美味しすぎる。「四人の絵が良いわ!」とエミリーが提案してペリーは救われるが…こうして4人のスケッチがテディによって描かれることになる。
ここで物語のひとつの方向性が定まったことだろう、要はこの4人の友情物語なんだと。エミリー→ポリアンナ、イルゼ→サディ、ペリー→ジミー、テディ→ジェームスにしたらまんまポリアンナ物語だわ。そうでなくて、このシーンはペリーの必死さに本当に笑った。そして何よりも最後に出てきたこのスケッチが、今回の物語の楽しさを彩って強く印象に残る。何よりもこれまでの殺伐とした展開と打って変わって、これからの物語が楽しくなりそうだと予感させてくれるのが嬉しいシーンだ。
イラスト…「名作アニメファンサイト そよ風の丘」 ある名作ファン様からの頂き物 |
感想 |
いきなり物語の終わり方の感想から始まるが、前回感想に書いたような終わり方でなく非常にスッキリした。というのはここまでの3話は前話の感想欄に書いた通り、物語が一通り終わってから次の物語に少し突入したところで終わっていたので「締まり」が悪かった。だが今回は前回までの終わり方が嘘のように、きれいに決まった。これからもこうきれいに終われれば、とってもいいアニメになると思うのだが。
今回の筋は名台詞次点欄の台詞がテーマだと思う。自分が自分らしく生きるためにはどうするか? これは大人になった我々にとっても重要なテーマであろう。その過程でエミリーは好きな読書を奪われ、テディは絵を描くことを奪われる。対してイルゼは「自分にとってそのような存在」というのを見いだせず、ペリーはエミリーの存在によって自分のやりたいことが引き出されたという描かれた方をする。そしてこのテーマに迫る台詞を吐くのが、まだ「自分らしさ」を見いだせていないイルゼだというのが興味深い。こういう時はイルゼのような存在がエミリーやテディの立場のキャラから教えられるのがおやくそくなのだが。
ただよく分からないのがテディの母の行動理由だ、まぁこれは伏線だと思って今後謎解きがあるのを待つが。テディの母が息子が絵を描くのを嫌がったり、子供を外に出したがらないのには何か理由があるはずだ。「テディを溺愛している」だけでは理由にならない「きっかけ」が必要な状態に描いてしまっているからね。それに深夜に泣いていた理由だって今後必要になるぞ、この辺りの謎解きがないまま終わったりしたら、「某長い旅」って呼んじゃうぞ。 |